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これはきっと、恋じゃない ーある日、異世界の聖女が召喚されて。ー  作者: はなぶさ
※アルファド視点

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魔法陣の上に収束した光の粒が霧散したと同時に姿を現した少女は不安げに周囲を見回すと、途端に泣き出した。「ここは、どこ」と、頼りない口調が紡ぐのはひたすらな混乱だった。

それも当然のことだろう。いきなり別世界に連れて来られたのだ。平然としていられるわけがない。それでも五体満足で召喚に応じたのは賞賛すべきことだった。


助けてと泣き喚く少女を抱き起こし、両腕に抱えれば途端に脱力する肉体。

恐怖に肉体が限界を超えたのだろう。顔を覗き込んでみれば、気絶していた。

「可哀想に」そう呟いたのは誰だったか。

しかし、腕の中で青ざめた顔をしている少女を見たところで何の感慨も浮かんではこなかった。


黒髪、黒目、小柄で華奢な体格。庇護欲をそそる年齢にそぐわない幼くあどけない顔。

召喚された聖女を一目見た人間は、彼女を誉めそやした。美しいと。

平静とは言い難いが、それでも一時期よりはずっと落ち着いた様子の本人はと言えば、それを聞いてただ戸惑うように困った笑みを浮かべるだけだった。


良い人間なのだろうと思う。こんな、名も知らないはずの国を救おうと思うくらいには。

だが、ただの子供だとも思う。


伺うように周囲を見回すその表情は、いつも不安げで、揺れる瞳は対峙した人間が本当に信頼できるのかを見極めようとどこまでも安定することがない。


母親を捜して街を彷徨う幼子と同じだ。

小さな口から零れる舌足らずの声が、ますます幼稚さに拍車をかける。


こんな子供に、この国の未来を託さなければならないのか。


背中を走るのはただの悪寒ではない。

一部の欠損もなく実に健やかな状態でこの世界に召喚された聖女様は、どうしてか酷く幼く頼りない。

儚いと言えば聞こえは良いが、脆いという表現のほうが正しい気がする。それはつまり、精神的に、何かを欠いているということではないか。


得体の知れない予感は不穏な空気を纏っている。


「アルファドさん、」と甘い声を出すその姿は、女性というよりは幼児に近い。誰かからの庇護を受けることを当然として捉えている。


こんな頼りない存在に、リディアはその座を奪われてしまうのか。


「君とリディアの婚約は解消するから」


召喚されたばかりの、混乱の最中にいる聖女様を神殿に閉じ込めて殿下が事も無げに言った。

皇宮から聖女様の身柄を神殿に移したその足で、大神殿前の大階段を下りている最中のことだ。

「……は?」

心の内にとどめて置けなかった言葉が唇から漏れる。

護衛が最少人数、つまり自分だけだったのは、この話をする為だったのだろう。


「聖女召喚が成功した今、リディアは聖女候補ではなくなった。だから、君が婚約者である必要はない」

君には聖女様と一緒にこの国を浄化して回って欲しいしね。と、本当に何でもないことのように宣う。

反論など許されない。

相手は第一皇子殿下なのだから。

それに「僕は事前に聞いたよね? 君は、リディアの為にリディアを捨てることができるかって」と詰めるように言われてしまえば口を噤むしかない。


そうだ。

確かに約束は成された。

肯いたのは自分だ。そこに拒否権が無くとも。


「……婚約を解消することが、リディアの為になるというのですか?」

「ううん、婚約を解消すること自体はリディアの為にはならないよ。それはあの子にとってのただの不幸でしかない」

「…っでは、なぜ、そのようなことが必要なのです…?」

「君には聖女様の傍に居てもらう必要があるから」

まさかこのままでいられるなんて君だって思っていなかったでしょう? と殿下は足を止める。

「僕はねぇ、リディアが生きてくれていたらそれで良いんだよ」

「……例え、リディアが不幸になったとしても、ですか?」

「ふ、ふふふ」

「殿下?」

「あはは、だって君が悪魔か悪鬼みたいな顔をするからさぁ。怖い怖い。無表情は君の代名詞のはずだったのにねぇ。リディアのことになると本当に隠すのが下手くそになっちゃうんだから」

わざとらしく身を竦めながら声をたてて笑われてしまうと、むっとしたのは一瞬で、呼吸を整えてしまえば毒気を抜かれたような感じがした。


「あのねぇアルファド。生きるっていうのは、ただ呼吸をすることじゃないでしょ。不幸になることだけが人生じゃない。それに幸福を得ることだけが人生でもない。リディアは今、不幸の最中(さなか)にあるはず。だけど、生きている限り、幸福になる機会はまた巡ってくるかもしれないでしょ」


「僕はね、願ってるよ。リディアの幸福を」


声色だけは前向きだが、殿下の一言で誰かの人生は面白いほどに左右反転する。

それこそ地獄に突き落とすことも可能なはずだ。けれど、リディアの幸福を願うという言葉に嘘はないはず。

それでも。

どうしようもなく不安が付き纏うのはなぜなのだろうか。


「殿下が、リディアを幸福にしようとは思わないのですか……?」

思わず零れた自身の言葉に戸惑う。

「……僕には、誰かを幸せにする力なんてないんだよ。不幸にすることはできてもね」

ふう、と疲れを吐き出すように言った殿下が再び歩き出した。

こちらに背中を向けているのでその顔を見ることは叶わない。


そこでふと、殿下の指が神殿の一角を差す。

誘われるようにして、その指が示すほうを見れば、そこに緩やかな風に舞う赤い髪が見えた。


大神殿の太い柱の影に誰かが居る。


「よく目に焼き付けておきなよ。これから、君の目は聖女様だけを映すんだよ」

「……」

「聖女様を大切にして大事に大事に囲って、この世界に、この国に繋ぎとめてね」


リディアがもう、祈りを捧げなくても良いように。


殿下の言葉が耳を滑っていく。

少し離れたところから、こちらを見るともなしに眺めているリディアに視線を送れば、当然のように目が合う。しかし、ついこの間まで確かにあったはずの温もりのようなものが消えていた。


あのどうしようもなく満たされたはずのこの瞬間は、途端に、空虚なものとなってしまった。


きっと、ここまで見送りに出てきたのだ。

まるで、これが最後というように。


―――――やめてくれ、違うんだ、リディア。そうじゃない、そうじゃないんだ。


今すぐに階段を駆け上がってリディアに傅きたいような衝動に駆られる。近衛騎士が、皇族以外にそんなことをするなんてあってはならない。

しかし、そうまでしても繋ぎ止めたいものがあった。


つま先が、石段を僅かに擦る。


「駄目だよ、アルファド」

殿下の声が軽やかに響く。その声に、がんじがらめになったように動けない。


息が、詰まる。


―――――リディア。

その細い顎、柔和な唇、沈み行く夕日に似た眼差し。叩かれる直前の赤銅に似た髪。しなやかな肢体、彼女が纏う清廉な空気。


ほんの少し離れただけで、これほどに遠い。

焦がれて、焦がれて、どうしようもなく焦がれて。


そうやって、他人から奪った婚約者という地位。


「リディア、」

噛み締めるように呟いたその名前が、破片となって胸を突く。


*

*


殿下の護衛に任命されたその日、神殿へ拝礼に行くから君もついておいでと鼻歌交じりにさらりと言われた。

拒否権などありはしないのだが「かしこまりました」と返事をして殿下の導きに従ったのである。

通常、小額のお布施を払うだけで神殿での拝礼が許されている一般民衆とは違い、様々な利権が絡む貴族の正式な拝礼は事前申請が必要だ。

普段は頭の片隅に置いて思い出しもしないが、自身も伯爵家出身だ。

神殿への拝礼に躊躇いがなかったわけではない。


しかし、そこはさすがに皇族であり信心深いと噂される殿下だ。


通常は事前になされるべき神殿側への申請や皇宮側へのお伺いなどは全て省略することができたし、書面上での面倒な手続きも専任の誰かがやってくれるというので実質、何もしなくて済んだのだった。

殿下の護衛に任命されたその日に大神殿へ足を踏み入れることができたのには、そういった理由があった。


そして、その日。

俺は、リディアという「唯一」に出会った。


彼女の祈りは、まさしく喜びだと。誰かがそう言っていた。

戯言だと聞き流した自分を褒めてやりたい。噂は単なる噂だった。

だってあれは「喜び」などではない。

哀切と、胸の内側を裂くほどの悲鳴だ。そして、慟哭。―――――絶望に、似ている。

確かに彼女の顔は優しげな微笑さえ浮かべているし、祝詞も震えることなく、ただ真っ直ぐで美しい音階として大気を渡っている。

あまりに雄大で、あまりに壮大。一見、悲しみとは全く別次元のように思える。

しかし、どうしても彼女が泣いているような気がしてならなかった。


彼女の祝詞を聞きながら会衆席でうっとりと頬を染める民衆に視線を移し、なぜ誰もそれに気づかないのかという疑念が過ぎる。

ふと、隣に並び立つ殿下を見やれば、いつもは柔和に整った相貌が微かに歪んでいた。

静謐を絵に描いたような藍玉の瞳が揺らいでいるように見えるのも間違いではないだろう。

それはほんのごく僅かな差異だったが、幼少期から学友として傍に侍っていた俺にはよく分かった。だから殿下ももしかすると、己と同じことを感じているのでは、と思ったが。

それをそのまま口にするのは憚れた。


確信を得られない以上、聖女候補の祈りを悲鳴や慟哭だなどと表現するのは、彼女を貶める行為にあたるのではないかと単純にそう思い至ったのだ。


聖女の祈りとは本来、癒しの力である。慈しみ、愛を与え、守り、包み込む。

それは、怒りや憎しみ、恨み、嫉み、妬み、そして悲しみなどとは相対するものであり、決して同義に扱ってはならない。

この国だけでなく、ひいては世界に救いを与えると言われる聖女の力。

それほどに絶大な力であるがゆえに、悲愴やまして絶望などを連想することがあってはならない。


聖女の力は常に「神の祝福」として行使されなければならないのだから。


祝福とはつまり、この国に富と繁栄と更には安寧を与えることで、いかなる理由があろうともそれを妨げることがあってはならない。

神の祝福を与えるはずの彼女が、己が務めを嘆くことなどあってはならないのだ。


―――――そこまで考えて、我に返る。


ふと、視線を感じて真横を見やれば、いつからそうしていたのか殿下が何とも言えない表情でこちらを見ていた。

そして、少女の祈りが響く聖堂で、声もなく唇を動かす。


『駄目だよ』


唐突に落とされた殿下からの言葉に思考を分断されて、返事をすることもできずにただその顔を見据えてしまった。端正すぎるほどに美しく配置された顔がほんの微かに動いて、苦笑を浮かべていることが分かる。

とんとん、と殿下の細い指がご自分の眉間を叩いたのを見て、己がそれと同じ場所に皺を寄せていたことに気づいた。

『君は喜怒哀楽が分かりずらい顔立ちをしているねぇ』とは殿下の談だが、感情の読めない顔というのは戦いの場においては大抵、項を成す。極限の状態において尚、焦りを感じさせない顔というのは敵方に畏怖を与えるものらしい。相手方に先手を取られないようにするためにも、騎士としてはむしろ美点として数えられる。


まさか。指摘されるほど分かりやすく苦悶の表情を浮かべていたというのか。

内心では焦燥のようなものを覚えつつ平静を取り繕う。


殿下が「駄目」といったのはつまり、己の心情を周囲に悟らせてはならないということだろう。

しかし、ここには心情を読ませてはいけない相手、すなわち敵が存在しているわけではない。だとすれば、一体、誰に対して何を隠さなければいけないのか。


殿下はただ双眸を細めるだけで今度は何も言わずに、聖女候補の方へと視線を戻した。

その何気ない仕草で何となく理解する。つい先ほどまで自分が何を考えていたのか。


殿下のことであるから俺が何を考えていたのかなんて手に取るように分かったに違いない。

未だ夢見心地のような顔をしている民衆と聖堂の端に控えている神官たち。少し離れたところに立つ彼女の護衛騎士。

誰一人として聖女候補の祝詞に負の感情を見出した者はいないようだった。


気づいているのは恐らく、自分と殿下だけだ。


見るともなしに眺めているような殿下の視線を追うようにして、聖女候補を見やればちょうど祝詞の余韻が空気に霧散したところであった。


彼女の白い頬に、伏せた長い睫の影がなだらかな線を描いている。

それがなぜか涙の跡に見えて、息が詰まった。


―――――どうして。


どうして今、泣きそうな気分になるのだ。

訳も分からず、ステンドグラスから落ちた光を受けて、焼いた鉄のように眩く光る赤い髪に目を移す。


どこにでもある髪色のように見える。だが、どこにもなく誰も持たない髪色に見える。


胸の内側を誰かにそっと撫でられたような感覚に陥って、全身がぶるりと震えた。しかし、それは寒気でも悪寒でもない。得たいの知れない感覚なのに、決して嫌な感じはしなかった。

自分の身に起きた突然の変化にそれと気づかれないように細く息を吐き出せば、聖女候補の小さな頭が微かに動いて、こちらに視線を向けた。そしてそのままゆっくりと膝を折る。

この場において最上位にある殿下に敬意を示しただけ。何でもない動作なのに、吹き抜けのガラス天井から降り注ぐ陽光を浴びて酷く美しい。

その微笑は歴代聖女と同じく、どこまでも慈悲深い。極悪人にさえ許しを与えそうな優しさを湛えている。なのに。

不敬にならない程度にそっとこちらに向けるその眼差しは。

確かに悲しみに沈んでいるように見えた。


冷静でいようと思うのに、高熱で朦朧としているかのように視界がぶれる。手を伸ばしてしまいそうな衝動に心を揺さぶられるようだ。


おかしい。

どうかしている。

言葉を交わしたことさえない彼女にそんな感情を抱くなど。

胸の内に湧き上がる衝動のようなものを抑えることができない。


「アルファド」

現実に引き戻そうとするかのように抑えた声で殿下が呟く。

もはや、自分がどんな顔をしているかなど気にすることもできなかった。


もっと、彼女を知りたい。

もっと、彼女の傍にいたい。

もっと、彼女を見ていたいし、その目に自分を映してほしい。


この感情を何と言う?


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