act.7
***
働かざるもの食うべからず、という言葉がある。
ソラたちを引きずって歩き出した銀髪の少女――アリスが言いたいことも、まさにそれだったらしい。
連れて行かれたのは、役所だった。
役所の仕事紹介所だ。
しかもただ仕事を紹介するだけでなく、自分に最も向いている職業をこれまでの経歴から探してくれる。
そこまではいい。
いいのだが。
「納得がいかねぇーーー!」
役所の中庭。凝った意匠の彫り込まれた噴水の下。
そこで白い紙を握りしめて、カイが叫んだ。
昼間の市役所は人通りが多い。一斉に周囲の視線が突き刺さる。
もう、いつも通りすぎる展開にうんざりしながら、ソラはカイに白い目を向けた。
「……ねぇ、いい加減、その無駄に大げさな反応やめてほしいだけど」
「なにが無駄だ! 俺の心の叫びなのに! 魂の叫びなのに!!」
「ちょ、暑苦しいから、こっちに来ないでよ!」
「なんで俺にオススメの職業が料理人なんだーっ!」
「だまらっしゃいなのです!」
ごん、とソラとカイの頭の上にげんこつが降ってきた。
地味に痛い。というか。
「なんで僕まで……」
ソラはアリスの方を恨みがましく見やった。
仁王立ちした銀髪の彼女と目が合う。
可憐な笑みを浮かべられる。
「な・に・か?」
「……別に」
背後に般若の面が見えた気がして、ソラはさっと目を逸らした。
カイも同じ気配を感じ取ったはずだ。喉の奥で小さく悲鳴を上げて体を震わせる。
それでも……どうしても納得がいかなかったのだろう。
「な、何かじゃねぇよ……俺にだって言いたいことが……」
「ええぇ? 職にもついてないおこちゃまが何を言いたいことがあるのです?」
「や、だ、だってだぜ? 料理人って、俺っぽくないじゃん? 将来的には勇者の予定なんだぜ? 世界とか救う予定なんだぜ?」
「へえぇ? で?」
「で……? え、えっと、だから料理作ってる場合じゃな」
「でも今までもご実家の宿屋で料理していたのですよね?」
「え、まぁそれは」
「魔物、一人で倒したことなんかないのですよね?」
「…………」
笑顔のアリスに、完全に仕留められたカイが項垂れる。
流石のソラも同情の視線を送りつつ、アリスの方を見やる。
「おやおやぁ? ソラも何か言いたいことがありやがるのです?」
「い、いや……文句はないんだけどさ」
頼むから、その笑顔と、何か含んだような言い方はやめて欲しい。そう思いながらソラは引きつった笑みを浮かべて言葉を続ける。
「その……なんでそんなにカイのこと詳しいわけ? そういう事情説明、窓口の人にしかしてないはずだけど」
「そんなの、私が職業紹介窓口の責任者だからに決まってるからなのです」
「え? でも、さっき門番もやってたよね?」
「兼職なのです!」
どうだ、といわんばかりに、アリスが胸を逸らす。
「それだけじゃないのですよ? 国立図書館の書物管理から、市内および王城警備、城内の必要物資搬入、掃除洗濯家事親父まで……いやー、私くらい優秀な人材になると、職も引き手数多になるのですねー。人気者は辛いのです」
「なんか最後の方違う気がするんだけど……」
「おすすめの職業すらない、どこかの誰かさんとは大違いですねー?」
「っ……」
意味ありげな視線を送られて、ソラはさっと目をそらした。
カイが目を瞬かせる。
「ん? ソラ、どうしたんだ?」
「な、なんでもないよっ」
「へ……でもなんかお前変じゃね?」
「そ、んな訳ないじゃないか」
「うーん……? あ! もしかして、お前、職業がな、」
「そっ、そんな訳ないだろ!」
声がひっくり返った。
さっきのカイに負けず劣らず周囲の視線が集まる。
ソラは顔を赤くしながら一気にまくしたてた。
「僕の仕事はあれだよ……! その……そ、そう! 王場内警備!」
「え! ずるい! 俺もそっちがいい!」
「カイは料理人だろ!」
「それは絶対に嫌ぶっ!?」
突然、カイが地面に倒れ伏した。
なんとか見えたのは、背後からカイが足元を払われてバランスを崩したらしい、ということだけ。
ソラが驚いて言葉を失う。そんな中。
「カイ・クレーム、捕縛を完了しました」
今しがた、カイが立っていた場所のすぐ背後、淡々と口を動かしたのは見知らぬ女だった。
すらりとした体格をしていた。艶のある黒髪を肩口と眉の上で切りそろえている。ややつり目がちの黒い瞳。凛とした顔立ちには何の表情も浮かばない。
そんな彼女は、気絶したカイの首元を無造作に掴む。
「だ、だれ……?」
ソラがやっとのことで口を動かす。
女がちらりとソラの方へ目を向けた。
「グレイス」
「へ?」
「名前ですが」
「え、えっと……」
「グレイスさんは、一体どういう用事で来たのです?」
返答に詰まるソラを押しのけて、警戒するようにアリスが一歩前に出た。
そうはいっても、倒れたカイを心配しているらしい。
だが。
「王城の料理長からの指示で来ました。カイ・クレームというのはこの少年ですね? 人手が不足していますので、至急彼を採用する必要があるのですが」
グレイスは表情一つ変えなず、懐から書類を出してアリスに手渡した。
ソラは眉根を寄せる。
「料理長からの指示って……だったら、気絶させなくてもいいんじゃ……?」
「こちらの方が運ぶ労力が最小限で済みますので。私も暇ではありません」
「……あんたは、兵士か何かなの?」
「王城の料理人ですが?」
「…………」
ついさっき、華麗にカイを気絶させた身のこなしからといい、物騒な物言いといい、兵士とかの方がしっくりくるんだけど……。そう、思わずソラが口にしかけた時だ。
書類に目を落としていたアリスが顔を上げる。
「ふむふむ、了解なのです! これならば問題ねぇので、どうぞ煮るなり焼くなりしやがってくださいなのですよ」
「ちょ、あんまりな言い方じゃない!?」
「ご理解、感謝いたします。それでは、私達はこれで」
あっさりと頷いたアリスにソラがつっこんでいる間に、グレイスはカイを引きずって人混みの中に消えてしまった。
「ちょ、ちょっと……!」
「なんなのです? 狼狽えちゃってみっともないのですよ?」
「いやだって、いきなりすぎるだろ……! そんな簡単に職が決まるわけ、」
「決まっちゃうものなのですよ。よっぽどおすすめできる職業がない人以外は」
意味ありげな視線を向けられて、ソラは言葉に詰まった。
アリスはまたあの、含んだような笑みを浮かべる。
「いやー、おっかっしいですねぇー? 王城内警備の採用なら、私のところに話が来るはずなのですがー?」
「うっ……」
「私が聞き漏らしてるだけなんですかねー?」
「っ……」
突き刺さる視線が痛くて目をそらす。
その時を待っていたと言わんばかりに、アリスは目を光らせた。
「そーれっ!」
「!? ちょっと!」
軽やかな掛け声と共に、アリスがソラの持っていた職業紹介の紙を奪い取る。ソラが慌てて奪い返そうとするが、彼女はするりするりとソラの手をかわし、さらには紙へ視線を落として。
「なになに……? 『ソラさんにおすすめ出来る職業はありません』、と」
「か、勝手に読まないでよっ……!」
「やだなー! 読むなも何も、紙に何も書いてねぇからどうしようもないのですよー?」
「そ、それはっ……!」
「しっかしおかしいですねぇ? 適性職業がないだなんて、前例なしなのですよ?」
「う……」
「よっぽど性格に難があるとか、協調性がないとかなのですかねぇ?」
アリスの言葉がぐさぐさと胸に突き刺さって、ソラは完全に沈黙した。
そんなソラを面白がるようにアリスが覗き込んだ。
ソラと同じ銀色の髪。それを揺らして、可愛らしく小首を傾げる。
「おやおやぁー? 降参するのです?」
「……あんたなんか、だいっきらいだ……」
「んふふー。ソラはカイよりもからかい甲斐があって楽しいのです」
「……もう放っておいてくれよ……」
「放っておいてもいいですけど、アテはあるのです?」
そんなの、あるわけない。いつもの調子で言いかけて、ソラはぐっと堪えた。
諦めて、ふてくされてしまうのは容易い。でも、右も左も知らない国で、一人さまようことになれば、ますますリューとジンから遠ざかるだろう。
思ったのだ。さっき。もう一度会いたい、と。リューを助けたい、と。
なら、すべきことは。
「……王城内警備の採用はあんたがしてるんだよね」
「そうですけど?」
「なら……」
少し、迷った。迷ったというより、不安だった。
それでもソラは、意を決して顔を上げる。
「僕を、雇ってくれないかな」
意外そうな顔をしているアリスと目が合う。
その目を見据えながら、ソラは畳み掛けるように口を動かした。
「どうしても、リューとジンと会いたいんだ。そのためには、城の中で働くような職業につかなきゃいけない」
「…………」
「虫が良い話だっていうのは分かってる。けど、僕にはあんたしかいないんだ。だから……!」
体は、自然に動いた。
頭を下げる。
深く。
「城で働けるなら何だってする……! だから僕を働かせてください!」
一息に言う。声は思いの外、大きく出る。
アリスからの返事はすぐにはない。
これで、いいんだろうか。これで、正解だったのか。沈黙の間、そんな不安だけがソラの胸の内をよぎって。
「――意外、なのです」
声が、降ってきた。
そろりと顔を上げれば、ほんの少し目を丸くしたアリスが、じっとソラを見つめている。
「そういうこと、しないと思ってたのです」
「そういうこと?」
「誰かに物を頼むとか。少なくとも、報告では……」
アリスは、そこで口をつぐんだ。小さく首を振る。そしてもう一度、ソラの方を見つめる。
夕焼けを思わせる橙色の目が、微かに揺れて、閉じられた。
「……しょーがねぇ野郎なのです」
アリスの返事は、ため息混じりだった。
ソラが固唾を呑む。
そんな中で、再び目を開けた彼女は、やれやれと言わんばかりに肩をすくめてみせた。
「どぉしてもっ、ていう未来ある少年の頼み、今回だけは聞いてやるのですよ」
「じゃ、じゃあ……!」
「た・だ・し!」
目を輝かせるソラの鼻先に、アリスが人差し指を押し当てた。
にこりと微笑む。
例によって、あの含んだような笑みを浮かべて。
「このアリス様のパシリとしての採用、ということなのです」
「……は?」
何だか少し嫌な予感がして、ソラは目を瞬かせた。
***
「順調に行っているようじゃないか。え?」
「楽しそうだな」
窓からは西日が差し込んでいた。
王城の最上階に設けられた、王の私室を柔らかく照らす。
その場所で、ベッドの端に腰掛けていたシェヘラザードが『グリモア』から顔を上げる。
大方、ソラ達のことでも『読んで』いたのだろう。
藍色の瞳を輝かせるシェヘラザードを見て、窓辺に腰掛けたハールーンはため息をついた。
こんなに楽しげな彼女を見るのは久方ぶりのことだ。
だが。
「何がそんなに面白いんだ? 理解できねぇ」
「理解できないというお前の発言が、理解できないな。流石は我が龍殿。頭が堅い」
「……褒めてねぇだろう」
「あぁそうだが?」
悪びれもなくシェヘラザードに返されて、ハールーンは頬を膨らませた。
「シェラはいつだって俺を馬鹿にする。仮にも知識の龍であるこの俺を」
「そうだな」
「シェラよりも俺の方が、知っていることは多いんだぞ」
「知識で、お前に敵うものはいるまいよ。その点では私も、お前を馬鹿には出来ない」
「でも、馬鹿にしてるじゃないか」
「お前には知恵がないからなぁ。それに、粋だとか遊びも足りない」
「……無くたって生きていけるだろ」
「そんなつまらん人生は送らぬよう努力しろ、と契約した頃から言っているのに……お前は本当に変わらない」
「俺にとっては瞬きするよりも短い時間だ。そんなにすぐに変わるはずがあるか」
「19年と11ヶ月だ。努力しているなら、十分に成果が出ていい時期だと思うが?」
ハールーンは目を逸らした。
シェヘラザードがため息をつく。
「やはりお前はつまらんな。ソラ達と会話する方が、よほど面白そうだ」
「……そういうなら、城から追い出さなければよかったんだ」
「仕方ないだろう? ソラとカイは、国民として当然の権利を行使したのだから」
「馬鹿を言うな」
どこまでも掴みどころのない主の言葉に、ハールーンは声を大きくした。
「遊んでいる暇なんてねぇんだぞ? あいつらには、すぐにでも全てを聞き出す必要がある」
「竜に関わったから、か?」
「それだけじゃないことは、シェラだって分かってるだろう! ソラとか言う奴は蒼の目をしていたんだぞ!」
「……蒼の伝説か……」
シェヘラザードは目を細め、歌うように唇を動かした。
「『一蒼、世界を救い 二蒼、次へと蒼を繋ぐ 三蒼、いずれか一つは紛い物』……だったか?」
「そうだ、シェラ。蒼い目を持つ者は世界を変えるだけの力を持つ。現に、13年前のルクスでは悪しき魔物を退けた」
「あぁ、そうだな。だから私とお前は、その力を持ってすれば竜を倒せるかもしれないと考えた。お前の言う通り、ソラの目は蒼い。もしかすると、彼がその力を持つのかも……」
「それが引っかかるんだ」
ハールーンの声に、シェヘラザードが小首を傾げた。
「引っかかる、とは?」
「『グリモア』の記録では、先代の蒼い目を持つ二人は子を成さなかったんだろ? 蒼を繋げなかったんだ。伝説通りならば、蒼の目を持つ者が現れるはずがない」
「偶然、とは考えないのかね?」
「シェラ……!」
「ふふっ、冗談だよ」
声を荒げるハールーンに、シェヘラザードは小さく笑って肩をすくめた。
胸元からペンダント型の鍵を取り出し、ベッドサイドに設けられた引き出しに手をかける。
「流石の私もそこまで考えてはいないさ。何より、偶然にしては糸が複雑に絡まりすぎているからな」
「……どういうことだ?」
「例えば、ソラの住んでいた村だ。エレミアは、先代の蒼の者の一人が、最後に過ごした村だ。彼女に関する『グリモア』上の記録は、そこで突然途切れている。そして、」
かちりと音を立てて、引き出しの鍵が開けられる。
「――それとは別に、ソラは過去に自身の姉を殺したことがあるそうだ」
ハールーンは眉根を寄せた。
「その姉が、先代の蒼の者……ということか?」
「そうかもしれない。そうでないかもしれない。何しろ、姉の名前は『グリモア』には記録されていないのでね……だが、そう。ソラの姉の名前が、この紙に記された名前の一つにでも一致するならば、大きな手がかりになる」
言いながら、シェヘラザードが取り出したのは一枚の薄紙。
流れるような書体で記されているのは、名前だ。
ミソラ
シンク・トリスタン
エヴァリスト
ランスロット・オルレアン
ジャンヌ・オルレアン
いずれも、先代の蒼の者達と、それに深く関わった者達だ。
悪しき魔物を退けた者達でもある。
ソラの姉の名前が、この中のどれかと一致するならば。
そしてもし一致したとして、ソラが姉から何かを聞いていたならば。
今度こそ、手がかりが得られるかもしれない。世界を変えるほどの力を得られる手がかりが。
竜を倒すための手がかりが。
だが……そこまで考えて、ハールーンは眉をひそめた。
「じゃあ、ソラから話を聞く機会を悠長に待っているだけなのか? 竜の目撃情報は少しずつ増えているんだぞ。被害の情報だって入ってる。後手に回れば、13年前の光の国の二の舞いにだって」
「心配するな。手は打ってある」
「え?」
「折しも、一ヶ月後は私が即位してから20年だ。記念式典があるだろう? その時にでも、火の国と光の国に話そうと思ってな。竜について」
「けど……そんなので大丈夫なのか?」
ハールーンが不安を抱いたのには訳があった。
竜は、龍によく似た、けれど全く異なる魔物だ。目撃され始めたのは、ここ1年か2年の話。最近でこそ、光の国ルクスや火の国イグニスでも確認されているが、大半はここ、水の国イシュカに出現している。
竜という呼び名でさえ、シェヘラザードがつけたもの。他の国では名前だってつけられていないだろう。下手をすれば、国の中枢の人間が竜の存在に気づいていない可能性さえある。
そんな、よく分かりもしない魔物のことについて、他の国が話を聞こうとするのか――そう、ハールーンが問えば、シェヘラザードは微笑んだ。
「無論、話を聞いてくれるだろうさ。イグニスの王には、話を聞きに来なければ、現在行っている食料品の支援は取りやめる可能性がある、と付け足しておいた」
「……それは脅しじゃないのか」
「あくまで可能性の話さ。するかもしれないし、しないかもしれないだろう? なに、イグニスの王は日頃から私のお世話になっているしな。記念式典に来ない訳がない」
ニヤリと笑うシェヘラザードに頭痛を覚えながら、ハールーンは口を動かした。
「……それで、ルクスの方は?」
「血の如く穢れた赤い目に心当たりはないかね、とだけ」
「そんなの、ただの竜の特徴の一つだろ? それだけで、光の国が動くとは思えねぇけど」
「動くさ。彼ならね」
「彼……? ルクスを治めている光の龍は女だろう?」
ハールーンの問いに、しかし、シェヘラザードの返事はない。
彼女はただ、手元の紙へ目を落としただけ。
そうして目を細めて、呟いただけだった。
――さぁ、13年前の生き残り達に、話を聞いてみようじゃないか、と。




