61 「生きた人形と呼ばれる皇女」⑧
初めこそ緊張に満ちていた空間も、ルピナスがただ微笑みながら周りの言葉に頷くだけと分かると空気が緩み始めた。
とは言え、相手は帝国の皇女である。本来であればこのような場で会う事すら許されないはずの人。
主催者としてイヴェンナがルピナスとエリカをもてなしながら、少しずつ自分が判断した『今後に使える』令嬢を紹介していたのだが。
空気を読めない愚か者はどこにでもいるのだ。
ルピナスの隣に座るエリカはダーレン大公の息女であるが、昔からその髪の毛の色を馬鹿にされてきた。
金の髪の毛こそが美しいという基準は、あくまでもドラスニト王国でしか通用しない。
ルピナスからしてピンクブロンドの髪の毛で金の髪の毛と言えないのに、そこを無視して赤茶のエリカの髪の毛を貶めようとする令嬢が居たのだ。
「エリカ様の髪の色は、ねぇ?落ち葉の色みたいでしょう?」
言った本人は確かにとても美しい金色の髪の毛をしている。だが、それだけの価値しかなかった。呼ぶ人間はある程度選んだつもりだったが、愚か者は紛れていたのか、とイヴェンナが内心で嘆いていると。
「私の夫になる方を貶めているの?」
緩んでいたはずの糸が限界ぎりぎりまで引っ張られていると感じる程の緊張感が戻ってくる。
発言者は軽く考えていたのだろう。いや、頭から抜けてしまったのか。
帝国皇女の隣に馬鹿にしていたエリカがいることが許せなかったのか。
しかし、隣にいるのは当たり前ではないか。エリカはルピナスの義妹になるのだから。王国内で婚約者の次にそばにいることを許されているのは間違いなくエリカである。
そもそも、エリカは王兄の娘。正当な王族の血を持つ高貴なお方なのだ。
それを、たかだか伯爵家の娘が軽んじ貶めるなど、許されるはずもない。
「私はジェレミー様と同じ色を持つエリカの髪の毛が大好きなのだけれど。それともなぁに?金の髪を持たない帝国皇族は貴方以下だと言いたいの?」
帝国の直系皇族の証は「紫の目」だけである。豊富すぎるほどバラエティに飛んでいる髪の毛の色を、皇族は基準や証になどしない。
「第一皇女のアナベルお姉様は銀の髪の毛をお持ちです。第二皇女でゾルダ王国王太子妃となったトレニアお姉様は黒の絹のような髪をしています。第三皇女で辺境伯家に降嫁したカルミアお姉様は淡い金色の髪かもしれないけれど、あれは金とは言い難いですね。王太子妃アヴェリーヌ様は赤銅色の髪色をしています」
淡々とルピナスは帝国の高貴な女性の名を上げていく。視線はエリカの髪の毛を貶めた令嬢に定めて。
言った本人の顔色は悪く、ガタガタと震えている。その傍でくすくすと笑って止めなかった者も同様に。
「それで、エリカの髪の色が、何ですか?」
ルピナスは微笑んでいるだけ。激昂などしていない。柔らかく愛らしく微笑んでいるだけ。
しかし、明確に感じるのは『怒り』だ。
「髪の毛の色が美しさの基準になるわけが無いです。そんな事をしたら皇族はどうなるのかしら。ねえ、トリシャ。発言を許すわ」
ルピナスの後ろで護衛を務める女性騎士はずっと静かに控えていた。
そのルピナスに名を呼ばれたトリシャは無表情から一点、ルピナスに向けてだけ柔らかい笑みを浮かべる。
「問題は起きないかと。そもそも後宮は美しき花園。側室の皆様も彩り豊かな髪色をお持ちの美女ばかりですから」
「ええ。私の母を含め、髪色など多彩にありますから」
これ以上髪の毛の色のことでエリカを貶めるならば、帝国の皇族はお前達の基準には至っていないのだな?と言う強烈な牽制であった。
現在の皇族に鮮やかな金色の髪の毛の持ち主はいない。
そもそも、金髪など平民にも多い色だ。
帝国は多くの国を吸収して広がった歴史があり、それぞれの国や民俗特有の色がある。長い長い時間を掛けて混じりあってきたのだから、豊富な色合いになるのは当然のことだ。
「私はジェレミー様をとても、とてもお慕いしています。そのジェレミー様とよく似たエリカの事もとても可愛がっています」
ね?と言いながらエリカな胸元を飾っている「ルピナスのブローチ」に触れる。
帝国のことを知っている、もしくは花に詳しい令嬢達はそれだけでルピナスがどれだけエリカを大事にしているか分かったことだろう。
そしてそれ以降は二度と彼女達の方を見ることは無かった。
帝国の皇女の機嫌を損ねた。それだけで彼女達の価値は一気に下がった。
最早まともに座ってもいられなくなった令嬢とその周囲は、体調が優れないから、と席を立ち上がり途中退席を詫びたのでイヴェンナは止めなかった。
彼女達が去ってから、ルピナスはふわりと笑みの種類を変える。
「そもそも、お姉様方と言う美の極致がいるのに、髪色ごとき意味などないですよね」
帝国の四人の皇女はいずれも類い稀なる美しさを持つと言われている。それは帝国外の国でも知られている話。
ルピナスは人形のような愛らしく目を奪われる美を有している。その彼女が極致とまで評する他の皇女はどれだけなのだろうか。
「私の可愛いエリカを貶されてついムキになってしまったわね。イヴェンナ嬢、申し訳ないわ」
「いえ。わたくしの不手際です。まさかルピナス様を正しく理解していない者がいるとは」
お互いに名を呼び合う、それだけの光景だが、参加していた令嬢達にとってそのやり取りは見逃せるものではなかった。
貴族でも名を呼ぶには関係が必要となるし、許しも必要になる。それが皇族や王族ともなれば、かなり厳しい基準が必要となるだろう。
イヴェンナはそれを許された。ルピナスと親しくなる権利を得たのだ。
まだ若き令嬢でも情報に疎い事は好ましくない。ダーレン大公令息ジェレミーが皇女と婚約して三年は過ぎている。そして今年、婚姻する事も知られているはずなのに。
政略だからそこに愛が無いとでも思ったのだろうか。
帝国の皇女ともなれば相手を選ぶことが出来る。国内貴族だって選択肢にあったはずだ。それなのに属国の大公令息が婚約者の時点でルピナスがジェレミーを気に入っているという証左だろう。
「お義姉様はお兄様のことが好きだから怒ったんですよね」
にこにこと笑うエリカにルピナスの頬がほんのりと赤く染まる。無機質な人形じみていた彼女の鮮やかな変かにイヴェンナすら目を奪われた。
人形に命が吹き込まれて動き始める、と言った物語があったはずだ。
まるでその一場面のように、ルピナスの纏う空気が華やかになった。
「ジェレミー様は、とても素敵ですから」
「お義姉様、そのお顔はまだお兄様の前で出したら駄目です」
頬に手を添えて恥じらうルピナスにエリカは真顔になって忠告する。こんなに可愛らしく照れる義姉を前にした兄が理性を保てるとは思えなかったのだ。
「そうですか?」
「はい」
扇子を広げてぱたぱたと顔を扇ぐルピナスに、それまで少し恐怖を感じていた令嬢達はほっこりとした。
お茶会も穏やかにすぎていき、まもなく終わろうとする頃、ルピナスはイヴェンナにちらりと視線を向けた。それを受け取ったイヴェンナはその場にいた十二名の令嬢に声を掛ける。
「ルピナス様よりわたくし達にと贈り物を頂いきましたの。室内にあるので、移動をお願いしてもよろしいかしら?」
アルヴァイツ公爵の許しを得て部屋の一つを貸し切った。
公爵自身は皇女からの願いを拒否出来るわけもない。とても人が良さそうな公爵は顔を青ざめさせていたが、貸し切る理由を知り、また手土産を渡すと血の気が戻ったどころか興奮していた。
「まあ」
「素敵」
令嬢達もまた興奮が抑えられないようだった。
トルソーに着せた帝国で流行りのデザインのドレス。
テーブルの上に広げられているのは宝飾品。
「私の姉のカルミアは帝国で設立された冒険者ギルドの発起人で、姉自身もダンジョンに入っていますの。その姉の審美眼で集められた美しい鉱石は、ダンジョン内でしか見つけられないものだそうです。それをドワーフの職人が磨き上げて装飾品にしたものがこちらです。王国では誰も手にしていないでしょう」
価値があるものを、皇女から贈られる。
それがどれだけの意味を持つのか分からない愚鈍な者はここにはいなかった。
イヴェンナを中心に十三名の令嬢はルピナスに向かってカーテシーをする。
代表してイヴェンナが口を開いた。
「帝国がルピナス第四皇女殿下。未来のダーレン大公夫人。わたくし達は貴方様に忠誠を誓います。どうぞ、わたくし達を手足となさって下さいませ」
「ありがとう。あなた方のその誓いに必ずや報います」
その場に居た者の中で誰よりも小柄なルピナスはそれを自然に受け取る。彼女はこれまでにどれだけ忠誠を誓われてきたことか。
それが嫁ぎ先で行われた事に意味があるのだ。
誰にもまだ言えないが、ルピナスはいずれ王妃となる。
ここにいる十三名の令嬢はルピナスの手となり足となり、揺るぎなき地盤となるとても大切な存在だ。
だからこそ、いくらでも希少価値のある物を与える。その見返りは目に見えぬが何にも変え難いものだと分かっているからこそ。
この日、ルピナスに忠誠を誓った十三名の令嬢はこれより先、ジェレミーが冠を戴いた後、ルピナスの忠実なる腹心として確固たる地位を築く事になるのだが、それはまだ先の話である。




