半熟王子と影なる執事
マルクス様は私のすべてでした。私はマルクス様の為ならば、命を投げ捨てでも厭わない覚悟で、いつも側にいました。
マルクス様は一国の王子で長男とあって、身辺の護衛を強化しなければなりませんでした。そこで付き添いの執事として護衛を任されたのが、この私だったのです。
マルクス様とお会いして始めの頃は、騎士として活躍していたエリートの私が、なぜ子守などしなくてはならないのかと不服に思ったものです。しかし、マルクス様の育った環境を間近で見ていると、自分と重なるものを感じてしまい、いつの間にか彼を大切に思うようになっていました。私の父も横暴で勝手な男だったのです。
王であるマディユ様は絶対的な権利をお持ちの方ですが、マルクス様の似ても似つかぬ明るく優しい性格に、私は彼をこのまま変わらせたくない、守りたい、と思ったのかもしれません。なんにせよ、私にとって彼はただの王家の子どもではなく、歳の離れた弟や、息子のように思っていたのです。
マルクス様が父上を嫌っていらっしゃるのは端から見ていても明らかでしたが、それでも私は王ではなく息子であるマルクス様の側に付くだろうと、なんとなく思っていたのです。しかし、まさかそれが現実になろうとは、思ってもみませんでした。
その頃、城はマルクス様の幼なじみである少女が王の妾になるという話題で持ちきりでした。無邪気さを武器にしてマルクス様をたぶらかす忌々しい女。彼には既に許嫁がいるというのに。正直、私はその女がマルクス様の側から離れると聞いて、精々していました。
しかし、私の思いとは反対に、その日からマルクス様は壊れてしまいました。王家の者とは思えないほど優しかったマルクス様が笑わなくなり、泣き崩れて荒れる日々。その壊れようといったら、とても見ていられないほどでしたが、一方で妙なオーラを放ち始めるようになった彼に、惹かれている人物がいることも事実でした。何かを吹っ切ったのか、マルクス様は昔のような屈託のない笑みを浮かべることはなくなってしまったとはいえ、何かを企むような妖しい笑みを浮かべ始めました。その様はまるで陰に潜む魔王にでもなったかのようでした。
胸の内を誰にも明かさず、過ぎていく日々。虚ろな目をした青年は、誰に対しても有無を言わさぬ物腰を身に着け、着々と味方を増やしていきました。そのうち、城ではどの派閥に付くかを仲間内で話し合う者で溢れかえっていました。
そんなとき、城で働く仕事仲間が私のところへやって来て、焦った口調で言ったのです。
「おい、ディオーネ、噂で聞いたんだが。まさかとは思うが――そのうち、その、暗殺されてもおかしくないんじゃないか?」
「何がだ」
「何がって、お前。お前が忠誠を誓ったマルクス様に関わる重大なことなんだぞ」
「……こればっかりは何もわからんよ」
私が相手にしないでそう言うと、奴はまだ何か言いたそうにしながらも、渋々と帰っていきました。
近頃、急激に味方を増やしたマルクス様に、マディユ様が目を光らせていることは既に承知していました。それとマルクス様がマディユ様を暗殺しようとしていることも。長年、付き従っていた先代の王を躊躇わずに殺害し、王にまで上り詰めたマディユ様のことです。自分の実の息子といえども、何をするかわかりません。
「毒薬を手に入れてきて欲しいんだ」
我先とついに動き出したマルクス様が命令を下したのは、それからしばらくも経っていない頃でした。
マルクス様が私に直接指示を下したということは、多少なりとも私のことを信頼しているということなので、私は嬉しくて堪らなくなりました。しかし、闇市で手に入れた毒薬では、警戒を強めているマディユ様を殺害することはできません。とは言ってもマルクス様の手を汚すわけにもいきません。だから私は自分自身で、未熟者で何もできないマルクス様の為に動くことにしたのです。
夜中、薬として出された毒を飲み、苦しんでいるマディユ様が私に助けを求めたとき、私は持っていた短剣で彼の首筋を切り裂きました。完全に息絶える場を見届けてから、何事もなかったかのようにマルクス様のところへ戻りました。
この先、私がマルクス様に永遠に付き従っていても、何か特別な見返りがあるわけではありません。いつ呼び出されても構わないように準備していても、決まった給料しか貰えないし、仮にマディユ様側の人間にマルクス様が捕えられることがあったとしても、執事である私が代わりに処刑されることでしょう。
「――ですが、それで良いのです」
私は陰に隠れる存在であれば良いのです。たとえこの手を血で汚したとしても。
- 2011.10.22 完 -