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今日も朝昼夕と3回更新の予定です。がんばるで〜〜。
——ああ、ダメだ。もうダメだ。
開かれた口、そこにある牙が彼女の鼻に触れる瞬間だった。
「ウオオオオオォォォッ!!」
黒い突風のように飛び出してきた何者かが、毒蛇を横からはたいて吹っ飛ばした。
「ミミノォ! なにボサッとしてる!! ギットスネークだぞありゃ!」
「へ? え、えええええええ!?」
「ぬんっ」
座っていた大男が膝立ちになり、手にしていた短刀を投げると刃は見事毒蛇の鎌首を斬って捨てた。よかった……。
「それにそこのお前! 何者だぁ?」
「ひっ」
それは濃い灰色の髪の毛を逆立て、たてがみのように後ろになびかせている男だ。よく日に焼けた目元は吊り上がり、口元に犬歯がのぞく。身長は180を優に超えている。黒のレザーパンツが盛り上がるほどに両足の筋肉が発達していて、全身まるごとバネみたいな男だった。
「あっ、ぼ、僕は……」
敵意をぎらつかせた男が近づいてくる。その足元からほとんど音がしないことに僕は驚いていた。これほどの身体ならば落ち葉を踏んだ音がするはずなのに——それほどまでに訓練を積んだ凄腕ということだ。こんな人、奴隷の中にはいなかった。
「止せ、ライキラ。まだ子どもだ」
「子どもぉ? よく見ろや、このガキの服。こいつぁおそらく——」
「おそらく命の恩人だべな!」
座っていた大男がかばおうとしてくれたけれど、それより先に灰色髪の男と、僕の間に割り込んできたのがフードの女性だった。
「わたしがギットスネークに気づいていないから、この子は教えてくれたべな! それ以外になにがある!?」
「おいおいミミノぉ……おめーだって気づいてんだろぉが。こいつは奴隷だぞ」
「!」
「しかも逃亡奴隷だ」
僕はハッとして入れ墨の入った腕を隠したけれど、遅すぎる。
こんなにも簡単にバレてしまうものなんだ。やっぱり、向こう見ずに人の命を救おうと行動したことは浅はかなことなんだ……。
「……それでも、いいではありませんか」
今まで黙っていた女性が口を開いた。緑色の髪を後ろで束ねていて、修道服を着ている。年齢は僕と同じ——「前世の僕」という意味で、16歳くらいだろうか。だけれど眠そうな目をしていた。
「奴隷は契約魔術によって行動を規制されています。ですがこんな森の奥にいるということは、すでに魔術が切れているということ。少年の身分が解放されたか、少年の主が亡くなったか、どちらかということでしょう?」
「……主が死んだどさくさで逃げたのかもしんねーぞぉ。そういう場合は、奴隷売買の契約は残っている。奴隷はその場に残らなきゃいけねぇ。わかってんだろーが、あぁ?」
「わたしには、わからないべな」
「…………おい今なんつったミミノぉ」
「わたし、そんなことわからないし知らないし知りたくもないべな」
「あのなぁ! 俺ぁ嫌みやフザけて言ってんじゃねーんだよ! 厄介ごとを巻き込むなっつぅ——」
「この子は!」
ミミノ、と言われたフードの女性は今の僕と同じくらいの背の高さだった。小さいというのに話し方はまるで大人だ——彼女はもしかしたら、ヒト種族ではないのかもしれない。灰色髪の男が獣人であるように。
「自分の立場が悪くなるかもってわかってんのに、わたしのことを助けようとしてくれたべな! それで十分だろ!?」
「うっ……」
強く言われ、灰色髪の獣人はたじろいた。
「な、怖がらせちまったみたいでごめんな。名前はなんていうべな?」
僕を振り返り、にっこりと笑ったその顔はとても愛くるしかった。
彼女はゆったりとした深緑色のフード付きローブを羽織っており、縁には赤や白、黄色といった様々な色で染め上げられた糸による刺繍がなされていた。
腕にいくつものミサンガを着けているあたり、彼女はなんらかの魔法使いなんだろう。
「レイジ、です」
「レイジくんか、いい名前だな! わたしはミミノ、このパーティーでは自然魔術師として所属してるんだ。そこのガラの悪いのがライキラ」
「誰のガラが悪いってぇ!?」
獣人のライキラは、すでにたき火のそばに腰を下ろしてふてくされたように自分の膝に頬杖をついていた。
露出している肌の半分は毛によって覆われている。ヒト種族ばかりいる村に生まれ、ヒト種族ばかりが働いている鉱山にいた僕にとって獣人を見る機会はめったになく、とても珍しい。この世界はやっぱりファンタジーやで……。
「……俺はダンテス。こっちは娘のノンだ」
毒蛇に短刀を投げた大男は、足を引きずるようにして戻ってくるとそう言った。娘……娘!? パッと見では30歳くらいにしか見えないのだけれど、かなり年齢が行っているんだろうか?
ダンテスは肩や胸、肘といった要所に金属を施した鎧を装備していて、他の部分は茶色っぽい鱗——鱗と言っても3センチくらいはある——を編み込んだスケイルメイルを着ていた。地球の史実にあったスケイルメイルは確か、金属片を鱗のように編み込むものだったはずだけれど、これは本物の鱗だ。
鎧を着込んでいても、彼の肉体がとてつもなく筋肉質で盛り上がっているのがわかる。横に転がっている鋼板は「なんでベンチの座面がここに?」と思ってしまうところだけれど、そこに持ち手がついている以上、きっとダンテスがこれを振り回すのだろう……ベ●セルクかな?
そんな彼の顔はいかついけれど目元は優しい。短く刈り込んだ緑髪と緑色の目は「娘」のノンといっしょだ。
僕はふと彼の首筋が一部灰色になっているのに気がついた。それは「石化」……らしい。【森羅万象】先生が聞きもしないのに教えてくれた。
「……俺の身体はメデューサの呪いで石化が進んでいてな、娘が治療のためについていてくれるんだ」
「お父様の治療のために、光天騎士王国の王都を目指しています。とても回復魔法に優れた聖者様がいらっしゃるんですよ」
「そう、なんですか……」
僕はそう言うしかなかった。石化の呪いなんてものがこの世界にあるんだな……【森羅万象】で治療方法を確認しようとしても頭に思い浮かぶ素材のイメージは僕の知らないものばかりだった。なんだろう、これ……紅葉みたいな葉っぱだけど先っぽが5つに分かれてるもの。銀色の金属……だけどすごく深みのある銀色。それに、うねうねしてる生き物? ミミズ? わからん。
【森羅万象】にこんな使い方ができるとは思わなかったな。これってほんとうに石化を治せる素材なんだろうか? これ、言ったほうがいいのかな……でもどうやってそんな知識を得たのかって聞かれても答えられないし、そもそもこの素材がなんなのかよくわからないし……。
とりあえずノンさんは魔法による治療を考えているんだから、変なことを言わないでおこう。
「さ、レイジくん、こっちに来るベな! ちょうどお肉も焼けたころだ!」
僕はミミノに手を引かれてたき火のあるところへと連れてこられた。彼女の手はとても小さかった。
あったけぇ……。
地面に座ると、僕はどっと疲れが噴き出るのを感じた。
「はい、食べる?」
ミミノは僕に串焼き肉を差し出した。なんの肉かはわからないけれど、表面は大量の香辛料がまぶされている。
脂身は少ないけどそんなものは関係なかった。ほかほかと立つ湯気と、肉のニオイを嗅いだ僕は彼女の手をつかんで肉にかぶりついた。
「————」
目の前に火花が散った。香辛料の刺激がパァッと広がって、それから僕の舌が感じ取る肉の脂。熱さに舌が火傷するかと思ったけれど、僕は肉汁一滴すら逃したくなくて絶対に口を開かなかった。
肉を噛みしめると歯茎が痛い。奥歯が一本ぐらぐらしている。突然やってきた動物性タンパク質に驚いたのか、心臓がばくばくいって身体中が熱を持ったようになる。
呑み込む瞬間は至福だった。おっかなびっくり肉片を受け止めた胃袋は、消火活動にいそしむ消防団員のように胃液をじゃんじゃんぶっかけている。
「……レイジくん」
気遣うような声に僕は我に返った。ミミノの手を握りっぱなしだったのだ。
「あ、す、すみませんっ……僕、こんなみっともない……」
「ううん。いいべないいべな。子どもはたーんと食べるべな」
ミミノは僕の手に串焼き肉を握らせると、そっと両手を差し伸べて僕の頭を抱きかかえる。
「え……?」
「つらいことも今は忘れて、食べるベな。なっ?」
そのとき僕は気がついた。
僕は、ぼろぼろに涙を流して泣いていたことに。




