act.6
***
「どういうことだよ……!」
「どうもこうもない」
目の前の兵士に素気無く返されて、ソラは唇を噛み締めた。
久しぶりの外は青空が広がっている。
王城の、門の前だ。
人通りが多いその場所に、ソラはカイと共につまみ出された。
『助かりたい』のか『助けたいのか』――そんなシェヘラザードの問いに答えた瞬間に。問答無用に容赦なく。
兵士の男が鼻を鳴らす。
「お前たちは自ら陛下に許しを請うたのだ。己の命を助けて欲しいと」
「それは……」
「陛下は寛大にもお前たちを許された。故にお前たちは無罪放免。以降のことは我々の関知するところではない」
「っ、じゃあなんでジンとリューと引き離したんだよ!」
隣のカイが猛然と食って掛かる。兵士は鬱陶しそうに手を振った。
「知らん。我々は陛下の命に従ったのみなのだからな。さぁもう行け。お前たちの泣き言に付き合うほど暇ではないのだ」
「おい、待てっぶ……!?」
「カイ!?」
追いすがろうとしたカイに、何かが投げつけられた。
カイがもんどり打って倒れる。慌ててソラが見やれば、倒れたカイのすぐ横に、見慣れた自分たちの荷物があった。
小さな麻袋が二つ。中身は減ってなさそうだ。当然のことなのだけれど。
けれど、その荷物の少なさが、ますます自分たちが二人きりになってしまったことを感じさせる。
おまけに、無情に門が閉まる音が響き渡って。
ソラは、ため息をついた。
「……やっぱり間違ってたのかな」
仰向けに寝転がったまま、カイが顔をしかめる。
「弱気になんなよ」
「でも……」
「俺は後悔してないぜ。自分が助かる方選んだこと」
「なんで?」
「なんでって」
ひょい、とカイが上体だけ起こした。
「俺が生きてノイシュさんを助けたいからだよ」
「……それは理由になってないだろ」
「そうか? 話したいことなんか、山ほどある。ノイシュさんに言いたいことだって。だったら俺も生きてなきゃじゃん」
「それは」
「お前だって、リューに言いたいことあるんだろ?」
「…………」
ソラは虚をつかれて、目を瞬かせた。
言いたい、こと。胸の内だけで繰り返す。
また、意識を失う直前のリューの言葉を思い出した。
良かった。無事で。そう言って、僅かに笑った彼女を。
そんな彼女に何が言えるのか。何を言うべきなのか。
ごめんなさい、と謝るだけでいいんだろうか。
もっと言いたいことが、あるんじゃないのか……そう思って、ソラは考えて。
そうして見つかったのは、答えじゃなくて、ある想いだった。
「……あの、さ」
「ん?」
「何を言うべきなのか、は分かんないだけど……」
「おう」
「……その……もう一度、目を覚ましたリューに会いたい、っていうのは理由になるのかな」
視線を少しばかり彷徨わせながらソラが呟く。
視界の端で、カイが目を瞬かせた。
けれど、一瞬だ。
「あったりまえだろ!」
カイが眩しいくらいの笑みを浮かべる。
それに何となく心が軽くなった気がした。
あぁそれでもいいんだ、と。少しだけ自信を持って、そう思えて。
うん、と一つ頷いて、ソラはゆっくりと顔を上げる。
カイと共に、固く閉ざされた城門を見つめ、決意を新たにして。
「まずは、どうやってこの城の中に入るか、だよね」
「まずは、どうやってこの城に忍び込むか、だな」
同時にソラとカイが口にしたのは、同じような響きの、けれど限りなく正反対の意味の言葉だった。
ソラが頭を抱える。
カイが首を傾げる。
「? ソラ、どうしたんだ?」
「……どうしたもこうしたもないだろ……! なんでいきなり忍びこむことになってんだよ!?」
「そっちの方がかっこいいからに決まってんだろ! 囚われのお姫様を助けるのも勇者の仕事の一つなんだぜ!?」
「平然と答えるなよ! そんな気はしてたけど!」
「なんだ、ソラもその気なんじゃん! それならとっとと、この城の警備弱そうな場所探しむぐっ!?」
「あぁもう少し黙って!」
ソラは慌ててカイの口を塞いだ。
白昼堂々、忍び込むとか、警備弱そうな場所探すとか、物騒な物言いに周囲の不躾な視線が突き刺さる。
折角解放されたのに、また捕まってたまるか。そんな思いでソラはぎこちなく周囲に笑みを浮かべる、が。
「きーいちゃった、きいちゃった」
からかうような笑い声にソラは勢い良く振り返った。
目の前には少女だ。
青い制服に銀髪――門番の、あの少女だ。自分たちを逮捕した張本人。
ソラは彼女を睨みつける。
「あんた……」
「いけないのですよー? 折角陛下にお許しを頂いたのに、また罪を犯そうとするなんて」
「……まだ何もしてないだろ」
「そうだそうだ! 俺とソラはこれかぶっ!?」
「だからカイは少し黙って!」
カイの口を慌てて塞いだ。
だが、時すでに遅し。銀髪の少女が目を光らせる。
「ほっ、ほーぅ? まだってことはこれからは何かする予定がある、と」
「別にそんなことは……!」
「あーヤダヤダ。我らが親愛なる女王陛下の国の民になったというに、そんな態度でどうのですか! これだからルクスの田舎者は困るのです!」
「ちょっと、僕の話を、」
「と、言うわけで!」
「っ!」
不意に眼前いっぱいに文字が広がった。
思わずソラはそれを目で追う。
「『よく分かる! 良い子のためのイシュカ国民指導書』……って何これ?」
「イシュカ国民が一度は熟読するベストセラー本なのです。この本をくれてやるのですよ。こいつを読めば、今日からあなたもイシュカの良民になってしまうのです!」
「は?」
「し、か、も!」
そう言って、少女はにこりと笑う。
可憐な、笑みだ。とても可愛い。けれど。
嫌な予感しかしない。そう思って、ソラの顔が引きつる。
「い、一応聞いてみるけど……しかも、の続きは……?」
少女は、にんまりと笑った。
「よっくぞ聞いてくれやがったのです! 今にも犯罪に走りそうなうら若き少年どものために! このアリス・リデル自ら! イシュカの国民とは何たるかを教えてやるのです! 光栄に思いやがれなのですよ!」
「え、別にいらな、」
「遠慮はいらねぇのですよ! ていうか、返答は聞いてねぇのです! ほら! まずは役所に行くのですよ!」
「ちょ、ちょっと……!」
がっしりとソラとカイの腕を掴んだ銀髪の少女は、二人を引きずって揚々と歩き始める。
まさに、問答無用、だった。
***
窓の外は、明るい陽の光で照らされていた。
玉座の間から出てすぐのところの廊下だ。その窓際。兵士達も、ハールーンという名の龍も、リューも、そこにはいない。
いるのは、ジンとシェヘラザードだけだ。
ゆったりと車椅子に腰掛けたシェヘラザードと、窓から見える光景に立ち尽くしたジンだけ。
日差しが、僅かに眩しい。その中で、ソラとカイが銀髪の少女に連れられて城の前を去っていく。
ジンは目が離せなかった。
思って、しまったからだ。
まるで、あの日みたいだ、と。
自分だけ置いて行かれる。また、自分だけ閉じ込められる。
何も出来ない、無力な自分だから。
そう、思ってしまって。
だから、手を伸ばしそうになって。
行かないで、と、言いそうになって。
「どうした、ジンよ? 元気が無いな」
車椅子に腰掛けていたシェヘラザードがジンの方を振り仰いだ。
探るような目つきだ。
ジンは我に返って、伸ばしそうになった手を握りしめる。
「……そんな、ことは」
「ソラたちと共に行かせてくれなかったのか、とでも考えているのかね?」
シェヘラザードの問いに、一瞬、猛烈に頷きたくなった。行きたい、と言いたくなった。
けれど。
その時、視界の端に、己の剣であるコールブラントが映って。
「…………っ」
私情を、言う訳にはいかない。強くそう思って、ジンは言葉を飲み込む。
拳を握りしめ、奥歯を痛いほど噛む。
それから……気持ちが落ち着くのを待ってから、柔らかく微笑んだ。
「まさか。私だけ残されたのも、陛下の深い考えあってのことなのでしょう」
「……ふん、なるほど。そう来るか」
うまく笑えた、はずだ。ジンが胸を撫で下ろす中で、シェヘラザードが面白くなさそうに鼻を鳴らす。
ジンは小首を傾げた。
「陛下?」
「なんでもないよ。流石はルクスの騎士殿、と、そう思っただけだ」
「む……? どうして、それを……?」
ルクスの騎士であることは、イシュカの兵士には伝えていなかったはず、だが。
ジンとしては純粋な疑問だった。
けれど、シェヘラザードは僅かに眉をひそめる。
「馬鹿にするな。お前が騎士であることくらい、少しでも教養のある者なら分かるに決まっているだろう」
「え?」
「玉座の間の絵画さ」
目を瞬かせるジンに、シェヘラザードは肩を竦める。
「お前と同じ、朱い髪をした少年がいたろう? あの色はルクスの騎士の一族にしか現れない髪の色だ。それに加えて、剣を持っているとなればな」
シェヘラザードが、ゆるりとジンの腰元の剣を指さした。
コールブラント。
また、これか。ほんの少し心が重くなる。
ジンは目を細め……けれどすぐに小さく頭を振って、口を動かした。
「つまり、私が騎士であるから、この城にいた方が良いというお考えなのでしょうか?」
「それも、理由の一つだな。トリスタン公から連絡があったのだ。ルクスの騎士を見かけた際には、これを留め置くように、と」
「トリスタン公……シンク殿、ですか」
「知り合いかね?」
「えぇ、兄の友人で……しかし、私のことを気にかけるような方ではないとは思いますが」
「ふん。なんの故あってかは、軍師たる本人に聞いてみるしかなかろうがね……ただ、この理由はあくまでもついでだ」
「ついで?」
ジンが目を瞬かせる。
シェヘラザードは悪戯っぽく笑った。
「真の理由は、ここに書いてあったからさ。件の青い表紙の本が破損した時、お前がその場にはいなかったという事実がね」
「それだけ、ですか?」
「あぁ、だが十分な事実だろう。無実の者に罪は問えんからな」
シェヘラザードが、膝の上に置いた翡翠色の本を指で叩いた。
先ほど玉座の間で彼女が読んだ本だ。
全ての出来事を言い当ててみせた不思議な本。
ジンは眉をひそめた。
「……その本は一体なんなのです?」
「この本――『グリモア』は、龍の力の一端さ。いわゆる魔法の一つだな」
「魔法……龍と契約することで手に入れることの出来る力、ですか」
「その通り」
シェヘラザードは淡々と頷いて、翡翠色の本を片手で持ち上げた。
「私が契約したのは、ハールーン……知識と流転を司る水の龍だ。魔法は龍の性質を色濃く反映する。この『グリモア』の場合は知識だな」
「知識……?」
「難しく考えなくていい。要は、起こった全ての事実が記されている魔法の本ということさ」
「なんと……! それはすごい……!」
「勿論、制約はある。魔法といえども、結局、この本は辞書だからな。辞書と他の本の違いは何だと思うかね?」
「違い……?」
唐突に問われて、ジンは目を瞬かせた。
顎に手をあて、少し考えて口を動かす。
「……何かを調べる本かどうか、ですか?」
「当たらずしも遠からずだな。調べるためには何が必要だと思う?」
「……名前?」
「正解だ」
シェヘラザードは満足気に頷いた。
「『グリモア』で調べるときには、調べる対象の名前を事前に知る必要がある。もう一つ。この本に記される事実は、二人以上の人間が共有する事実限定だ」
「?」
首を傾げるジンに、シェへラザードは笑って付け加えた。
「例えば、だ。カイが朝起きて、自分がおねしょをしていたことに気づいたとしよう」
「む……?」
「もしカイがそれを誰にも話さず、気付かれないように隠し通すことができたら、この本にその事実が記されることはない。だが、母親がそれを見破ったり、カイ自身がうっかり誰かにその事実を話してしまえば、たちどころに『グリモア』にその事実が記される」
「ち、ちなみに、カイはおねしょを……?」
「ふふっ、それは秘密だ」
「なんと……」
シェヘラザードが不敵に笑う。
なんだか、色々な意味で敵に回してはいけないんじゃないだろうか。本能的に感じて、思わずジンは体を震わせた。
「すごい本、なのですね……」
「そう思うかね?」
「えぇ。陛下はこの場に居ながらにして、全てを知ることが出来るのでしょう?」
どう考えたって、すごい。
何かが問題が起こっても、即座にそれを知ることが出来るはずだ。そうすれば、すぐに問題解決のために動き出すことが出来るだろう。解決策だって載っているかもしれない。
それに、『グリモア』を使えば、相手の人の人柄も、今までやってきたことも分かるのだろう。さながら、さっきのソラ達のごとく。
そう……そうだ。例えばその本を見れば、何が正しくて、何が間違っているのか。そんなことまで、分かるんじゃないか――?
「そんなことはない」
ジンの思いを読み取ったかのように、シェヘラザードが声を上げた。
ジンは顔を上げる。
シェヘラザードの藍色の瞳が、じっとジンの方を見つめている。
「辞書には事実が載るばかりさ。感情も想いも記されない。私が知りたいのはまさにそこなのだがね」
「え……?」
「例えばジン、お前がどうしてソラと共にルーサンを助けに行かなかったのか、とか。何故、お前が剣を……コールブラントを見る度に、浮かない顔をしているのか、とか」
ジンの心臓がどきりと跳ねた。
一番の迷い。一番の不安。そのどれもを指摘されるのが怖くて、反射的に身構える。
けれど、シェヘラザードは澄んだ瞳でジンを見据えるだけだ。
それも、ほんの少しの間のこと。
「……善悪の判断も、優劣の差も、全ては読み手側の受け取り方次第だ」
脈絡のない言葉だったが、一番訊かれたくない話題からは外れた。ジンはほっとしながら、相槌を打つ。
「どういうことでしょう?」
「絶対的な基準はないということだよ。根っからの悪人もいないが、根っからの善人もいない」
シェヘラザードの言葉に、ジンは僅かに眉根を寄せた。
「それは……それはおかしいのでは? 陛下の話だと、殺人を犯した者と命を救う医者は等しく同じ存在になってしまいます」
「その何がおかしいのかね?」
「おかしいでしょう。殺人を犯した者は罰せられるべきです。彼らは根っからの悪人のはずだ」
「だから、ルーサン達を助けに行かなかったと?」
「っ……」
ジンは、黙り込んだ。
素直に頷くべきだと思う。けれど、何故かそうできなくて。
顔を俯けるジンの耳に、シェヘラザードの小さな笑い声が届く。
「まぁ、その迷いは、良い兆候だろうな」
「……どういうことです?」
ジンは、そろりとシェヘラザードの方を見た。
「価値観が揺らいでいるということだからさ。己の価値観を疑うというのは重要なことだ」
シェヘラザードは藍色の瞳を光らせて、言葉を続ける。
「ルクスの騎士よ、覚えておくがいい。多数に支持される事実はあっても、絶対的な事実というものは存在しない。あるとすれば、それはただの押し付けで、相手の気持ちを尊重しない、愚かな行為だ」
「……ですが、それでは国は治まらないのでは? 例えば、法律という絶対的な規範が必要のはずです」
「法律だって、多数に支持される事実さ。現に、ルクスでは本を破損しただけで、罰せられることはないだろう?」
「…………」
「真に必要なのは、知識ではなく知恵だ。事実ではなく、想像なのさ。行動に込められた想いを。事実に隠された願いを。想像して、その上で自分なりの価値観を信じ、相手の価値観を尊重する。それが国を治めるということだ」
シェヘラザードの言葉は難解だった。
狐につままれたような気さえして、ジンは顔をしかめる。
しかし、シェヘラザードは意味ありげに笑っただけだった。
「まぁ、ゆっくり考えるがいいさ」
そう言って、シェヘラザードはおもむろに手を叩く。
どこからともなく侍女が数人現れた。
シェヘラザードの座る車椅子に手をかけ、くるりと反転させる。
ハッとしたジンがついていこうとすれば、ゆるりとシェヘラザードに止められた。
「ついてこずとも構わぬ」
「で、ですが……」
「今日はゆっくり休むがいいさ。お前の部屋はもう用意してある。トリスタン公がこの城に来るまで、自由に過ごしてもらって構わない。ただし、許可無く城の外に出るのは禁止だ。探すのが面倒だからな」
「っ、ま、待ってください……!」
「まだ、何か?」
車椅子を僅かにきしませて、シェヘラザードが止まる。
首だけ捻って振り返った彼女に向かって、ジンは一歩踏み出した。
「私の処遇に関しましては、何の不満もありません。ですが……リューはどこにいるんです? ソラ達と一緒にいなかったということは、まだこの城にいるんでしょう?」
ジンの問いかけに、シェヘラザードは意味ありげに目を光らせた。
「……そうだな。いるにはいる」
「なら、」
「だが、お前と会わせる訳にはいかないな」
「……どうしてです?」
「彼女は特別だから」
「特別……? どういうことです?」
「言葉通りさ。それ以上でもそれ以下でもない」
のらりくらりとした返事に、ジンは眉をひそめた。
正当な理由があるのなら納得出来た。
けれど要領を得ない返事は悔しさばかり残して、ジンは必死に食い下がる。
「では……では、リューが特別であると、『グリモア』に記されていたのですか? あるいは、特別であるから、私と会ってはいけない、と書かれていたとか」
頭を回転させて、なんとかひねり出した可能性だった。
けれど、面白がるようにジンを見つめたまま、シェヘラザードはゆっくりと首を振る。
「まさか。『グリモア』には、まだ何も記されてはいないよ。ただの私の想像さ」
「想像……?」
唖然とするジンに、シェヘラザードはクスクスと笑う。
「そう……私は想像することの方がよっぽど好きなのだよ」
事実よりもね。そう、彼女は付け足して。
シェヘラザードは今度こそ、ジンの元から去っていった。




