38.蝶
祖母が亡くなった時、メアリー・ラファエルは私が憑依する前の2歳で、彼女の記憶を遡っても、さすがにその頃のものは全くなかった。それでも私は言った。
「嵐の晩に玄関のドアが開いていたら鍵をかけるでしょう?屋敷の誰か外の様子を見に外に出ることもあるでしょう?それで締め出されたら、ドアをノックすることも窓を叩くこともできたはずです。それに病弱だったラファエル叔父様が嵐の晩に外に出ることなんてなかったでしょう?」
「そうね…。私があの子と一緒にいた時間は短かったけれど、嵐の時はむしろ雷の光や音を怖がる子だったわ。もし嵐の中を探しにいったら、あんなに傍にいたのに理解していなかったのね」
そして伯母は深い溜息をつくと言った。
「メアリー・ラファエル、あなた、本当に12歳なの?」
ダニエルに続き年齢について言われるのは2度目だった。
前世の30歳と今世の12歳をたせば、私はちょうどオクタヴィア伯母と同じ42 歳だった。
「不思議ね。生涯言わないと思ったことをこんなに話すなんて」
そう言って伯母は話しを続けた。
「母が弟を恋人のように愛していたことは分かっていたし、失って次第におかしくなっていったことも知っているわ。でも、あなたが生まれて、母と弟の名を取ってメアリー・ラファエルと名付けられてからはかなり明るさを取り戻したのよ。あなたは赤ん坊の頃のラファエルに似ていた。いや、似ていると母はすっかり思い込んでいた」
ダニエルが今度生まれるきょうだいと18年違いになる。ちょうど父のジェイド伯父が初めて父になった18歳と同じ年だと言っていたが、オクタヴィア伯母とラファエル叔父の年の差は16年、やはり祖母が初めて母となった16歳と同じ年だった。
「あなたが生まれた時、ちょうど私は伯爵家に戻っていた。レイモンドもアンも天使を授かったと喜んでいたわ。レイモンドはラファエルを亡くしてから魂が抜けたような母に少しでも元気になってもらえるように、母にあなたを抱かせると、名前はメアリー・ラファエルですよと言った。母は嬉しそうにあなたに頬ずりした。正気に戻ったように見えた。でもレイモンドに言ったの。かわいい娘を持ったあなたが羨ましい。私もずっと娘がほしかったと」
私は息を呑んだ。
「伯母さまはその場にいらしたのですか?」
「ええ、いたわ。いなければ誰も私にこんなことは言わなかったでしょう。レイモンドは慌てたわ。それは自分が生まれて以降のことですよねと母に言った。モンタギュー家はレイモンド、ラファエルと男の子が続いたから。母は自分が言ったことを忘れたように、ただあなたをそっと揺すって話しかけていた」
そして最後にオクタヴィア伯母は言った。
「エリザベスがいなくてよかったわ」
メアリーが生まれる6年前にエリザベス伯母はホーソン家に嫁いでいた。それにしても2人も娘がいたのにその頃の祖母は病んでいたとはいえ、あまりに残酷だ。
「まあ、母にとって、私は母の言うかわいい娘に思えなかったのでしょうね。16歳で産んで、あとは乳母任せだったし。でも、母も気の毒だったのよ」
そして次に続く言葉はさすがに迷ったらしく、少し置いて、また話し始めた。
「結婚前から父には恋人がいたの。伯爵家のメイドで幼馴染。結婚の少し前に親族たちによって、彼女は伯爵家から暇を出された。でも私が生まれた後に、また仲が復活したの」
祖父と祖母の仲は上手くいかなかったのだろう。2番目の子であるエリザベス伯母が生まれるのはオクタヴィア伯母が生まれてから7年後だった。
「父はその元メイド、リズをとても愛していて、家を与えたわ。2人の関係は彼女が出産で命を落とすまで続いた」
「え?私にはもう1人伯父さまか伯母さまがいらっしゃるのですか?」
そんなことは聞いたことがなかった。
けれどオクタヴィア伯母は首を振った。
「当時私は7歳で、その時の記憶があるって嫌ね」
「その子どもがエリザベスよ。生まれてすぐに引き取られ、母の子として育てられた。しかもリズの本名であるエリザベスなんて名付けて。まあ親族にもエリザベスはいたけど。母がどんな条件を出したのかは見当がつくわ。翌年レイモンドが生まれた」
オクタヴィア伯母はようやく立ち上がった。
「その時の使用人は全員入れ替えられた。だからそのことを知っているのはもう私だけ。親族たちだって知らない。エリザベスもレイモンドもね」
そして悲しそうに微笑んだ。
「あなたの家庭教師は準男爵家出身なのよね。それなのにエリザベスは使用人と食事を一緒にしたくないって。本当に何も知らないのだと改めて分かったわ」
「賢いメアリー・ラファエル、スーザンの恋人が誰か、本当に分からないの?」
私は仕方なく答えた。
「ジェイド伯父さまでしょうか?」
「エリザベスはジェイドに愛人がいることは知っているわ。数か月前に会った時に私に泣きながらぶちまけたから。ジェイドは絶えずいろんな女性と噂があったから、スーザンのことは関係のある女性の1人だと思っていて、子どもがいることまでは知らないようよ。エリザベスは子どもさえいれば夫を繋ぎとめられると思ったのね。ヘクトルも今回の子どもも。皮肉よね。血のつながらない母と同じようなことをしている。妊娠のことは、本当は少し前から知っていた。でも、わざとスーザンに体調が悪いからと医者を呼びにやらせたの」
「スーザンは伯母さまの所で娘さんと一緒に暮らせるって言っていました」
「お母さまのこと、黙ってくれたんだもの。それくらいするわ」
伯母はそういうと私の部屋から出ていった。
全部本当のことだろうか?
オクタヴィア伯母なので間違いはないだろう。
それにしても…。
皮肉よね。と伯母のように心の中で呟いた。
祖母の自慢の長男であった父は、祖父と同じように、メイドであるスーザンに惹かれている。
スーザンとジェイド伯父の関係が今どうなっているかは知らない。
けれど父が今回、そして過去にスーザンのためにしたことで、彼女は明らかに父に惹かれ始めているようだった。だからこそこの家を出ていかなくてはならないのだろう。
* * * * * * *
早朝、私を起こしにメイドのヘザーが静かに私の部屋の扉を叩いた。
スーザンが伯爵邸から去り、若く美人でルマーニュ語も堪能なヘザーが私の専属メイドになった。元々出世欲の高かった彼女ははりきっている。
とっくに目を覚ましていた私は扉に向かって言った。
「ヘザー?静かに。静かに入ってきて」
ヘザーがそっと入ってきた。
「まあ!お嬢さま、お起きになってよろしいのですか?」
私は机に置いた5つの小瓶を椅子に座って見ていた。
怪我をしてから10日ほどで、松葉杖で普通に歩けるようになっていたが、屋敷の殆どが心配症だった。
「ヘザー、静かに」
唇に人差し指をあてた。
「まあ…」
ヘザーも小瓶を見て感嘆の声をあげた。
「ミス・ゴドウィンが起きているようだったら呼んできて」
オルフェからの贈り物、20個の小瓶に入った枝付きの蝶の蛹たちの数頭が今朝羽化し始めた。
カーテン越しに外が明るくなり始め、微かな気配を感じた。
オルフェとフェリシアが蛹の小瓶を持ってきてくれてから6日目の朝だった。
起き上がって松葉杖で立ち上がり、一つ一つの小瓶を確かめた。
一つの蛹から少し蝶の頭らしきものが出てきた。慌てて布の蓋を取った。
少し時間を置くと他の小瓶からも変化が出てきた。
机に並べて少しずつ変化を楽しんでいた所、ヘザーが来たのだ。
ミス・ゴドウィンはすぐに部屋に来てくれた。
「まあ。私、蝶の羽化を見るのは初めてです」
「どんな蝶になるのかしら?もう少ししたらデッドロック館にも使いを送るわ」
1時間ほどしてオルフェとフェリシアが私の部屋に飛び込んで来た。
「わあ!」
2人が歓声をあげた。
青い2頭の蝶が私の両手の指にとまっていた。
他にも1頭の白い蝶が部屋を飛び回っていた。
「この蝶々、ラエルのことをお母さんだと思ってるのかしら?」
フェリシアが近付いてきた。
「小鳥の雛じゃないから違うと思うけどなんだかそう見えるな」
オルフェが嬉しそうに言った。
「ラエルと友だちになろうとして来た妖精みたいだ」
青い蝶が私の手から飛び立った。
「なんて綺麗なの!」
「見て。もうすぐ羽を広げそうな子もいるの!」
私は机の上の二つの小瓶を見せた。
「黄色のアゲハだわ。すてき!あたしの指にもとまってくれるかしら?」
羽を広げたアゲハ蝶はフェリシアの指にもとまった。
「かわいい!きれい!」
両親と兄のオズワルド、数人のメイドたちも見に来た。
みんなが歓声をあげた。
「これはすばらしいな」
「なんてきれいなの!」
私はフェリシア、そしてオルフェの頬にキスをした。
「とてもすてきな贈り物をありがとう!私とても幸せだわ」
5羽の蝶はしばらく楽しんだ後、窓から放した。
そしてフェリシアは自分も羽化を見たいとその夜は家に泊っていき、私のベッドで一緒に眠った。翌朝早くオルフェも来て、また蝶が飛んでいくのを楽しんだ。
何頭かは羽化できなかった蝶もいたけれど、羽化できた蝶は全て送り出した。
幸せな3日間だった。
スーザンにも蝶を見せたかったな。
もう少しここにいたいと言っていたダニエルにも。
その夜、私はまた本来のメアリー・ラファエルの夢を見た。
私は、いやメアリーはデッドロック館にいた。ということは結婚してからのできごとだろう。
メアリーは少年の頃オルフェが使っていた部屋にいた。
なぜ?そう少し前にフェリシアが訪ねてきたのだ。その情景が一部分だけ現れた。
玄関で執事のジャクスンと話しているフェリシアを見かけたので、メアリーは2人に近付いた。
「ルイなら今いないわ。ホレスと一緒に村へ行ったの」
「いいのよ。いないと思って来たんだから。メアリー、あたしはあなたに会いに来たの」
メアリーはその日は1日、吐き気がして気分が悪かった。だから本当は話す気分ではなかったけれど彼女を家に、かつての彼女の家で今は自分の家に、彼女を入れた。
2人でどんな話をしたのだろう?
その部分は夢にはなかった。
いつの間にかメアリーは子どもの頃のルイ・オルフェの部屋にいた。そして彼のベッドに腰をかけ、今世では私がオルフェから貰った植物図譜を見ていた。
彼女はぼんやりと一つのページを開いたままだったが、私は内容を知っている。
オルフェによるたくさんの書き込み、絵画、そしてフェリシアと一緒に過ごした楽しい日々の日記。
本の上を小さな影が通り過ぎたので、メアリーは窓の方を見た。
影は一頭の大きな黒いアゲハ蝶だった。
メアリーは立ち上がり、窓の外を見た。
門からやや離れた所に、モンタギュー伯爵家の馬車がとまっていた。
フェリシアはすぐに帰ったわけでないようだ。
フェリシアは馬車の前で、村から戻ってきたらしいルイ・オルフェと話していた。
自分の体でないにも関わらず、胸がむかむかした。
2人はキスを交わした。
メアリーはカーテンを握りしめた。彼女の気持ちが伝わってくる。彼女は見ているものが信じられなかった。
けれど2人は3度キスをしたので、彼女も現実だと分かった。
窓の近くを再び黒い蝶が舞っていた。
1頭ではなく2頭、絡み合うように寄り添って飛んでいた。番なのであろう。
見ていたくなくてメアリーはカーテンを引いた。




