百三十六駅目 執事は再び現れる
夜のカルロフォレストの上空。
ひんやりと心地のいい大気の中、誠斗は下で光の線を構成する街並みを見つめていた。
誠斗を抱えているノノンは先ほどから魔法陣の正体を探るのに集中しているらしく、すっかりと黙ってしまったので少し暇だなというのが正直な感想だ。
なんとなく東の空に目を向けてみると、山の向こうが少し白みだして、もうすぐ夜明けであるということを示していた。
「……見たことがない術式ね……どこの術者が使っているのかしら……」
そんな中、小一時間ほど口を閉ざしていたノノンがようやく言葉を漏らす。彼女も夜明けが近いことを意識して、少し焦っているのかもしれない。
「どんな魔法かわからないの?」
「……残念ながら、これがどういった原理で動くのかさっぱりね。まぁもっとも、私はどこかの誰かさんみたいに魔法に精通しているわけじゃないから、知らない魔法があって当然だけど」
「それで? どうするの?」
「……どうするって……まぁそうね。こんなものを見てそのままスルーなんてつまらないから、専門家にでも聞いてみましょうか。調査に時間がかかるか、すぐに解決しなくてもいい問題ならマーガレットを救出してその力を借りればいいし、緊急性が高ければそれはそれで方法を考えましょう」
ノノンはそのまま地上へ向けて降下を始める。
専門家に聞くという先の言葉も考慮すれば、これ以上上空へ滞在していても無駄だと判断したのだろう。
上がる時とは違い比較的ゆっくりとした速度でノノンは降下し続ける。
上を見上げてみると、彼女は周りを見回しているので降りるのに適切な場所を探しながら降下しているのだろう。
やがて、良い場所を見つけたのかノノンは一気に高度を下げて降下し始める。
ぐんぐんと地面が近くなり、やがてツリーハウスの屋根が目の前に見えるぐらいの高度まで下がると、今度は一気に速度を落としてゆっくりと着地する。
落ちているときに風景からして、外郭町に降り立ったようだ。
「さてと……厄介なのに見つかる前に隠れないと……」
「……ほう。厄介なのとは具体的に誰のことでしょうかね?」
背後からまるで狙ったようなタイミングで聞こえてきた声に誠斗とノノンは油が切れた機械のようにゆっくりと振り返る。
すると、そこには初老の執事……バート・カルロッテが立っていて、彼の背後には黄緑色の髪の少女が彼の陰に隠れるような形で立っている。
その姿を見たノノンは逃げ道を探るように一歩、二歩と下がるが、すぐに彼女の背後に出現した壁にぶつかって動きを止められる。
「このタイミングで来るなんて、まるで狙っていたみたいね……」
誠斗と並んで壁に張り付くような恰好でノノンが口を開く。
顔に冷や汗が流れているノノンに対して、先ほどから動く気配のないバードの表情は涼しい表情のままだ。
「……おやおや、こちらとしては“大切なお客様”がこっそりと宿から消えたものですから心配して探していただけですがね……」
「ふーん心配して探してね……だったら、あなたの後ろに隠れているのは捜索の協力者かしら?」
「おっと、私としたことが紹介を遅らせてしましました。彼女はメルラ・メロエッテ。あなた方の居場所の補足と、予想降下地点までの移動を手伝ってもらいました。とまぁ彼女のことは気にしないでください。なんだったら、気絶させておきますか? 記憶消去もおまけしますよ」
平然とした表情でそんなことを言い放つバートの陰でメルラが顔を青ざめさせながら小刻みに首を横に振る。
「他国の王族に対してよくそんなことが言えるわね。それとも何? 新メロ王国も議会にかかわっているの?」
「ほっほっほっ議会とは何のことでしょうかね? 確かに新メロ王国とカルロ領の間に少々特殊な関係があることは認めますが、議会のことについては私はさっぱり」
「……よく平然とそんなことを言えるものね」
言葉だけを聞いていると、ノノンが強気に出ているように聞こえるが、その言葉を発するノノンは誠斗から見ても焦っているのがわかるぐらい追い詰められていた。
背後の退路は立たれてしまっているし、左右に逃げようにももう少し言えば上空に逃げたところですでに何かしらの対策は講じられていると考えて間違いないだろう。
加えてそれらの魔法の術者と思われるメルラ・メロエッテと呼ばれている人物はノノンの言葉を鵜呑みにすれば、どこかの国の王族らしいので、うかつに手を出すこともできないということなのだろう。
ただ、そんな状況下においても、ノノンは引き下がる様子を見せない。
「さて、それでは素直にお戻りになられますかな?」
「そんなこと言われて戻るとでも?」
「……そうですか。そうなりますと、あなた方には新メロ王国の王族に危害を加えたという容疑がかかりますが、よろしいですか?」
「また、ずいぶんな脅しをしてくれるわね。その娘が裏切ったら、あなたの立場が危ういんじゃないの?」
「いえいえ、裏切りませんよ。彼女は」
すっかりと焦りを隠せなくなっているノノンに対して、バートは余裕そのものだ。相手の方が圧倒的に有利なのだから当然といえば当然なのだが、純粋にこのような状況は予想外だと誠斗は感じていた。ノノンなら、涼しい顔をして問題を解決しそうなのだが、やはりそのためには入念な準備が必要だということなのだろう。
「ふーん。でも、意外とさ、敵が懐に入るつもりで近づいてきて後ろからグサリなんてこともあるんじゃないの?」
「ほっほっほっ彼女が裏切るとでも? ですよね? メルラ殿」
バートがそういった瞬間、突如として彼は膝をつき、その場に倒れる。
「えっちょっ! ノノン! 今何を!」
「私じゃないわよ。そうでしょ? メルラ・メロエッテ」
「……はぁあなた達がこいつの方を持とうものならどうしようかと思いましたが、どうやらその心配はなかったようですね。あぁ勘違いしないでくださいね。私がこの男に協力していたのはちょっとした目的があったからで、あなたたちに会えれば、もうこいつは用済みなので」
先ほどまでその男の背後に隠れていたとは思えないほど辛辣なことを言いながらゆっくりとメルラが歩み寄ってくる。
「さぁて、そういうわけですから。あなた方にちょっとした協力を申し入れたいのですけれど、いかがでしょうか? もちろん、お二方……いえ、四人全員に損はさせませんので」
「……四人全員ね……まぁ彼と一緒にいたのなら、知らないわけないか……それで? あなたの目的は?」
「そうね。あえて言うのなら、ある方にお会いしたいの。会わせてくれるかしら? オリーブ・シャララッテに。一緒にいるんでしょう?」
先ほどとは違い怪しげに笑う少女を前にして、誠斗は思わず後ずさる。
「……なるほど、要は自分が駆使した死霊魔法の結果が見たいとかそんなところかしら?」
「あら残念。たしかにあれの封印を維持していたのは私だけれど、あれは残念ながら破られて、私の手を離れてしまっているわ。まぁ私は純粋にあの方と話がしたいだけよ」
「何かいろいろと聞き逃してはいけない言葉が聞こえてきた気がするんだけど」
さらりと放たれた言葉にノノンはあきれた表情を隠せないでいる。
誠斗も誠斗で先ほどの緊張感やら放たれたことやつい先ほどまでのとは全く違う彼女の態度を見ていろいろと気が抜けてしまっていたのでノノンと似たようにすっかりとあきれ返ってしまっていた。
「それで? 案内してくれるの? それとも、王族に手を挙げたっていう罪をかぶる?」
ただし、状況は大きく変わっても脅しの手段は先ほどとの変化はなかったとだけ付け加えておく。