72 「生きた人形と呼ばれる皇女」終
披露宴会場となった王城大広間である【星玉冠の間】は、昼間の大神殿での厳粛な空気とは異なる華やぎに満ちていた。これから行われるのは王太子夫妻の結婚披露宴。色とりどりの女性のドレスが会場内を花のように彩っていた。
王国内の高位貴族の当主夫妻は、他国の王族の参列に落ち着かない心持ちなのに、それを加速させたのはまちがいなくアンザス帝国の皇族の面々だろう。
そのうち、第二皇女だったトレニアはそれまで存在していたのに知られていなかったゾルダ王国に嫁ぎ王太子妃となった。
第三皇女だったカルミアは、国内の辺境伯令息の元に輿入れし、大陸最大のダンジョンを管理しながら冒険者協会の設立に携わったりなど積極的に活動している。
第一皇女のアナベルは皇太子である兄を補佐しながら皇城から出ることはないと宣言していることもあり、帝国内から周辺属国まで多くの国の未婚の令息達が僅かでもその視界に入れないかと望んでいた。
第四皇女であったルピナスはこうして結婚をしてしまったが、滅多に国外に出ることはないアナベルの姿を見れる機会を逃さまいと、別の熱気が籠っていた。
当然の事ながら、可愛い妹の結婚披露宴に不純な気持ちを抱く者をアナベルが選ぶことはないのだけれど。
天井から吊り下げられた巨大なシャンデリアは、まるで夜空から零れ落ちた星々を閉じ込めた湖面のように煌めき、その光を受けた金装飾が壁面を流れる光のように輝いていた。
宮廷音楽家達の奏でる穏やかで結婚に相応しい華やかな旋律が会場を包み込み、人々の笑い声や談笑が幾重にも重なり、祝いの場らしい温かな賑わいを生み出している。
大広間の最奥では、王太子夫妻の為に設えられた高座に腰掛け、ルピナスが可愛らしい微笑みを浮かべながら会場を眺めていた。
既に披露宴用の淡い薔薇色のドレスに身を包んでいた。
春の朝焼けに薄く溶けた花霞のような色彩をした生地が幾重にも重なり、動く度に柔らかな波を生み出していた。胸元から裾へ流れる金糸の刺繍は、まるで空を彩る星が煌めく川の流れのようである。
肩から羽織る王太子妃のマントは彼女が皇女ではなく、この国の未来の王妃になったことを示していた。
神殿での結婚式や立太子の儀は何事もなく無事に終わった。パレードでは集まってくれた国民の大歓声と歓迎の声を受けた。あと少し、この披露宴が最後である。
幼い頃から読んできた物語に描かれていた、王子様とお姫様の結婚式。幸せそうに笑いながらダンスを踊るシーンは、恋を知らなかったルピナスでも心ときめいたが、実際に当事者となると、体力は使うし笑顔も曇らせることはできない。水面下での花嫁の戦いは尋常でなかった。
視線を動かすと、そこには帝国から来た家族の姿があった。
父である皇帝トラディアスと義理の母である皇后フィオレンティーナはルピナスとジェレミーが座る席の更に一段上に用意された席に座っている。
宗主国と属国の関係でいえば、やはり上は皇帝と皇后で、誰よりも尊い席に座ってもらった。
第四側室である母のレミーリアと長女のアナベルは楽しそうに語り合っている。次女のトレニアとその夫のベイセル王太子夫妻は白銀の髪の夫と黒髪の妖艶な妻で「雪の王」と「夜月の女王」だとかつてルピナスが感じたままがさらに深まっていた。
三女のカルミアとその夫のマディス次期辺境伯夫妻は、食事を堪能しているようだが、ルピナスも気に入っていた料理人レーグの味に慣れている姉は満足してくれているだろうか。
誰もが穏やかな表情をして笑っている、それだけで胸の奥がほんわりと温かくなった。祝福されていることが彼らの表情から読み取れた。
ジェレミーは三人いる婚約者候補の一人だった。他の二人は国内貴族の令息で、彼らのどちらかを選べばルピナスは国からでなくても良かった。帝都の皇城にだって頻繁に行くことが出来たはずだ。
しかし、トレニアの婚約がきっかけでルピナスは国から出る道を選んだ。誰よりもジェレミーはルピナスを大切に思ってくれていた。
手紙を読み、言葉を交わし、会う度に誠実さを知っていった。
小さな事でも大切にしてくれるジェレミーとなら、きっと上手くやっていける、そう感じたことに間違いはなかった。
ジェレミーはルピナスの為に、約束した通り、西方からたくさんの本を取寄せてくれていた。ルピナスが本を読むことを愛していると知っているから。
世界は生まれ変わった。トレニアがゾルダ王国の地へ赴き、そこで神と人の千年の約束が果たされ、失われていた魔法の力がこの世界に戻った。
物語よりも遥かに不思議な出来事が起きている。
ルピナスは帝国にいる間、アナベルと共に魔法の使い方を教わった。魔導書を使うやり方はカルミア以外の姉妹には適性があった。考えてみれば、アナベルとルピナスはどちらも文字を読み解き綴ることが苦ではないのだ。
得られた知識を手に、ドラスニト王国に入り、ダーレン大公領で生活に慣れて行った。
父の狙い通り、王冠は正しい血筋に戻り、王国を長年蝕んで来た害虫は駆除されつつあった。
王国の未来のためを思い、それがいずれ父と敵対することになっても、それでもこの国を守りたいと思うようになっていた。
今はまだ、帝国への思いもある。しかし、いずれ「帰る場所」にドラスニト王国はなるのだろうとルピナスは感じていた。
「何を考えているのですか?」
隣からすっかりと聞きなれた、本日正式に夫となったジェレミーが声をかけてきた。
深い藍色の礼装に身を包んだ彼は、柔らかな笑みを浮かべながらルピナスを見つめている。彼はいつだってルピナスを優しい目で見てくれている。今でこそわかるが、そこには愛があった。恋心があった。
初めて直接顔を合わせた時から彼は変わらない。まるで深い森を渡る風のような穏やかさと安心感があった。
「色々です」
「色々?」
「ジェレミー様と初めて顔を合わせた時から今日までを思い出していました」
そう答えると、ジェレミーも会場へ視線を向ける。一段下のテーブルは二つに分かれ、共同統治をしている兄弟王夫妻がそれぞれに座っていた。まあ、実際は血の繋がりがないものの、異母兄弟として育っていた年数が長かったこともあり他人にはなりきれないとバルグスはこぼしていた。
「確かに、今日この日まで長かったですね」
「はい。そう思います」
「まさか王太子になるとは思いませんでした」
「ごめんなさい。私は知っていました」
二人は顔を見合わせた。ジェレミーの困ったような下がり眉を見て、ルピナスはこてんと首を傾げてみた。彼にはこの所作が案外効くのだ。
彼からしてみれば大公令息と皇女の結婚となるはずだったのが、気付けば王太子と王太子妃になっているのだ。元々スペアとして教育を受けていたし、元王子よりも遥かに出来が良いと判断されたから、皇帝自らが命令を下したのだ。
激流に流されているような感覚になっている事だろう。
「後悔していますか?」
ルピナスは彼に問うた。ジェレミーに知らせないままに全ての段取りを済ませて実行したのはルピナスだ。彼の人生を変えたのはルピナスである。
「何をでしょうか?」
「あなたは私が選ばなければ大公令息のままでした。私の婚約者となり、結婚するから、帝国は介入しました」
「後悔はしていませんよ。それよりもルピナス様こそ後悔していませんか?俺を選んだことで帝国から離れることになったことを」
それに対しての答えはすぐにでも出せる。後悔などしていない。しているならもっと前に婚約の解消だって出来た。それだけの力が帝国にはあるのだから。
「していません。」
「でしょう?それと同じです。それに、俺はちょっと嬉しいんですよ」
「何がですか?」
「ドラスニトには世界で一番可愛い王妃がいる、と世界に向けて自慢出来るでしょう?」
何を言い出しているのやら。だが、ジェレミーは本気だった。
「俺の初恋はルピナス様なので、世界で一番の幸せ者だと自慢できますし」
ジェレミーは人畜無害そうな見た目をしている男だが、割と、中々に、癖が強かったらしい。
まあそれでも、そんな所も好きになったのはルピナスなので文句は言わない。
「これから大変な事は沢山あるだろうけど、ルピナス様が隣にいてくださるなら頑張れます」
「私も、ジェレミー様がいてくださるなら、きっと大丈夫だと思います」
楽団がこれから行うダンスの演奏の準備を始める頃には、いつの間にか食事の痕跡は消えていた。残されているのは薄く光を映すグラスと卓上の花々だけで、広間は舞踏会の顔へと変わっていた。
ジェレミーがルピナスに手を差し出し、その手に手を重ねて階段を下りると、中央に立って向かい合う。
ルピナスは小柄だ。その事実は変わらない。それに対してジェレミーは男性の平均的な身長はある。踊るには大変だろうが、何回もパートナーとして踊ってきたのだ。お互いに慣れた身長はお互いだとわかっている。
曲が奏でられ、音に合わせて動き始める。
ダンスは声以上に饒舌にお互いを語り合う。男性のリードが巧みでなければ女性は舞えないし、女性もまた信頼して身を委ねなければ男性にとっては踊りにくい。
美しいダンスは互いの信頼の上に生み出されるのだ。
薔薇色のドレスの裾が動きに合わせて揺らめく。身長差を埋める為に少し高いヒールも慣れた。ジェレミーと踊るのにみっともない姿を見せたくないから。
愛しい。恋しい。
その気持ちが溢れ出す。
今このとき、既に二人は神に認められた夫婦であることに違いはない。そしてそれはこれから先も続く。
「ジェレミー様、大好きです」
「っ……俺もです。愛しています、ルピナス様」
ほんのりと顔を赤く染めた若き王太子夫妻の初々しいダンスは、その後も話題になるほどに愛らしく愛に溢れていた。
世界は変わり、国も変わる。
それでも、ルピナスは知っている。
隣に愛する人がいるならば、恐れることは何もないのだと。
かつて、生きた人形と呼ばれていた皇女は、やがて血の通った王太子妃として、ドラスニト王国を知の国へと発展させる基礎を作り上げた。
その隣には、常に彼女を愛する王太子が寄り添っていたと言う。
ルピナス編完結です。
⸜(*˙꒳˙*)⸝
出したかった脇キャラとかいるのですが出し損ねた。
アナベル編開始は遅くなります。
アナベルは東方の属国ではない国の人がお相手になります。




