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今日は2番目の子の誕生日なので夕方は更新できないかも……できるかも……。
辺境伯が大声で叫ぶと、武装兵たちは倒れた仲間を引き起こし、あるいは気絶から目覚めさせてすごすごと引き返していく。
「レイジ!」
それまで見守っていてくれたお嬢様が走ってきて僕に抱きついてきた。
「レイジ、無事? わたくし、レイジが勝つって言っても、やっぱり、怖くて……」
「言ったとおりでしょう。全力を出せば負けることなんてないですよ——まあ、石畳を破壊したりしたので、それは直してもらう必要がありますがね」
お嬢様が震えているのを感じ、僕はその背中をそっとなでる——けれど辺境伯への警戒も忘れない。
「くっくっく。止めろ、その目は。俺が戦いたくなっちまうだろうが」
「……僕の行く手に立ちふさがるというのなら、そちらが望まなくても排除しますよ?」
「たまらねえな、お前は! 調停者と戦っているのを見てもすげえと思ったが、底が知れねえよ!」
辺境伯は馬から降りると、バトルアックスを地面に置いて——がらんがらんとやかましい音を立てて——こちらへと歩いてきた。
「……悪かったな、エベーニュ家が余計なことをしちまってな。なんかありゃ、お前の代わりに俺が戦うつもりだったがその必要もなかったな」
「あなたが? どういうことですか?」
「正式に聖王からの謝罪を伝えに来た」
僕は首を横に振った。
「要りません。もう、僕は聖王都を、クルヴァーン聖王国を離れるので」
「……そうだったのか」
辺境伯は厳しい表情で瞳を閉じた。
「この国はバカをやったってことだな……調停者と戦い、多くの命を救ったお前を、このように扱って」
「いえ、国のことは関係ありませんよ。僕にはやらなければいけないことがあるというだけですから。——行きましょう、お嬢様」
「……ええ」
敵でないのならばそれでいい。僕はお嬢様の手を取って辺境伯の横を通り抜けていく。
「ちょっと待て。お前、まさか——エヴァ嬢を連れていくつもりか?」
「……だったら? あの凶悪な武器を振り回し、僕の前に立ちふさがるのですか?」
「おいおい、ケンカっ早いにもほどがあるぞ。必要のないケンカは売るな。買うな。俺はスィリーズ伯爵家にどうこう思うところはない。ただの確認だ」
「そう……ですね」
僕の中で、まだ戦いの興奮が冷めていないのかもしれなかった。
落ち着かなきゃ——これじゃあ、狂犬だ。
「わたくしはレイジとともに行くと決めましたの。ごきげんよう、辺境伯」
お嬢様が、貴族の令嬢らしくスカートの裾をつまんで礼をすると、伯爵は難しい顔ながらうなずいて応えた。
「小僧……いや、レイジ」
辺境伯は腰のベルトに差していた短剣を鞘ごと引き抜くとこちらに放った。あわててそれを受け取る。
30センチほどの鞘には虹色の貝殻をはめ込んだ装飾があり、値打ちもののようだった。刃を抜くと、凍えるように白い刀身が現れる。
「……これは? 天銀を含有しているようですが」
「そこまでわかるのならちょうどいい。餞別だよ、くれてやる」
「いただけません、こんな高価な物を」
「いいんだ、俺はお前が気に入った。そんな男が丸腰で外を歩いてると思ったら、情けなくてよ。あと、こいつはお前がもらうはずだった金だ」
革袋が放られてきて、それを受け取るとじゃらりと硬い金貨の音がした。きっと、聖王が僕に与えると言っていた褒賞の聖金貨のことだろう。ただ、今辺境伯が言った「もらうはずだった褒賞」は建前で、辺境伯は僕が手ぶらで出て行こうとしているのを見て——まるで追い出されるようにここにいる僕を、そのまま行かせるのに忍びないからという理由でこれをくれたのではないだろうか。
「……わかりました。いただきます」
僕は革袋を懐にしまい、短剣を左手に握りしめた。
この人は、この人だけは、多くの貴族の中でなんの魂胆もなく僕に接してくれる。きっと僕が黒髪黒目であることも知っているんだろう——聖王の名代のように来ている以上は。だというのにこうして送り出してくれるのだから、もらわないと失礼だと思ったんだ。
……いや、でも、それも演技で僕を騙そうとしていたら……? もしそうだったら今後の人生で二度と貴族は信用しなくなるな……。
「達者でな。あと、気が向いたらうちの領地に遊びに来いよ。あの誘いは俺が死ぬまで有効だからな。わはははは」
豪胆に笑う辺境伯に一礼し、僕らは歩き出す。ざわついていたスィリーズ家の騎士たちが追いかけてこようとしていたけれど、それを辺境伯が止めてくれた。「男の旅立ちにつまらねえことするんじゃねえ」だって。男前だなぁ……見た目さえバーサーカーでなければ尊敬できるんだけど……。
だんだんとスィリーズ伯爵家から離れていく。
僕はお嬢様と手をつないだまま、「第2聖区」を歩いていく。
魔導ランプによる街灯がぽつりぽつりと立っているけれど、通行人なんていない。ここはこの国でも超上流の人々が住まうところだから。
思えばこの通りを、馬車以外で歩くことなんてお嬢様は今までなかったんじゃないだろうか? あー、いや、あったな。僕とお忍びで平民の町並みを見に行ったときとかね。
「……静かね」
「ええ、真夜中ですからね……」
家々は消灯していて、人の気配も感じない。
世界には僕とお嬢様しかいないような気さえした。
「レイジは、どこで生まれたの?」
お嬢様が不意にそんな疑問を口にした。
「……田舎の町でしたよ。大きな川が流れていて、その周囲に田んぼが広がっていました。毎日田んぼの横を通って学校に通っていましたね」
不思議なことに僕の答えは、僕の日本での記憶だった。
「田んぼ? 学校?」
「田んぼは特定の穀物を作る畑のことです。学校は……この国には職業訓練学校が平民のためにありますが、僕が通っていたのは一般教養を学ぶようなところです」
「レイジは、貴族家の出身なの?」
「ふふっ」
思わず笑ってしまった。地方都市の公務員だった父が貴族だったらと思うと、笑ってしまうのはしょうがないよね。
「貴族ではありませんよ。平凡な家庭でした……でも居心地は悪くなかった」
僕は鉱山で前世の記憶を思い出したけれど、不思議と今までノスタルジーや、ホームシックのようなものに掛かったことはなかった。それは、僕が前世でちゃんと死んだからかもしれないし、あるいはこちらの世界で生きてきた期間も長かったせいかもしれないし、はたまたなんだか記憶が遠く感じられたせいかもしれない。
でも今は——日本での暮らしが無性に恋しくて。
あのなにもなかった街を、お嬢様といっしょに歩いてみたいと思った。
「レイジ、それじゃあ——」
お嬢様はそれからあれこれ質問してきた。ここまでプライベートを掘られたのは初めてだったかもしれない。好きな食べ物。読んで面白かった本。印象に残っている人……。
でも、そんな時間にも終わりは来るのだ。
僕らの目の前に現れたのは「第2聖区」と「第3聖区」を仕切る「3の壁」だ。ひときわ大きい魔導ランプが取り付けられ、出入りする人々を監視している衛兵がいる。
こんな夜更けに何事かと衛兵が近づいてきたので、僕は伯爵家の紋章を差し出して下がらせる。もう伯爵家の人間ではない僕だけど、伯爵から「返せ」とは言われていないので、まぁ構わないだろう。
遅い時間なので「3の壁」の門は閉ざされていたけれど、僕らが出るというのでわざわざ開いてくれた。門が開くと「第3聖区」の闇が広がり、冷たい風が吹いてきた。
「お嬢様」
僕は言った。
「ここで……お別れです」
お嬢様はびくりとして僕を見上げた。
「……え?」




