八十三駅目 サフランへの返答(後編)
シャルロッテ家の屋敷の屋根裏にあるマミ・シャルロッテの秘密書斎。
マミ・シャルロッテの肖像画を背後に座っているサフランは、誠斗の返答にあとから長い長い沈黙を置いて口を開く。
「………………なるほど……つまり、あなたは私が出した条件をのんだ上でシャルロの森付近に実験線を建設すると……そういうことでしょうか?」
「まぁそうだね。細かい調整はこれからするべきだとは思っているけれど」
「…………それは当然といえば当然だと思います。私たちとしてもあの意見がそのまま通してもらえるとまでは考えていませんでしたから。これからはゆっくりと互いが譲歩できる場所を見極めていくとそういうことですよね?」
サフランの話に誠斗はゆっくりと首を縦に動かして返答する。
それを見たサフランは少し片方の眉を上に動かす。
「………………いまいち返事がはっきりしませんね。何かあるのですか?」
「いや、なにも……少し考え事をしてただけ」
「………………そうですか。なら、よいのですが……まぁとにかく、あとからもめたくないので合意の内容を再確認しましょうか」
サフランはそういいながら指を鳴らす。
そうすると、目の前に契約書という題名が書かれた三枚つづりの羊皮紙が出現する。
「これは?」
「…………見てのとおり契約書です。その内容を熟読したうえでサインしてください。これには魔法的効力が発揮されますのであとからの契約破棄はできないのでご注意を……これだけ伝えれば十分ですよね?」
サフランのその言葉を聞き届けた後に誠斗が契約書に視線を落とすと、羊皮紙に細かい文字でびっしりと契約内容が書かれていることがわかる。
まずは蒸気機関車が走る鉄道線計画についてシャルロッテ家およびシャルロ領が支援するという内容に始まり、既存の法律のうちどれにあてはまるのか、またどのような法律を制定させるべきかなどといった条項が詳しく記されている。
この羊皮紙はマーガレットやノノンの前にも出現していて、二人とも黙々とその内容を確認していた。
部屋に設置してある時計が時を刻む音がやけに大きく聞こえる中、一時間に迫ろうかという時間をかけながら誠斗たちはじっくりと一文一文を頭の中に詰め込んでいく。
そんな中で一番最初に顔をあげたのはマーガレットだ。
「なるほどね……」
内容を理解したらしい彼女はすっかりと冷めてしまった紅茶に口をつける。
それに続くようにしてノノンも契約書を読み終え、あとはこちらの言語を完全に理解できていないため、解読に時間がかかっている誠斗を残すのみだ。
「マコト。時間がかかりそうだったら音読しましょうか?」
そんな誠斗にマーガレットが声をかける。
誠斗はその声に顔をあげると、小さくうなづいた。
「お願いしてもいい? まだ、五行ぐらいしか読めてないから……」
何とも情けないことだが、この契約書には誠斗が見たことない表現や単語がいくつか含まれている。
それぞれの文字の読み方から何とか意味を理解できていたが、それも正しいかどうか自信が持てない。
マーガレットはそれを察したのか小さくため息をつきながら、誠斗の羊皮紙を手に取る。
「それじゃ一番上から順番に読んでいくからちゃんと聞いてなさい。私は二度も三度も読みたくないから」
「……わかった。頼んでもいいかな?」
「えぇ。わかったわ」
誠斗の返事を聞き届けたマーガレットは抑揚のない平坦な声で契約書の内容を読み上げ始める。
その間、ノノンは飽きてしまったのかソファーから立ち上がり、本棚に並んでいる本に視線を向けている。
サフランも何を思ったのか書斎机に積まれていた本のうち一冊を読み始めている。
そんな中でもマーガレットはただただ淡々と解説を加えるわけでもなく、契約書の内容を音読し続ける。
どうしようもなく眠くなってしまう国語の授業を思い起こされるようなその状況は必然的に誠斗に眠気をもたらしていた。
しかし、ここで寝るわけにはいかない。
国語の授業ならば、教師からの評価が下がったり、少し成績に影響するぐらいだが、今聞いている内容というのはそれの比ではないぐらい重要だ。
だからこそ、誠斗は眠ってしまわないように必死に意識をつなぎとめてその内容を頭に叩き込む。
「…………なお、この内容はどちらか一方からの申し入れによって両者が同意に至ることができれば変更することも可能である……以上よ」
結果的に時々水を飲んだりしながらも約一時間半にわたりマーガレットの音読は続き、誠斗も何とか最後まで聞き届けることができた。
これまで見たこともないほどの長大な文章を前によく耐えきったなと自分をほめながらも契約書の内容についてよく熟考してみる。
聞いたころ、悪い内容ではなさそうだ。
この内容に納得できるのなら、契約書の一番下にある枠に名前を書くだけで契約は成立する。あとはここだけだ。
「………………どうでしょうか? 私としては完璧な内容だと思うのですが。まぁもう少しお互いが信頼できるような関係でしたらここまでする必要はないのですが……」
「そうだね。しっかりとした説明にあらゆる事態へ対応する条項群……これぐらいあるなら、漏れはなさそうだし、これなら大丈夫かもしれない」
そういいつつも誠斗は契約書に裏はないかと思考を巡らせる。
これほどの量を誇っているのだ。一つや二つぐらい製作者に対して有利な内容が書かれていても驚かない。
そう思いながら内容を思い出してみるが、そういったことはなさそうだ。
それに最後の一文があるから、もしも何かあっても変更がきかないわけではない。
「わかった。サインするよ」
マーガレットが何も言ってこないあたり、大丈夫なはずだと結論付けて誠斗は一番下の欄に名前を書く。
それを見たサフランは満足げな笑みを浮かべた。
「………………これで成立ですね。これは間違いなく歴史の一ページに刻まれるはずです。うまくいけばの話ですが」
彼女はそういいながら契約書を回収して書斎机の上に並べる。
そのころになると、ノノンもソファーに座っていて、その場にいる全員の視線が机上の契約書へ向いていた。
「…………それではこれから、この契約書に魔法的効力を設定します。問題ありませんね? これは最終確認です」
誠斗はマーガレットとノノンの方をそれぞれ視線を動かして確認する。
彼女たちは静かに首を縦に小さく動かして、誠斗の目を真っすぐと見る。
「……大丈夫。この契約書の内容に同意するよ」
誠斗の返答を聞いたサフランは契約書の署名欄に視線を落としてから小さくうなづく。
「…………わかりました。それでは魔法的効力による契約の締結を行います」
サフランがそういいながら契約書に触れると、そこから白い光を放つ五芒星が出現して、ゆっくりと浮かび上がる。
サフランはそれをなぞるようにして指を動かして、誠斗の方を向いた。
「………………この魔法陣の中央に手を触れてください」
「わかった」
サフランに促されて、誠斗は魔法陣の中央にそっと手を置く。
すると、突然魔法陣から強力な風と光が発生し、あたりにある本や紙を吹き飛ばす。
「なにこれ……」
あまりの力の流れに吹き飛ばされそうになる誠斗の背後でマーガレットが声をあげる。
その声は普段は感じられない一種の驚きのようなものを含んでいるように聞こえたのだが、そのあとは轟音にかき消されて彼女の声は途絶えてしまった。
「………………これは! どうなって! 制御がきかない!」
そんな中で魔法陣を制作した本人であるはずのサフランが驚きの声をあげる。
ここまで来て、ようやく誠斗は異常な事態が起きているのだと察することができた。
しかし、それを知ったからといってどうしたらいいかなどわかるはずもなく、必死に自分の体をその場にとどめる。
風に逆らうようにして、顔をあげてみると既に意識を失っているのか、机にもたれかかるようにして倒れるサフランの姿が視界に映った。
それを最後に誠斗の意識も闇に引きずり込まれるようにして失われた。