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これはきっと、恋じゃない ーある日、異世界の聖女が召喚されて。ー  作者: はなぶさ
番外編 ローザという人

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1

神様はきっと、どこまでも平等だ。

己が作り出した土くれに「ヒト」という名を与え、数を増やし、愛を等分した。

そう、神様は特別な人間を作らなかった。

どんな人間も平等に扱い、ないがしろにすることもなく大切に慈しんだのだ。

富んでいる人間も、貧しい人間も、病んでいる人間も、健やかな人間も、善人も、悪人も。

誰一つ差別せず、同じだけの愛を与えた。


それは、生まれ育った環境がどうであろうと変わらなかった。

屋根のない場所で生まれた赤ん坊にも。

理不尽な暴力に怯えながら隠れるようにして生きるしかない子供にも。

戦火に逃げ惑う人々にも。

道端に転がる死に場所さえ選べない老人にも。

決して贔屓などせず、等しく愛した。


たったそれだけの愛では足りないという人間の声は無視して。


この世には、有り余っているお金を湯水のように使う人間が居ることを知っている。

戦場なんて見たことも無く、戦火に怯えたこともない人間が居るということも。

空腹に喘ぐことなんて想像すらできない人間が居ることも。

私は、知っている。


それなのに、神様は皆に同じだけの愛しか与えなかった。


愛をお金に換算するなら、小さな袋に詰めたそれを分け隔てなく配り歩くのと同じだ。

大金持ちの人間と、住む家もなく道端に転がっているような人間に、同じ金額の入った袋を渡した。

大金持ちであれば、その袋を道端に落としたとしても気付かない。他人に奪われたとしても、はした金だと一笑して終わり。思い出すことさえないかもしれない。

つまり、そんなお金は不要なものだったということだ。

だけど、道端に転がっている人間にとってはどうだろう。

金銭の入った小袋を手に入れた瞬間は、神に感謝し涙を流すに違いない。これで食料を手に入れることができると、震える足を叱咤して立ち上がることさえできるだろう。

しかし、たったそれだけのお金では人生を立て直すことなどできやしない。

その日の食料を手に入れて、それを腹に詰め込んだら後には空の袋が残るだけ。

そして結局、翌日には袋をもらう前と同じように道端に転がっている。

それでは、何も変わらないのと同じだ。

地面を這いつくばって生きているような人間が、生まれながらに恵まれた環境に居る人間と同じ位置までのし上がるには、より多くのお金が必要なのである。


分かりきったことではないか。ただの人間でしかない私にも、それが分かる。

神様がもし全てを承知で、それでも愛を平等にしか分け与えないというのなら。

―――――残酷だ。そして、どうしようもなく不平等だ。



「……カレフ?」


祈りの儀式を終えて自室に戻る途中、何となく立ち寄った大神殿の奥の()にその人は居た。

普段は誰も寄り付かないような場所である。

大神殿はそれはそれは歴史が古く、その権力を強大なものとする度に建物自体を大きくしていった。

その為、増築を繰り返しており、奥に入れば入るほど老朽化している。

清掃が行き届いているからか、古びているというよりは趣があると言った風情だ。

ただし、人気のないことには変わりない。

ちょっとした広場のようになっているその場所では、昔、神官たちが集会をしていたのだという。

見渡せば、屋内だというのに壁や柱に植物が蔓延っている。不思議なことではあるが、それはきっとここが聖域だからなのだろう。

聖域というのは、昔からそういう説明できないようなことが発生する場所なのだ。

ひびが入っているわけでも隙間があるわけでもない壁の、どこから顔を出しているのか、その根がどこに繋がっているのか誰にも分からない。また、土も水もない場所で、どうやって栄養を得ているのか。


罰当たりなことだとは思うが、正直言えば、少し不気味でもある。

見上げれば、高い天井にも隙間なく無数の蔦が交差しながらへばりついていた。


「また、勝手に入ってきたのね」


私がそう言えば、こちらに振り向いた金髪の少年はふわりと笑みを作る。

照明があるわけでも屋外から光を取り込んでいるわけでもないのに、その髪はなぜかきらきらと輝いて見えた。まるで、彼が特別な人間であることを証明しているかのように。

乾いた土の色をしている私の髪は、どんな風に映っているのだろう。ふと、そんなことが気になった。


色合いだけで言えば、彼の持つものと似ていないこともない……と、思う。


私の髪は、平民が持つには高貴すぎる色をしていると揶揄されてきた。

だから私も、そんな気がしていたのだけれど。

神殿に入ってからは、そんなことを言われることもなくなった。

それはきっと、ここに勤める人間のほとんどが貴族で、彼らが「本物」を知っていたからだろう。

本物を目の前にすれば、似ているのは雰囲気だけで全く異なるものだというのが分かる。同系色ではあるが、濃淡が違う。たったそれだけのことなのに、同じ色とは言えない。

私の髪に、それこそたくさんの光を取り込んだなら、もしくは暗い部分を全て抜き去ったなら完全に同色だといえるのかもしれない。


だけど、そんなことできやしないし、想像することさえ無意味だと分かっている。

だって、私と彼はこんなにも違うのだから。


「許可を得たわけではないけど、勝手に入ってきたわけでもないよ。今頃、護衛が神殿に報告しているはずだから」


つまり、事後報告というわけだ。彼はそれが許される立場にある。

何か企んでいるのか、それとも何も考えていないのか、口元には小さな笑みが浮かんでいた。

私の顔から視線を外したその方は、ふと視線を上げて眩しいものでも見るかのように目を眇める。

その視線の先にあるのは、大きな銀盆だ。

十代の半ばに差し掛かったくらいの彼が真っ直ぐに立って踵を上げればやっと覗き込めるくらいの位置に掲げられている。中には聖水を溜めていて、必要なときには銀の柄杓で掬い上げて取り出すのだ。

その盆は天井から吊るされた長い長い鎖に両端から支えられて、水面を柔らかく揺らしていた。

窓のないその場所では隙間風など入り込む余地もないというのに、柔らかな風が流れ込んでくるのは不思議なことである。きっと古代魔術によるものなのだろう。


神殿の奥に入るほど、訳の分からない魔術がかけられているのだと聞いた。

古い魔術は、現在活躍している魔術師にも理解できないらしい。

術を展開している魔法陣がどこに刻まれているのかさえ分からないそうだ。


「……君たちの祈りは、年々凄まじいものになるね」


盆の中の聖水を覗き込みながら、第一皇子殿下が静かな声で言った。

「凄まじいというのは、どういう意味?」

明らかに褒められているのとは違う気がして、首を傾げる。

彼は私の問いに答えることなく、銀盆から離れて床に腰を下ろした。

すとん、と足が力を失ったかのように座り込んだ仕草に不自然さを覚える。思わず駆け寄れば、

「美しいけれど、肌をびりびりと突き刺すような……鬼気迫るものがあると、僕は思うよ」と、僅かに眉間を寄せた。そして、何か重たいものを吐き出すように息をついて肩から力を抜く。


初めは片膝をついた格好だったが、その体勢さえ辛いのかやがて両方の膝を下ろした。

胡坐をかいたような格好だが、上半身は前に傾いている。そのまま前のめりに倒れこみそうにも見えた。

しかし、そうならないように必死に耐えている。


「……君たちの歌を聞いていると己の矮小さを思い知らされる」


どこか上の空で言葉を紡ぎだすカレフに違和感しかない。

膝を付いてその顔を覗き込めば、こちらに視線を移した彼の目が奇妙な色に変わっていることに気付く。白目の部分が、かなり黄色い。

私の顔を映しこむ虹彩の色はそのまま変わりないが、微かに揺れ続けていた。

もしかして、目が回っているのではないだろうか。


「貴方、一体……どうしたの?」


私の声に、ほんの小さな笑みを浮かべたカレフは「吐きそう……」と呟き、指で唇を抑えた。

今にも嘔吐しそうな様子なのに、彼は微動だにしない。床の上で拳を作っている右手が小刻みに震えていた。

本当に気分が悪いのであれば、一度胃の中のものを吐き出せばすっきりするかもしれない。

その背中にそっと手を添える。すると、そのときにまた彼の異変に気付いた。


色を失った白い唇を抑える彼の爪が、黒くなっている。

何だかひどく嫌な予感がして、その爪をじっと見つめた。


その視線に気付いた彼は、「吐き出すわけにはいかないんだ」と口の端を噛んだ。

そして、強く瞳を閉じる。

手の平に当たった彼の背骨が緩くしなった。震えているのは寒さに怯えているからではないだろう。


彼は、いつからこれほどに痩せていたのか。


「カレフ、何だかおかしいわ。貴方、何だか、」


言葉が続かずに、語尾が吐息に交じって消える。喉が意味もなく空気を呑み込んで音をたてた。

重病人のように見えるのに、なぜかはっきりと病ではないことが分かる。

カレフは浅くなっている呼吸を整えるかのように何度か大きく息を吸ってから目を開くと、私の顔をじっと見据えた。


口元を押さえていた手を外して、「これも、僕の役目だから」としっかりした声で答えを返す。

その顔は血の気を失い青褪めているというのに、笑みを浮かべていた。

それは、いつも私たち聖女候補の前で見せている柔らかな微笑とは違う。


時々、大神殿内で見かける「第一皇子殿下」が見せる表情と同じだった。

朗らかで穏やかな、だけど一分の隙もない「作り笑顔」という呼ばれる類のものである。


彼の言う「役目」というのが何を意味しているのかは分からなかった。

だけど、彼が第一皇子殿下であることに関係していることは想像できる。

何を言えばいいのか、何をすればいいのかも分からずに、ただその様子を見守ることしかできない。

私たち聖女候補のことを凄まじいと評した彼だが、奥歯をかみ締めるその姿こそ凄まじいものがあった。


どれほどの時間そうしていたのか、カレフはやがてゆっくりと体を起こす。

そして、何事もなかったかのようにふらりと立ち上がった。

二、三歩たたらを踏んだけれど、体勢を整え、ぐうっと背筋を伸ばす。先程までの出来事が嘘のように。

相変わらず顔色は悪い。だが、知らない人間が見れば不調などないようにも見える。

元々、そういう顔色なのだといえば誤魔化されてしまう程度だ。

彼は何度か深呼吸を繰り返すと、皇宮よりも空気が澄んでいるからここは過ごしやすいねと笑う。

今度の笑みは、作ったものではなかった。


「……僕は、皇帝になることが決まっているから」


再び、大きな盆に入った聖水を覗き込んだ彼がぽつりと呟く。

揺らぐ水面の向こうに、何を見ているのだろうか。己の顔か、それとも、他の何かなのか。


「簡単に、死ぬわけにはいかないんだ」


その横顔に映し出された双眸に、強い意志が宿っている。

「人の上に立つということは、そういうことなんだよ」

ふと、こちらを向いたその目に射抜かれるようだった。

いきなり何を言うのかと、疑問に思う。だけど、筋が通っているような気もした。


「どんなときでも、何があっても、誰を犠牲にしても、何を失っても、自分だけは最後まで生き抜くんだという覚悟が必要なんだ」


彼の右手が銀盆の端を掴み、その反動で聖水が零れ落ちる。

大理石の床に小さな水溜りを作ったそれを、彼は、足で踏みつけた。小さく跳ねた雫が、彼の履いている真新しい靴の先を濡らす。


彼にしては珍しく、何かに怒っているような乱暴な振る舞いだ。

そうであるにも関わらず、その表情が歪むことはない。

相変わらず口元に笑みを浮かべていたけれど、その視線は濡れたつま先を捉えていた。

その横顔が、どこか満足げにも見える。


「この国の民が一人きりになったとしても、僕は、その人を守りぬかなければならない」

まるで自分自身に言い聞かせるようにゆっくりと語る。


「聖女になることだって、そうでしょう?」


柔和な表情なのに、鋭い眼差しをしていた。

思わず肯いたのは、それ以外の返事は許さないとでも言うような鬼気迫るものがあったからだ。

国のための存在だといういう意味では、彼と私たちは同じかもしれない。

生まれ育った環境は天と地ほど違うのに。


それはある意味、とても理不尽なことだった。


私たち聖女候補が分不相応なものを与えられたばかりに、皇子殿下と同じものを背負う羽目になったのだ。

『重すぎる』と、思わず弱音を吐こうとして唇を引き結ぶ。

何があってもこの国を背負うと決めている彼を前にして、そんなことを口にしてしまうような愚かな人間になりたくなかった。


聖女になることへの覚悟がないわけではない。

その為に、修行を積むのだから。覚悟がなければ、この肉体を貫く痛みと苦しみに耐えられるわけがない。


だけど、何が何でも生き抜かなければならないという信念があるかと言えば、それは違う気がした。

国のために祈りを捧げろといわれたところで、国や民をそれほど大切に思っているわけではない。

故郷に家族を残してきただろう他の聖女候補は違うだろう。この国に、守るべき人達がいるのなら、祈りを捧げることも無駄ではない。


だけど、私は既に、故郷を消失している。

甦るのは、悲鳴と灰と火傷しそうなほどに熱い陽射しと、燃え尽きた黒い大地。

あんな場所の為に、祈りを捧げることなどできやしない。

あれはまさしく焦土だった。

草花さえも死んでしまった故郷のために、何を祈ればいいというのか。

だから、なぜ祈りを捧げているのか自分でも分からない。

聖女候補となり神殿に引き取られ、そうしろと言われたから、跪いて頭を垂れた。

頭上に神様が居ると言われて、それを無条件に信じたのだ。


信じるものなど、もう、どこにもなかったから。

誰かの信じる神様を、私も信じることにした。

そんな「何か」がなければ、正気を保っていられないほど、打ちのめされていた。


「……そんな顔をしないで、ローザ」


自分が一体、どんな顔をしていたのか分からない。

ただ、皇子殿下がまるで痛みに耐えるような顔をしていたから、胸が苦しくなった。


「押し付けるようなこと言って悪かった」


カレフはそう言って、「だけど、君たちが傍に居てくれたなら、頑張れる気がするんだ」と続けた。

だからずっと傍に居てよ、と冗談めかして笑った彼の白い頬が目に焼き付く。

返事をすることもできずに、その横顔を見つめていた。


「……そうじゃなきゃ、きっと、正しくいられない」


誰に言うわけでもなく独り言のように呟いたその言葉が、幾度となく脳裏に甦る。

―――――そのときは明かされなかったけれど、カレフはどうやら、毒を盛られていたようだ。


彼は、第一皇子殿下であり王位継承権第一位であるが故に、命を狙われることも少なくなかった。

神殿の中で育った世間知らずの私でさえ、そのくらいのことは耳にしたことがある。

毒を盛られたのも、一度や二度ではないようだ。


けれど彼は、ただの一度も屈しなかったと聞く。床に臥せったこともなければ、公務を休んだこともない。毒に侵されることに怯んだことさえなかった。

普通の人間であればそうもいかない。

何せ「毒」なのだから。己の意思ではどうにもできないはずだ。

常人が毒を盛られた場合、両手足は言うことをきかなくなり立ち上げることさえ困難になるだろう。

助けを求めようとしても呂律が回らなくなる。

毒物を拒絶する肉体は吐き気を呼び起こし、嘔吐を繰り返す。

毒物とは本来、そういうものだ。


しかし、カレフはそうじゃなかった。

彼はしっかりと己の足で立ち、助けを求めることこそなかったけれど自分の意思を伝え、会話もできた。そして、嘔吐しようとする肉体を強靭な精神で御したのだ。

普通の人間にできることではないし、彼はまた、普通ではなかった。

彼が神の子と呼ばれる所以は、そこにあるかもしれない。

実際、誰もがそう理解し、彼の存在は御伽噺に出てくる英雄のような存在として市井に広まっていったのだ。


第一皇子殿下は、毒をも制する。

そんな噂があったのは、いつだったか。


単なる噂と鼻で笑う人間も居たけれど、それが決してほら話ではないことを私は知っていた。

彼が何者かによる暗殺を回避する為に選択したのは、毒を避けることではなく、毒を飲むことだった。

毒に対する耐性を作ることが目的だったけれど、耐性の付く毒と、いくら慣らそうとしても肉体が全く受け付けない毒がある。

耐性が付きそうなものに関しては、少しずつ量を増やし、肉体が限界を訴えるまで飲み続けた。

その一方で、耐性のつかないものに関しては、毒物を口に含んだときに肉体がどんな拒絶反応を示すのか己の体で実験した。

毒物そのものの色や臭い、味を知り、飲み込んだ場合に吐き気を起こすのはどの段階か、実際に嘔吐するまでに何秒かかるか。

痙攣を起こすのは、手足が痺れて感覚を失うのは、意識が朦朧とするのは、いったいどの段階なのかを覚えていった。


それはまさしく命がけだっただろう。

だけど、カレフにはそうしなければならない理由があった。


それまでの間に、彼の毒見役が何人も命を落としていたのだ。それこそ数えるのも馬鹿らしくなる人数だったという。

命を狙われているのは間違いない。そうであれば、もしも毒物を含んだときに医師がどんな対応をすればいいのか道筋をつけておかなければならなかった。


毒に命を脅かされていながら、自ら毒を飲み、共存していく方法を選んだのだ。

それらを複合的に考えれば、彼の白目が変色していたのも、爪が黒くなっていたのも、嘔吐しそうになっていたのも説明がつく。


気付いていた人間がどれほど居たのか分からない。

だけど、彼は随分と長い間、その状態だった。


それがどれほどに過酷なものなのか。


―――――他の誰にも分からずとも、私には痛いほど理解できた。

痛みに耐えながら、祈りを捧げる私には。きっと、聖女候補ならば全員理解できただろう。


だけど、その痛みを説明することなどできない。

聖女候補の祈りに、痛みが伴うことは他言無用なのだから。


「なぜ、そこまでできるの?」


いつだったか、そんな馬鹿なことを口にしたことがある。

カレフは薄く笑って、そんなことを聞かれたのは初めてだと言った。

そして、「だって僕は第一皇子殿下だからね」と、何でもないことのように軽やかに答える。


「正しくある為には、まず、生きていなければ。そして僕はいつか『正しい皇帝』になる」


その言葉にどれほどの決意が込められていたのか、私は知らない。

正しい皇帝になれ、というのは彼の母親が残した最期の言葉だという。

私たちに傍に居てほしいと言って、そうでなければ正しくいられないと、怯えるように声を震わせた彼。

その美しさ故か人形と対峙しているような感覚に陥ることも少なくなかったが、あのときだけは、ひどく人間らしかった。


「……いつも正しくあることなんてできないわ。だって人間だもの。過ちを犯すものだわ」


彼の言葉はいつだって正しい。だからこそ、それを否定したい想いに駆られる。

常に正しい選択をするというのは、それしか選べないということだ。それでは最初から、選択肢などないのと同じではないか。


カレフは、私の言葉にじっと耳を澄ましていた。

その体が嘔吐感に震えることはもう、ない。彼はきっと、何かをやり遂げたのだろう。


「僕がもしも、ただの人間だったならそうだろうね。過ちを犯しても許される」


だけど僕は、「第一皇子殿下」と呼ばれるモノなんだ。

次代の皇帝陛下なんだよ。


―――――そこに、彼の意思があったとは思えない。

だけど彼は、既に己の運命を受け入れていた。


私たちはきっと、どうしようもなく似ていたけれど、それと同時にひどく遠い場所に立っていた。








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