百四十六駅目 橋を渡るまで
「すごいな……」
橋のたもとについた誠斗は改めて感嘆の声を上げる。
日本……というよりも地球ではまず見ることはできないであろう眼鏡橋はその長さゆえに橋の終点をしっかりとは確認できない。
「お兄さんたちもこの橋を渡るの? 渡るんだったら待機所に入ってね」
橋を呆然と見つめている誠斗の背後から幼い少女を思わせるような声が聞こえてくる。
その声がした方へ振り向くと、後頭部で一本にまとめられた緑髪が目を引く青い目をした少女が小さく首をかしげながら立っていた。状況から考えて、誠斗に声をかけたのは彼女だろう。
「えっと……待機所っていうと?」
「……もしかしなくてもお兄さんたちはここに来るの初めて? 多いんだよね。今日は」
「えっと……初めてであってるけど……」
誠斗は続けて、“多いってどういうこと?”と聞きかけて、自分たちがこの場所に来た理由を思い出す。間違いなく、う回路としてこの道を選び、初めてこの場所を訪れる人が多いのだろう。
「そう。だったら説明しておくけれど、この橋は見ての通り、とても狭いの。だから、時間で通行できる方向が決められているのよ。そういうわけだから、この橋の近くに橋を渡りたい人たちが待機をするための待機所が設けられてるわ。案内してあげるからついてきて頂戴」
見た目こそノノンとあまり変わらない幼い少女だが、その口調はしっかりとしており、立ち振る舞いも堂々としている。
それでいて、ところどころ年相応の子供のような笑みを浮かべるあたり、どこかの誰かに似ている気もしなくはない。
「ほら、さっきも言った通り今日は忙しいの。早くついてきてくれる?」
「えっあぁすいません」
少女の鋭い視線に後押しされ、誠斗は彼女の背中を追いかけるような形で歩き出す。
「まぁそれにしても、タイミングが悪かったみたいね。渡れない時間に来ちゃうなんて」
「……よくある話よ。あぁ一応説明しておくと、基本的には午前中が対岸からこちらへ向けての通行、午後がこちらから対岸への通行になっていて、陽が出ていないときは通行止めになってるの。だから、あなた達には午後になるまで待機所で待ってもらうことになるわ。最も、午前中ギリギリになってから渡り始めた人なんかがいると、その通行が終わるまでその一団が渡り終わるまで待たないといけないけれどね……と、ここが待機所よ」
少女の説明を受けているうちに一行は待機所に到着する。
石造りで二階建ての建物の扉を開けると、大きなホールとなっていて、ホールの端には飲食店まで併設されている。吹き抜けになっている場所から二階を見上げてみると、たくさんの扉が並んでいて、その扉にはすべて番号が振ってあるように見せる。
おそらく、タイミング次第では待機所で一夜過ごすことになるということを考慮し、二階が宿屋、一階が待合室兼飲食店という形をとっているのだろう。
「それでは私はここで……」
「……ねぇ君。名前を聞いてもいい?」
説明を終えて去っていく少女に思わず誠斗は声をかけた。
名前を聞けば、あったことのある人物かどうかはっきりとする。そんな考えからの質問だ。
「……私ですか? 私はマノ……とあぁいや……えっと……」
「マノさんですか?」
「えっあぁはい。私はマノと申します。ここの待機所の職員ですので他にご不明点があればどうぞお気軽に。ただ、私は忙しいのでできればほかの職員にお願いしたいところですけれど……それでは私はここで」
マノ。そう名乗ったのちに立ち去っていく少女の背中を見て、誠斗はようやく理解した。
緑髪をポニーテールでまとめているその姿は自分がよく知る妖精にそっくりだ。
しかし、普通に考えれば、失踪中とはいえ彼女がシャルロの森から離れているこんな場所にいるはずがないし、自分と遭遇したときのかなり事務的……というよりも無感情なやり取りからして、彼女は似ているだけの他人であって、マノン本人だということはあり得ないだろう。
「マコトーあの娘が気になるのですかー?」
そんな誠斗の様子を見て少なからず疑問を抱いたらしいオリーブが声をかける。
「……いや、ちょっと知り合いに似ている気がしたから……でも、別人だったみたい。じゃなかったら、もうすこしいろいろ会話があるだろうし」
「まぁそうでしょうねー相手の立ち振る舞いは仕事中に旧知の仲の人間を発見したというよりはなぜか名前まで聞いてくる面倒な客を相手にしたかわいそうな女の子ぐらいしか見えませんからねー下手したらーマノっていう名前もごまかすためにとっさに思いついたものかもしれませんよー」
「まさか、そこまでされるようなことをした覚えはないけれどね。あっちは待機所の職員でこっちは表向き単なる旅人。それにこっちはう回路として偶然選んだ道ときた。となると、この場限りの出会いだと考えるのが普通だと思うけれど?」
「いやいやぁ相手からしたらーこっちが何者かなんてわからないのですよーだからー唐突に名前を聞かれたら警戒する可能性は否定しきれないのですよー」
どういうわけか、楽し気に誠斗の表情を観察しているオリーブを前にして、誠斗はちいさく息を吐く。彼女が言う通り、相手が名前をごまかしているということまではさすがにないだろうが、警戒はされたかもしれない。
「まぁこれぐらいならよくある話だと思いますけれどねー」
最後にそんなことを言い残して、オリーブはホールの人ごみの中へと消えていった。
*
橋が通れるようになるまでの約二時間。
一行はホールのそれぞれの場所で思い思いの時間を過ごしていた。
誠斗はホールの中央付近に置いてある椅子に腰かけ、休息をとるとともにこの先にある町についての情報を確認し、ノノンはリュックから顔を出して背中越しに誠斗の手元を覗き込んでいる。
ココットはホールの奥にある食堂で食事を楽しんでいて、オリーブは窓際に立って橋の様子を眺めていた。
「皆さま。準備が出来ましたのでこれより、馬車での移動の肩を優先して橋の通行が可能になります。馬車でご移動の方は橋の前まで移動してください」
ホールの入り口からマノの声が響いたのはちょうどそんな時だった。
その声に呼応するようにホールは一気に騒がしくなる。荷物をまとめる旅人、集合するように号令をかける行商団、慌てて代金の支払いを始める食堂の客とそれに応じる店員たち……誰しもが移動の準備を始める中、誠斗たちも荷物をまとめ、あらかじめ四人で決めてあった場所に集まる。
「ようやくですね」
意外にも最初に口を開いたのは食堂でこのあたりの郷土料理を堪能していたココットだ。いかにも満足げな表情を浮かべているあたり、ここの食堂の料理は結構おいしかったのかもしれない。
「そうね。結構な遠回りになっちゃったけれど、なんだかんだ有意義な時間が過ごせたかもしれないわね」
それに対して、ノノンもまたどこか楽し気な笑みを浮かべて応答する。
「さて、それじゃ出発しようか」
「えぇ。今度こそ川を越えましょう」
四人は馬車の一団が橋を渡り始めたのを見て、橋の方へと向かう。
「皆さま、大変お待たせいたしました。良い旅を」
橋のそばで一人一人に声をかけながら手を振るマノに手を振り、誠斗はレンガ造りの橋へ一歩踏み出す。
踏みしめる地面が柔らかい土から頑丈なレンガに変わるのを感じ取りながら誠斗は川向うを目指して歩いていった。