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大人になろうとした人間。

 犬が喋らなくなった。

始めは僕が気付かないうちにいらないことをしていて犬が勝手に腹を立てていると思っていた。犬との喧嘩はどちらかが折れるまで続く(大抵僕が折れた)。喧嘩の最中犬は普通の犬に戻った。何も言わないで僕から食べ物だけせしめ、後はベッドの中だ。散歩のときにはいつも以上に意地の悪い歩き方をして僕を困らせる。だが今回は、それがなかった。喋らない以外は、全て今までと同じなのだ。あんまりにも長く続けるから僕は、犬の頬肉を捕まえ問いただした。

「どういうつもりだ」と僕は言った。

 犬は、はっはっはっはと舌を出しながら細かい呼吸を重ねた。

「僕が君に何かしたか、黙っているなんて君らしくない」

 犬は、黙ったままだった。これまで気付かなかったが犬から人間らしい表情が消えうせていた。変な話だが犬には、表情があった。長い付き合いの中で僕が見出せるようになったのかもしれないし、犬が特別だったという話かも知れない。どちらにしろ今の犬には、それがなくなっていた。まるで動かなくなった人形みたいだ、と僕は感じた。

 僕は、諦めると犬を優しく撫でた。犬が喋らなくなったのは、いつくらいだろう。そうだ、僕が彼女への手紙を書き始めた頃だ。僕が手紙を書いていた彼女とは、十代だった時の恋人だった。

 髪が長くて眼鏡の似合う清楚な女性だ。僕と同じミュージシャンが好きで僕が一方的に気持ちを伝えて我々は恋人同士になった。僕は、彼女のことが好きだったが、いわゆる倦怠期と僕の失態が手伝い破局を迎えた。今思えば全面的に僕が悪い。それはもう当時の僕は、自分勝手な人間だった。そのことをふと思い出して、彼女に謝らなくてはならないと、僕は思ったのだ。


                        *


・手紙1/4

 いきなり手紙を送りつけて悪かった。

君は元気にしているだろうか、僕は、いつもと変わらない調子だ。馬鹿をやって、相変わらずくだらないことをしているよ。ところで僕の事は、覚えているのだろうか? 覚えていてくれたら嬉しく思うし、この手紙を開けてくれているということは、覚えがあった、ということだろう。どちらにしろ君に僕の文章が届いていると考えたらとてもうれしく感じる。さて、いきなりこんな時代遅れの手紙を遣したのは、僕なりの考えがあってのことなんだ。出来るなら最後まで読んで欲しい。

 しかし、一体何から話せば良いかまだ見当も付いていない。鼻と唇の間で筆を挟んだり、休め休め書いている。だから少しおかしいところや、辻褄が合わないところがあるかもしれないが、許してくれ。

要求ばっかりだな。悪かったよ。そうだな。僕は、君に謝りたくて手紙を書いているのだ。それから僕は、リエのことを愛していたんだと、と伝えたかったのだ。


                         *


 僕が数年ぶりにリエと再開したのは、市立図書館だった。

現代文学の本棚の前で我々は、ばったりと出くわした。我々の狙いは同じでとある作家のくだらない小説だった。リエは、薄いピンクのワンピースと青のTシャツにジーンズと言うシンプルな格好だった。長い髪と銀縁の眼鏡は、健在で一目で彼女と分かった。僕は、恐る恐る声をかけた。彼女は、頷いた。しばらく僕が話しかけていたけど彼女の口は、動くだけで声を発しなかった。いきなり僕の耳に粘土を詰め込まれて耳が聞こえ無くなってしまったのかと思った。彼女は、僕に意地悪をしているのか、それとも本当に僕の耳が壊れてしまったんだろうか。僕がしばらく考え込んでいると周りがやたら静かだと気付いた。なんだか僕の周りの風景が白い膜がかかったみたいにぼんやりしていた。僕は、やっとここが夢の中だと気付いた。随分の時間を費やしてしまったものだ。彼女の姿は、僕の知っているリエそのものだったし、よく考えれば分かることだった。

 我々は、図書館のエントランスまで出て軽食屋に入った。誰が言ったわけでもなかった(夢の中では彼女が望んだように思えた)。図書館に内蔵されている軽食屋は、何処にでもある洋風のカフェテリアだった。僕らは、注文し終わるとさまざまな話をした。今まで何があったとか犬の話やペンギンの話もした。周りにいた人間は、時が止まってしまったみたいにぴったりと動かなかった。客の様子もおかしかった。彼らは、みんな全身が包帯のミイラ男がスーツを着ていた。ウエイターは、肌の部分が外国の新聞で出来ていてその上にウェイターの制服を着ていた。ウェイターの体は、アルファベットに埋め尽くされていて我々は、その姿を当たり前の日常として受け入れていた。外からは、夏の光が注ぎ込まれていた。僕は、僕の中から彼女を見ていた。我々は、向かい合わせに座っていた。コップは汗をかいた。僕の話を聞いて彼女の表情は変わる。それが適切な表情は分からなかったし、相変わらず彼女の声は聞こえなかった。きっと僕は、彼女の声を忘れてしまったのだろう。だから彼女に声が無かったのだ。

 僕は、ずっと彼女に謝ろうと努力していた。でも表の僕は、壊れたファービー人形みたいに喋り続けた。

 気付くと僕は、図書館の外に投げ出されていた。僕は、外から軽食屋で話す僕らを眺めた。後から考えると実に奇妙な光景だったが、そのときは、なんとも思わなかった。少し目を離すと我々は消えていた。中にも外にも人の影はなかった。まるで終わってしまった世界みたいだった。車は外を走っているけど誰も乗っていなかった。図書館は、ジェンガの塔の作りかけみたいな形だった。ところどころガラス張りになっていてその全てが窓になっていた。僕は、彼女を探すために空を飛んだ。赤と白の見た事もない鳥だった。4つの羽を持ちジェット機みたいな生物だった。空を飛ぶとなぜか人々が見えた。彼らは、僕の落とす影を追った。僕は、必死に彼らから逃げ、いつの間にか彼女のことを忘れて白い霧の中を飛んでいた。僕は、諦めたように目を閉じてゆっくりと夢から覚めるのを待った。


                         *


・手紙 2/4

 僕は、随分我侭だったように思う。

君の用事で遅れたときも随分、腹を立てたし、自分の予定を押し付けて君に迷惑ばかりかけた。

当時は、自分のことしか考えることしか出来なかったのだ。君の気持ちなんて一割も考えられて無かった。僕は、君が僕と居れれば幸せだと勝手に決めうっていたんだろう。だから君のことを大切に出来て無かったと思う。子供だった、と言い訳するつもりはない。世の中の成人男性は、十代の恋愛を練習と呼ぶ。だけど僕は、君と本気の恋をするべきだったのだ。僕は、友人に言われた。愛とは、後になって気付くものだと。そう思うと愛とは、残酷なものだ。僕みたいな馬鹿は、無くしてから気づくのだ。

 あの頃の僕は、自分のことばかりで君を何処にも連れ出すことも無かったし、それについて君に謝る事も無かった。それに今こうやって僕が伝えようとしているのも半分僕のためであることも事実だ。そう考えると今も昔も変わらないのかもしれない。そう思うとずっと僕は、このままで同じことを繰り返して行くんじゃないかと落ち込んでしまう。しかし僕は、それでも君に謝りたい。君が好きだったからこそだ。君に対して不誠実だった。ごめん。心から悪かったと思う。


                         *


 僕の家に一匹の犬がやってきた。

犬は、親父の同僚が飼えなくなったのを僕の家で引き取ったのだ。それから間もなく僕の家の犬は喋りだした。僕よりも流暢な日本語で喋った。犬の声が聞こえたのは、僕だけだった。初めて犬と話したとき映画のドクター・ドリトルを思い出した。動物の言葉が分かる医者の話だった。けど動物の言葉しか分からなかったし、医者でも無かった。例外としてペンギンと話したぐらいだった。思い返せば犬が我が家にやってきたのは、僕のターニングポイントと一致していた。いわゆる僕のどん底の時期だ。

 当時の僕は、大人になろうとしていた。

だから何も考えず思いっきり両手を広げて持てるかも分からないものを持った。そのせいで僕は、ぺしゃんこになってしまって頭がおかしくなってしまったんだと思う。恋人に酷い事も言ったし、回りにやたら噛みついって回った。猛犬のようだったと思う。だけど僕が犬と喋ることによってゆっくりと壊れた体を組みなおしていった。いろいろな経験を重ねた。物事もいろいろな見かたをするように努力したし、いつの間にか物差しを持っている事も自覚した。全ては、着実に前に進み始めた。

 僕は、昔に比べて物事を考えるようになった。

たぶん、僕が成長している証拠であると思いたい。考えることを止めると人は、考えることが出来なくなる、と思う。これは僕の持論だ。考えるのを止めてしまうと人の成長は終わってしまう(昔の僕のように)。そう思うと時計のネジを回すのは、考えるのとなんだか似ている気がした。ネジを巻かないと時計は、同じ時間を指したまま止まってしまう。人間も同じだ。考えることを止めると同じ風景しか見えなくなってしまうのだ。しかし人間は、時計と違って望めばいくらでも違う風景を見られた。

  僕は、また大人になろうとしていた。今は、大人がどう言うものなのかも分からないし、自分がこれからなんのために生きて行けば良いか分からない。だから慎重に考えているし答えを出す時期ではないことも分かっていた。僕は、ひたすら違う風景を求めて前に進みだそうとしていた。僕の時間は、ずっと止まっていた。でも、そこに犬が現れて僕のネジを巻いてくれたのだと思う。犬は、そうするために喋りだしたのだのかもしれない。真相は、犬しか知らないし、犬はもう喋らなかった。


                         *


・手紙 3/4

 君と別れてからなるべく僕は、大人になろうと努力してきたつもりだ。『つもり』と着けている時点で君は、落胆してしまっただろうか。僕は、なるべく君に驚いて欲しいから『つもり』と付けた。でもそれじゃあいけない。『つもり』なんて『していない』のと同じだ。だからこう言い換えよう。君に認められるように努力してきた。でもこの程度も胸を張れない、かっこ悪い僕のままだ。だからそんな自分との決別という意味を込めて君に手紙を書いている。昔の僕ならきっと君の手紙を書くことさえ出来なかった。恥ずかしい話だな。しかしこんな僕でも君は、好きになってくれた。本当にうれしく思う。ありがとう。僕には、本当にもったいないくらい君は、優しくて可愛い人だった。できることなら今、君と出会っていたかった、そうしたらどれくらい良かったか。いや、こういう話は、やめよう。我々は、あの時出会うべくしてであったのだから。


                         *


 僕が手紙を出しに玄関に向かっていると犬がいた。

廊下の真ん中でぽつんといるその光景は、細い歩道の真ん中にある一本のポールを思わせた。僕は、一歩ずつ犬に近づいて犬の目の前に立った。

「久しぶりだね」と犬が言った。「もしも君がここから出て行ったら私は、もう二度と喋る事はないだろう」

「そうか、寂しくなるな」と僕は言った。

「君と喋れて私は、楽しかったよ」

「僕もさ」

良かったと犬は笑った。犬は目を細め口の両端が釣り上った。無邪気に舌を出し彼は笑っていた。

僕は、犬の隣を通り過ぎた。犬は、尚もその場に座って微動だにしなかった。僕は、鍵を開けてスリッパに足を通した。ノブに手をかけてガチャリと言う音が鳴った。僕は思い立って犬に質問した。

「ほんとうは、何で僕と喋ろうと思ったんだ」

振り返ると犬は、僕の方に振り返っていた。それから犬は、二度と喋ることはなかった。

 

                        *


・手紙 4/4

 手紙は、もう終わりだ。きっと僕と君は、二度と会うことは無いだろう。君を見つけたとしても絶対に僕からは、声をかけない。もしも君に会えるとすれば、こうやって文章での出会いを望む。

 僕は、最近小説を書き始めたんだ。いや小説と呼べるような代物ではないな。しかし、いつか小説だと胸を張って言えるものを作りたい。そして君に読んで欲しい、と思う。僕の言うことなんて信頼できないかもしれないけど、絶対に小説と呼べるものを作ってみせる。だから期待していてくれ。

 最後にもう一つ僕は、君に謝らないといけない。小説を書き始めて分かったことがある。僕は、一度君の夢を侮辱した。それは許されない行為だ。これが僕の最後の謝罪だ。すまなかった。またいつか会えたとき。いや、会うことも無いと言ったばかりだったな。元気で幸せになってくれ、僕は、それを願っている。さようなら。


                                      二0一二年十二月十九日

 

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