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庭には巨大な穴が空いていて、土砂が飛び散り、黒煙が上がっていた。「月下美人」には相当に強力な砲弾を積んでいたようだ。
肩に刺さった矢については、近くの樹木に絡みついたツタに【花魔法】を掛け、矢をがっちり握らせた。で、力任せに抜いて(痛みのあまり涙が出て)、【回復魔法】とミミノさんの傷薬で応急処置をした。
ありがとう……ミミノさん。三度の飯より薬草が好きなミミノさんに今度なにかおもしろい薬草をおごります。
館の使用人や兵士たちが出てきて大騒ぎになっているので、僕は【疾走術】で足音を殺しながら庭の隅を走っていく——と、
「あなた……やっぱりレイジさん」
「!!」
上から声が降ってきた。見上げたそこにいたのはポリーナさんだ。
館の高い塀の上で、弓に矢をつがえた状態で。
「アナスタシア殿下を襲うとは、どういうつもりですか」
「襲ってませんよ……正体がバレないようにこんな格好をしてるだけです」
「…………」
きりきりと弓がしなっている。めっちゃ疑われてるなー……。
「僕は殿下に頼まれて『畏怖の迷宮』を攻略したんですよ? 今さら害するワケがないじゃないですか」
「それなればなぜこそこそと?」
「……それを話す前に、あなたは殿下の味方ですか? 敵ですか? 陰でこそこそしているのはあなたのほうでしょう」
サイレンが聞こえている。塀の向こうの建物でも人々が騒いでいるのが聞こえてきた。
程なくしてこのあたりにも人が来るだろう。そうなれば——え、そうなれば僕の逃げ場がなくない?
「レイジさん、あなたが殿下に手を出さないのならばそれでいい。しかし、次に近づくことがあったら容赦しない」
ポリーナさんは身を翻すとひらりと塀から飛び降りた。
……いやほんと、全然会話できない相手だったな。「確認せずに撃っちゃってごめんね!」くらい言ってくれてもいいのに。いやそんな軽い口調で言われたらイラッと来るけど。
「なんか、密命を帯びてる感じだよな……ポリーナさんって。『黄金旅団』のパーティーに潜入して入国するほどだし……ううむ」
ま、いいか。もう僕には関係ないし。
アナスタシア殿下はこれから魔力を使う練習をしていけばきっと問題なく生活できるようになる。それで十分で、僕がそこに関わる必要はもうないだろう。
(……さっきなにか、言おうとしてたけどな……)
なにを言おうとしてたんだろう。感謝かな……いや、もっと違う感じはしたけど……わからないな。
「わからないことは考えてもしょうがない」
僕は気を取り直して走り出す。敷地から脱出して街中に出るタイミングで盗賊スタイルを解除し、冒険者スタイルに戻る。右肩から出た血の跡があるけど暗いからまぁなんとかなるだろう。
「さて、ムゲさんの商会に帰らなきゃなあ……」
街中では人々が、突如現れた「月下美人」とそれを追う飛行船を見上げては興奮した口調で話している。
「がんばれ、帝国!」
「あれが『月下美人』かあ、すごいなあ」
「追いつくのかな? 追いつく? どうかな?」
そんな喧噪を聞きながら僕は歩いて行く。いろんなことがあった一日だったけど、さすがにもう帰ってゆっくり眠りたい……そして明日の昼まで惰眠を貪るんだ……。
ふと見上げた空「月下美人」がちょうど真上を通り過ぎていく。
その一室の窓ガラスに人影が——僕を見下ろしているように思えた。
「…………?」
強化された視覚でも、向こうの部屋が暗くてよくはわからなかった。
だけれど——そこから目が離せなかった。
(……そこにいるのは)
ぺたりと、窓ガラスにつけられた白い手のひら。
僕はその手を、どこかで見たことがあった。
(なんでだろう。思い出せない……)
モヤがかかったように記憶が曖昧だった。例えるならば天の川を挟んだ織姫と彦星は、そこに相手がいるのがわかっているのに雨雲によって遮られお互いを確認できないような——。
「お、おい、ありゃあなんだ……?」
「月下美人」が通り過ぎたあと、戸惑ったような市民の声が聞こえてきた。
ちらりとそちらを見て——僕はぎくりとして立ちすくんだ。
「——マジかー。このタイミングで……」
それは、夜空へと伸びる一本の光。
僕ら以外の攻略チームが向かった「九情の迷宮」の1つが、ついに攻略完了となり、迷宮から光の柱が立ち上った瞬間だった。
★ レフ魔導帝国皇帝 ★
「九情の迷宮」の攻略情報は日々、皇帝のもとに届けられていた。「畏怖の迷宮」が望外の攻略成功で勢いづいていた帝国中枢は、攻略1課が数々のトラップをくぐり抜けて最後の試練らしき場所にまで到達しているという一報に、さらに盛り上がっていた。
今夜中には攻略完了するかもしれない、となると多くの閣僚が遅い時間まで皇帝も臨席している会議室で、軽食と少量の酒を楽しんでいた。
「いやはや、攻略1課は何時頃に攻略完了しますかな」
「まさかの攻略成功が2つとなれば、今回は大成功でしょう」
「1課の成功は予想の範囲内とはいえ……」
元はと言えば攻略1課による「憎悪の迷宮」攻略を進めることが予定されており、そこへ「月下美人」が盗難されるという一大事件が起きたせいで、それを挽回するために一気に4迷宮の攻略となったのだ。
1つの攻略完了までに多くの犠牲が出ることはほぼ確実なので、皇帝とはいえおいそれとは攻略の号令を下せないのが「九情の迷宮」だった。
攻略1課には戦闘も、魔道具研究も、エース級の人材がそろっているので「憎悪の迷宮」攻略成功は確実視されていたが——まさか先に「畏怖の迷宮」が攻略されるとは、というのが閣僚たちの偽らざる心境だ。
そのさなか、「月下美人」が帝国上空に現れたものだから、会議室はにわかに作戦本部となった。
「ありったけの飛行船を出せ! 絶対に逃すな! ただし町の上では撃つなよ!?」
帝国軍の大元帥がその場を仕切り、命令を下す。
すでに「月下美人」は帝国領から逃げ出そうとしており、帝国軍所有の飛行船がそれを追いかけるという局面になっていた。
「この際、足の速い商会の飛行船に先回りをさせてはいかがか」
「商会が承服しますかな」
「そこは無理矢理にでも徴発すればよろしい」
「いや、『月下美人』を奪還し、その栄光に浴するチャンスだと言い含めれば、喜んで差し出すでしょう」
「商会に『栄光』が通用しますか?『金』のほうがいいのでは?」
閣僚たちがああだこうだ言っていたが、
「『月下美人』奪還成功の暁には、最も活躍した商会に飛行船を1艇下げ渡すと伝えよ。それで動かぬ商会は放っておけ」
「はっ!」
皇帝が決断すると、大元帥が命令に書き換え、号令は帝国中に下った。
飛行船を持つような大型の商会には通信用の魔道具があるので、皇帝の名が署名された下知を見るや、すぐに飛行船を飛ばす商会がいくつも現れた。
帝国上空は、サーチライトの長い腕と、空飛ぶ船とが入り乱れるようになった。
「おお! あの光は!」
そのときひとりが窓の外を指差して叫んだ。
「憎悪の迷宮」を攻略し終わった光が柱のごとく立ち上ったのだ。ガタガタと全員が席を立ち、そちらを見やると、
「陛下」
ひとりの伝令が息せき切って駈け込んできた。興奮する閣僚をよそに、伝令は皇帝のそばへと寄ると小声で報告した。
「……アナスタシア殿下のお屋敷に砲弾が落ちたようです」
「なに?」
「殿下はご無事ですが、それと前後して賊が侵入したという報告もあがっていまして……お屋敷の使用人が混乱しているだけかもしれませんが」
ふむ、と皇帝はあごひげをしごいてから言った。
「……アナスタシアをこちらに連れて参れ。『月下美人』奪還と『憎悪の迷宮』攻略という2つの慶事が起きた今、あれをそばに立たせておくことに意味もあろうな」
皇帝の中では「月下美人」を取り返すこともまた決定事項なのだった。
深々とうなずき、伝令は会議室を出て行った。
七夕なので。




