26 学園
心配性の僕ディヴェルトが新しい環境の中で定刻通りに起床するなどと言うことがあるわけもなく、日の出の1時間前に堅いベッドから身体を起こしてしまっていた。隣では涎を垂らした愚妹がいかにも持て余したように身体をいっぱいに広げ眠っている。昨晩ベッドが初めてだ何だと終始騒いでいたからしばらく起きないだろう。はみ出た手足をもう一度布団の中に直しこんでやる。起きても良いと思って乱雑に薄い布団をかぶせたが、どうも起きそうにはない。
部屋に一つだけ付いた窓から外を見ることができる。
早朝の空気はまだ冷たい。窓は開けず、ガラスを覆っていた水分だけ袖で拭き取って眺める。
薄暗く、ほのかに紫色に染まる空からの光だけで景色を見る。
石畳、庭、煉瓦、エトセトラ。
変哲のない景色の中で、しかし唯一目をとめるに値する建築物が存在する。
「シュトラール学園」
僕に選択無き選択肢を突きつけてきた本人の名が冠してある。
そして学園を目の前に拝めるここは学生寮。住む場所、資金の提供を約束された内の一つがここだ。ただ、ひとつ絶対に忘れてはならないのが義兄リヒトの治療だが、こちらもアルトゥールが責任を持って治療してくれることが約束された。まあ、ここで僕たちがカルタロストの戦いを学び、実際に戦いと勝利に貢献している限りにおいてだが。
「はあ・・・」
思わず重い息がこぼれる。だがこんな状況でため息がでない方がおかしい。だから隣でいびきをかいている楽天家の愚妹はおかしい。
と、またも曇り始めたガラスを拭くとそこに見覚えのある影を見つけた。
「リーベ・・・何でこんな時間に?」
少し早足でこちらに向かってくる姿は間違いなく彼女の物で、美しい銀髪が軽快に揺らいでいる。
昨日ラントと合流した後リーベはこの学生寮とは違う方角へと分かれた。何でも自宅があるそうでそちらへ帰るのだという話だった。
彼女がこの時間帯にここに訪れる理由が分からない。聞きに行って見るか?だが知られたくない事情があったらどうしよう。
少し悩んで玄関へ降りることを決める。
寝間着から支給された制服へ着替えようと衣装箪笥へ向かう。
「ふおっ!?」
唐突にズボンを掴まれ転びかける。
見やるとズボンがラントの手で引っ張られている。
「めーーーしーーー」
「おまえっ」
離せ、と叫ぼうとしたところではたと思いとどまる、まだ起床時間に満たない。隣近所の部屋に迷惑がかかってはいけない。
それにラントはまだ夢の中だった。こいつは叫ぼうが叩こうが起きない。ラントを起こす唯一の方法は飯だ。
「このっ」
手を引きはがそうとするが叶わず。飯を与えるにも、ここは学生寮。勝手に作ってしまうわけには行かない。
身体を捩り、捻り。
努力は虚しくラントの怪力によって打ち消される。
もう脱ぎ捨ててしまおう。着替えれば問題ないのだからと思い、足をズボンから抜こうとしたそのとき
「ごはんだーーーー!!」
「ぎゃあああ」
突然飛び起きたラントの石頭がズボンを脱ごうとかがんでいた僕の頭にクリティカルヒットする。
床へ崩れ落ちる。
それと同時に僕たちの部屋の扉がノックされる。
完全に覚醒したラントがウキウキと扉を開ける。
「おはようございます、あの、朝ご飯、作って・・・きたのです・・・けど・・・・・」
一瞬の沈黙。
一人だけ「ご飯ご飯」と五月蠅いのがいるが。
時間が止まる。
そんな停滞した時間の中、女神のような彼女の目にはおそらく朝食への喜びで跳ね回るラントと、寝間着をズリ下げパンツを半分だけ出した僕が映っていただろう。