64 「生きた人形と呼ばれる皇女」⑪
王城とは政治の中枢であり、働くものはとにかく多い。
しかし、今日に限っては騎士団の騎士を総動員して警備にあたり、文官女官、使用人全てが息を潜めるように廊下に出ることは無い。
それも当然であろう。
宗主国である帝国の皇女が国王の元に足を運んでいるのだから。
この国の中においては国王こそ最上位の存在であり、他国の王族とであれば対等であるが、帝国の皇族は違う。
ルピナスが歩く度に、艶やかなピンクゴールドの髪の毛がふわりふわりと揺れる。
帝国の四人の皇女の類稀な美しさや愛らしさの話は聞くことがあっても、実際に見たことが無いドラスニト王国の者は、過剰な噂でしかないのではと侮る気持ちを持っている事もあった。
彼等は噂を上回る現実が存在することを初めて知った。
赤い絨毯の上を歩く皇女の中でも最年少のルピナスは、生きた人形と呼ばれるに相応しい、手を触れるのでは無く、飾り立てて鑑賞するだけで満足しそうな愛らしさがあった。
長いまつ毛、大きな紫色の眼、小さな口とぷるぷるとした唇。
身長差のある王兄ダーレン大公の嫡男ジェレミーがかつて無い程の自信を持ちながら、皇女の小さく愛らしい手を腕に掛けてエスコートしている姿は、一枚の絵のようであった。
「ジェレミー様。見て下さい。窓の外の景色が素晴らしいです」
「本当ですね。この時期は中々晴れの日が少ないのですが……ルピナス様がいらっしゃるから空も美しい青を見ていただきたいのかもしれませんね」
「ジェレミー様ったら。アナベルお姉様やトレニアお姉様なら有り得るかもしれませんけれど」
「何れの皇女殿下方も大変お美しいですが、俺はルピナス様が一番可愛らしいと思っていますから」
「もう。照れてしまうのでおやめ下さい」
「はい」
何と甘い雰囲気と会話なのか。
皇女を迎えるに辺り、誰もが決して失敗してはならないという緊張感に満ちているのに。
それも仕方の無いことだろう。ジェレミーは婚約をしてから何度も帝国に赴き、皇族の婚約者として皇帝を始めとした多くの帝国の重鎮達と顔を合わせてきた。
今や魔法の中枢とも言われるゾルダ王国の王太子ベイセルや、帝国の守護神のマディス・バドシュラとの交流もなんだかんだと続いている。
皇族最年少のルピナスは彼女の兄や姉達に可愛がられているが、その婚約者のジェレミーもセットで可愛がられていて、彼の人脈はドラスニト王国でも屈指と言えるだろう。
少なくとも、王子のグランヴィルよりも遥かに国にとって利をもたらす存在になっていた。
国王ゲルディオと王妃ファリナセアの間に唯一生まれた王子グランヴィルは、横暴で傲慢な性格をしていた。ただ一人の王子であるが故に己を特別だと信じている。
しかし、同じ歳の従兄弟であるジェレミーが有能で人にも慕われている姿が気に食わず、彼を見掛ける度に暴言をぶつけるような人間性の持ち主だ。
宰相は謁見の間に辿り着くのが嫌で仕方なかった。
そこには国王だけでなく、王太后イゾルデを含む王家の人間が揃っている。
国王は別にしても、他の三人、それこそ王妃ですらダーレン大公家を疎んでいる。
正直な所、何故そこまで嫌うのかを宰相はあまり理解していなかった。
王妃が大公妃に対して強くライバル視をしているのは知っている。そして大公妃は全く相手にしていないことも、知っていた。
謁見の間の最奥。
玉座までの道を彩る、金の縁取りの赤い絨毯の上をルピナスは気負いなく歩いていた。
彼女にとって、他国の国王は緊張する存在ではない。数年に一度、属国の国王を招集する会議があり、それが終わると晩餐会や夜会が行われる。
皇族は彼らを見下ろす場所にいる為、緊張とは無縁であった。
玉座に座るのは国王ゲルディオ。
段の下に立つのが王妃ファリナセアと王子グランヴィル。
そして、国王の隣に立っているのが王太后イゾルデなのだろう。
宰相はとても小さな声で呻いていた。
ルピナスも理由が分かる。
国王の隣に王太后が立つなど、非常識以外なんと言えば良いのかルピナスの聡明な頭脳でも分からなかった。
ゲルディオは玉座から立ち上がると迷わずに階段をおりてルピナスの到着を持ち構えていた。
「ごきげんよう。ゲルディオ国王」
「我らが宗主国アンザス帝国が叡智なる皇女殿下のお越しに感謝申し上げます」
片膝をつき、胸に手を当てて深く頭を下げるのは帝国に来るどの王族も同じように行う。
ゲルディオはルピナスが皇帝代理としてこの場に来ていることをきちんと理解していた。
王妃も速やかに国王の隣に跪くと手を胸に当てて同じように歓迎の挨拶を行う。
多少所作は頂けないところもあったが、許容範囲内だろう。
だが、そこまでであった。
「へぇ。かなり可愛いじゃないか。ジェレミー。お前に皇女は勿体ない。ルピナス皇女、そんな奴では所詮大公妃にしかなれない。それよりも未来の王妃の方が良いだろう?私の妻になるといい」
「そうね。ジェレミーなどよりも、グランヴィルの方が皇女様には良いと思うわ。何故陛下はグランヴィルにしなかったの。ね?皇女様も未来の王妃の方がよろしいわよね?」
宰相は両手で顔を覆い呻き声をあげた。
国王は血の気の引いた顔で立ち上がると、全く恭順の姿勢を示していないどころか、ありえない発言をした二人に向かって大声をぶつけた。
「黙れ!お前たちは何を言っている!?速やかに皇女殿下に謝罪の言葉を告げよ!」
「あら、陛下。皇女様はこの国に嫁がれるのだからあなたの臣下になるのよ?貴方が命じれば」
「何を言っている!?」
王妃はあまり頭が良くない。しかし、彼女はそれでも王国の貴族として育ってきたので若い頃は帝国に憧れを持ったし、家族と旅行で赴いたこともある。
もちろん、帝国の皇族に夢を見た事もある。
だからこそ、王太后と己の息子が発した言葉がどれだけ有り得ないかを理解してしまい、手を組み合わせてルピナスに向かって深く頭を下げた。
「申し訳ございません!申し訳ございません、皇女殿下!どうぞ、どうぞお許しくださいませ」
引き攣った声は命乞いをする罪人のようで、グランヴィルは驚き己の母親を立ち上がらせようとした。
「何をしているのですか、母上。みっともないですよ」
「グランヴィル!お前は、お前は何をしたのか分かっていないのですか!?」
王妃の形相にグランヴィルは思わず後ずさる。
ルピナスはファリナセアを少々頭の弱い愚か者だと思っていたのだが、少しだけ見直した。流石にその位は理解していたようだ。
「ゲルディオ国王。わたくしは気分を害しました」
ルピナスは公的な場と私的な場で口調の切り替えをすることで皇女らしい言動をする習性がある。切り替えると中々に疲れて反動により身動き一つ撮りたくなくなるのであまりしないのだが、今この場において最適なのはその姿だと判断した。
「そこの愚か者は名乗りもせず、わたくしの許しも得ていないのに名を呼び声を掛けた。そこの老女も同じ。何よりも、今この場にいるわたくしは帝国が皇帝トラディアスの名代として皇帝代理として存在している!そのわたくしに、命令しようと言うのか!」
ルピナスは滅多に大声を出さない。疲れるし面倒だからだ。
ただし、今のような状況の時は必然的に出さねばならない。
「お前たち二人は、我が父、我が国の皇帝が認めしわたくしの未来の夫をよくも貶める発言をした。属国の王家の血を引かない女が!この責任をどう取る!」
ルピナスはジェレミーに対して愛しさを重ねてきた。お互いに理解し合う為に幾度となく話、手紙をやり取りしてきた。
愛すべき婚約者。未来の夫をどこまでも馬鹿にするイゾルデとグランヴィルに、ルピナスは激怒した。これが通常モードならばまだもう少し違ったのだが、皇女モードの時のルピナスは思考が過激になる。
宰相は手を組み天井を見上げながら祈りを捧げ始め、国王と王妃の顔色はすっかりと白くなっていた。
イゾルデとグランヴィルのセリフを喋らせたら暴走始めた。
ルピナスのお怒りモードは皇后様のお怒りモードを参考にしているのです。




