百十五駅目 泉へ戻る道
カルロ領南部の森の中。
ノノンはリラたちがいる泉の近くで誠斗を下ろし、自身も地に足を下ろしてから羽を見せないようにする魔法を行使する。
そのまま誠斗はリュックにノノンを入れて森の中を走り始める。
「マコト! 中濡れてて気持ち悪いんだけど!」
「わがまま言っている場合じゃないから、ちょっと我慢して!」
ノノンは地に足をつけて移動するということに慣れていない分、どうしてもそれをすると誠斗よりも時間がかかってしまう。だから、いつもしているようにノノンをリュックに詰めたのだが、どうやら聖水を大量に入れていたカバンの中はいまだに湿っているらしい。というよりも、容量が実質無限のはずなのに中が濡れているというのはどういうことなのだろうか?
いや、そんなことは今気にするようなことではない。
「とりあえず、このまま急ぐよ。走るからね」
半ば先ほどまでの急速飛行への仕返しをちょっとだけ含んで誠斗は走り出す。
幸いにも上空からこの森を見ているので泉の方向はなんとなくわかる。
誠斗は森の木々をかき分けるようにして真っすぐと泉を目指す。おそらく、日本にいたころのままならそんなことはできないだろう。おそらく、スマホを取り出して地図アプリを起動させているに違いない。そして、泉に向かうルートを検索して、そこに至る道があって、それが遠回りでもそこを走るのだろう。
だが、今は違う。
スマホなんて持っていても圏外と表示されるだけで電話すらできないし、地図アプリもGPSがないので意味がない。それに根本的な問題としてこの森の中でそれなりに整備されている道といえば北大街道をはじめとした街道が数本通っているぐらいで泉に接続する道路など存在していない。だから、森の上空から見た風景の記憶をもとに泉のある方向を目指すほかない。
「マコト! もう少し左の方に向かって走って」
落ち着きを取り戻したらしいノノンから声がかかる。
おそらく、こういった類の勘というか記憶はノノンの方が優れているだろう。誠斗はノノンが言う通りに進路を少し左に取る。
彼女の案内に従っていけば無事に泉に行けるはずだ。
「あっごめん。やっぱり右だ」
大丈夫……大丈夫なはずだ。
誠斗は無言のまま進路を右に修正する。
「あぁもう。せめて何か言ってよ」
「それどころじゃないでしょ」
「しょうがないでしょ。私からしたら後ろ向きに移動しているんだから多少間違えたりすることもあるの」
背後からのノノンの抗議の声を聞き届けながら誠斗は走る。
ノノンの事だから、限界まで泉に近づいてから降りているはずだからもう少し走れば到達できるはずだ。
少し周りを見てみると、視界のやや右側に目的地の泉が見える。
「マコト!」
「うん。見えてる」
もう少し進路を右に修正しながら木々の間から見える泉の方へと走っていく。
「マコト。そうだ。泉につく前に一つだけ言い?」
しかし、背後のノノンがそんなことを言うものだから誠斗はその場で立ち止まる。
ノノンはのそのそと動いた後、リュックから出て誠斗に立つ。
「一応、聞くけれどさ……リラとココットをあそこに連れていくってことでいいんだよね?」
「えっうん……ノノンはそうした方がいいって思っているわけでしょ?」
「うん。それはもちろんそう思ってる……でも、どうしても一つ気になることがあって……」
「新しい術者の事?」
ノノンは無言でうなづく。
誠斗も気になっていないといえばうそになる事柄だ。
「あの時、オリーブ・シャララッテは私たちのことを新しい術者だと思っていた。そうなると、少なくとも彼女の視界には新しい術者の姿は映っていなかったことになるでしょ? それは私たちも同様で飛び上がったときに空から見たけれど、それらしき人影は見えなかった。それに人が操っている死霊を操るなんて並大抵のことじゃないの。ここまで考えてみると、リラを連れて行ってもいいのかって……今頃ながらそう思っているの」
オリーブが言っていた言葉。そもそも、彼女はノノンたちが新しい術者だと誤解していたようだが、その人物はほぼ間違いなく近くに隠れているはずだ。そうなると、こちらの行動も相手が把握している可能性が高い。ついでに言えば新しい術者とやらの目的がまったくわからない以上は下手なことをするべきではないといったあたりだろうか?
「でも、そんなこと言って何か起きるまで待ってるの?」
「……それは……その……」
誠斗の質問にノノンは答えを詰まらせる。
誠斗とてノノンの考え方が理解できないわけではない。確かに相手の目的がわからない上に自分たちにリラを守り切れるほどの実力を備えていないとなれば様子見というのは本来なら正解なのだろう。
ただ、それではすべてが手遅れになる可能性がある。
「うん。それでもさ、とりあえずリラを連れて近くまで行ってみよう。危なそうだったらそのまま一回引けばいいし、何もしないで手をこまねいているよりは何かをしないと状況なんて変わらないよ」
リラを連れていくということのリスクは理解しているつもりだ。
仮に相手の目的が獣人を手に入れることだったとすると、まんまと餌をもって檻の中に中に入って行くようなものだ。
「とにかく。今はリラを連れてあの広場に行こう。また戻っていたら時間の無駄になるし、むしろそっちの方が問題だろうし」
「……時間の無駄ね……確かにそうかもね。うん。わかった。行きましょう」
ノノンはそういった後にもう二度ほどうなづいてから顔をパンパンと叩く。
「よしっ! 決めた! リラを連れて行って、私たちが保護をしていたという説明をしてもらって敵じゃないとアピールする。これで行きましょう」
「うん。それじゃ、リラのところに向かおうか」
その会話の後、二人は泉の方へ向けて歩き出す。
とにかく、この事態を収束させるためにはいかに平和的に解決するかだ。戦闘にあればまず勝ち目はない。だから、極力穏便にことが済むように考える必要がある。
「……ねぇノノン。獣人ってどんな特性があるの?」
そのためにはまず、獣人の特徴を知る必要があると考え、誠斗は後ろを歩くノノンに問いかけた。
「獣人の特性ね……私はあんまり他種族に詳しくないから何とも……ただ、一つ言えることとすれば物理的な攻撃に関する力がほかの種族に比べて強いっていうのと集団意識が強いといったあたりかな。特に集団意識の高さは人間の比じゃないから、リラを連れていくときは本当に警戒した方がいいと思うわ。下手をすれば有無を言わさずに襲い掛かってくるかも」
「……確かにそれは勘弁願いたいかもな」
あの広場で少し見ただけではあるが、獣人たちは皆屈強そうであった。あれらに一斉に襲い掛かられるようなことがあれば無事では済まないだろう。
誠斗はそのことを想像して固唾を飲み込む。
「そうなると、本当に慎重にやらないとね……」
「うん。まぁだからあんまりその手は使いたくなかったんだけどね……せめて、戦闘が完全に終わって彼らが落ち着いたころがよかったんだけど……」
ノノンはヤレヤレと言わんばかりにため息をつく。
おそらく、本人は直接関係なくとも知り合い……例えば、カノンあたりから厄介だと聞いているのだろう。だからこそ、その場で直接交渉などというある意味で彼女らしくない手で出たのかもしれない。獣人たちと敵の戦闘が終わっている間の時間というタイミングを狙って。
誠斗はどうするのが最善かと考えながらすぐ目の前に見えてきた泉に向けて歩みを進めていった。