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これはきっと、恋じゃない ーある日、異世界の聖女が召喚されて。ー  作者: はなぶさ
※アルファド視点

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1

カーテンの隙間から差した細い朝日が、彼女の横顔を優しく照らし出している。


完全に回復したとは言い難いが、色を失っていた頬と唇に赤みが戻っているのを見れば、状況は然程悪くないと思えた。

三日間も眠り続けて、一時期はどうなることかと思っていた。そのときの彼女は顔色を失っていて、体温のある手を握り締めていなければ、等身大の人形が横たわっていると説明されても納得していただろう。

彼女が生きていることを証明するのは、その温度と呼吸だけだった。

伏せられていた長い睫をただ眺めていることしかできなかった日々。

たった三日と言えばその程度のものだが、いつ目覚めるかも分からない中でのその時間はまさに地獄だった。


「リディア、」


そっと顔を寄せれば穏やかな寝息が聞こえる。

たったそれだけのことなのに、なぜだかどうしようもなく泣きたくなって強く瞼を閉じた。

大神殿からリディアを連れ出して1週間。

婚約が決まったときに用意した新居で過ごしている。

殿下からの後押しもあり書面上の手続きは実に滞りなく進んだ。だが、大神殿の上層部からは抗議の声が上がったと聞く。それを制したのは殿下であるが相当に骨が折れたようだ。

一度は婚約を解消した身であるから、再び俺が婚約者となることに難色を示した幹部も居たようだ。

大神殿側としてはもっと神殿よりの人間を新たな婚約者にしたかったらしい。


それも殿下の鶴の一声により計画段階で頓挫したわけだが。

それでも諦めきれない人間というのが居るもので。

リディアが大神殿で過ごす間に、あわよくば既成事実を作り出しておこうという下種な考えをする者も居たくらいだ。本当に、虫唾が走る。


あのままあの場所に留まっていれば遅かれ早かれリディアを害そうとする人間が現れたに違いない。

異世界の聖女様は故郷に戻ったという話を公にしてさえ尚、彼女の魅了は有効で、未だに心酔している人間がいる。

そういう人間を誑かして悪行を唆すのは簡単だ。


神官長が、リディアと俺の婚姻を反対しなかったのにはそういう事情もあったのだろう。


「っん、―――――」


どんな夢を見ているのかリディアが小さく身じろぐ。

穏やかなその表情を見ていれば悪夢でないことは想像がつく。いつもどこか苦しそうな顔をしていた彼女とは違う。

小さくて細い指が掛け布団を引き寄せようと動くのを見て口元が緩む。

これほどに近い距離で彼女の息遣いを感じられることが、まさに幸福だと感じられる。


本当は、もっとずっと前にここに越してくる予定だった。


予定通りにはいかなかったが、ここで新しい生活を始める為に、彼女の好きそうな家具を用意していた。

カーテンもシーツも絨毯も、ソファカバーに至るまで、自分の好みよりもリディアの好みを優先した。

その為に何度も家具店を訪れたので店主とはすっかり顔馴染みだ。我が家が頻繁に利用している出入りの業者も居たのだが、彼らが用意する物よりももっと素朴なものが良いだろうと考えたのだ。


リディアとはたくさん言葉を交わしてきたわけではないから、彼女の好みといっても、知っているのは好きな色くらいである。後は華美な装飾は好まないことくらいしか知らない。

結婚して新居を構えるにあたって、神殿から持ち出したいものがあれば申請すればいいと言ったのだが、彼女は、自分の物は何一つ持っていないと視線を落とした。

だからこそ、彼女が好きそうなものばかりを集めた。


ここに有る全てがリディアの物だと示す為に。


ただの自己満足だ。

押し付けがましいとは分かっていても、そうしたかった。

いや、そうせずにはいられなかった。

ここが彼女の安息の地になれば良いと本気で思っている。


この屋敷で過ごすその日を、ずっと、ずっと待ちわびていたのだ。

二人で一緒に過ごしてやがては子供を作り、家族になる。たったそれだけの普通の未来を夢に見るほどに望んでいた。


「……アルファド様……?」


掠れた声に呼ばれて、だけど、それが空耳だったらと恐ろしくなり更に強く目を閉じる。

「……アルファド様……?」

もう1度呼ばれてやっとこれが夢ではなく現実なのだと思えた。

至近距離で見詰め合えば、リディアが長いまつげを震わせる。

不安げに揺れるその瞳でさえ、彼女が生きていることの証明のような気がして胸に熱いものがこみ上げる。


繋ぎ止めることができた。

彼女を、ここに、繋ぎ止めることができた。

それがどれほどのことなのか、誰にも分からないだろう。


失うところだった。

彼女を、失うところだったのだ。



―――――今でも、その瞬間の悪夢を見る。





「あの子は……駄目かも、しれないねぇ」


皇子殿下にしては珍しく歯切れの悪い言い方に、思わず首を傾いだ。

のんびりとした話し方で周囲を煙に巻く方だが、誰かに伝えたい言葉を曖昧な言い回しにしたりはしない。

ならば、今しがた耳にした皇子殿下の言葉は単なる独り言なのかもしれないと思い直す。


「聞いている?アルファド」


……独り言ではなかったらしい。

再び視線を戻すと、俺の名を呼んだにも関わらずかの方はどこか別のところを見ている。

視線を追えば、そこに居たのは今代最後の聖女候補であるリディアだ。その人が祈りを捧げている最中だった。

彼女は俺の婚約者でもある。


慈悲深く美しく、清廉。それが彼女を形容する言葉だ。

農村出身の彼女は平民に親近感を抱かせ、それと同時に希望も与えている。

成り上がり者の英雄譚はいつだって国民を沸かせるものだ。この国の救世主としては申し分ないだろう。


かつては貴族出身の聖女もいたというが、ここ数十年はおおよそ平民出の聖女である。

しかし、農村の出は彼女が初めてなのではないだろうか。


幾人か居た聖女候補の中でも、最後に残ったのがリディアだったのはまさしく僥倖でもあった。

彼女がもし、万が一にも貴族出身であれば要らぬ火種を産むことになる。


ただでさえ階級が物を言うこの国で、聖女までもが貴族出身ということになれば、選民意識の強い貴族共は、己らはやはり神に選ばれた存在なのだとか馬鹿なことを言い出すだろう。

歴代聖女のほとんどが平民であるということから、彼女たちを下賤の者だと言う人間も居るというのに、貴族というのはなぜこれほどにも愚かしいのか。


そうでなくとも、聖女というのは非常に難しい立場なのだ。


他国に比べて信仰に重きを置く我が国ではあるが、「聖女」は神に選ばれた存在であり皇族よりも優れているとする神殿側と、封建社会での頂点である皇家側はしばしば対立する。


今でこそ沈静化しているが、かつては血で血を洗うほどの激闘を繰り広げたこともあったのだ。


―――――聖女がもしも貴族であったなら。


考えても詮無いことであるが、か弱い少女が権力闘争に巻き込まれて破滅する姿が容易く想像できる。

だからこそ、聖女候補がリディアであったことは、喜ぶべきことなのだ。

元から無に等しい存在であれば利用する価値もない。

酷い言い草だとは思うが、確かにそうなのだ。


何より、彼女が彼女であることが俺にとっての一番の僥倖であった。

もしも彼女が聖女候補でなければ、俺たちは出会ってさえいなかっただろう。

決して自慢に思っているわけではないが、我が家は国内でも有数の名家である。だからこそ、殿下の側近に選ばれたのであるから卑下するつもりはないが、この立場であれば、まず田舎の農村で生まれ育ったリディアには出会っていない。


天啓を受けていなければ、彼女は恐らく生涯を村の中で過ごしただろう。

男ならまだしも、大抵の女性は生まれ育った場所から離れることをしない。いや、離れることができないのだ。

勇んで街に出る女性も居るようだが、まず、真っ当な仕事は得られないと考えた方が良い。都会に慣れていない彼女たちは良くない輩の格好の餌食だからである。


故郷を離れるというのも、なかなかに難しいことであり、この国ではそんな彼らを守る為の法律は準備されていない。

むしろ、生まれた土地を捨てることは悪だとされている。

国から与えられた土地を守り抜くのが指名であり天命だとされているからこそ、家族全員がその土地を離れることはまず、ない。

金銭を稼ぐためにどうしても故郷を離れなければならない場合も大抵は、男だけが街に出る。


「あの子は……リディアは、駄目かもしれないねぇと言ったんだよ」


黙っていれば、殿下が先ほどと同じ言葉を呟いて薄く笑う。

「何が駄目だと言うのです……?」

殿下が彼女を貶したわけではないと分かっていても自然と眉根が寄ってしまう。

隠し切れなかった不快感に、殿下はその麗しい顔に困ったような色を乗せた。


そして、「…きっと誰も気づかないのだろうねぇ」と意味深に言う。


はっきりと答えないということは、言う気がないということだ。

それ以上を追求する権限は、ただの護衛である自分にはない。話を聞いているのかという確認はするのに、会話をする気はないようだ。


「なぜ、誰も気づかないのだろうね。いや、見て見ぬ振りをしているのかな……?」

独り言のような呟きに、曖昧に頷くことさえできない。


殿下は、職人が丹精込めて作ったような繊細な顔を傾いで、考え事でもするかのように宙を仰いでいる。

再び黙り込めば、ふとこちらに向けられた顔が言った。


「お前は、お前の大事なリディアの為に、リディアを捨てることができるな」


それは質問ではなく、断言だった。

普段の間延びした口調ではなく、まさしく、誰かに命を下すことに慣れた人間の言葉だった。

皇子殿下の深い藍玉の瞳が鈍く光り、こちらをじっと見つめている。


柔和な相貌とは相異なり、一方では苛烈とも揶揄されるこの国の第一皇子殿下は、他人の真意を見抜くことに長けているという。


見つめられれば、心を読まれているような不思議な感覚に陥った。

これが間者であれば、息を詰めているところだろう。

他人の罪を暴くのに、うってつけの眼差しをしている。


「……」

優秀な従者であれば是と答えるのが正解なのだろうが、事リディアに関しては迂闊な返事はしたくなかった。

けれど、その無言がつまり肯定を差しているということをこの方は知っている


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