後日譚(2)
★ クルヴァーン聖王国 スィリーズ伯爵邸 ★
「審理の魔瞳」を持つスィリーズ伯爵が自宅に戻ったのは、日付も変わろうという夜遅い時間だった。
それでも屋敷で働く使用人たちは勢揃いして伯爵の帰りを出迎える。主である伯爵が誰よりも働いているというのに、自分たちが先に休むことは許されない——そんな思いで彼らも働いている。
「お父様、お帰りなさいませ」
出迎えの筆頭にいたのは、伯爵と同じ金髪と緋色の目を受け継いだひとり娘のエヴァだ。
今年、一人前の貴族として第一歩を踏み出す「新芽と新月の晩餐会」に参加し、今や押しも押されもせぬ立派な伯爵家令嬢として社交界に顔を出している。
その美しさと可憐さから、すでに多くの男性ファンがついていたが、フレーズ侯爵家のシャルロットがなかなか他の男を近づくことをさせなかった。
「エヴァ」
伯爵は最愛の娘の顔を見て少々口元をほころばせたけれど、
「……話があります。私の部屋へ——お茶は要りませんから、皆さんも休んでください」
すぐに表情を引き締めた。使用人たちが一斉に頭を垂れた。
「レフ魔導帝国の情勢はいかがですか」
伯爵の執務室に入ると、入口に執事長が立ち、廊下には筆頭武官のマクシムが護衛として立った。
貴族の令嬢として一段と立ち居振る舞いが落ち着いてきたエヴァが早速たずねると、伯爵はうなずいて応接ソファにふたりで座る。
レフ魔導帝国上空に巨大モンスターが出現してから、すでに10日が経過している。
「現在、帝国はあらゆる物資を投入して空から降るモンスターを討伐しているそうです。しかしながらその戦況は悪く、レフは街を放棄せざるを得ない……と聞いています」
「国が、国土を失うということですか」
レフ魔導帝国の国土は、光天騎士王国、クルヴァーン聖王国、未開の地「カニオン」に挟まれた小さな土地だけだ。ここに街があり、ここにしか街はない。
「我が国と光天騎士王国とに接する巨大な関所を最終防衛ラインとして戦っているそうですが、すでに国民の8割方は関所を越え、難民と化しています。聖王陛下は、すべてのレフ人の受け入れを決定し、できうる限りの人道的支援を行うことを決定しました」
ほっ、とエヴァは胸をなで下ろす。
ここでレフを見捨てても、結局のところすぐにこちらに飛び火してくる問題だし、レフの魔導技術には目を瞠るべきものがある——という損得勘定はあろうけれど、今は人として当然のことを当然なしていくという決定を喜ぶべきだろう。
つい先日、先代聖王がその聖王位を長女の第1聖王女に譲位し、グレンジード公爵を名乗るようになった。
第1聖王女はグレンジード公爵によく似た気質の、カラッと明るい好人物で、困っている人を見過ごせない「姐御肌」だ。
「キースグラン連邦は10万の兵を提供するとレフ魔導帝国に申し出ました」
「10万! すさまじい数ですわ」
「ええ。聖王都の警備兵をそっくり出しても足りませんね。エヴァ、あなたはこれをどう見ます?」
スィリーズ伯爵はエヴァに、包み隠さず聖王国中枢で交わされている情報を与えるようになった。それはすなわち彼女を「対等」と認めていることであり、またそうすることでエヴァの才覚をどんどん伸ばそうとしている。
「…………」
曲げた人差し指をあごに当て、じっと考えたエヴァは、
「そのまま領土を得よう、という考えはあまりにも浅はかでしょう」
「はい。私もそう思います。では連邦の狙いは?」
「恩を売ること、ですか?」
「それもあるでしょうね」
「では、魔導帝国の技術供与を望んでいる?」
教師が教え子の成長を見守るように伯爵はうっすら微笑んだ——伯爵はエヴァに対しては、このように感情を見せることが増えてきた。
「よい回答です。ここでさらにもう一歩踏み込むことができればいっぱしの貴族になれますよ、エヴァ。——キースグラン連邦とレフとの間にはなにがありますか?」
「光天騎士王国ですわ」
「連邦と騎士王国との関係性についてはどれくらい知っていますか?」
「それは……ほとんど存じ上げません」
エヴァは外国単体ならともかく、外国同士についてはなにも知らないことに気づかされ悄然と肩を落とした。だがそれも無理からぬことで、12歳の彼女が学んでいるのは一にも二にもまずは国内のこと。各貴族に関する知識ばかりだ。
「落ち込む必要はありません。知らなければこれから知ればよいのです」
「……はい」
「連邦は大国で、騎士王国はどちらかと言えば中規模から小規模国家と言えます。二国間の関係は良好とは言えませんが、さりとて悪いとも言えない。ただ今回、連邦がレフの技術を望み、10万の兵士を出す以上は騎士王国を通ることは必須です」
「騎士王国と外交が発生します」
「そのとおり。これを機会に、連邦は騎士王国とも友好的な関係を結びたいと考えているのでしょう——強大な敵にともに当たる、というシチュエーションは、騎士道を重んじる騎士王国がいかにも好きそうなことですから」
「お父様、連邦は騎士王国との関係性を改善することにメリットを感じているのですか?」
「はい。キースグラン連邦の盟主ゲッフェルト王は高齢ですからね。あと数年の命でしょう。自分が亡き後に騎士王国と問題が起きないよう手を打つつもりでしょう」
「たった数年」
「そう、数年です。もっとも、数年前にも同じことを言われていましたがね」
「まあ……」
父の語る言葉を一言も聞き漏らすまいと耳を傾けているエヴァに、伯爵の笑みはますます深くなる。
安心しているのだ。
これならばエヴァは大丈夫、自分がいつかいなくなっても貴族としてやっていけるだろう——と。
(レイジさんには感謝しなければなりませんね……)
自分が雇い、そして自分と敵対しながらも、最後は自分と娘のために身を引いてくれた少年のことを伯爵は思い返す。
だからこそこの話は娘に言わなければならない。
「エヴァ。最後にひとつ重要な情報があります」
「なんでしょうか」
エヴァは背筋を伸ばした。
「……今日入ってきた情報です。レフ魔導帝国にはハイエルフの王族であるアナスタシア殿下が滞在していらっしゃいます」
「ハイエルフ、ですか?」
「はい。キースグラン連邦内には天賦珠玉を産出する場所が2箇所あり、ひとつが『六天鉱山』でもうひとつがハイエルフやエルフの住む『三天森林』です。アナスタシア殿下は、ハイエルフへの飛行船提供の見返りに差し出されました」
見返り、という言葉にエヴァがひっそりと眉根を寄せる。
「そのアナスタシア殿下が、レフ魔導帝国上空に出現した空の亀裂に吸い込まれた……というのです」
「それは——どういうことなのでしょうか? モンスターが出現するところに吸い込まれた……?」
「詳しくはわかりませんが、殿下のみならずがれきや飛行船も吸い込まれたということなので、強力な吸引が発生したことは間違いありません」
「不思議な現象ですね……殿下がご無事ならよろしいのですが」
「……エヴァ」
そこで伯爵はじっと娘を見つめた。
「実はそのとき、殿下の隣にひとりの冒険者がいた、という情報が上がってきています」
「…………」
エヴァは動きを止め、父を見返した。
この場でわざわざ「冒険者」などと言った。
それは——もしや、という予感がエヴァの身体に走る。
「レイジさんが、アナスタシア殿下とともに空へと吸い込まれたそうです」




