前篇
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カレン・ヨハンソン、十六歳。
貧乏子爵家の三女にして、本日、婚活夜会の真っ最中である。
栗色の髪に茶色の瞳。 夜会用の化粧を施されてもなお、「どこにでもいそう」と評される程度には平凡な顔立ちだ。
……もっとも。
こうして壁の陰に張りつき、片目だけをひょこりと出している令嬢は、たぶんどこにでもはいない。
婚活としてはだいぶ間違っている気がする。
だが、仕方ない。
私は転生者だ――
前世では、ごく普通の会社員だった。
平日は終電帰り、休日は寝だめ。
唯一の楽しみは、録画したサスペンスドラマを見ることだった。
中でも好きだったのが――
壁の陰から片目だけを覗かせる、あの名物家政婦が活躍する長寿サスペンスだった。
まさか自分が、それを実践する日が来るとは夢にも思わなかった。
しかも妙にしっくりくる。
理由は簡単――
この世界の魔法事情にある。
この世界の魔法は、弱い。
実に弱い。
火を灯す。
水を一杯出す。
服の皺を伸ばす。
せいぜいその程度――
前世の知識で無双するような、転生チートなど存在しない。
ちょっと残念だった。
正直、最初は期待した。
せめて炎を飛ばすとか、空を飛ぶとか。
だが現実は違った――無念
その代わり、私にはちょっとした固有魔法が与えられていた――
視力強化――少し離れた場所でも、令嬢が恋人へ向ける睫毛の震えまで見える。
聴力強化――吐息まじりの……いや、囁き声程度なら、壁一枚向こうでも問題ない。
隠形――人の視線から、自分の存在をそっと外すことができる。
……この所為ではなかろうか――私が殿方の目に留まりにくいのは。
隠蔽――足音も、衣擦れも、気配すら薄くできる。だが、なぜか私の嘘だけはすぐバレる。
……どう考えても覗き向きだった。
神様、配布ミスでは?
――とはいえ便利は便利である。
私は今夜も、壁の陰から片目だけを出した。
まず一組目。
植え込みの向こう――
柱の陰から片目を出す。
侯爵令息アレクシス・フォン・ローゼンベルク様が、幼馴染の子爵令嬢シャルロッテ・エーレン様の手を握っている。
「君を手放すつもりはない」
「私もです、アレクシス様」
熱い――東京の熱帯夜のごとく……
ちなみに私は知っている――
この二人が政略結婚によって引き裂かれた悲恋の恋人同士であることを。
なぜなら先月も温室で同じことを言っていた。
お熱いところがお好きなようで……
次は。
二本目の柱。
――片目――
伯爵令息レオポルド・グランツ様。
相手はもちろん婚約者ではない。
男爵令嬢エミリア・ヴァルデン様。
「君は彼女とは違う」
「どう違うのです?」
「君は……僕を認めてくれる」
重い――ハワイ出身のお相撲さんより重い……
だが、私は知っている。
彼の婚約者シャルロッテ様が優秀すぎて、彼が勝手に劣等感をこじらせているだけだということを――
本人だけが気づいていない。
さらに、
三本目の柱。
――片目――
子爵令息ルーカス・ハインベルク様と伯爵令嬢ベアトリス・フォン・クラウゼ様。
「家が反対しようと、私は諦めません」
「言葉なら誰でも言えますわ」
「なら証明する」
近い――満員電車で押し込まれた時の、あの絶望的な密着度並みの近さだ……
もちろん私は知っている。
この二人が周囲に反対されながら、密会を続けていることを。
先週は東屋。
今日は回廊。
次はどこだろう。
もう場所が思いつかない。
も一つおまけの、
四本目。
――片目――
伯爵令息ヴィクトル・ラング様。
その腕の中には男爵令嬢セシリア・ノルデン様。
「次はいつ会える?」
「会いたくなった時ですわ」
軽い――テレフォンショッピングで購入したばかりの羽毛布団より軽い。
しかし、私は知っている。
彼女がヴィクトル様だけでなく、公爵令息フェリクス様とも、子爵令息エドガー様とも親しいことを。
……親しい、で済むかは怪しいけれど。
私は壁から背を離し、小さく息をついた。
念のため、頭の中で整理する。
侯爵家令息アレクシス様の婚約者は、伯爵令嬢ベアトリス様。
なのに想い人は、幼馴染のシャルロッテ様。
伯爵令息レオポルド様の正式な婚約者は、優秀で隙のない子爵家令嬢シャルロッテ様。
なのに彼が求めるのは、自分を持ち上げてくれるエミリア様。
子爵家令息ルーカス様の婚約者は、男爵家令嬢エミリア様。
なのに密会相手は、侯爵家に嫁ぐはずのベアトリス様。
そして男爵令嬢セシリア様の婚約者は、存在感がなく気の毒なオットー様。
なのに彼女は、誰の腕の中にいても違和感がない。
……うん。
ろくでもない。
さて、戻ろう――
四本の柱が並ぶ回廊を抜け、そのまま夜会場へ戻る――その一本道。
誰もが必ず通る、その通路の真ん中に。
白い封筒が落ちていた。
「……恋文?」
拾う。
封蝋は割れていない。
宛名を見る。
『愛しい人へ』
「雑……」
思わず言った。
誰宛だ…?
せめて名前を書いてほしい。
もちろん中は見ない。
礼儀だから。
問題は、誰に返すか。
この通路に落ちていたなら、さっき見た四組の誰かだろう。
だが、誰がいいのだろう――
差出人か。
受取人か。
そもそもそれが、分からない。
「……こうなったら」
私は目を閉じた。
頭の中に、さきほど見た八人の顔を並べる。
侯爵家令息アレクシス様。
伯爵家令嬢ベアトリス様
伯爵家令息レオポルド様。
子爵家令嬢シャルロッテ様。
子爵家令息ルーカス様。
男爵家令嬢エミリア様
伯爵家令息ヴィクトル様。
男爵家令嬢セシリア様。
……うん。
並べてみると、やはりろくでもない顔ぶれである。
仕方がない……
なけなしの魔力を練って、神様に語りかけるように唱える――
「誰にしようかな、天の神様の言う通り――
けっけっけ〜の毛虫、油虫!」
指先が、脳内の顔を順にたどる。
――止まった。
「……ベアトリス様」
決まった――
なら、あとは返すだけだ。
私は恋文を胸元へしまい、ひと足先に夜会場へ戻った。
楽団は変わらず優雅なワルツを奏でている。
貴婦人たちは扇を揺らし、貴族たちは笑っている。
つい先ほどまで庭園や回廊で繰り広げられていた秘密の逢瀬など、誰ひとり知らない。
――いや。
知っている……
私は知っている――
壁の陰から、全部見ていた。
ほどなくして、一組目が戻ってきた。
アレクシス様とシャルロッテ様。
もちろん別々に――
偶然ここで再会しました、という顔をしている。
――無理がある。
つい先ほどまで、互いの手を握りしめて「君を手放さない」と誓っていたではないか。
指先にはまだ、名残惜しそうに離したぬくもりが残っていそうだった。
二組目。
レオポルド様とエミリア様。
こちらも距離を取っている。
だが、レオポルド様の表情がやけに柔らかい。
あれは、「君は僕を認めてくれる」と満足した男の顔だ。
対するエミリア様は、してやったりという顔をしている。
なるほど――
あれは褒め上手なんだろう。
三組目。
ルーカス様とベアトリス様。
距離はある。
十分ある――
だが、目が合った瞬間、同時に視線をそらした。
あれは、まだ熱が残っている。
前世の満員電車で押し込まれた時の、あの絶望的な熱気を思い出す。
そして最後――
ヴィクトル様とセシリア様。
……この二人は別格だった。
ヴィクトル様は、何事もなかったように涼しい顔をしている。
対してセシリア様は、ふわりと会場へ戻るなり、扇をひと振り。
まずアレクシス様へ微笑み、
次にレオポルド様へ視線を送り、
最後にルーカス様へ、意味ありげにまばたきをした。
三人とも、それぞれほんの少しだけ顔を赤くした。
私は目を細める――
私は知っている。
あの男爵令嬢の周囲だけ、どうにも空気がおかしい。
近づけば、何かが起こりそうな気配がする。
――だから近づかない。
触らぬ令嬢に祟りなし、である。
「よし――」
私は隠形を使った。
人波に紛れ、そっとベアトリス様に近づく。
彼女が給仕から飲み物を受け取った、その一瞬――
彼女の手元へ、白い封筒を滑り込ませた。
完璧――――
恩着せがましくない。
理想的返却である。
――そう思った。
五分後までは…………
新連載始めました。
平凡聖女、筆頭になるつもりはありません〜神殿は奇跡だけでは回らない 〜
https://ncode.syosetu.com/n5149mf/
良ければお楽しみ下さい。




