第11話「勇者の暴走、国の沈黙」
夜の城下町には、いくつもの酒場が灯りを灯していた。
その中でも「金色の麦」は評判の良い店で、常連客たちが毎晩のように集まっている。店主のグレン・マーシャルは、カウンターの奥で客たちの様子を見守りながら、グラスを磨いていた。今夜も店は賑わっており、商人たちや職人たちが酒を酌み交わしている。
しかし今夜は、特別な客がいた。
店の奥のテーブルに、勇者たちが座っていた。ハル、レン、ミカの三人だ。クロウは同行しておらず、おそらく図書館にでもいるのだろう。三人は酒を飲んでおり、特にレンは既にかなり酔っているようだった。
「うぇー、この酒うめー!」
レンが大声で笑った。その声は店中に響き、他の客たちは少し離れた場所で固まっている。勇者たちの近くに座る者は、誰もいなかった。
グレンは、その様子を見ながら不安を感じていた。勇者たちが来ること自体は光栄なことかもしれない。しかし――彼らの周りには、常に緊張が漂う。まるで、爆弾のそばにいるような感覚だ。
隣のテーブルには、商人のダニエル・ホフマンが座っていた。四十代の男で、布地を扱う商人として長年この町で暮らしている。しかし最近の増税で商売が苦しくなり、今夜は酒で憂さを晴らしに来ていた。彼の隣には、友人である別の商人が座っている。
「もう...やってられないよ」
ダニエルは、酒を飲みながら小声で愚痴を言った。友人が慌てて制止する。
「声が大きい。やめろ」
しかしダニエルは、酒が入って抑えが効かなくなっていた。
「増税のせいで...店が...」
友人が、さらに強く制止しようとする。しかしダニエルは続けた。
「勇者が浪費するから...俺たちが...」
その瞬間、店の空気が変わった。
「あん?」
レンの声が響いた。彼は、酔った目でダニエルを見ている。店が、一瞬にして静まり返った。
「今、何て言った?」
レンは立ち上がった。ダニエルの友人が、慌てて前に出る。
「すみません!酔っているだけです!何でもありません!」
しかし、レンはダニエルに近づいていく。店の客たちが、息を飲んで見守っている。グレンは、カウンターから出ようとしたが――足が動かなかった。
「お前、勇者様を批判したな?」
レンの声には、怒りが滲んでいた。ダニエルは、恐怖に顔を青ざめさせながら答える。
「い、いや、そんなつもりでは...」
「嘘つくな。聞こえたぞ」
レンは、ダニエルの目の前に立った。ダニエルは椅子から立ち上がろうとする。
「レン、やめろって」
ハルが声をかけた。しかし、レンは聞いていない。
「酔ってるだけだろ。ほっとけよ」
ハルの声は、どこか他人事のようだった。本気で止めようとしているようには見えない。
「勇者様を侮辱する奴は、許さない」
レンは、ダニエルの肩を掴んだ。
次の瞬間、世界が止まったように感じられた。
レンの拳が、ダニエルの顔面に叩き込まれた。鈍い音が響き、ダニエルの体が宙を舞う。彼の体は、まるで人形のように軽々と吹き飛ばされ、店の壁に激突した。
轟音。
壁が揺れ、棚から食器が落ちて割れる。
ダニエルは、床に崩れ落ちた。
そして――動かなくなった。
酒場が、完全に静まり返った。誰も、声を出さない。呼吸すらするのを忘れたかのように、全員が固まっている。
グレンは、震える足で前に出た。ダニエルの元に駆け寄り、肩を揺さぶる。
「お、おい!大丈夫か!」
しかし、返事はない。グレンは、ダニエルの首に手を当てた――脈がない。そして、その首の角度が――不自然だった。明らかに、折れている。
「死んで...る...」
グレンの声は、かすれていた。客たちが、悲鳴を上げた。何人かが椅子から立ち上がり、店の出口に向かって走る。
「...あれ?」
レンが、自分の手を見ながら言った。酔っているため、状況を完全には理解していないようだった。
「レン、お前...」
ハルの声が聞こえた。彼の顔は、珍しく青ざめている。
「マジで死んだの?」
ミカが、ダニエルの体を見て呟いた。その声には、恐怖よりも――困惑があった。
グレンは、震える手で立ち上がった。夜警を呼ばなければ。これは――殺人だ。しかし、その時。
「やめろ」
客の一人が、グレンの腕を掴んだ。中年の男は、恐怖に満ちた目でグレンを見ている。
「夜警を呼ぶな」
「しかし、これは――」
「相手は勇者だぞ」
その言葉が、グレンの動きを止めた。相手は――勇者。神の使い。この国で最も力を持つ存在。
グレンは、その男を見た。男の目には、諦めと恐怖があった。
「...訴えても、無駄だ」
男の言葉は、真実だった。グレンは、それを理解した。
店の中で、誰も動けなかった。床には、ダニエルの遺体が横たわっている。そして、その傍らに――勇者たちが立っていた。
翌朝、王城の謁見の間には重苦しい空気が漂っていた。レオニス王は玉座に座り、宰相ヴァルクは傍らに控えている。二人の前には、夜警の報告書が置かれていた。
「事件の詳細を報告せよ」
レオニスの声は、低く抑えられていた。夜警の隊長が、震える声で答える。
「昨夜、城下の酒場『金色の麦』にて――勇者レン殿が、市民を...」
隊長は、言葉を続けられなかった。レオニスが、厳しい声で促す。
「言え」
「殺害されました」
その言葉が、謁見の間に響いた。レオニスは、拳を握りしめた。ヴァルクが、冷静に尋ねる。
「被害者は?」
「商人ダニエル・ホフマン。四十二歳。妻と二人の子供がおります」
レオニスは目を閉じた。妻と、子供。彼らは、これからどうやって生きていくのか。
「...状況は」
「被害者が、酒に酔って勇者様を批判する発言をしたようです。それに対し、勇者レン殿が――」
レオニスは立ち上がった。
「レンを、今すぐここに呼べ!」
その声は、怒りに満ちていた。しかし――。
「父上」
扉が開き、王女フィリアが入室した。彼女は落ち着いた様子で、レオニスに近づく。
「既に事情は把握しております」
「フィリア...」
レオニスは、娘を見た。
「これは殺人だ。レンは、人を殺したのだぞ」
フィリアは、微笑んだ。その笑みは、美しかったが――冷たかった。
「いいえ、父上。これは正当な処罰です」
レオニスは、娘の言葉を信じられない思いで聞いていた。
「何を...」
「被害者は、勇者様を侮辱しました」
フィリアはきっぱりと言った。
「勇者様を侮辱する者は、国家反逆罪に等しい。レン様は、国を守るために行動されたのです」
「それは...それは詭弁だ!」
レオニスが叫んだ。しかし、フィリアは動じない。
「法よりも、勇者様の御心が優先されます」
ヴァルクが、一歩前に出た。
「王女殿下、しかし法治国家として――」
「宰相」
フィリアはヴァルクを見た。その目には、冷たい光がある。
「貴方も、勇者様を疑うのですか?」
ヴァルクは、何も言えなくなった。
その時、扉が再び開き、ハルとレンが入ってきた。レンは、どこか眠そうな様子だ。
「王様、呼んだ?」
レンの声は、いつもと変わらない軽い調子だった。レオニスは、その様子を見て――怒りが頂点に達した。
「貴様...人を殺したのだぞ!」
「え?」
レンは、首を傾げた。
「でもあいつ、俺たちの悪口言ってたし」
その言葉に、レオニスは言葉を失った。レンには――罪悪感がない。まるで、虫でも潰したかのような反応だ。
「まあ、レンもやりすぎたけど」
ハルが苦笑しながら言った。
「でも、仲間を守っただけだし」
レオニスは、二人を見つめた。そこには――人間の心がなかった。
同日の午後、城下広場には多くの民衆が集められていた。王女フィリアが、公式発表を行うという知らせが広まったのだ。パン屋のトーマスも、息子と共にその場にいた。
広場の中央に、王女フィリアが現れた。彼女は純白のドレスを纏い、まるで聖女のように見える。民衆が歓声を上げた。
「皆様」
フィリアの声が、広場に響いた。
「昨夜、不幸な事故がありました」
民衆がざわめく。トーマスは、不安を感じながらその言葉を聞いていた。
「商人ダニエル・ホフマンが、勇者様を侮辱し――」
フィリアは一瞬言葉を切り、そして続けた。
「勇者レン様が、国を守るために行動されました」
「ダニエルの死は、自業自得です」
その言葉が、広場に響いた。トーマスは、耳を疑った。事故?自業自得?あれは――殺人ではないのか。
民衆の反応は、分かれた。
「勇者様は正しい!」
「侮辱した方が悪い!」
一部の民衆が、そう叫んだ。しかし――多くの者は、沈黙していた。トーマスの隣にいた男が、小声で呟いた。
「おかしいだろ...殺人だぞ...」
しかし、周囲の視線が男に集中した。冷たい、敵意のこもった視線だ。男は、慌てて口を閉ざした。
トーマスは、その様子を見て――背筋が凍るのを感じた。
これが――この国の姿だ。
真実を語れば、睨まれる。
疑問を持てば、敵とされる。
恐怖が、全てを支配している。
フィリアは、さらに演説を続けた。
「今後、勇者様を侮辱する者は、厳しく罰せられます」
「これは、国の秩序を守るための措置です」
民衆は、ただ黙って聞いていた。歓声を上げる者もいたが、それは少数だった。多くの者は――恐怖で、何も言えなかったのだ。
数日後の夜、貴族アルフレッド・フォン・ケストナー伯爵の邸宅に、異変が訪れた。五十代の温厚な貴族である彼は、ヴァルクの反勇者派組織の一員だった。彼は密かに、信頼できる仲間たちと勇者の問題について話し合っていた。しかし――組織の中に、密告者がいた。
夜、邸宅の門が激しく叩かれた。執事が扉を開けると、そこには王国騎士団が立っていた。先頭に立つのは、騎士団の副長――王女派の人間だ。
「アルフレッド・フォン・ケストナー伯爵はいるか」
副長の声は、冷たかった。執事が慌てて答える。
「何の御用でしょうか」
「呼べ。今すぐだ」
アルフレッドは、書斎で本を読んでいた。執事が慌てて報告に来て、彼は不安を感じながらも玄関に向かった。そこには、完全武装の騎士たちが立っている。
「これは...どういうことかな」
アルフレッドは、努めて冷静に尋ねた。副長が前に出る。
「アルフレッド・フォン・ケストナー伯爵、貴殿を逮捕する」
その言葉が、アルフレッドの心臓を凍りつかせた。
「何の罪で!」
「国家反逆罪。勇者様への不敬罪」
アルフレッドは、理解した。密告されたのだ。
「証拠は?」
「複数の証人がいる」
副長は冷たく答えた。アルフレッドは、抵抗しようとした。しかし、騎士たちが彼を取り押さえる。
「やめろ!私は貴族だぞ!」
しかし、騎士たちは容赦なかった。アルフレッドの家族が、奥から駆けつけてくる。妻が泣き叫び、娘が悲鳴を上げた。
「お父様!」
「心配するな」
アルフレッドは、家族に向かって言った。
「すぐに戻る」
しかし、その言葉は――嘘だった。彼自身、それを理解していた。
騎士たちに連行されながら、アルフレッドは悟った。
これは――見せしめだ。
反対する者への、警告だ。
翌日、城下広場には再び民衆が集められていた。しかし今日の空気は、昨日とは違っていた。広場の中央には――処刑台が設けられていた。
宰相ヴァルクは、王城の塔から遠くその光景を見下ろしていた。彼の心は、深い悲しみと怒りに満ちている。
広場には、数千人の民衆が集まっていた。パン屋のトーマスも、息子と共にその場にいる。息子は、恐怖に震えていた。
やがて、アルフレッド伯爵が広場に引き出された。彼の手は縛られており、騎士たちに両脇を抱えられている。民衆が、息を飲んだ。
王女フィリアが、演台に立った。
「皆様」
彼女の声は、冷たく響いた。
「この者は、勇者様を侮辱しました」
民衆がざわめく。フィリアは続けた。
「国家反逆者として、ここに処刑します」
民衆の一部が「当然だ!」と叫んだ。しかし、多くの者は――沈黙していた。
執行人が、前に出た。アルフレッドは、処刑台に立たされる。彼には、最後の言葉を述べる権利が与えられた。
アルフレッドは、広場の民衆を見渡した。そして――叫んだ。
「私は...真実を語っただけだ!」
その声は、広場中に響いた。
「勇者は...災厄だ!」
その言葉が、完全に響き渡る前に――。
処刑が執行された。
民衆は、恐怖に震えた。誰も、声を出さない。ただ――沈黙だけがあった。
ヴァルクは、塔の上で拳を握りしめた。
「すまない...アルフレッド」
彼は、仲間を守れなかった。トーマスは、息子の手を強く握った。息子は、泣いていた。
「父さん...」
「...これが、この国の姿だ」
トーマスの声は、震えていた。
広場の民衆は、静かに散っていく。誰も、何も語らない。語れば――次は自分かもしれないから。
恐怖が、全てを支配した。
ヴァルクは、窓から広場を見つめ続けた。そして――暗い決意を固めた。
「もはや...正攻法では止められない」
彼の声は、誰にも聞こえなかった。しかし、その決意は――確かなものだった。
読んで下さりありがとうございました!
★★★★★評価と[[[ブックマーク]]]、リアクションお願いします!
Youtubeにて作品公開中!
http://www.youtube.com/@mizukara-h2z
ご感想やご質問など、ぜひコメントでお聞かせください。




