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彼女と彼とある男  作者: ミノマ
クラウド
31/58

25. けれど言わない

 やがて塔が山々の向こうから見えた。何か、まっすぐにのびる影がある、と気がついたのは彼女が最初だった。

 「あれ、動いていないわよね?」

 「あれ?…って、……ああ、あれ…動いて、ないね」

 それが動かない建築物だと認めるのに、一昼夜を要した。何しろ二人とも、何度かその幻影を見ていたから。

 彼女の目的は、塔の実在が最低条件で、俺も彼女もそれを信じて進んできたはずだったけれど、実際にそれが塔であると結論づけたときの俺たちの安堵の吐息は、それは深いものだった。特に彼女は、眼を潤ませてすらいたような気がする。横目で、ちらりと見ただけだったし、彼女はすぐに不敵な笑みを浮かべたから、俺の錯覚かも知れない。

 彼女はそう、すぐに嬉しそうに笑った。これで天使を本当に殺しにいける、そう言って、笑った。

 良かったねと言った俺には、確かに安堵もあったけれど、同じだけの不安もあった。だって、目的を果たすということは、目的がなくなってしまうことだから。

 『この旅が終われば?』

 俺はその疑問から、逃げ続けていたかったから。


 「天使が住む」と言われるだけあって、その塔はかなりの高さを誇るようだった。塔にまつわる話を聞くことも増えてきて、塔はなんと100階建て、いや500階建て、いやいや本当は天まで本当に届いているのだ、先は天使にしか見えないのだなどと、人びとは塔を見上げて好き勝手に話を盛り上げていた。

 ときどき空気の澄んだ朝焼けに遠く照らされる塔は白く美しく、まさしく天使が住むに相応しいと、俺すらも思った。けれど彼女はそんな感慨は無用とばかりに朝な夕な塔を睨みつけては、まだ届かないと銃を突きつけてみせた。そんな大仰な仕草にいつも俺は笑いそうになっていたけれど。


 いつかと同じように、たき火を囲んでいた。と言っても、いつも同じなんだ。どんなに波瀾万丈でも、日常は確かにある。ルーチンはどこかにある。人間は、フラットになろうとするから。

 このまま俺たちが、ばらばらになってしまっても、俺も礼緋チャンも、それを受け入れて、その穴をぬるりと埋めてしまうんだろうか?

 「…ねえ」

 膝を抱えたまま、彼女はもう眠ってしまいそうに見えたけれど、声をかけるとぱっと顔をあげた。

 「何」

 「これが終わったら、ご褒美ちょうだい?」

 「あのね。今から終わった話なんて、まだ始まってもいないのに」

  大体何よ、子どもみたいなこと言って、と彼女はあきれたように俺を見たが、俺はいたって真面目に言っていた。

 「俺はさ、礼緋チャンが見るものを見たいと思って、ここまでついてきたんだ。終わらせる理由なんて、俺には、本当はないの」

 「…?」

 「俺が、君と一緒に終わらせる意味を、礼緋チャンから、ちょうだい?」

 きょとんとする彼女を見る。言葉が足りないことは、わかっている。けれど言わない。


 君と一緒にいたくてここにいる俺が、君と一緒にいるのを終わらせる意味を、それだけの価値を、礼緋チャン、君自身から、ちょうだい?


 「…」

 厚かましい。勝手についてきておいて、その見返りがほしいだなんて。…なんてこと、考えているんだろう。その通りだから、何も言えずに俺は彼女の「ご褒美」を待つ。

 「じゃあ、猪鹿亭のSラン…じゃなくて、」

 「あ、一食おごってくれるほどじゃないんだ」

 「当然じゃない、お金ないんだから」

 彼女は頬を膨らませる。少し考えて、彼女に珍しい小さな声で、俺に言った。

 「チョコレート、あげる」

 「…えっ」

 「何よその意外そうな顔は」

 チョコレートはだって、彼女の好物だ。

 「チョコくらい、あげるっての」

 チョコレートはわりと高価なものだった。糖分とカロリーが多いため、非常食としても重宝できるからだ。彼女は常に携帯していたが、俺に分けてくれることはなかった。貴重だからと、好物だからという理由で。

 彼女にとって「ご褒美」は食べ物に限定されるらしい。それとも、消えてなくなるものを彼女が選んでいるのなら、俺は言外に拒絶されているのかも知れない。後腐れもなく、別れるためかも知れない。

 『これが終わったらどうするの』と、俺にはどうしても聞けない。

 でも、

 「礼緋チャンの好きなものを、俺にくれるんだ」

 「あたしの嫌いなもん押し付けるほどひどい人間じゃないつもりだけど」

 「うん、嬉しい」

 思わずにやける俺を彼女は気味が悪そうに見た。

 「あくまでこれが終わってからだからね?あんたが死んだらあたしはこの先チョコを食べるたびになんとなく気まずくなるに決まってんだから、死ぬんじゃないわよ」

 「大丈夫だよ。俺は、礼緋チャンが死ぬまで死なないよ。二人で生きてなきゃ、意味ないじゃん」

 「あたしの盾になる!くらい言ってみれば?」

 あきれた口調でそう言って、彼女はキャンディを口に放り込もうとした。キャンディだってそう安価なものではないけれど、チョコレート同様彼女の常備品になっている。意外と、彼女は甘党だ。ぼんやりと見ていると、ちらりと彼女が俺を見た。

 その手がいきなり顔面に向かって近づいてくるので、少し驚いて身を引こうとしてしまった。とっさに我慢したけれど、気取られただろうか。

 一瞬後に、口に異物が差し込まれた。

 「前報酬」

 ただただ甘い、キャンディ。しばらく理解できなくて、黙って口の中で転がす。

 「…なに、その優しさもちょっと気味悪いよ」

 「うるさいわね」

 十分だ。チョコレート一個、そのために、俺は彼女とともに天使を殺しに行こう。



 少しずつ塔は見える範囲を増し、地平線にその姿がすべて見えたときから、ぱたりと天使の襲撃は止んだ。


死亡フラグ乙

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