39.ジェイド・ホーソン子爵
オルフェは朝食後にマンスフィールド子爵に2人で話したいことがあると伝えた。
レイモンド・マンスフィールド子爵は、長男ヒューの借金の返済や結婚等の心労が続いた後で倒れ、その後もなかなか体調が回復せず、寝込む日々が続いたが、ようやく回復の兆しが見えた。
ヒューがデッドロック館へ戻る前に、自分の将来について養父と話し合いたかった。
幸い今では養父のマンスフィールド子爵以外にも、オルフェの将来について気にしてくれる人物が増えていた。
まずはブリッジミア教会のビリー副牧師。25歳の副牧師はオルフェの教師であると同時に、親友でもあった。
ビリー副牧師の苗字は本当はゴールドだったが、なぜか名前の方で呼ばれることが多かった。オルフェが本名はウィリアムなのですかと聞くと、体が大きく赤毛でそばかすだらけの副牧師は恥ずかしそうに言った。
「本名はヴィヴィアンだよ。ヴィヴィアン・ゴールド」
「女優みたいな名前ですね」
とオルフェが言うと、副牧師は大げさな身振りで「おお、神よ!」と十字をきった。
「そうだろそうだろ!母がこんな乙女な名前をつけたんだ。ミドルネームがまた女性名でもあるフランシスなんだ。ヴィヴィアン・フランシス・ゴールド。ルイ・オルフェ、君のような美少年ならともかく、こんなごっつい体型の息子に。しかも牧師に」
「はあ…」
名付けた時は、小さな赤ん坊がごつくなることも牧師になることも分からないだろう。
「サイモン牧師様なんてお名前がジョン・バーソロミューなんだ。ジョン・バーソロミュー・サイモン。十二使徒のヨハネにバルトロマイ、そしてシモンの三連続。一つ私に分けてほしいよ」
ビリー副牧師はオルフェの利発ぶりに、もし必要なら教会の方で進学や仕事について相談するように言っていた。
他にもラエルの父、モンタギュー伯爵からも、オルフェとヒューの不仲を知っているので、何かあるようなら相談するようにと言われていた。
ビリー副牧師にオルフェは、若くてもある程度財産や地位を築ける職業について聞いてみた。
「やっぱり軍人かなあ?才能や努力、運もあるし、何より命がかかるからあまり勧めたくないけれど」
「軍人か。どうやったらなれるのでしょうか?」
「軍隊なんていつでも大募集だよ。だけど、君の家なら良い士官学校に入れると思うよ」
「それにしても君なら飛び級で名門大学に入れると思うけど。将来学者でも、事業を起こしても良いし、そうだ、牧師にだってなれるよ」
「4年後にはなれないでしょう?」
「4年後?君はまだ18歳だよね。なぜそんなに急ぎたがるんだい?」
さすがに結婚を考えている人がいるからなどとは言えなかった。しかも相手はまだ12歳だ。
ただとても好きなだけで、元々そこまでは考えていなかった。
オズワルドやダニエルの言葉さえ聞かなければ。
「もう3年もしたらメアリーはデビュタントだ。そうしたらいい出会いもあって、望むなら公爵夫人にだってなれる」
「ラエル、いつにする?4年後くらいかな?」
将来とか、いつかとか言っていたら間に合わなかった。
「父の具合が悪いし、僕を嫌っている兄のヒューが帰ってくるから」
ビリー副牧師にはそれだけを言った。考えたくもなかったが、父にもしものことがあったら、ヒューに阻まれて進学さえ夢に終わるだろう。
やはり軍人、士官学校が良いだろう。
軍人になってさえしまえが、ヒューだって自分に手出しはできない。
士官学校について、できれば養父と2人で、フェリシアに気付かれずに話したかったがその機会はなかった。ヒューが戻ってくれば更に2人で落ち着いて話す機会は減ってしまう。
朝食後、フェリシアが食堂から出ていくのを待って話すと、幸い子爵は「今日は気分がいいからいつでもいいよ」と優しく言ってくれた。
「二人で話すのは久しぶりだな。昼食の後はどうかい?」
黒い髪に深い黒い瞳、すっきりした顔立ちの子爵はフェリシアに似ていた。特に笑った時が。気に入らないがヒューも機嫌の良い顔の時は似ていた。
けれど子爵は、タイプは違うがどちらも自由奔放で我儘な息子も娘も幼い頃から手を焼いていて、親子の仲は良好とは言えなかった。けれど自分の子どもではないオルフェのことは全面的に信頼し愛情を注いだ。
ところが食堂のドアが開き、出ていったはずのフェリシアが戻ってきた。
「オルフェはこれから私と一緒にモンタギュー伯爵邸に行くのよ。お父さまは後にしてちょうだい」
子爵は溜息をつく。
フェリシアはいつも父に歯向かい、オルフェが父より自分の言うことを優先することを見せつけた。
実は今日、オルフェはそんな約束はしていなかった。だがラエルとも会えるチャンスだ。オルフェは申し訳なさそうに子爵に言った。
「それなら夕食後に。お父さまさえよろしければ」
「分かった。夕食後に私の書斎で」
約束ができてよかった。これで中途半端だった自分の将来もようやく決まる。
* * * * * * *
オルフェとフェリシアがモンタギュー伯爵邸に行くと、玄関口にバラを中心としたたくさんのピンクの花々が下男やメイドたちに運ばれていくところだった。
2人は顔を見合わせた。
「今日、パーティでもあるのかな?」
「あたし、聞いてないわ」
そこへ松葉杖をつきながらラエルが2人の方に来た。怪我の回復は順調のようできちんと歩けていた。
小犬のパラディンもラエルについてきて、2人にちぎれんばかりに尻尾を振った。パラディンの方はヘクトルに蹴られた怪我はすっかり回復している。
「あれ、パラディン、やけにきらきらした首輪をつけてるね?」
オルフェはラエルに聞いた。
パラディンは銀製だろうか。とても豪華な装飾の首輪をしていた。
「今日頂いたの。このお花と一緒に」
ラエルは少し困ったように微笑みながら言った。
よく見れば華やかな花々はすべてラエルの部屋の方に運ばれている。
「え?誰から?」
パーティではなくこんなにたくさんの花がラエルへのプレゼント?あんなにたくさんの花なら部屋中が花でいっぱいになるだろう。
「ジェイド・ホーソン子爵さまから。ダニエルとヘクトルのお父さまよ」
「なんでまた…。お見舞い?」
「そうなの。それからこの首輪はヘクトルがパラディンに怪我をさせたお詫びですって。私、こんなにたくさんのお花を頂いたのは初めてでどうしたらいいか分からないわ」
よく見ると花は、量は多いが派手ではなく、淡く優しいサーモンピンクやベビーピンク、薔薇は小輪から中輪で花びらが多く可愛らしかった。ラエルのイメージの花でかなりセンスがいい。しかもお見舞いの気遣いで香りを抑えたものだった。
加えて、ラエルがとても可愛がっている小犬まで気遣うとは。
オルフェはまだ早いし、既婚者で親族だが、ジェイドがラエルの求婚者でなくてよかったと思った。
自分がプレゼントした蝶では負ける。
その時、応接室のドアが開き、華やかな金髪の白皙の美青年が現れた。やや長めの金の髪はカールしていて王子のようだった。
「ジェイド伯父さま…」
プレゼントだけではなく本人も来ていたのか。
この人がダニエルの父親?とても17歳の息子がいるようには思えなかった。少なくとも30代半ばのはずだが、外見も雰囲気も若々しく、20代に見えた。
「メアリーの友だちかな?」
優雅にジェイド・ホーソンは微笑んだ。
彼の2人の息子はどちらも美しかったが、緑の瞳以外は似ていなかった。長男ダニエルは叔父のレイモンドに、次男のヘクトルは母のエリザベスに似ていた。
ジェイドは古典的なギリシャ神話の神のような美しさだった。オルフェは後でラエルから太陽神アポロンの再来と言われていると聞いて、大いに納得した。
「伯父さま、こちらはマンスフィールド子爵家のフェリシア嬢。それに子爵家に引き取られたルイ・オルフェさんです。フェリシア、オルフェ、こちらはエリザベス伯母さまのご夫君でいらっしゃるホーソン子爵さまよ」
ラエルが紹介すると、ジェイドは「はじめまして。ジェイド・ホーソンです」とフェリシアの手にキスをして、オルフェとは握手した。
手にキスをしながら宝石のように美しい緑の瞳でまっすぐにフェリシアの目を見つめたので、オルフェ以外目もくれないフェリシアもさすがに赤くなっていた。
いちいち好きでもない相手に雰囲気作るなよ。結婚してるんだろ。
オルフェは心の中で悪態をつく。けれどそれくらいしか批判する所がない。
「長男のダニエルからお二人のことは聞いています。私とも友人になってくれると嬉しいな」
ダニエルのフレンドリーさは父譲りのようだ。
そして「首輪似合うじゃないか」としゃがんでパラディンの頭を撫でる。
オルフェにも握手を求めたし、貴族なのに驕り高ぶることなく、本当に性格が良いようだ。悔しいが魅力的であるのは確かだ。
「ジェイド」
後ろから、やはり応接室から出てきたモンタギュー伯爵が声をかけたので、ジェイドはその場を立ち去った。
やっぱりスーザンが今どこにいるか気になっていらしたのかしら?と、ラエルは思った。
スーザンは伯爵邸を去る時に、自分宛ての手紙が届いても全部処分してほしいと言っていた。きっと既にジェイド宛に行く先は告げずに別れの手紙を書いたのだろう。
それでわざわざこんな豪華なプレゼントを持って、彼女の行方を調べに?
ジェイドの妻、エリザベスがラエルの伯母なだけにその恋は応援できないが、スーザンを本当に好きなんだろうなと思う。彼女に子どもがいることを知ってしまったらどうなるんだろう?
考えている所に、オルフェがラエルの部屋へ花が運ばれていくのをじっと見つめているのに気付いた。
「ピンクのお花もすばらしいけど、私、フェリシアとオルフェが持ってきてくれた蝶々が一番嬉しかったわ」
ジェイドはその日は伯爵邸に泊ることになった。
ラエルは夕食の席でさり気なくスーザンの話題を振られた。
「そういえばメアリーの専属メイドは変わったようだね」
「ええ」
スーザンは居場所をしられたくないようだし、なんとかごまかせるだろうか?
「ずっと家のメアリーに付いていてくれたスーザンはメアリー・オクタヴィアに引き抜かれてしまったんです」
にっこりと微笑んだ母がばらしてしまった。
「オクタヴィアの侍女ですって。メアリーがもう少し成長したらメイドではなく侍女と思っていたのだけど残念だわ。メアリーはスーザンからお手紙を貰ったのよね?」
「ええ」
母は随分と饒舌だった。
「スーザンに手紙を貰ったのか?」
父の方が聞いてきた。
「ええ。向こうで元気にしていますって。毎日私の怪我が早くよくなるようにとお祈りしていると。伯母さまのお家には真っ黒な可愛いテリアがいて、手紙にそのテリアと立派な口髭の執事さんの絵を添えてくれたんです」
「絵か。後で見てみたいな」
父は楽しそうだった。
「スーザン、絵は苦手みたいです」
「それはますます見たいな」
父と娘は楽しそうに笑い合った。
ジェイドは黙っていた。手紙についてラエルに振った母も。
2人は気付いているのだろうか。父がスーザンに好意を抱いていたことを。
* * * * * * *
ジェイド・ホーソンは翌日朝一番の列車で首都ドルトンに向かい、メアリー・オクタヴィアの屋敷に向かった。
一応はラエルから預かったスーザン宛の手紙を届けるという名目があった。
ラエルにはドルトンに行く用事がるから、もしよければスーザン宛の手紙を持っていくよと言って、少々無理があるかとは思ったが、あっさりラエルは手紙を渡してくれた。
スーザンの娘エメラルドはレディ・メアリー・オクタヴィアの屋敷に母と住むようになり、今度はきちんとした学校にも行かせてもらうことになった。
エメラルドをスラップストン慈善学園に迎えに来たのは母スーザンだけでなく、雇用主であるレディ・メアリーも一緒だった。
伯爵令嬢の訪問に、学園長に学園経営者で意地の悪いウィンボーン氏まで丁重に迎えたが、エメラルドを含めた生徒たちがやせ細り顔色の悪い様子に、2人はただならぬものを感じ、屋敷に着くとエメラルドにおいしいケーキを出しお温かいお茶を飲ませて話しを聞いた。母は何も知らずに学校の手配を姉に任せたことをエメラルドに泣いて謝り、レディは独自に学園の実情を探り始めた。
新しく通う学校はレディが探してくれた。レディには感謝してもしきれず、できるだけ彼女の役に立ちたかった。
その日はレディが注文した帽子が届く予定だった。
呼び鈴が鳴り、エメラルドは老執事のウィルクスより早くドアにたどり着くと開けた。
「いらっしゃいませ!」
そこには帽子屋ではなく、マントを来た背の高い紳士がいた。深く被ったシルクハットで顔は見えなかった。
彼は思いがけず幼い少女が出てきて驚いているようだった。
「申し訳ございません。旦那さま。レディ・モンタギューとお約束ですか?ただいま執事を呼んで参ります」
エメラルドは素早くお辞儀をして、その場を後にしようとした。
「待って。君」
その紳士がエメラルドを呼び止めた。
「君はいったい誰なんだ?」
エメラルドは振り返った。言葉使い、物腰も洗練されていて、怪しい人ではない。言っても大丈夫よね。
「わたくしはエメラルド・ジョーンズと申します。母がこのお屋敷で侍女をしております」
「ジョーンズ?もしかして君はスーザンの子どもなのか?」
「はい。スーザン・ジョーンズは母です」
お母さんを知っている人?
「まさかそんな…」
言いながら紳士はシルクハットをとり、エメラルドに初めて顔を見せた。
「あっ…」
エメラルドは息を呑んだ。自分と同じ大きな緑の瞳、同じカールした濃い金髪、鼻筋の通った白い美しい顔立ちは自分とそっくりだった。
「まだ名乗ってなかったね。私はジェイド・ホーソン。レディ・モンタギューではなく、君のお母さんを訪ねてきた」




