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子爵家令嬢は見た!! 〜恋の導火線に火をつけたのは、あの多股令嬢でした〜  作者: 猫が寝転んだ


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2/2

後篇

この作品は、後篇です。

こちらから先に開いた方は、恐れ入りますが、前篇の方からご覧ください。


「――これは、どういう意味ですの?」


 夜会場に響いた声で、私は凍りついた。

 ベアトリス様が、白い封筒を高々と掲げている。


「シャルロッテ様から、アレクシス様への恋文ですわね?」


「は?」


 アレクシス様が固まった。


 ――あら? 返す先を間違えたのかしら……?


「違います!」


 シャルロッテ様が一歩前へ出る。


「では、なぜそんなに慌てていらっしゃるの?」


 ベアトリス様の声は冷たい。


「慌ててなど――」


「やめなさい!」


 アレクシス様が割って入る。


「シャルを責めるな!」


 その一言で、空気が変わった。

 ベアトリス様の眉がぴくりと動く。


「……“シャル”?」


「――それは、その……」


「私という婚約者がいながら、ずいぶん親しい呼び方ですこと。」


「ベアトリス、それは誤解だ!」


「誤解?  温室で手を握りながら『君を手放さない』と仰っていたのも?」


 ざわっ、と周囲が揺れる。

 アレクシス様の顔色が変わった。

 そして――


「あなたにだけは言われたくありません!」


 シャルロッテ様が声を張った。


「何ですって?」


「先ほども回廊で、ルーカス様とあれほど熱い視線を交わし、手に口づけなさらんばかりの距離にいらしたのは、どなたでしたかしら?」


 ベアトリス様が凍る。


「それは――」


「ベアトリス?」


 低い声。

 今度はアレクシス様だった。


「説明してもらえますよね?」


 婚約者としては当然の問いである。

 だが、追い詰められたベアトリス様は、扇を閉じると、すっと背筋を伸ばした。


「……ええ、説明いたしますわ」


 開き直った。


「昨夜、ルーカス様はおっしゃってくださいました。 『家の反対など関係ない』――と」


 静寂。

 ルーカス様の顔色が変わる。


「ベアトリス様、それ以上は――」


「『君しかいない』とも。」


 数拍の沈黙。


 そして――

 ルーカス様も、観念したように息を吐いた。


「……ええ。その通りです」


 認めた。


「私はベアトリスを愛しています」


 ざわっ、と会場が揺れる。

 アレクシス様の顔色が消えた。

 そこへ――


「――では私は何なのです?」


 鋭い声が割って入った。

 当の婚約者、エミリア様だった。

 彼女はまっすぐルーカス様を見据える。


「私はあなたの婚約者ではないのですか――」


「エミリア、それは……」


「それは、何ですの?」


 声は静かだった。

 だからこそ怖い。


「私をないがしろにするのは、まだ我慢できます。」


 できるんだ……?


「ですが――」


 一歩、前へ。


「我が家まで、軽んじるおつもりですの?」


 ルーカス様の眉が跳ねた。

 それは痛い。

 恋ではなく、家の問題になった。


「そんなつもりはない!」


「では、どういうおつもりであのようなご発言を?」


 エミリア様の問いに、ルーカス様は言葉を詰まらせた。


「それは……」


 追い詰められた末に、彼は叫んだ。


「君にだけは言われたくない!」


 ああ、出た――

 さっき投げた言葉が、きれいに戻ってきている。

 エミリア様の眉がぴくりと動く。


「……何ですって?」


「僕は知っているんだ!」


 ルーカス様は、震える指をエミリア様へ向けた。


「君だってレオポルド様と、いつも……必要以上に親しげだったじゃないか!」


 ざわっ――

 夜会場が揺れる。

 私は知っている。

 今、飛び火した。

 しかも、かなり燃えやすい場所に。


 エミリア様は一瞬だけ表情を強張らせたが、すぐに背筋を伸ばした。

 そして、レオポルド様へ視線を向ける。


「……説明してくださいますわよね?」


 その声音には、“うまく収めてくださいませ” という期待がにじんでいた。


 レオポルド様は小さく笑った。

 任せておけ――そんな顔だ。


「――ええ、もちろん。」


 一歩前へ出る。


「僕たちは、そのような仲ではありませんよ。」


 穏やかな否定。

 エミリア様が、ほっと息をつく。


 ――息をつくのは、まだ早かった。


「彼女はただ――」


 レオポルド様は大仰に両手を広げた。


「僕を信奉しているだけです。」


 静寂。

 ん?


「彼女は、僕のすべてを認め、何もかも捧げてくれる、得難き理解者なのですよ。」

 


 陶酔していた。

 完全に。

 エミリア様の笑顔が固まる。


「僕が何を言っても受け止めてくれる。否定しない。争わない。

 実に心地よい――」


 だめだ――

 それ以上はだめだ。

 私は壁に額を押しつけた。


 会場全体が、「それ、浮気よりまずくない…?」という空気に包まれている。

 当の本人だけが気づいていない。


「……つまり。」


 エミリア様が、静かに口を開いた。

 声が震えている。


「私は、あなたの信者だと?」


 レオポルド様は満足げに頷いた。


「熱心な――そう言っても差し支えありませんね。」


 だめだ。

 完全にだめだ。

 エミリア様の笑顔が、すうっと消えた。


「――残念ながら。」


 一歩前へ。


「あなたを信奉など、欠片もしておりませんわ。」


 おお――!?

 切った。


「ただ――」


 彼女はちらりとルーカス様を見る。


「婚約者があまりに頼りないものですから、少しばかり、他人の美辞麗句に耳を貸しただけです」


 今度はルーカス様に跳ね返った。

 自業自得である。


「エミリア――」


「黙っていてください。」


 ぴしゃり。

 強い。


「……なるほど。」


 静かな声。

 今度は、シャルロッテ様だった。

 彼女が、ゆっくりとレオポルド様の前へ進み出る。


「では私も、確認させていただきますわ」


 レオポルド様の背筋が伸びる。

 本命が来た。


「先ほどあなたは――」


 シャルロッテ様は微笑んだ。


「“彼女とは違う”と、おっしゃいましたわね?」


「それは、その……」


 一転して歯切れが悪い。


「私と、何が違うのです?」


「違うというか……」


「違うというか?」


 一歩……

 レオポルド様が一歩下がる。


「君は優秀すぎるんだ!」


 ――とうとう叫んだ。


「何をしても正しくて、いつも隙がなくて、僕の入る余地がない!」


 夜会場が静まる。

 ああ。

 言ってしまった。


「だから、少しぐらい――」


「少しぐらい、慰めが欲しかった?」


 シャルロッテ様の声は穏やかだった。

 穏やかすぎて怖い。


「そうだよ!」


 レオポルド様は、半ばやけになって叫んだ。


「君は僕を認めない!  だが彼女は違う!  僕のすべてを受け止めてくれる!」


「――そう……」


 シャルロッテ様は微笑んだ。

 その笑みが怖い。


「では――」


 一拍。


「その“身も心も受け止めて、慰めてくださる彼女”と――」


 視線が、ゆっくりとエミリア様へ向く。

 逃がさない。


「婚約し直せば、よろしいのでは?」


 刺さった――

 レオポルド様が絶句する。

 エミリア様も固まった。


「わ、私は……!」


 とっさに言葉が出て来ない――

 それに、もう遅い。


 周囲の令嬢たちの視線は、完全に  「ああ、やはりそういうご関係でしたのね」である。


 終わった。

 もはや誰も味方はいない。

 その時だった――


「やめて!」


 甲高い声が響いた。


 人垣をかき分けるようにして、  セシリア様が飛び込んでくる。

 胸元で両手を組み、潤んだ瞳で男たちを見渡した。


「お願い……  私のために争わないで……!」


 違う――

 そうじゃない。

 誰もあなたのためには争っていない。

 私は再び壁に額をぶつけた……痛ひ……


 だが――


「セシリア!」


 真っ先に声を上げたのは、レオポルド様だった。


「君を悲しませるつもりはない!」


 おっと………

 言った。


「レオポルド様……!」


 セシリア様が胸に手を当てる。

 そこへ、


「泣かないでください」


 今度はルーカス様。


「君の涙は、見たくない」


 言った――

 言ってしまった。


「ルーカス様まで……!」


 セシリア様の瞳がさらに潤む。

 だめだ。

 止まらない。

 そして――


「……僕もだ――」


 小さく、しかし確かに。

 アレクシス様だった。


「君を傷つける者は、許さない」


 増えた――

 三人目である。

 お三人さん、いつもの癖で反射的に甘い言葉が出たのだろう。


 ……お馬鹿である。



 夜会場が静まり返る。


 私は知っている。


 今、社交界の空気が死んだ。


 婚約者たちの視線が、一斉に男たちへ突き刺さる。


「……今、何と?」


 ベアトリス様の声だった。

 彼女は静かにルーカス様を見据える。


「“君の涙は見たくない”――ですって?」


 ルーカス様が固まる。


「以前、私にも似たようなことをおっしゃっていましたわよね?」


「ベアトリス、それは――」


「“君に涙は似合わない”――でしたかしら?」


 だめだ――

 逃げ道がない。


 そして次の刃が落ちた――


「“君を傷つける者は許さない”?」


 静かに問うたのは、シャルロッテ様だった。

 視線の先は――アレクシス様。


「わたくしではなく、そちらの方を守るのですか?」


 アレクシス様が青ざめる。


「いや、それは違う!」


「何が違いますの?」


 冷たい――

 非常に冷たい。


 そして、刃の気配は止まることがなかった。


「“悲しませるつもりはない”――でしたわね。」


 エミリア様がレオポルド様を見据える。

 笑っている。

 目だけ笑っていない。


「先ほどは、私のことを“理解者”とおっしゃっていましたけれど――」


 レオポルド様が一歩後ずさる。


「理解者には、そのようなお優しい言葉は掛けてくださらないのね…」


 レオポルド様は慌てて首を振った。


「君は特別だ!エミリア、君は他の誰よりも優秀で――だからこそ、そういう甘い言葉は必要ないというか……!」


 言った瞬間、しまったという顔になる。


 空気が一段冷えた――

 すでに氷点下に達しているかもしれない。


 そして――

 当のセシリア様は、空気を一切読まず、さらに状況を悪化させた。


「もう……  みなさまったら。」


 頬を染めて、小さく笑う。


「昔からそう。アレクシス様も、  レオポルド様も、ルーカス様も――」


 一拍――


「フェリクス様も、ヴィクトル様も、エドガー様も、みんな私に優しすぎるんですもの……」


 沈黙――

 放送事故かと思える沈黙。


 私は知っている。


 今、私以外の、誰も想像だにしていなかった名前が、三つ増えた。

 また巻き込まれ事故の被害者である。


 ざわっ――!

 会場が揺れた。


「フェリクス様?」

「公爵家の?」

「ヴィクトル様はまあ……ね」

「エドガー様まで……?」

「まさか……」


 令嬢たちの扇が一斉に動く。

 噂が増殖している。


 まずい――

 まずいどころではない。


 そしてその時――


「――そこまでだ。」


 声は高くない――

 だが、その場の熱が一段落ちた。


 視線が一斉に集まる。

 人垣の間から現れたのは、公爵家令息フェリクス・アシュクロフト。


 彼は一度だけ状況を見渡し、淡々と口を開いた。


「……ここは夜会の場だろう」


 叱責ではない……確認でもない。

 ただ事実の提示――

 その言葉だけで、空気の輪郭が変わる。


 彼の視線がセシリアへ向いた。


「セシリア嬢。少し控えてもらえるか」


 優しさでもなく、怒りでもない。

ただ、当然のこととして口にしただけだった。


 それから、ほんの一拍。


「それと――」


 視線が全体をなぞる。


「続きは場を移してやりなさい。ここでやる話ではない」


 正論である。


 ここで黙れば、まだ救いはあった――

 けれど彼女は、そういう場面で黙っていられる性質ではなかった。


「まあ……」


 セシリア様は、ぱっと顔を輝かせた。

 ――だがすぐに、少しだけ眉を下げる。


「フェリクス様ったら」


 嬉しそうなのに、どこか困ったような顔だった。


「そうやっていつも、私にだけ厳しいことをおっしゃるんですもの」」


 会場が凍る。

 フェリクス様の眉が、ぴくりと動く。


「――誤解だ」


「でも〜〜」


 セシリア様は首をかしげる。


「この前も、“もう少し慎みを覚えろ”って、二人っきりの時に優しく肩に手を置いて言ってくださいましたわ」


 おい――

 言い方。

 その言い方。まずいだろ……


 フェリクス様が目を閉じた。

 耐えている。

 たぶん。


 令嬢たちの扇が、一斉に揺れる。


「二人っきり……?」

「優しく肩に手……?」

「公爵家が……?」


 ざわ……ざわ……


 噂が増殖する音がする――


 私は知っている。

 これはもう止まらない。


「それとぉ〜」


 セシリア様が、なぜか誇らしげに胸を張った。


「エドガー様も、“秘密にしておきたい人だ”って!」


 そりゃ、言えんでしょ。


「ヴィクトル様はね、“次はいつ会える”って!」


 さっきも言ってたね。


「アレクシス様はぁ、“君を守る”って!」


 仮想敵は誰だよ。


「レオポルド様は、“君は僕の理解者”って!」


 誰にでも言うのか――


「ルーカス様は、“君の涙は見たくない”って!」


 ウソ泣き、上手そうだけどね。


 全員、終わった――


 男たちの顔色が、すでに綺麗に死んでいる。


 そして――


「――つまり。」


 誰かが言った。


「公爵家、侯爵家、伯爵家、子爵家……  まとめて、ひとりの男爵令嬢に?」


 その一言が、社交界を貫いた。


 沈黙――――――


 次の瞬間。


 どっ――


 夜会場が爆発した。


「ありえませんわ!」

「聞いた!?」

「誰が正婚約者なの!?」

「というか、何股!?」

「七股!?」

「八股では!?」

「みんな、ご兄弟…に?」


 もう、数を数える意味はなかった。


 扇が舞い、噂が飛び、令息たちは青ざめ、令嬢たちは興奮し、貴婦人たちは明日の茶会の議題を確保した。


 私は壁の陰から、その地獄図を見つめる。


 片目だけでも十分だった。


 そうして私は悟った。


 ――恋文一通で、社交界は揺らぐ。


 いや。

 揺らしたのは、たぶん私だ――


 コレが神の思し召しだったのだろうか………?



 後になって、私は知ったのだけれど――


 あの恋文の筆跡は、セシリア様のものだった。


 しかも、一通ではない。


 彼女の手元には、ほとんど同じ文面の恋文が、何通もあったらしい。


 宛名だけを変えた、それはそれは器用な愛の量産品である。


 ――あの夜、落ちていたのは、そのうちの一枚だった。


 ……つまり、誰に返しても地獄だったのだ。

 神様、最初から詰んでいたのでは――?





 その後の社交界は、しばらく静かだった。

 正確には「静かに見せかけていた」が正しい。


 茶会では誰もが同じ話題を避けつつ、同じ話題しかしなかった。


「最近の夜会は、少し……賑やかですわね」

「ええ、本当に“いろいろ”ありましたもの」


 ――全員、目が泳いでいた。


 ただひとつ、変わったことがあるとすれば。

 いくつかの家で、婚約に関する話が妙に静かになったことだろうか。


 破談とも続行ともつかないまま、急に言葉だけが慎重になった家もあれば、逆に以前より距離を詰めるようになった家もある。


 誰もはっきりとは言わない。

 けれど、空気だけが確実に変わっていた。


 どうやらあの夜を境に――誰もが少しずつ、自分の立ち位置を見直している最中らしい。



 ――私はというと。


 貧乏子爵家の三女として、今日も今日とて婚活夜会に出席している。


 何事もなかったかのように。

 いや、正確には――何事も“ありすぎた”後である。


 デビュタントを迎えた十六歳。


 相変わらず魔法はささやかで、生活の延長線上に毛が生えた程度。


 視力強化。聴力強化。隠形。隠蔽。


 ……やっぱり婚活向きではない気がする。


 だが、それでも私は壁の陰に立つ。


 片目だけを、そっと出す――

 癖は、そう簡単には治らない。


 そして今日も私は思う。


 ……次は、もう少し平和な現場だといいのだけれど。


 多分、無理な気がする――

新連載始めました。


平凡聖女、筆頭になるつもりはありません〜神殿は奇跡だけでは回らない 〜

https://ncode.syosetu.com/n5149mf/

良ければお楽しみ下さい。

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