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彼女と彼とある男  作者: ミノマ
くらひと
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2.特に変哲のない顔だった

 休憩に入ったと思ったとたんに、森下がやってきてレジを代われと言う。

 「まじでストーカーなの、お願い」

 森下が言うには、シフトの日に必ずやってきて、店をぐるりと見渡し、森下を見つけて初めて店に踏み入れるそうだ。他のバイトの話を聞けば、いない日にはそのまま出て行ってしまう。

 「一回出待ちもされたんだってぇ、まじきもいから」バイト終わりにすぐそばの公園に佇んでいたらしい。

 野次馬的な下世話な好奇心も手伝って、彼女は素直に代わってやることにした。森下という女に敵意をもたれると少し厄介らしいということも知っていた。

 「ありがとぉ、ストーカーが帰るまでだけでいいから」

 森下の声に送られて控え室から出ると、客は男一人しかいなかった。彼がストーカーなのか、それとも森下が控え室に引っ込んでしまったことでストーカーは帰ってしまったのだろうか。それとなく男を観察したけれど、普段は客の容姿や動向に気をつけて見たことなどほとんどなかったので他の客と比べてどう、という比較は彼女には出来なかった。見る限り普通の客のように思える。ぶらぶらと店内を歩き回って商品を物色する。店員を気にする様子は見られなかった。

 「いらっしゃいませえ」

 商品を手に取ってからはさほど迷わずに男はレジに並んだ。

 「198円がおひとつ98円がおひとつ…」

 妙に小額なものが多いなと思いながら商品の組み合わせを見ると、吹き出しそうになった。

 酢昆布とチロルチョコとプリンアラモードと煮卵。

 (やばい、顔見てみたい)

 普段、客の顔を見ているようで、彼女は実は何も見ていない。客の顔がある方向に顔を向けているだけだ。どうせ客も店員の顔など見ていない。なので顔を見てみたい、と思ったのはこれが初めてだったけれど、いったん意識してしまうと改めて顔へ視線を向けるのも不自然な気がしてためらわれた。

 「568円になります」

 ちょうどの金額を差し出す男の指がやけに整っているのが目についた。

 レシートを渡そうかという瞬間に新たな客が店に入ってきた。そちらに視線を配るふりをして、男の顔を盗み見る。うつむいていた男が同時に彼女の顔を見た。

 特に変哲のない顔だった。ひどく歪んでいるわけでもないし、はっとするほど整っているわけでもないが、女性の彼女がちょっとうらやましいくらいきれいな肌をしていた。ストーカーのような容姿なんて言われても彼女にはわからないけれど、それほど特殊な性癖があるようにも見えない。髪も目も真っ黒だったけれど、重い印象ではないのが不思議な感じがする、と言えば言えた。それが一瞬。

 「この店は、働く人を募集していますか?」

 彼女に聞いているとは思わなくて、そのままレシートを渡してから、引っ込まない手を数秒見つめてようやく男の顔を再び見上げた。

 「え?」

 男はぼそぼそともう一度彼女に問うた。

 「ええと…」

 どう答えればいいのだろう。本来なら、彼女に答える権限はないし、今もこのコンビニエンスストアが新しいアルバイトを募集しているのかは詳しく知らない。けれどこの男が本当に森下のストーカーなのだとしたら、この場で否定してしまった方が良いような気がした。

 「あの、今は人手が足りているので、当分募集はかけないと思います」

 答えると、男はそうですかと言ってそそくさと店を去った。

 「ストーカー、行った?」

 ちょうどのタイミングで森下が近寄ってきた。

 「ストーカーって黒髪の男?」聞くと、森下は頷いた。

 「あのべったりした黒髪!ぜったい根暗なオタクだよ!女子高生に興奮してんだよ!」

 「そうかなあ」

 森下の印象は彼女のものとは正反対だったので少し不思議に思った。


 バイトが終り、自転車で家に帰る。彼女の家はごく普通の中流家庭で、父親はサラリーマンで、母はパートで、働いている。生意気な弟がいて、もうすぐ高校受験だというのに遊び呆けている。彼女はといえば、大学の推薦入試で既に合格通知をもらったのでバイト三昧だ。彼女の通う高校の方針でセンター試験は全員受験しなければいけないのが少し憂鬱ではある。

 森下の言う公園へさしかかった。何気なく公園の中を見遣ってぞっとした。男がいる。

 バイト中のあのストーカーかどうかはわからない。実際のところ男かどうかも確かじゃない。街灯の下に立ってこちらを向いていたのは偶然なのか。彼女は怖くなってペダルを漕ぐ足を速めた。人影が追いかけてくる、などということはなくて、彼女は何事もなく帰宅した。

 「森下、昨日ストーカー見た?」

 「え?昨日レジ代わってくれたじゃん」

 翌日、心配になって森下に尋ねたが、帰り道には何もなかったようだった。不思議そうに見つめる森下に彼女は、いったんは何ともないと答えたけれど、思い直して向き直った。

 「この近くの公園、あんま近づいちゃだめだよ」

 「出待ちされたことあるって言ったじゃーん。気をつけてるって」森下はそんなことかと笑いながら言った。騒ぎ立てる割には危機感が薄い、この女は。



 甘いもの好きの友人にケーキ屋に誘われた。給料日間近だったので小遣いの残りが気になるところだったが、友人は一人でもケーキ屋に行くのをやめないことを彼女は知っていた。

 「毎週行くの、ほんとに太るよ?」

 「運動してるから、いいの」

 元バスケ部主将は引退しても毎日部活に出ていたが、週に一度、ケーキ屋に通う日だけは例外だった。友人がケーキ屋で、一人でケーキをほおばる図を想像していたたまれなくなったので、彼女は今週もついていくことにした。

 「ていうか、あたしが太る…」

 呟くと、お前はもっと太れと友人に言われた。友人は彼女の深刻な体重増加を知らない。


 セルフサービス式のわりと大きな店だった。平日なので空いている。テーブル席でケーキを食べて、そろそろ店を出るかという雰囲気になったところで、友人がトイレに行くと言ったので荷物を見つつ素直に待った。

 こういう時間はきらいじゃない。一人の時間にケータイがないと生きていけない、という友人もいるけれど、なにもせずただぼーっとするのが彼女は好きだ。攻撃的な面がある彼女を知る友人たちからは、意外だと言われることが多い。何事にもアクティブだと思われているらしい。

 唐突に声が聞こえて、彼女の意識は急に浮上した。

 「相席、いいですか?」

 机におちる影に、「いいですよ」と顔を上げて返しかけて、彼女は固まった。

 返事のない彼女に構わずに目の前の男は向かいに腰掛けたが、まわりのテーブルはがらがらで、あえて相席をすることもない。ナンパの類いだろうか、彼女は警戒する。

 「…あの、席、他に空いてますけど」

 「あなたと話がしたいんです」

 「すみません、連れがいるので」なるべく冷たく言い放った。いっそこの席を立って、ケータイで友人に知らせた方がいいかもしれない。

 「俺のこと、覚えてない?」

 立ち上がりかけた彼女はそのせりふに行動をとめて男を見た。黒髪に黒目、中肉中背。肌が妙にきれい。にやにやと笑うその表情にこそ覚えはないが、顔のパーツには見覚えがあった。

 「どこで…」

 ストーカーだと騒ぐ森下の顔が浮かんだ。

 カウンターにおかれた、奇妙な組み合わせの商品を思い出した。記憶の中の手をたどると、いつからか現実の、男の顔につながった。

 「…森下のストーカー」

 「もりした?」男はきょとんとした顔をしたが、間違いない、彼女のアルバイト先に現れたストーカーだった。

 (ていうか、森下のじゃなくてあたしのストーカーだったの?)森下の自意識過剰だったのだろうか、それとも、女子高生なら誰でもいいのか。

 「あなたと知り合いになりたい」

 「あの、本当やめてください。あたしに接触かけても森下とつながることはないし、あたし自身に目的があるならもっと困ります」

 堂々と言う必要があった。あえて目を合わせて、正面から言い切ってやったのに、男も目をそらすことはなかった。

 「どうしたらいい?どうしたら、君を困らせず君に会うことができる?」

 「無理です」

 あえて言えば、彼女のアルバイト先にこれからも単なる客として来れば顔を見ることくらいはできるけれど、わざわざ言いはしない。

 「俺は君と同じ学校に通うことはできないし、君はあのコンビニでは今従業員を募集していないと言った。働いている君に話しかけることはできない。君に俺を認識してもらうには、こうするしかないじゃないか」

 (女子校に通うことを視野に入れるな!)

 男の目は真剣に思えた。それはいっそう彼女の警戒心をあおる。この手の輩ほど激化すると危ないと聞く。それにしても、なぜ彼女なのか?

 「あたしがあなたを全然知らないのと同じで、あなたもあたしのことを知らないはずなのに、どうしてそこまであたしと知り合いになりたいと思うんですか」

 「君のことが知りたいから」

 でてきたのはとんでもなく気障なせりふだった。

 「君こそ、どうしてそこまで俺がいやなの?知り合ってみて、いやなら切ればいいのに」

 簡単に言ってのける。

 「言わせてもらいますけど、変な男に関わって、犯罪に巻き込まれたって遅い。あなたがそうと決めつける訳じゃないけど」

 「ふーん」男は目を丸くして彼女を見た。

 友人が帰ってくるのが遅い。

 「あの、もういいですか?」

 「どうすればまた会える?」

 「もう会いません」

 「俺は会いたい」

 「うざい!!」

 ついに彼女は言い捨てて、かばんを引っ掴んで逃げるように走り去った。


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