act.16
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「……やっぱり」
そう呟いたルーサンは顔をしかめた。場所は門の外、砂蠍のいた荒野だ。人気のないその場所で、降り注ぐ日差しを背に見つめる先には地面にぽっかりとあいた巨大な穴がある。
ちょうど昨日の戦闘でジンとソラが落ちた穴だ。大きさはあの砂蠍が入るくらいで深さは大人二人分ほど。
そして偶然出来たにしては底が平らで、穴の壁面が整いすぎている――そこまで確認した彼女は軽くフードの裾をはためかせて穴の中に飛び込んだ。地面に手をついて着地する。掌から伝わる温度は荒野の太陽に照らされているにも関わらず、ひやりと冷たい。心なしか降り注ぐ日差しが陰ったような気さえした。
嫌な予感がする。直感的にそう思ったルーサンは小さく息をつく。
「まぁ、ここに来る前から分かってたことだけどね」
独りごちながら彼女がゆっくりと顔を上げれば、穴から伸びる細い通路が見えた。横穴だ。光など届くはずがなく行く先は当然見えない。
だが、ルーサンは確信していた。
この横穴が何かの通路の一部であるということ。そしてこの通路が今に至るまで使用されていたということ。どこの誰が何のために、というのは分からなかったが、それもこの通路を進んでいけば分かることだろう。
そしてルーサンの見立て通りならば、きっと予感通りになる。
「……嫌な風ね」
通路から僅かに吹いてくる風にルーサンは眉根を寄せた。荒野を渡る風とは違う暗く淀んだ気配を運んでくる。昨晩と同じだ。
そして同じように、嫌な気配に混じって違えようもない彼の気配がする。
オーチャード――探し人の名前をルーサンが微かに空気を揺らして呟けば、応じるかのように風が彼女の頬をなでた。淀んだ空気とは違う、気遣うような優しいそれにルーサンはそっと目を細めた後、おもむろに懐から二丁の拳銃を取り出して歩き始めた。
「…………」
慎重に気配を探りつつ細い通路の中に入っていく。奥に進めば進むほど陽の光はどんどん遠ざかっていき、濃い闇が彼女の視界いっぱいに広がっていった。響く足音が砂を踏みしめた時の微かな摩擦音から木の板を踏んだ時のような軽い音にかわる。薄暗い中でちらりと見やれば、先の見えない通路は木の板でいささか乱暴に内張りされていた。
どこを見てもぼろぼろだ。それでも人がいないが故に朽ちかけているというよりは、人が使いすぎて壊れかけている、といった方が正しいのだろう。
努めて冷静に考えながらルーサンは木の板の軋む小さな音と共に歩みを進めた。そうでもしなければ淀んだ空気と全身を刺すような悪意の満ちた気配に気圧されてしまいそうだったからだ。
立ち止まったら最後、戻れなくなるんじゃないか。先の知れない暗い通路を見る内に妙な考えがふっと浮かんで、ルーサンは小さく体を震わせる。幸いなことに行く先に階段が見えたのはそんな時で、ほっと胸を撫で下ろしたルーサンは足を止めた。
ゆっくりと続く先を見つめれば木製の薄汚れた扉が見える。小さな扉は大人が腰を屈めてやっと通れるくらい。
そうして半開きだ。彼女は顔をしかめた。真っ先に浮かんだのは罠という言葉である。分かりやすすぎる。そうも思った。
けれど。
「――どのみち、選択肢なんかないわ」
誰かを巻き込みたくない。だから一人でここに来たのだ。昨日の夜に感じた『あの気配』のことをチモシーにだって話さずに。今から戻ってもいいだろうが、そうしたところでまた一人で来ることになるのは目に見えている。その時にまた都合よく扉が開いているだなんてことがあるだろうか。
いいえ……そんな保証なんて、どこにもないわ。己を奮い立たせようと強引にそう結論づけたルーサンは、迷いが生じる前に階段を登り始めた。ゆっくりと慎重に進む。僅かな物音も聞き逃すまいと全神経を研ぎ澄ませる。そして辿り着いた先で、しっかりと拳銃を握り直し。
「――っ!」
息を詰め、開いた扉の隙間に体を割り込ませるようにして中に入った。扉が大きく軋んだ音を立てる。それを気にもせずに拳銃を構える。
小さな部屋だ。片隅に古びた粗末な木製の机と椅子がある。外とつながっているのか、等間隔に小さく壁に空けられた穴からは光が差していた。ざっと見た限り人影はない。あちこちに剣や盾が乱雑に散らばっているだけ。
そしてそこまで確認したところで、部屋の奥で揺らめく影を見つけた彼女は目を見開いた。
「オーチャード……っ!」
「いかん、ルーサン! 罠だ!」
鎖に繋がれた色白の少年が金髪を揺らして叫ぶ。それにルーサンは慌てて振り返ろうとしたものの、僅かに間に合わなかった。
「!?」
突如、背後に現れた敵意の塊。それが急速に膨らんで、突発的な風となって部屋を揺らす。たまらず地面に倒れこんだルーサンの耳に届くのは木々が軋むような、何かが爆発するようなひどい音だ。
部屋が壊れる。直感的にそう思ったルーサンは助けに来たことも忘れて慌てて頭をかばった。直後だ。一際大きな揺れが部屋を襲い、体を丸くした彼女はぎゅっと目を閉じる。
――そうしてどれほど経っただろうか。
光が、さす。頬に当たる温度でそれを感じたルーサンはゆっくりと瞼を持ち上げ、体を起こした。奇跡的に目立った傷はない。辺りを見回せば、部屋を形作っていただろう木材と、それ以上の大小様々な岩が荒野に降り注ぐ容赦無い日差しに照らされていた。岩の中に作られた部屋だったのだろう。少しずつ光に目を慣らしながら、衝撃冷めやらないルーサンはぼんやりとそんなことを考え。
不意にさした影と、痛いほどに空気を震わせるしゃがれた鳴き声に身を固くして振り仰いだ。
そして声を震わせる。
「そん……な……!」
見上げる先にあるのは淀んだ黒の鱗に全身を覆われた魔物。手足は短い。その代わりと言わんばかりに伸びた尾は長く太かった。低く喉を鳴らす度に黄ばんだ牙の飛び出した口元から透明な粘り気のある液体が零れ落ちていく。
そして背中でゆらりと揺れる禍々しい翼と頭部から生えるねじ曲がった一対の角。
彼女の記憶に中にあるそれとは一回り小さいが、間違いない。間違えようがない。恐怖に支配されたルーサンの唇はおののきながら勝手に動いていた。
どうして、と。
「どうして……どうしてここに"竜"(ドラゴン)がいるのよ……っ!?」
目を見開き叫んだルーサンに"竜"と呼ばれた魔物が再び咆哮を上げる。
勝ち誇ったような残忍な"竜"の瞳。それが自分をとらえた、そう思った瞬間だった。ルーサンの後頭部に鈍い衝撃が走り、彼女の視界が暗くなる。
最後の記憶は、血の如き赤い"竜"の眼だった。




