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これはきっと、恋じゃない ーある日、異世界の聖女が召喚されて。ー  作者: はなぶさ
※リディア視点

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13

部屋を出たアルファド様は私を抱えなおし、どこか分からない場所へと迷うことなく進んでいく。

私が生活していた部屋とは違う方向だ。

未だ呆然としたまま、縋りつくようにアルファド様の腕を掴んだ。その拍子に、乾ききっていなかった涙がぽつりと睫から落ちる。

さりげなくその水滴を指で掬われて、じっとこちらを見下ろされれば妙な雰囲気が漂う。


「あ、あの、アルファド様……、一体、どこへ……」

「……」

「アルファド、さ、ま」


みっともなくも泣き伏していたときの余韻が抜けきらず、ひくりと喉が勝手にしゃくり上げる。それを飲み込もうとして呼吸が乱れた。その合間に何度か彼の名前を呼ぶのだけれど、返事はない。

抱え込まれているのでなかなかうまくいかなかったが、やがて抜け出すことのできた腕を彼の胸元に押し付けた。

降ろしてほしかったし、何よりもこちらを見てほしかった。

無視をされているような状況は意外なほどに私を痛めつける。もうこんなのはたくさんだ。誰にも意識されず、誰も見てくれない。そんな状況は。


じっとその顔を見据えていれば、彼が確かに怒りを含んでいることが分かる。やがて根負けしたのか、ちらりとこちらを見てくれたものの再び目を逸らされた。

「アルファド様、」

戸惑っている私のことなどお構いなしに、神殿騎士が守る扉を次々に抜けていく。

騎士たちもその顔に驚きの色を乗せながら、しかし、相手が殿下の側近だということに気付くと素早く扉を開く。


「……迂闊だった」


やっと気分が落ち着いたのか、僅かに歩調を緩めたその人がぽつりと零す。

「君の苦しみにも気付かずにいた……自分が許せない」

普段の抑揚を伴わない淡々とした声が嘘のようだ。

彼は明らかに苛立っている。


「……アルファド様?」

「……」


再び黙り込んだ彼は、おもむろに私を下ろした。

突然のことに身じろげば、大丈夫だとでも言うように背中を優しく撫でられる。

ふわりと沈んだ柔らかな感触に、そこがソファだと知って、改めて周囲を見渡せば見覚えがあることに気付く。

神殿の奥の事務室だ。

ここには複数の神官が在籍しており大神殿で発生する主な事務手続きは一括してここが請け負っている。

私のような聖女候補が勝手に出入りできるような場所ではない。

中に入るには当然、大神殿から許可を得る必要があった。


「……君は、聖女だ」


恐らく、私の顔に不安の色が滲んでいたのだろう。的確に心情を読み取ったアルファド様が、言い聞かせるように言った。

ソファに座り込んでいる私を見下ろすその眼差しは射抜くようでもあり、包み込むようでもある。

つまり、聖女たる私には大神殿の奥の奥まで入り込む権利があるのだと。そういうことらしい。


けれど、私が聖女の証を持っていることを知っているのは殿下とアルファド様だけだ。

彼らが既に神殿へ報告しているとすればその限りではないだろうが、殿下が自身で事務作業的なことを担うはずがない。であれば、殿下の側近であるアルファド様が報告するしかないが、彼が勝手に事を成すこともあり得ない。

すなわち、私が聖女であることが他の人間に知られている可能性は低いといえる。

なのに、誰にも止められずここまでは入れたのは。

聖女の権限は関係なく、やはり殿下が先に話しを通していたと考えるのが筋だろう。何か理由があって、私をここへ連れてくることを決めていたのだ。


実際、整理整頓されたその部屋には数人分の机があるにも関わらず、その上には書類が重ねられているだけで誰もいない。

人払いがされているのだと考えるほうが自然だ。


「君は聖女だ、リディア。誰が何と言おうと。君が例え望まなくとも」

「……」

有無を言わせない物言いに、ただ口を噤むしかない。

そんなものにはなりたくない、と言ったところで何かが変わるわけではない。

私の腕には既に、聖女の証が刻まれているのだから。


だけど、真実がどうであれ、それを受け入れることができるかと言えば全く別の問題だ。

未だに耳の奥で反響しているかのような「幸せになって」という言葉。

彼女たちから、幸福になる為の未来を奪っておきながら、聖女になることが許されるとは思えない。


例え、本人たちがそれを望んでくれようとも。

私がそれを受けて入れてしまってはいけない気がするのだ。


「リディア、」


黙り込んでいる私に焦れたのかアルファド様が返事を促してくる。

見上げれば、なぜか苦しそうな顔をしている彼と視線がぶつかった。


「おやおや、一体これは何の騒ぎです」


随分長い時間、アルファド様と見つめ合っていれば、いつの間にそこに居たのか神官長が立っていた。

室内は静まり返っているにも関わらず、彼には騒ぎを起こしているように見えたのだろうか。

両手に山のような書類を抱えて心底不思議そうな顔をしている。


「……ああ、リディア。目覚めたんだね。良かった」

ソファに座っている私をちらと見て神官長は双眸を細めた。

優しい眼差しだ。いつもと何ら変わりない声音。

聖女様を異世界に送り返すという大役を果たしたようには見えない。

あくまでも事務手続きの一つとして作業をしたのだと、そう言われても納得しそうだった。


「貴方も座ったらどうですか、騎士殿。私に話があるのでしょう?」


抱えていた書類を机の上に置いて、私の横の空席を見やった。

アルファド様は未だに私を見つめていたけれど、やがて諦めたように嘆息し、腰を下ろす。

何かの魔術が作用しているのか、誰も声を出さなければ衣擦れの音が響くだけで耳が痛いほどの静けさで。外部からの音も一切入ってこない。


「……それで?こんなところまで乗り込んで、一体どんな話をしようと言うのです?」

応接台を挟んで対面に座った神官長は微かに首を傾いだ。

じっとアルファド様を見つめる神官長の眼差しはどこか厳しい。

実際、その声音は険を含んでいた。


「……リディアを、聖女と認めてください」

けれど、アルファド様の声はそれよりももっと尖っている。


「何、ですって……?」

あっけにとられたような顔をした神官長は明らかに動揺しながら私に視線を移した。

「貴方が……神官長が彼女を聖女だと認めれば、ここから出られるのでしょう?」

だから、今すぐに認めてください。とアルファド様は声を硬くした。

そして、突然私の腕を掴む。

何の構えもしていなかったので為すがままである。何事か考える間もなかった。


めくり上げられた袖から聖女の証が覗く。


息を飲んだのは誰だったのか。

神官長が立ち上がるのが見えて、アルファド様から自分の腕を取り返したときには抱きしめられていた。ソファに座っている私を包み込むようにして、その腕が捉える。


「……リディア、リディア、ああ、何てことだ―――――」


震えるその声は喜んでいるのか悲しんでいるのか分からない。ただ、嗚咽を飲み込むように消えたその声音に胸の奥がぎゅっと小さくなる。

神官らしく、男性にしては細身の体だ。だが女性のものとは違っている。その感触を確かに知っていた。


幼少期、何度もこの人に抱き上げられたのを覚えている。

神殿内において最も近くに存在した大人であり、私たちの世話人でもあった。

私は特に、神殿に入ったときが幼かった為に世話を焼いてもらった記憶がある。その膝の上で神話を読み聞かせてもらったのは良い思い出だ。


故郷の村には、童話の一冊もなかったから。

初めて目にした書物に酷く興奮したのを覚えている。

読み聞かせしてくれる神官長に抱えられている私を、苦笑しながら眺めていたほかの聖女候補たちの姿も。

良かったね、と笑って一つ一つ文字を読み上げてくれた神官長。

そんな風に彼とはこれまで、長い時間を一緒に過ごしてきた。

それこそ彼は、私たちの育ての親と言っても過言ではない。

その神官長が声を震わせていれば、私だって表情を崩さずには居られなかった。


「聖女になったんだね、リディア」

どれほどそうしていたのか、やがて引き剝がすように距離をとる。遠くから、近くから。私の顔を確認しようとまじまじと見つめてくる。

人形めいた女性らしい顔立ちの神官長は眦を赤く染めていた。確かに涙を零したのだと分かるその顔つきに喉を震わせたのは私のほうだ。

「ああ、本当に。本当に、聖女に、なったのか、本当に―――――」

疑っているわけではなく、確認するかのように頬を撫でられ、今一度と腕をとられた。

刺青にも似たその刻印は、光を浴びると僅かに色を変える。皮膚の中に色を入れただけでは決してそうはならないだろう。

それこそが、神から与えられたものだという証明だった。


「……そろそろ離れてくれませんか、」

絨毯に膝をついた神官長に肩を支えられるようにして見詰め合っていれば、低い声に制止される。

慌てて振り仰ぐと、不機嫌そうな顔をしたアルファド様が私の腕を引いた。

ふわりと優しく支えられるようにして引かれただけだが、否応なしの強引さだ。

戸惑いつつも神官長から距離をとる。

「おやおや……」

どこかあっけにとられていたような顔をした神官長はやがて愉快そうに呟くと、対面のソファに戻った。

「……それで、リディアが聖女の刻印を得たというのはよく分かりました」

ふう、と重いものを吐き出すかのように肩で呼吸をしたその人がアルファド様を見やる。すっと表情を正し、膝の上で両手を組んだ。

「これは一体、誰が望んだことなのでしょうね」

傍から見ていても、その視線は射抜くような強さを伴い、貫かれてしまいそうだった。向けられているアルファド様はその身を持って実感していることだろう。


「……それは、こちらの方が貴方に問いただしたいくらいです」

二人の間に流れる沈黙に呼吸をすることさえ躊躇われる。

きっと私のことを話しているのだと分かるのに、まるで蚊帳の外に置かれているような感覚だ。 ただ黙ってこの場に居ることしかできない。


「全てを、何もかもを、ご存知だったのですか……?」

アルファド様の、低くて地の底を更に潜るような声音。

あえてそうしているのだろうと分かるが主語のない会話からは、その主旨が読み取れない。

けれど、何となく、その不穏な空気を肌で感じていた。

「……」

神官長は先ほどまでとは明らかに違い、少しだけ笑んでいるような、しかし何の感慨も浮かんでいないような無機質な表情をしていた。

人間味の欠けたその表情は、他人からすれば空恐ろしいものに見えるのではないだろうか。

周囲を取り巻く空気が圧縮されて肺を押しつぶすような、嫌な空気だ。

決して狭くはない部屋なのに、全ての酸素を奪われて息ができなくなっていく気がする。


「知っていて放置していたのではないですか?それなのに、そんな風に、そんな顔をして……」

一体何を言い出すのかと、アルファド様と神官長の顔を交互に見やる。

はっきりと言葉にはしなかったけれど、その厳しい口調には、確かに神官長を責めるような、断罪しているような色が乗っていた。

「……」

神官長は反論することもなく、かと言ってアルファド様の言葉を受け入れた様子もなくただ沈黙した。

そしてその薄い色の瞳を瞼で隠す。

何か考え事でもしているのか。それとも、何か思い出すべきことがあるのか。ほんの僅かに刻まれた眉間の皺だけが、彼の苦悩を表しているようだった。


そう、そうだ。

神官長は、表情が読めないだけで何も感じていないわけではない。

いつだって、その横顔にほんの少しだけ感情を乗せていた。


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