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幕間 帝国の思惑

 桃色の巻き髪が目の前で揺れている。

 つまらない日常に紛れ込むひと時の癒しを求め、男は視界の中央で見え隠れする真っ白な耳たぶを見つめていた。

 やけに美味しそうに見えるのはなぜだろう?


 試しに、お高そうなイヤリングごと食いついてみる。すると、女の甲高い声が部屋中に響き渡った。煩いのは頂けない。このまま食いちぎってしまったら面白いかな? と夢想してみるが、やはり後が面倒だった。

 仕方がないと思い直した男は片腕で女を抱え上げ、彼女のうなじにそっと針を打つ。

 

 己が帝国の権力者に抱き締められているのだという都合の良い解釈を下した女は、そんな行為には一切気付かず、ものの数秒で気を失ってしまった。

 やはり貴族女の相手は楽しくないなと、背後の視線は冷え切っているのだが、世間知らずの箱入り娘には知る由もないことだった。

 

 執務室のデスク周りは無駄に暴れるご令嬢のせいで惨憺たる有様である。


「愛してるよ……えっと、あれ? 誰だっけな……ねぇ、サリエラ、この子どこの子だっけ?」


 男は気を失ったままの女ではなく、室内の天井に向けて言葉を放った。その手は相手を助け起こすべきかどうか悩んでいる節さえある。


「……昨夜の晩餐会でお連れになられた、ワーグナー家のご令嬢かと」


 サリエラと呼ばれた“影”が答えた。


「あー、わかった。この春から侍女として登用される子爵んちの子だ」


 俺の駒なら大事に躾ないといけないね、と侍女候補の女性を長椅子へと運んだ男は、己の痕跡をわざと残そうとしている。

 

 そして、天井の“影”に対し指先だけで命令を下すと、どこからともなく現れた古式ゆかしいメイド服姿の女が2人の身支度を手際良く整え、その周囲を余念なく片付けていく。


「あ、そういえばお母さん亡くなったんだっけ? ご愁傷様」


 ご令嬢宛のメッセージカードをストックボックスから選びつつ、男は銀髪赤眼のメイドに向かい気安くお悔やみを述べてみる。

 メイドは不遜にも儀礼さえ返さず、ガウン姿のままの男を睨み付けると、カードを奪い取り隣室へと向かっていった。体格的にも差がないはずの貴族令嬢を軽々と抱き上げる様が頼もしい。


 ものの数分で任務を完了させてきたメイドが男の元へと戻ると、彼は長椅子に寝転がりながら謝罪した。


「ごめん。逆鱗に触れる気はなかったんだ。むしろ、お祝いに誘うのがマナーだったよね……俺としたことがうっかり!」


 百戦錬磨の女たらしは悪びれるでもなく、飾り立てるでもなく、心からの言葉で詫びのポーズを取っている。


「閣下。おふざけもいい加減になさって下さい」


 メイドは美しく輝くストレートな銀髪をさらりと靡かせている。頬にかかる程度のボブは、帝国貴族には縁遠い髪型だったが、そこが却って男を煽り、惹きつけるだろうことを本人は知らない。


 不屈の闘志を宿す赤い瞳は、元々は澄み渡る青であったが、祖国に反旗を翻し、数多の責苦をその身に浴び続けた結果、苦痛に歪み変容してしまったものだった。

 彼女はそれを鏡に映すたび、故郷に残してきた弟を思い出してしまう。


「母は……いえ、大司教は、この程度で死ぬことはまずないと言っていいでしょう。伊達に千年もの時を生きてはいませんから」


 サリエラと呼ばれたメイド――神聖光国に巣食う呪いの血族がひとり、本名ザフォリオーネは、あの大司教ジェルディオーネの実の娘であり、実弟ヴェリウスに救われたもう1人の人間でもあった。


「ドンランからの情報に間違いはないと思うけど?」

「殺して死ぬような相手なら、私が閣下に買われてまで、ここに居る必要はないでしょう」

「それは流石に人聞きが悪い」

「申し訳ありません。まさか、栄えある帝国の宰相閣下ともあろう御方が、自ら法を破られるとは思っておりませんでしたので」


 と、ようやく儀礼を取ってみせた。


 ボサボサの金髪を掻き上げ、真っ裸に近い格好のまま、自身の執務室で悪さばかりしているこの男――ラズニカ帝国宰相オルフィアス・バーコウは、現皇帝アズファイドが直々に指名したという平民出身の星でもあった。


「奴隷出身のロクセラ妃のためだけに作った法律だからね、期間限定でしょ、あれは」


 甘言を駆使して制定させた張本人がこれである。

 ハレムの女たちを自身の派閥で埋めようと腐心する貴族間のパワーバランスを整えるため、たまたま紛れ込ませ献上した何の変哲もない奴隷女を、まさかここまで気に入るとは想像だにしていなかったのだ。

 当時口にした苦し紛れの渾身のフォローが奴隷解放を生み、こうして部下の口から皮肉られる日が来ようとは……。


 思い起こせば小姓時代のオルフィアスは、皇帝の身の回りの面倒ばかり見ていた。端的に言ってしまうならば、皇帝に当てがわれるハレムの女全員を見分し、見繕うのが役目だったのだ。

 当然、そこには政治的駆け引きが存在するし、刺客やスパイの発見にも気を配らねばならなかった。そして、何よりも重視しなければならないこと――それは、種の混交である。

 故に彼は、ある毒を皇帝の手により賜っている。


「どうせ次の王位継承戦じゃ俺は生き残れないし、生憎と子孫も残せないんでね、ぜーんぶ終わり。俺で終わり。だから、つまんない」

 

 皇帝からの信頼はこの毒なしに勝ち得るものではなかった。いつの世にも宦官はいたし、職そのものを辞する選択肢もあるにはあったが、女ウケの良い顔を活かせと皇帝自らのご所望であったのだ。

 ハレムの毒見役と蔑む貴族は多かったが、平民が成り上がれる機会は少ない。彼は進んで毒を受け入れ、地位を築き、あらゆる小鳥を引っかけては一夜限りの夢を見せ、帝国国内の情勢をほぼ正確に把握するに至っているのである。

 

 しかし、この犠牲は彼の心身に対し仄暗い感情を植え付けてしまっていた。

 皇帝は今も彼を重用し続けているが、度が過ぎる暗躍については何も知らない。


「5人の継承者たちのうち、誰が継いだところで俺の居場所はなさそうだけど、引っ掻き回す楽しみくらいは味合わっててもバチは当たらないと思うんだ」


 常々そう考えていたオルフィアスは、神聖光国人であるサリエラを裏市で見つけるや否や、即座に買い上げ居場所を与え、奴隷としてではなく協力者として側に置くことにしたのだった。


 と言っても、当初は光国の情報さえ落ちれば構わないとばかりに、適当に遊び捨てようとしていたのだが、そう上手く事は運ばなかった。

 サリエラは理想的かつ女性的魅力に満ち溢れているが、同時に類稀なる力を秘めてもいた。

 彼女は母の狙い通り、見事、魔兵へと成長を果たしていたのだった。

 

 腹に宿した黒い痣――ミュレイスの魔核は、彼女の逃亡を長きに渡り助け続け、今も尚絶大な力を供給し続けている。

 秀でた剣技や火魔法は彼女の努力の賜物でもあったが、祖国への憎悪に魔核が呼応しなかったとは言い難い。


 当然、オルフィアスの手に負える相手ではなかった。

 2人は冷静かつ、理性的な協議の結果、この関係に落ち着いた。彼女は弟を祖国から救い出すためだけにメイド姿を受け入れ、宰相はそのお膳立てに一役買うことを約束した。


「運良く1人片付いたと思ったのになぁ。んでも? まぁ? 蘇生期間中くらいはゆっくり出来る感じ?」


 猶予はあるんだよね?

 と確認する上司に対しメイドは答える。


「実は、そうも言っていられません。恩寵の管理が行き届いている場合、最悪、弟を犠牲にする可能性もあります」

「相変わらず趣味が悪い国だな。安定してるリソースを壊してまで急ぐような事態でもないでしょ……例えば、俺たちが動くようなことでもない限りは、ね」


 空気が熱を帯び殺気がぶつけられる。

 真面目な子はこれだから、と宰相は肩をすくめてみせる。


「いやいやいや、冗談です、冗談。ほら、次の任務をあげるから、先にこっちに行っといで」

「……またメイドですか?」

「そう。ドンラン家のご息女専属のメイドだよ? 面白そうでしょ?」


 あ、その髪は染めてってねーと呑気に宣う中年上司に対しサリエラは詰め寄った。まだ昼寝を決め込まれるには些か問題があり過ぎる。


「殺しですか?」

「とりあえず監視」

「光国よりも先にこちらを?」

「うん」

「なぜ私が。既に何人もスパイを飼ってらっしゃるのでは?」

「最近さ、うちの貴族に光国が接近してきてんだよね。寝返りのお誘いってやつ?」

「回復魔法や蘇生をちらつかせるんでしょう」

「そう、それ。万に一つ、最愛の皇妃サマにもしもがあれば、うちでも折れかねないと思わん?」

「バリュノアにも同じことが?」

「ドンラン家ならララフォードが狙い目だと俺は思うね。アールハート家は、まぁほっといても途絶えるから放置かな。俺がわざわざ毒まで仕込んで潰したんだから」

「接触者を割り出します」

「よろしい。場合によっては泳がせるから指示を待つこと。いいね? バリュノアを落とされると正直うちも厳しい。ある意味、この戦争の前線とも言えるよ」

「留意事項は」

「バリュノアを帝国傘下に収められたら、念願の開戦だ。どうだい? 嬉しいだろう? そのためには、ドンランにもアールハートにも消えてもらわないといけない。だからといって、自分で殺すのはやめてくれよ? ひとつの国をまるごと引き摺り込むんだ。手を下すのは光国か、光国に擦り付けられる状況が必要ってこと。あとは現場判断に任せるよ」


 さて、君はちゃんと待てが出来る子かな?

 お手並み拝見だね。

 と独りごちた平民の星は優雅な午睡を開始した。

 

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