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27話 スミレの柩

 フェルデールが扉を開くと、そこは夜だった。

 ジェルディオーネは先ほどと同じ位置で微笑んでいたが、なぜだか法衣を着ていない。代わりに白い肌着のような薄布だけをまとっている。髪も短く切り揃えられていて、花冠まで被っている。

 

 辺りは一面のスミレ畑に変わっていた。

 青白く輝く花々を風が揺らすと、優しげな香りが鼻腔をくすぐった。


「ヴェルティルオス様」


 大司教が……否、まだ少女のジェルディオーネが語りかけてくる。


「わたしの愛をどうか、拒否なさらないで下さい」


 伏目がちにこちらへと向かってくる。

 するとフェルデールの背後から声が聞こえた。


「……嫌だ。もう嫌だ!」


 振り返ると、そこには金髪の男がいた。

 美しさと逞しさ、そして誠実さを絵に描いたようなその姿は、いつかの日に見た光神の彫像に似ている気がした。

 男は抜身の剣を携え、肩でぜえぜえと息をしている。


 男の向こう側には、なだらかな丘陵が広がっている。スミレは地平線の彼方まで埋め尽くしかねない勢いだ。

 開け放していたはずの扉は見当たらない。


「どうかそんなことおっしゃらずに、ね?」


 愛し合いましょう?

 と更に踏み込んで来る女に対し、剣を突きつける男。近付くなと警告を発しているのだ。

 2人にはフェルデールが見えていないようだった。


「ジェルディ、もうこれ以上私に構わないでくれ」

「わたしたち、これから夫婦になるのよ?」

「ああ……そのつもりだった。だが私が間違えていたんだ……」

「どうしてそんな悲しいことをおっしゃるの? 誰よりも愛していると、わたしを選んでくれたじゃない?」

「否、それは、違う……それこそが私の思い違いだったのだ。あの時の私は、私ではなかった……」


 男はふらつきながら丘陵の方へと進んでいく。

 少女はその背をひたと追い続けた。


「私は…….このままでは帰れなくなると警告してくれた友を裏切ってしまった。責務から逃れられると、そう信じ、邪魔をするなと追い返してしまったのだ。今ならわかる。友の忠告こそが真実であったと」


 慚愧の涙が花を濡らしたが、男は決意を胸に少女に対峙した。


「たとえあやつが許してくれなくとも、私はもうここに居ることは出来ない。人の子よ、我々に頼るばかりではいけないのだ。それでは世界の均衡が……」

「いいえ。ヴェルティルオス様はここに居て下さらないと。世界よりも愛を取ると、お約束してくれたではありませんか」

「ああ、だから、それが間違いだったのだ。私はこれより友に慈悲を請い、ここを発つ」

「……それは、残念です。わたしの愛が通じないだなんて……でも、きっとまたここに残りたくなりますわ。そして必ず、わたしを愛することになりますの」


 女の花冠が風に巻き上げられ、天高く昇っていく。


「だって、ほら、よくご覧になって?」


 風の悪戯は真実を暴いていく。

 スミレの下に眠るのは土だけではなかった。

 朽ちた鱗はすっかりと茶に染まり、剥き出しになってしまった骨は煤けてしまっている。丘陵だと思われた大地の隆起は、痛ましいドラゴンの亡骸だった。


「あなたのお友達は、もう2度と飛べませんわね」

「ミュレイス……? ミュレイスなのか? これはお前がやったのか!」

「とっても可愛いらしい御方でしたわ。そして、とっても愚かでした。己の命よりも友を選ぶんですもの、びっくりしました」

「私より強いこいつがそう簡単に死ぬわけがないだろう!」

「ええ、わたしもてっきり諦めて帰られるものだとばかり……ですから、これは事故なのです」


 少女はドラゴンの足元を指差している。

 そこには魔法陣の前段階に当たる呪術的シンボルが描かれていた。


「愚かなドラゴンは、この花畑の下に眠る一族の秘密に気が付いてしまったのです。我々は代々、この地方の祭祀を司って参りましたが、ヴェルティルオス様が来られる以前は、それはそれは厳しい世界でした。作物は育たず、人々は飢え、病を前にしたとてなす術もなく、ただ皆が死んでいくのを見守ることしか出来ない瑣末な墓守に過ぎなかったのです」


 少女の言葉に耳を傾け続ける男の表情は、先ほどとはまた違う曇り方をしていた。


「ですから当初は、南の諸外国の助けを借りるべく、我々はありとあらゆる策を練っていたのです。まさか神様に通じるとは思いませんでしたけれど……」

「何度も言っているが、私は神などではない」

「ええ、きっとそうなのでしょうね。ただ、我々にとっては、やはり希望の存在であることには変わりません。ですから、我々はあなた様を呪ったのです」

「呪うだと?」

「ええ、あなたの正気を奪うために仕掛けたこの呪いは、一族の長老自らが犠牲となって成就されたものなのです」

「なんだと……?」

「命懸けの呪術を解除するために必要なものもまた命……けれど残念ですわね。あなたのお友達は1人しかいないようですけれど、我々一族は悲願のためならば手段は選ばないし、選べもしないのです」


 男は少女から距離を置こうとするが、動きが鈍い。


「逃げても無駄ですよ。何せこの花畑中に仕掛けてありますからね。何度だって呪って差し上げます。そして、男であろうと女であろうと、あなた様が気に入るものは、なんだって献上致しますわ。ね? 覚えておいででしょう? とてもお気に召してらっしゃったものね?」


 さぁ、諦めてお家に帰りましょう?

 ジェルディオーネは男を絡め取るかのように追い詰め、抱き寄せようとしている。

 しかし、男はそれを突き飛ばした。

 そしてドラゴンの亡骸に縋り付くと、蘇生魔法を試みる。だが効かない。


「あら? ご存知ありませんでした? 呪いによって落命した場合、蘇生魔法は効かないようなんですの。さぁ、もうそろそろ新たな呪いが完成する頃ですわ。もうあなたのために死んでくれる人間もいないでしょうし……」

「待て、ミュレイスだけじゃないのか?」

「ええ、昨夜も1人愚かな女が死にましたわ」


 わなわなと震える男の足は、その意に反して少女の方へと向かおうとしている。

 

「もはや、これ以上の罪は許されまい……邪悪なる一族よ、いかに聖なる力を宿そうとも、悪は悪でしかないのだ。夢々忘れるなかれ。光もまた悪となる時が来た」


 光神は剣を心の臓へと捧げた。

 後に残ったのは真っ赤に染まったスミレの花と、狂った女が1人きり。


 フェルデールは、吹き荒ぶ風に紛れるようにして放たれた光神最後の言葉を聞き取っていた。


 《光よ、呪いの焔の、贄となれ》

 

 魔核の見せる夢はここで終わった。

 そして今、フェルデールの前には、迫り来る無数のイバラを前にして固く目を閉じているララフォードがいた。


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