38
翌早朝から僕は起きて、迎賓館の方々にいろいろと無理をお願いした。つまり、皇帝に会うための身支度を整えたかったのである。
迎賓館で働く人々にとってそれはたいして無理なお願いではなかったようで快く引き受けてもらえた。
髪を切ってもらい、ミミノさん特製の整髪料を使う。謁見用の上等な服をレンタルしている店はないかと聞くと、迎賓館にすでにあるという。しかも無料! う〜ん、いいところに泊めてもらっちゃったな。
「ほぉ〜……お前、まったく冒険者には見えねえぞ」
「それは褒め言葉ですか?」
「もちろんさ」
僕の支度が終わると、ダンテスさんはニカッと笑った。
着ている服は燕尾服にフォルムは似ているものの、色合いはダークレッドにパターンが刺繍されているような……なんというか、だいぶ前衛的なもので、でもそれはレフ人の伝統工芸である陶芸によくあるパターンなのだそうだ。
(久しぶりの正装モードだ。こういうのは意気込みで呑まれたら負けだからな)
この謁見が意味するところはわかっている。おそらく、僕らの情報は伝わっているから皇帝もそのつもりだ。
つまりルルシャさんをさっさと解放しろというアピールの場なのだ。
皇帝だけでなく多くの上級官吏や有力者も出席するだろう。言葉を間違えれば僕らの功績も奉仕活動にされかねない——クルヴァーン聖王国での貴族のやりとりではよくそういうことがあったからね。アイツらマジで腹が黒い。
「わあっ、レイジくんカッコイイべな!」
「お、いいじゃないっすか、坊ちゃん。こういうのを馬子にも衣装って言うんですよね」
ミミノさんには若干照れくさい笑顔で「ありがとうございます」と応えながら、ドヤ顔で言ってきたゼリィさんには跳び蹴りを入れた。ふーむ、この服、跳び蹴りを入れるのに動きにくさはまったくないな。なかなかの出来だ。
「むふふ、でもなぁ、レイジくん。君がエスコートするノンはもっとすごいぞ」
「え?」
すると扉が開いて隣室からノンさんが現れた。
ひらりとしたオレンジ色のドレスはノンさんの若い生命力をそのまま表すように鮮やかで、フリルの細かい刺繍や、ところどころに縫い付けられた小さな宝石のきらめきも、どこからどう見ても貴族の女性というふうだった。
ふだん聖職者としての服しか見ていなかったので——これは、なんというか、まったくもって意外性というか、
「うおおおおおおんんん!」
「うわぁ!?」
いきなり横で大型犬が吠えたかと思ったらダンテスさんだった。
「キレイだ、キレイだぞ、ノンっ! お、俺はっ、お前に、そんな格好をさせてやることが今まで、全然できなくてっ……!」
どうやら娘があんまりキレイでびっくりし、さらにはこれまで父親らしいことができなかったことを今さら思い出して泣き出したらしい。
「お父さん、教会に入ったらこんな格好ふつうできませんから。お父さんだけでなく、どこの修道女の父親もみんな同じです」
冷静なノンさんのツッコミが鋭すぎる。
(それにしても——化粧映えするんだなぁ……)
長い髪も結われ、銀製の髪飾りをつけている。
冒険をしていればまったく施すことのない化粧もうっすらとされていて、それが、ノンさんを大人びて見せていた——ああ、そう言えばノンさんももう20歳だもんなぁ……。
「ど、どうですか? レイジくん……いっしょにいて不自然ではないかしら……」
恥じらう姿もすばらしいです。ごちそうさまでした。
「完璧です」
「そ、そうですか?」
「完璧です」
「でもこういった服には慣れてなくて……お父さんは私を晴れ舞台に一度くらいは、みたいに思ってたみたいですけど」
「完璧です」
「……レイジくん?」
「完璧です」
「坊ちゃん、壊れたオートマトンみたいになってますよ——ふぎゃあっ!?」
完璧以外に言うことがないのだから完璧だと言ってなにが悪い。僕はゼリィさんに跳び蹴りを入れた。
「……ではダンテスさん、ミミノさん、ムゲさんのことはお願いします」
「そっちもがんばれよ。ノンのことは頼んだ」
「任せてな〜!」
「ちょっ、坊ちゃん、あーしは!?」
ゼリィさんはなぁ……調子に乗らなければまともなところもあるんだけどなぁ……。
それはそうと、僕とノンさんはダンテスさんたちを送り出し、こちらはこちらで魔導自動車に乗って皇宮——と言えばいいのだろうか、皇帝が住んでいるというビルへと向かった。
巨大な敷地周辺には多くの自動車が停まっていて、たぶんだけど僕らの謁見のために集まってきた人たちだよね。さらにはなんだなんだと市民も集まってくるものだから警備兵が総出で交通整理を行っていた。
そこへ到着したのがひときわ立派な僕らの乗る車だ。
「すごい人だかりですね……」
「大丈夫ですよ、ノンさん。こういうのは堂々としていればみんな疑問に思わないものです」
「そ、そうですか?」
珍しく不安そうなノンさんに僕はそう言った。実は今僕が言ったのは単なる思いつきではなくて、クルヴァーン聖王国にいたときにスィリーズ伯爵が教えてくれたことだった。
——目上の貴族や大勢の前に出たときに緊張しない方法ですか? 君はなにものにも動じないような顔をしているのに、そんな細かいことを気にするんですね。いいですか、秘訣は堂々としていることですよ——。
なんだか伯爵とのやりとりもずいぶん前のことみたいに感じられるから不思議だ。
そう言えば伯爵はお嬢様と仲直りできたかな? できないわけないか。親バカだもんな。むしろ最初からケンカになってない気もする。
「着きました。お降りください」
運転手が外からドアを開けてくれるので、僕が先に降りる——と、おおっ、というどよめきが聞こえてきた。
「行きましょう、ノンさん。——ノンさん?」
「……ちょ、ちょっと待ってもらえますか? 急に怖くなってしまって……」
それはそうだよね。縁もゆかりもない国の皇帝にこれから会うっていうだけでもプレッシャーなのに、これほどの群衆に囲まれてたら。
僕は自動車の中に手を差し入れた。
「行きましょう、お嬢様。エスコートいたします」
「!」
「こう見えてもそれなりに経験がございますので」
うさんくさい護衛スマイルを浮かべながら僕が言うと、おずおずとノンさんは僕の手に手を重ねた。
柔らかくすべやかな手を誘導するように、彼女を外へと誘う。すると先ほどとは違うどよめきが起きた。
「——うわっ、めっちゃ美人が出てきたぞ」
「——なんだなんだ? ヒト種族じゃないか……でもきれいな人だな」
「——ありゃどこかのお姫様か?」
ふふふ、ノンさんに視線が集まってる集まってる。どうだ、うちのノンさんはすごいだろう?
僕は以前エヴァお嬢様をエスコートしたように、ノンさんの前に立って歩を進めていく。
昨晩の新聞記者たちもいて、次々に質問を投げてきたけれどなにをどこまで言っていいのかわからないので答えられない。警備兵が彼らを食い止めていた。
まるでアカデミー賞授賞式のレッドカーペットか。ここは異世界で足元は舗装路だけどね。
敷地内まではさすがに群衆も入ってこず、アバが僕らを出迎える。
「よく来てくれた。ん、全員ではないのかな」
「僕らふたりだけです。問題はないでしょう?」
「まあ、構わないよ」
歩いて建物へ入ると、広々としたロビーは2階まで吹き抜けになっていて、金粉で幾何学的な模様を描いた朱塗りの柱が林立していた。うーん、悪趣味。
アバは皇帝と謁見するときの注意事項みたいなものを説明しつつ、合間合間に「おかげで寝てない」とか「水飴も持って入れないんだよここは」とか愚痴を挟むのを忘れなかった。僕は僕でそういった愚痴は黙殺し、足元に段差があるときとか足元が滑りやすそうなときとかノンさんをエスコートするのに余念がない。
ノンさんはお化粧しているのもあるけれど、顔が青を通り過ぎて白くなっていく。
「やっぱり、これから皇帝陛下の御前に参らなければならないのですよね……?」
と蚊の鳴くような声で言うので、
「大丈夫ですよ、ノンさん。僕が全部話すので、ノンさんはそこにいてくだされば。もし今後教会に戻っても、祝典や重要な儀式に参加することもあるでしょう。その予行演習だと思ってください。ノンさんは美人だから、そこにいるだけで存在感が出ます。美貌も武器です」
と言葉を尽くして褒め称えると、僕の手に載せられた手に力が込められ、
「……泣き言を言いました、すみません。私もがんばりますね」
血色の戻った顔でそう言った——。
「でも、女性に『美人』だの連発するのはよろしくありませんよ。勘違いする人だっているんですからね」
と、たしなめるように付け加えて。
いや、本心なんだけど……まぁノンさんに元気が出てきたからいいか。
「こちらで待機を」
やがて僕らは2階の奥にある一室へとやってきた。そこは待合室のように狭く、小さなイスがあるだけだった。腰を下ろして待っていると、分厚い両開きのドアの向こうに、多くの人が入ってくる気配がある。謁見の準備か。
しばらくして、アバのところに係員がひとりやってきて彼に耳打ちする——水飴を舐められないせいで親指をしゃぶっている彼を見てぎょっとした顔をしてたけどね。
「……では時間なので、謁見が始まる。ここから先は君たちだけで行くので、くれぐれも粗相のないように」
「ええ、まあ、努力しましょう」
粗相がどうのというのを冒険者に求められてもねえ。
僕はノンさんを見て、ノンさんが僕に力強くうなずく。僕らはイスから立ち上がり、両開きのドアの前に立った。
さて、と。
皇帝がなにを言ってくるかだな。僕としてはとりあえずルルシャさんを解放してもらうように働きかけるだけだけど。
こっちの考えもしなかった面倒ごとがなければいいなぁ……。
『——「畏怖の迷宮」攻略者、冒険者パーティー「銀の天秤」が到着いたしました』
そんな声とともにドアが開かれる——待合室とは比べものにならないほどのまばゆい光が、奔流となってこちらまで射し込んできた。




