幕間 カノンとノノン
カルロフォレストの中心町のとある路地にあるエルフ商会カルロフォレスト支部の一室。
到着早々、先に大切な話があるからと誠斗を別の部屋へと移動させたカノンは長机を挟んで向かい側に座るノノンを視界に収める。
おそらく、カノンがここまで足を運んできた理由を察しているであろう彼女はどこか落ち着かない様子だ。
そんなノノンを前にして、カノンはにんまりと笑みを浮かべる。
「そんなに怖がらなくてもいいよ? そう。落ち着いて。それとも、私のことが怖いの? そう。怖がっちゃったの?」
「あの……それは……」
「大丈夫だよ。そう。問題ない。私はノノンにとって良い知らせを持ってきただけなんだから。そう。心配しないで」
「はい……」
カノンは彼女を安心させようと笑顔を浮かべてみるが、それでもノノンの態度は変わらない。
状況が状況だけに仕方ないのかもしれないが、ここまで警戒されるとどうも話しづらい。
だからといって、マコトを外で待たせたまま沈黙を保っているわけにはいかないので、カノンは一気に本題を切り出すことにした。
「ノノン。先日の件。ノノンの独断かつ勝手な行動の件。覚えてる? もちろん、忘れないよね?」
「はい」
「そのことについて、あなたの処遇を伝えに来たの。そう。あなたのためにね」
「やはり、そういうことですか……」
用件を伝えられた途端、ノノンは小さく息をはく。
彼女の思考はなんとなく予想はつく。
「全く、良い知らせを持ってきたって言っているでしょう? そう。言っているよね?」
「あの……いえ、それは……」
カノンとしては、別に変な意味で良い知らせだと言っているつもりはない。だが、どうもノノンは素直な意味で受け取ることができないようだ。
「はぁ……とにかく、本題に行くからね。うん。行っちゃうよ……ノノン。今回の件については不問ね。そう。不問。これで安心してくれた? うん。安心できたよね」
「えっあぁはい……その、不問というのはいったいどういう風の吹き回しですか? 私、てっきり何かしらの処分があるものだと思っていたんですけれど……」
そういってノノンはカノンに疑いのまなざしを向ける。
カノンとしては、彼女に対してそこまで不当な扱いをした覚えはないのだが、彼女の中で先の件というのはとても大きくのしかかっているのだろう。
「ノノン。私はね。ノノンを買っているの。そう。高くね。私は、ノノンみたいに優秀な大妖精を失いたくないの。そう。大切にしてる。だって、あなたは……」
「……姿を消したマノンの後釜だから……ですか?」
まったくもって予想外なノノンの言葉にカノンは思わず動きを止めてしまう。
ノノンが失踪したマノンの後釜というのはあながち間違ってはいないのだが、別に彼女をそういう存在として扱ったおぼえはない。むしろ、大妖精の中では比較的優遇しているつもりだ。いや、その優遇こそが彼女がそんな疑心暗鬼に陥れているのだろうか?
カノンはそうして推測をする一方でこの状況を打破する方法を考える。
ここで素直にマノンの後釜ではないと言ってしまったところでおそらく彼女は信じない。おとがめなしといっているのにわざわざ妖精の森から出ていくということはないだろうから、森には残るだろうが、カノンへ対する信頼が低い状態では大妖精同士の連携にも影響を及ぼす可能性がある。
そもそも、ノノンがどういった意味で自分のことをマノンの後釜だと言っているのかという点についても考慮する必要がある。
単純にマノンのことが気に入っていたカノンがいなくなった彼女の代わりにノノンを置いているのだということぐらいなら問題ないのだが、仮にそれ以上の意味があった場合は彼女の言葉の意味が百八十度変わってくる。
「ねぇノノン。マノンからどの程度聞いているの?」
その真意を確かめるためにカノンはやや声を低くしながらノノンに詰め寄る。
「さぁ? 私はあなた様がマノンを使って何かを成し遂げようとしていたという情報以上は知りませんが?」
「……なるほどね……だったらさ、質問を変えてもいい?」
「どうぞ、ご自由に」
彼女のマノンを使って何かを成し遂げようとしていたという言葉はマノンの後釜という言葉の意味をカノンの中で決定づけるには十分すぎるものだった。
そうなると、次に聞くべきことは一つだ。
「……マノンはどこ?」
カノンの腹の内に隠し持っている計画など彼女が知るはずもない。知っているのはカノンとマノンだけだ。なら、彼女が計画に関する情報を持っているとすれば、その流出原は一つしかない。
「マノン? さぁ? 私は知りませんね」
「……とぼけないで。あなたはどこまで知っているの? 答えなさい!」
カノンは机を越えて向かいのソファーに座っているノノンにのしかかり、そのまま彼女の首に手をかける。
そんなカノンの姿を見たノノンの顔に浮かぶのは恐怖というよりも失望に近いような何かだった。
「……はぁやっと本性を現したとおもえばこれですか……あなたも結局、表面上取り繕ったつもりでいる道化師というわけだったんですね……」
「あなたは何を言っているの!」
形勢逆転とはまさにこのことだろうか? いや、もしかしたらこの状況すら彼女は狙っていたのかもしれない。
ノノンはカノンの手がその首にかけられてもなお失望に混じる余裕そうな表情を崩さない。
「答えて! マノンはどこ!」
「……だから、私は知らないって言っているはずですよ? そんなの知っていたら真っ先にあなたに報告するに決まっているじゃないですか」
「えぇ。大妖精たちはみんなそうであると私は思っているわ……でも、実際のところどう思う? マノンがいなくなったあの日、最後に私が姿を見てからマコトもマーガレットもほかの大妖精や妖精たちに至るまで口をそろえてマノンを見ていないっていう。そう。言っている! ねぇおかしいとは思わないの? ううん。絶対におかしい。いくら数が少ないとはいえ、あの広大な森から誰にも見つからずに! 大妖精でも何でもないマノンがいなくなるわけがない!」
カノンは口調が強くなると同時にノノンの首にかける力を強くしていく。
自然の代弁者であり、永遠に近い寿命を持つ大妖精ではあるが、不死身ということはない。むしろ、今まさにカノンがノノンにしているような物理的な攻撃に対しては、魔法を使わない限りまったく耐性がないといっても過言ではないだろう。
そんな事情も相まってか、ノノンは苦し気ながらも必死に声を上げる。
「落ち着いてくださいよ。あなたは何の話をしているんですか! そもそも、私はマノンの行方なんて知りませんから! あなたがマノンの代わりに私を使って何かをしようとしている情報もちょっとしたところから聞いただけで中身も知りませんし!」
「だったら! だったらなんでそういうことを言うの!」
「その情報提供者に情報を引き出す交渉術とやらを……」
「うるさい!」
ノノンが何か言いかけたが、あまりにも言い訳がましかったのでカノンははっきりとした口調で彼女をだまさせる。
「ですから……あぁもう! 私が悪かったですから! とりあえず、手を……思ったよりも、力が……このままだと本当に死んじゃう!」
「私相手に変な交渉などしようとするからだよ。そう。しちゃいそうだから。あなたはただ単におとなしく、私のこまになっていればいいの。わかった?」
言いながら手に込めていた力を緩める。
このまま口封じをしてしまってもよかったのだが、残念ながら彼女までいなくなってしまっては困るのでこのあたりでやめにしておこうという冷静な判断が働いた結果だ。
「分かったら、今度は祖の変な交渉術とやらを使わずにマノンでも探し出して、証拠でも提示してみなさい。そう。しちゃって。そうすれば、あなた交渉ぐらいはしてあげるわ。まぁ私には何の話なのか分からないけれどね。それと、私がマノンから何を聞いたのっていったのに、その存在を最初に否定しなかった件についてはその時に合わせて話を聞かせてもらうわ。そう。もらっちゃうよ」
不愉快だという気持ちを極力表に出さないよう努めながら、扉を荒々しく開けて部屋から出ていった。
*
カノンが思い切り扉を開けて出ていった後の部屋の中。
ソファーに寝転がったままのノノンは、軽く息を整えてから通信札を懐から出して耳に当てる。
プップップッという小さな音が数秒続いた後に通信相手の声がノノンの耳に聞こえてきた。
『……こんなタイミングでかけてくるってことは失敗したの?』
「……残念ながら相手を怒らせちゃいまして……殺されそうだったのでさっさと降参しました」
『ありゃりゃ……やっぱり、あの方は怒らせない方がいいね……それで? 殺されそうになって、私のことを話したりは?』
「してないですよ。大丈夫です……そうしてしまったら、何のためにこんなことをしたのかわからないじゃないですか」
ノノンの苦し紛れの言葉に相手はくすくすと笑い声をあげる。
『まったく、無理に聞き出そうとしなくてもいいのに……そういうのは専門家に頼った方がいいんじゃないの?』
「専門家に頼むと高くつくじゃないですか……まぁ次はそうしますけれど」
『まぁせいぜい頑張ってみたら? 私の邪魔をしない限りは見守っていてあげるから』
「……それはどうも。最も、あなたが全部話してくれたらもっと楽なんですけれどね……と、そろそろマコトが戻ってくるようなので切りますね」
『うんうん。健闘を祈っているよ』
明るい声で声援を送られた後、プツンという音がして通信が途切れる。
どうやら、相手の方から通信を終了させてくれたようだ。
「……全く、何が何だかさっぱりね……」
天井を仰ぎながら、そう呟いたタイミングで部屋の扉がノックされる。
「……どうぞ」
ノノンは体勢を整えて廊下に立っているであろう誠斗に声をかけた。