幕間 獣人の少女の願い
カルロ領南部に広がる広大な森には亜人追放令で町を追われた獣人たちが住む集落が存在している。
かつて、人間たちが捨てた村を根城としている彼らは森の中で狩りをして日々の食料を得ているため、外部との接触が少なく、妖精ほどではないにしろ見つけることが難しい亜人といわれている。
そんな亜人の一員である少女リラは狩りから帰る家族を待つ間、家の近所にある泉のほとりに腰掛けていた。
この場所はリラたちの……獣人たちにとっての大切な場所だ。
リラは直接会ったことはないのだが、かつて獣人たちのために活動し、最期の時をこの泉のほとりで迎えたとされる人物。
伝え聞く限りでは亜人追放令の撤廃そのものに向けて動いていたようだが、どうやらその夢は半ばでついえてしまったらしい。彼女が一回だけ語った話によると、亜人追放令にかかわる闇は単純なモノではなく、予想以上に複雑で深いものだったらしい。
その言葉が意味する状況をリラはよく理解していないが、亜人追放令なるモノがなくなるということはそうそうないだろうということだけは理解できた。
かつて、とある条約とともに発布されたという亜人追放令は瞬く間に統一国中に拡散し、その後に統一国から独立した一部の国もその流れを受け継いでいる。カルロ領と隣接する新メロ王国も十年程前まではそんな国の一つだった。
新メロ王国における亜人追放令の廃止は現在の国王が就任したことによるところが大きいと言われているが、広大という言葉でも足りないほどの領土を持ち、議会が絶対的な権限を持つこの帝国においては亜人追放令の廃止は難しいのかもしれない。
聞くところによると、大陸南部にあるルチル王国では亜人追放令の真逆の政策が行われているというぐらいだ。
ルチル王国は小国ながらも金鉱石が取れることで有名でそれこそ、統一国の体制崩壊による混乱の中、関係各所に多額の現金をばらまくことで独立を勝ち取ったとまで言われている国だ。そんな国が亜人を大切にする理由というのは単純で国を支えている金鉱石の採掘から加工までドワーフやエルフ、獣人といった亜人に頼っているのが実情で亜人追放令発布後は金鉱石の採掘ができずに歴史的な財政危機に見舞われたとまで言われている。
一時、リラの家族はそこへの移住を計画し、ある人物に依頼していろいろと調べていたのだが聞けば聞くほどかの国は夢のような場所であるという話が次々と飛び出してくる。ただ、その話を聞いた両親はどういうわけか移住をやめるという決断を下し、いまだにこの場所にとどまっているわけだが……
少し思考がそれてしまった。
そもそも、リラがこの場所に来たのはただ単純に時間つぶしに来たわけではない。ちゃんとした用事があってこの場所に来たのだ。
リラが手に持っていた花をポンと泉に投げる。
かつて、この泉について研究していた彼女は花が好きだといっていた。だから、祖母も母も定期的にこの場所にこういって花を持ってきているのだという。
なぜ、泉の研究をするのに亜人追放令の廃止に動く必要があるのかと聞かれても最期まで答えなかったそうだが、もしかしたらこの場所に置いておいてくれる感謝の意味もあったのかもしれない。
「……ねぇ、わたし……は、あなたの……こと、知らない。けれど……あなたは……どうして、亜人のために……動くの?」
リラの根底にある思いは亜人追放令さえなければ誠斗たちについて行けたかもしれないという思いだ。
もちろん、彼らはこの先の旅に危険があるとかそういったことを言っていたのだが、その中には少なくとも亜人であるリラを連れていくことに関するリスクも含まれているのだろう。
彼らに同行していたノノンはどうやら亜人だったようだが、彼女は非常にうまくそれを隠していて、彼女が妖精の代名詞ともいえる重力魔法を使うまでそのことが全く認識できなかった。そのことだけについていえば、妖精などあったことないから特徴をよく知らなかったといえば済む話なのかもしれないが、それでも彼女の振る舞いからは亜人独特の気配が完全に消えていた。
そのこともあって、リラは誠斗が求めている水準はそこであるという判断を下したのだ。
しかし、リラは残念ながら獣人の最大の特徴ともいわれている耳を隠すことができない。
もちろん、ローブをかぶったり帽子をかぶったりすれば、見た目上は隠せるかもしれないが、何かの拍子にそれらがなくなれば、一瞬で獣人だとばれてしまう。
だからこそ、魔法に長けていたという彼女がいた泉に来れば何かしらの変化が起こるのではないかという考えからこの場所に足を運んだのだ。結果からいえば、何も起きなかったが正解なのだが……
「無理……か、やっぱり……」
そういいながらリラはゆっくりと立ち上がる。
『おや。それで諦めちゃうの?』
諦めて帰ろう。
リラが足を帰路に向けた瞬間、リラの頭の中で確かにその声は響き渡った。
「……だれ?」
気のせいかとも思ったが、リラは思わずその声に対して返答をする。
その透き通った声の主の言葉をそのまま受け取れば、諦めないでもいい方法があるように思えたからだ。
「私? まぁ私のことは後から教えてあげるからさ、まずは私の方を向いてくれない?」
その声は今度は頭の中ではなくリラの背後から聞こえてきた。
リラが泉の方を向くと、長い緑髪のポニーテールと透き通るような白い肌、髪と同色の瞳が特徴の幼女が小さく笑みを浮かべ、泉の上に浮かんでいた。
リラはその事実に少なからず動揺し、これでもかというほど目を見開く。
先ほどまで確かにこの付近に人の気配は感じていない。しかも、泉の上に浮かんでいるという事実からして彼女はどう考えても普通の人間ではないはずだ。青いワンピースに身を包んた彼女の姿を見つめていると、その背中から一対の羽が飛び出る。
「……ねぇそこのかわいいかわいい獣人さん。私についてくる気はある? そうすれば、きっとあなたの願いもかなうはずよ」
「……さっき、も……聞いた、けれど……あなたは、だれ?」
リラは目の前に浮かぶ不審人物に向けて声をかける。
それと同時にリラは彼女の姿からその正体について推測を立てる。
まず彼女の背中に生えている羽。彼女のそれは空を飛ぶ蝶々のものとそっくりだ。
次に彼女の背丈。どう見ても幼いのだが、その表情は子供のものではない。亜人というのは基本的に成長が遅く見た目が子供でも長い期間を生きているというのはよくある話なのだが、それは精神も同様だ。実際にリラも百歳を迎えようとしているが周りからはまだまだ子供といわれる始末である。
そんなものは単純に人間基準で考えた場合の話であるが……
ともかく、目の前の幼女は少なくとも人間ではない。続いて、数ある種族の中で羽が生えているものといえば、大妖精を含む妖精と吸血鬼、天使、竜人といったところだ代表的だろうか?
そして、伝え聞いている話をもとに考えてみると彼女が何者かという答えは意外とあっさりと導き出された。
「……あなた、妖精?」
そう。妖精だ。吸血鬼の黒い羽根ではなく、天使の純白の羽ではない。さらに言えば、獣人の特徴であるごつごつとした羽でもない。そうなると、残る羽をもつ種族は妖精のみだ。
リラの返答に納得がいったらしく、目の前に浮かぶ妖精は怪しげな笑みを浮かべながら小さく拍手をする。
「正解。さて、そこまで行ったところで改めて返答を聞きましょうか。あなたは、私についてくるの? それともこないの?」
彼女は自分から事情を話してくれることはなさそうだ。
何が目的なのかということも、自身が妖精であるということ以外の情報も。
普通であればそんな怪しい誘いは断るところなのだろうが、この時ばかりはなぜか、この人についていった方がいいという思考がリラの脳内を支配し、自然と手を伸ばしていた。
「そう。それでいいのよ。行きましょう」
妖精は怪しげな笑みを張り付けたままリラの手を取ると、そのまま彼女とともに泉に飛び込んだ。
しばらくの間、水面にはいくつかの水泡が出現したのだが、それも気づけばすっかりと無くなってしまい、やがて泉のそばはいつも通りの静けさに包まれた。