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B:Lue ~図書室の女王、夢見の人形~  作者: 湊波
風の乙女、勇想の少年-the Unusual ... the maiden hates, the boy wishes-
33/55

act.18

 そうして風が収まった時、そこにはソラの他にジンとリュー、カイしかいなかった。


「っ……なんでだよ……!」


 今までの騒動が嘘であるかのような静寂。その後にぽつりと呟かれた言葉にソラが我に返るのと、声の主がすごい勢いで宿屋を飛び出していくのは同時だった。


「っ、ちょっとカイ……!」

「ソラ!」 


 反射的にソラはカイを追って走りだした。誰かが自分の名を呼ぶ声が聞こえたが構うことはない。宿屋から外に出て左右を素早く見渡せば、変わらない穏やかな空気の中で一人焦ったように右方向に駆けていくカイの背が見えた。一体どこに行くつもりなのか。そもそも何をするつもりなのか。

 今目の前で起こったことでさえ、まだ整理がついていないというのに。


「あぁもう……!」


 もう少し考えてから動けよ! そう悪態をつきながらソラはカイの向かった方向へ走りだす。その姿を時節見失うことはあったが、後を追うこと自体は難しくなかった。行き交う人々が皆カイの表情を見て驚いたように一瞬だけ立ち止まっていくからだ。そしてその後にソラの顔を見て何故か納得したような顔をする。大方、子供の喧嘩か何かと思われているのだろう。

 そんなに簡単なことじゃないというのに。ますます腹立たしくなりながらソラが茶色の髪を追って駆けていけば、程なくして一つの建物が見えた。警備隊の館だ。そこに駆け込んでいく姿を見てソラは顔を強ばらせる。

 なんて考えなしの行為なんだ。もしもノイシュ達がいたら……! そう考えながら少しずつ速度を緩めていったソラは、建物の手前で立ち止まって息を整える。建物に入ったカイは出てこない。どころか音もしない。

 それにまさかと思って慎重に建物に近づいたソラは、そっと中をのぞき見て……


「…………」


 開け放たれた警備隊の館の扉。そこから見える、座り込んだカイ一人しかいない光景にソラは安堵とも呆れともつかないため息を吐いた。


「まったく……何してるんだよ」


 ソラは思わず声をかける。いつもの調子でかけた声だ。カイの後ろ姿はいつも以上に気落ちしているようだが、それでも、いつものようにすぐに返事があるものだと思ったからだった。あるいはそうあって欲しいと思ったから。

 しかし予想に反して答えはなく、しんと静まりかえった部屋にソラの声だけが響いて消える。その沈黙が、ソラはなんとなく気まずい。弁当を配達に来た時の喧騒が嘘のようだ。よく見れば武器の数も少ない気がする。そこまで考え、さっきの男たちの装備を思い出してソラが瞳を曇らせたところで、やっとカイからの返事があった。


「……うる、せぇ……」

「ずいぶんな言い方だね」


 今までにないくらい弱々しいカイの声音にソラは眉根を寄せた。


「せっかく追いかけてきたっていうのに……いきなり走りだしたりしてさ。びっくりするじゃ、」

「っ、だってチモシーがいなくなったんだぞ! ソラは何も思わねぇのかよ!!」

「思わないはずないだろ!」


 声を張り上げて振り返ったカイに負けじとソラも声を荒らげた。カイの瞳は苛立ちとも迷いともつかない何かで揺れている。けれどそれは自分も同じことだろう。そんなことが簡単に分かって――そしてそんな情けない顔しか出来ない自分が許せなくて、ソラは顔をしかめる。


「僕だって助けに行きたいよ! でも、仕方ないじゃないか! なにが起こったのかだってないのに、これからどうしろっていうんだよ!?」


 突然現れたノイシュの態度の豹変ぶりも。ノイシュの仲間を殺したという事実に反論することさえなかったチモシーの態度も。まるで理解が出来ない。どちらも普段の彼らに結びつかないのだ。ソラでさえそうなのだから、ノイシュを慕っていたカイはそれ以上のショックを受けているに違いなかった。

 実際、ソラの言葉に悔しげにカイが瞳を歪ませる。握りしめた拳は傍目から見ても分かるくらいに震えていた。それにますます自分たちの不甲斐なさを感じたソラは見るに耐えなくて目を伏せて口を閉ざす。重くのしかかるような静寂。それを破ったのは、戸口から聞こえた声だった。


「なら、何もしなければいい」

「……どういうことだよ?」


 振り返ったソラの視界に入ったのは、陰り始めた陽の光を背にゆっくりと中に入ってくるリューの姿だった。ソラ達を追ってきたに違いない彼女は少し離れたところで立ち止まり、訝しむようなソラの問いかけに淡々と応じる。

 言ったとおりの意味、と。


「関わるなと言われたのだから、その通りにすればいい」

「……チモシーとルーサンを見捨てろってこと?」

「結果としては」

「っ、ふざけるなよ……! そんなこと出来るわけ、」

「ふざけているのはソラの方」


 信じられない思いから言葉を震わせたソラの声にリューはぴしゃりと返した。きっ、と自分の方を見つめる視線の力強さにソラが思わず黙りこむとリューは畳み掛けるように口を動かした。


「リュー達じゃ敵わないことくらい分かるはず。最後にチモシー達がいなくなったのは魔法のせい。なら、どのような形であれ、"龍"が絡んでいることは間違いない。それはソラも知ってるでしょう?」

「それは……」


 冷静な彼女の指摘にソラは顔をしかめた。言われてみればその通りなのだ。"龍"の使う力こそが魔法なのであり、それを使用できるのは"龍"かそれに関わるものだけ。そして只の人間がその力に敵うはずもない。先ほどの風だってそうだ。大勢の人間を目の前から同時に消すだなんて、どう考えたって普通じゃない。

 口ごもるソラに僅かに瞳を曇らせたリューはさらに付け足す。

 それに、と。


「……ノイシュたちは本気だった。やるなら殺す気でいかないと、あの手の人間は止められない。ソラにはある? 誰かを殺すための理由が」


 殺す。その言葉にソラの背にひやりと冷たいものが落ちる。脳裏をよぎるのは真っ赤に濡れた己の手。今でも忘れられない姉を殺してしまったあの時の感触。それに掌にじとりと嫌な汗が溢れる。

 そして、リューはそれを確かに見抜いていた。小さくため息をついて続ける。


「だから言った……関わるべきじゃないって。そうすれば誰も殺さなくてすむから。チモシーとルーサンのことが気にかかるのは分かるけど、今回は割り切るべ、」

「そんなの……そんなのおかしいだろ……」


 そこで上がったカイの声にリューは眉根を寄せて言葉を止めた。ソラは回らない頭でゆっくりとカイの方を振り返る。カイは顔を俯けていた。そのせいで表情は分からない。

 分からないが、その手は傍目から見ても分かるくらいに震えていた。


「割り切るなんて出来るわけねぇじゃん……このままだとルーサンもチモシーも死ぬことになるんだぞ……! それでもお前らはいいのかよ!」

「じゃあこのままノイシュ達に逆らうというの? 言っていたでしょう? 自分の仲間がチモシー達に殺されたと。この話が本当なら、これはあくまで彼らの問題。私達が命を捨ててまで関わるような問題じゃない」

「そういうこと聞いてるんじゃねぇよ! お前らの気持ちがどうなのかって聞いてるんだ! 自分たちの知り合いが殺し合いするんだぞ!?」

「……それはリューだって分かってる」


 でも、仕方ないでしょう……!

 リューの言葉はどこまでも静かだ。それでも最後の言葉は震えていて。そうして金の瞳も微かに揺らいでいて。それに彼女自身が迷っていることをソラは知る。どれだけ冷静さを装っていても、冷静さを装えている彼女であっても、自分の方法が最善であるとは思っていないということを知る。


 自分たちに出来ることは少なく、そしてどれも正解じゃない。そんなことを。


 ならばリューの言葉に従えばいい。己の無力さを痛感するソラの脳裏に理性が囁いた。

 チモシーもルーサンも大して関わった人間ではないのだ。確かに一緒に魔物と戦いはしたが、それだけで命を賭ける理由になどなりはしない。まして、彼らのためにまた誰かを殺すなんて馬鹿げている。

 だから、無視すればいい。見て見ぬふりをすれば。彼らのことなど忘れてしまえば。そうすればきっとこんな胸の痛みなど感じることはない。煩わしさを感じることもない。そう思う。ソラの脳裏に幾つもの仮定が浮かぶ。冷たく甘い仮定が。根拠の無い善意よりも遥かに真っ当な理由を持った仮定が。



 でも……けれど。



「……っ……俺は……っ認めねぇ……っ」


 自分の中に浮かぶ仮定を、受け入れたくない。カイの言葉はそんなソラの考えを読んだかのようだった。驚いてソラがまじまじとカイの方を見やれば、彼がゆっくりと顔をあげるのが見える。

 強く光る何かを滲ませる、その瞳が見える。


「誰かが死ななきゃいけねぇなんて間違ってる……誰も死なないで解決する方法だってあるはずなんだ……」

「それは綺麗事、」

「綺麗事だっていい!」


 眉をひそめ呟いたリューの言葉にカイは声をはりあげた。リューが口を閉ざす。カイも何かをこらえるかのように大きく吐く。再びの沈黙。それはしかし僅かな時間で終わりを告げる。


「綺麗事だって、いいんだ……」


 そんな、自分自身に念を押すようなカイ自身の言葉で。


「それでいいんだ。最初から諦めてちゃ何もできねぇけど、諦めないで努力してれば可能性はゼロじゃない。信じていれば、いつか絶対叶うんだ……少なくとも、俺はそう教えてもらった」


 ノイシュさんに。最後に小さくそう付け足したカイは、強く拳を握りしめる。だから俺は。そう言って。


「――俺は、あいつらを放っておかない。何があったってあいつらのところに行くんだ。ノイシュさんのことも、チモシーのことも、ルーサンのことも信じてるから」


 カイの目は今やまっすぐとソラとリューを見つめていた。その言葉はどこまでも真っ直ぐだ。根拠なんてないし、明確な解決案を示しているわけでもない。それなのに惹きつけてやまない何かが、ソラにはない何かが、そこにはある。

 けして易しくはない。けれど暖かい何かが。


 ――カイは自分の意見を臆することなく言えるだろう?


 そこで、そんなチモシーの言葉がソラの脳裏によぎった。あの時彼はまるで自分のことのように得意げにそう言って微笑んでいたのだ。そのことを今更ながら思い出したソラから、ふと体の力が抜ける。そのままそっと目を閉じる。

 理性は相変わらず放っておけと叫んでいた。リューの言う通りにすべきだ、と。それはカイの言葉を聞いた後でも鮮烈で、何より理に適っていた。

 そして、だからこそ怖い。

 ソラは知っている。その叫び声から外れれば何が起こるか分からないということを。そして見返りのない善意が必ずしも良い結果で返ってくるとは限らないということも。知っていて、痛いくらいに実感したこともあった。

 だから余程のことがない限り誰かと必要以上に関わるのを諦めていたのだ。期待して裏切られるのは怖い。だから最初から期待なんてしなければいい。そう思っていた。今でもそうだ。怖い。怖くてたまらない。死ぬかもしれない。助けたところで双方の恨みを買うだけかもしれない。あるいは自分たちだけ生き残って誰も助けられないかもしれない。悪い方向に転がる可能性なんていくらでも想像できて、でも。







 自分だって、本当は誰にも死んでほしくないんだ。






「……しょうが、ないな……」


 沈黙の後にソラは小さく呟いた。口に出してから随分ぶっきらぼうな物言いだとはソラ自身も思った。それでも気恥ずかしさと何より未だに怖いと思う気持ちを誤魔化すためにはそのままの調子で続けるしかなかった。

 瞼を上げる。呆けたような顔をするカイに向かって、いいよ、と口を動かす。


「そこまで言うなら付き合ってやろうじゃないか」

「ほ、本当か?」

「こんなところで嘘ついてどうするのさ」


 ソラが呆れて返せば、何故か感極まったようにカイが瞳をうるませた。単純だ。少し呆れながらソラがそう思ったところで、諫めるようにリューに名前を呼ばれる。

 それに、振り返った。金の目は相変わらず静かにじっとソラの方を見つめている。何を考えているのか。怒っているのか、愚かだと呆れているのか。それは分からなかったが、それでもソラは、今度はリューの視線を真っ直ぐに受け止めて口を動かした。


「止めたって無駄だよ。僕は僕のやりたいようにする」

「戦うための理由が見つかった?」


 リューの問いかけには言葉に詰まった。頷いてしまえば、ますます後戻り出来なくなりそうで。中途半端に臆病な自分自身にソラは苛立つが、リューはそんなソラの心境さえも察したようだった。


「――そう」


 なら、ソラの好きなようにすればいい。そう呟くように付け足した彼女が先に目を伏せる。一体何を考えているのか図りかねるソラ。そんな二人の間にほんの少し釈然としない沈黙が落ちるが、それはやっといつものテンションを取り戻したカイによって破られた。


「よっし……! そうと決まれば、あいつらを探しにいかねぇとな!」

「それなら、まずここから探すべき」


 沈黙から逃れるように、珍しくリューが積極的にカイに意見を出した。ここから? そう言って小首をかしげるカイに、リューが小さく頷く。


「闇雲に探したって時間を無駄にするだけ。それなら少しだけでもいいから、ここで手がかりがないか探した方がいい。例えばノイシュの部屋とか」

「なるほど! そうと決まりゃ先は急げだぜ……!」


 リューの提案に一つ頷いたカイは、ぱっと身を翻してノイシュの部屋に駆けていった。その表情はここに来たばかりの時よりよほどいい。居ても立ってもいられない心境の中でやるべきことが少し見え始めたからかもしれない。

 言葉は間違っているが。


「先は急げじゃなくて善は急げだろ……」


 ため息混じりにつっこみながらソラもノイシュの部屋へ足を踏み入れた。相変わらずの紙の多さだ。机の上に積み重ねられた書類は以前のままだが、床にまで紙が散らばっていて前回以上に雑然とした感じがする。外の陽がいよいよ落ち始めたからか、ひどく薄暗くも感じた。


「そういえば、ジンは?」

「ジンも何か考えてるみたいだった」


 多分、ジンも見つけられてないんだと思う。何を、とは言わずにソラの問いかけにそうとだけ答えたリューは、彼の傍らをすり抜けて早速無言で散らばった書類を拾い上げて目を動かし始めた。これ以上の追求を許さないような空気にソラは小さく肩をすくめる。

 ジンのことは気になるが……今はそれよりも目の前の作業に集中すべきだろう。そう思ったソラも試しに机の上に置かれていた書類の束をばらりとめくってみる。が、おおよそ役に立たなさそうな情報ばかりだ。辺りを軽く見回しても目につく書類の文字はどれも関係なさそうである。

 時間の制限に釣り合わない書類の多さ。それを改めて実感したソラは思わず小さく呻いた。


「こんな中から探すのか……」

「なんだよソラ! 早速諦めんなよな!」

「……別に諦めた、だなんて言ってないだろ」


 カイの指摘に唇を尖らせてソラは反論した。


「というか、カイこそ何なんだよ。ちゃんと読んでるわけ? どう見たって適当に漁ってるようにしか見えないんだけど」

「うっ……ば、ばっかやろう! 見てるに決まってんだろ! こうやって紙を舞い上げてだな、そいつにばばっと目を通しながら探してるわけで、」

「じゃあ今までで見た書類の内容は?」

「……しょ、商隊の輸送経路について?」

「『わくわく通信~楽しい交易の街カペレの街づくりについて~』」


 ちょうど手元に飛んできた書類の題名を淡々と読み上げたソラが白けた視線を送れば、ぴたりと動きを止めたカイの顔がみるみる内に赤くなった。


「だ、だって仕方ねぇじゃん……! 文字は苦手なんだよっ」

「……じゃあ何をそんなに一生懸命してるんだよ……」

「そ、それはだな……」


 ソラの疲れた問いかけにカイが目を泳がせることしばし。ふと何かを思いついたように、ほ、ほら! と声を上げる。


「あれだよ……! 紙で地面が埋もれてるだろ? そいつをどかせば床から秘密の扉とか出てくるんじゃねぇかと思ってだな……っ」

「あのねぇ……! そんなことあるわけ、」


 いくらなんでも無茶苦茶だ。我慢の限界にきたソラがいよいよ声を上げ、それに怯えたように小さく悲鳴を上げたカイが一歩後ろへ下がった時だった。


「っ、うわわわっ……!?」

「カイ!?」


 間抜けな声と共にカイの姿がソラの前からかき消える。ついで響く鈍い音と蛙の潰れたようなうめき声。それに慌てて駆け寄ったソラとリューは、書類の下から現れたそれに二人同時に目を丸くした。


「嘘だろ……」


 信じられない思いでソラが呟く。

 見つめる先には、ぽっかりと床に空いた四角い穴があった。

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