共犯者
「というと?」
「だってさあ、優秀で有能なニンゲンがいたときに、そのチカラ・のうりょくを手にいれて、つかいたい、かつようしたい。
こうかんがえるとすると、ほんらいだったら、『コチラが一体、ナニをするのか。したいのか』っていうコトを、あいてにたいして、ハッキリと、クリアに、めいかくに、チャントつたえるひつようがある。
でないと、そのあいては、すぐれたチカラ・のうりょく・さいのう・才覚を持っていても、ソレを、フルに発揮するコトはデキない。
方向性というか、もくてき地がハッキリしていないと、『一体ナニを、どうしたらいいのか』が、サッパリわからないから、発揮しようがないダロウ。
でも、コチラのホントウの真のもくてき、ねらい、意図をつたえるコトには、カナリのキケンがある。
こういうばあい、フツウにかんがえてみれば、そのあいてにたいして、コチラへの協力を依頼するっていうコトは、カナリむずかしい。
ナンせ、あいてとしても、『じぶんが一体、ナニをするのか』ということがアイマイなら、協力をするコトはしない。そんな気は、まずおきない。
まあじぶんにとって、よほどのプラスやトク、メリットがあれば、『ナニをするのか、おこなおうとしているのか』だとか、『どこに向かって、どういう方向にすすもうとしているのか』とかが、アイマイであっても、あるていどは、協力をしてくれるかもしれない。
たくさんのカネや、プラスのりえき・トク・メリットがあれば、ソレにつられて、参加したいとおもうのは、ニンゲンとして、しぜんなキモチ・感情ダロウし。欲につられるのは、誰でもおなじだ。
でも、コチラは、そんなモノを提供するコトはデキない。たいしたプラスを、つまり、おおきなメリットなんて、あたえるコトはデキない。微々たる額のおカネしか、給与としてはらうコトはデキない。ろこつにいうと、たいした飴をあたえるコトはデキない。
だからこそ、『一体ナニをするのか』だとか、『どういう方向にすすもうとしているのか』っていうコトを、可能なかぎりクリアにし、めいかくに、ハッキリとつたえるひつようがある。
そして、ソレがハッキリしており、わかるからこそ、『じぶんのチカラをフルに発揮し、いかし、かつようしたい』という、つよい自己実現の欲求を持っているニンゲンは、協力をしてくれる。
こういうのは、ほんらい、相反している。むじゅん点がある。これらを両立させるっていうのは、フツウにかんがえれば、成りたたない。
ソコで、徳吉さんは、『もしかしたら、たどりつくかもしれない、そういう可能性・確率がある、ホントウの真のもくてき、ねらい、意図である、最終的なもくてき地、さいごのゴールっていうものを、あえてかくしておく』というカタチにした。
ソレと同時に、『その途中のルートというか、方向性。つまり、最終的なもくてき地、ゴールにたいして到達し、たっせいし、じつげんするまでに、途中でおこなうコトについては、可能なかぎり、ハッキリと示し、つたえておく』というカタチにした。
コレって、ニンゲンの心理だとか、ココロのうごき、キモチ・感情の機微っていうモノを、絶妙にとらえている気がする。
すぐれたニンゲンなんだけど、ソレを生かすコトがデキるカンキョウだとか、ばしょがナイ。ソレをいかして、『すぐれていると評価され、みとめられたい』と、のぞんでおり、かんがえているワケだけど、ソレが、まったく満たされない。
その上さらに、じぶんと似たようなニンゲンが、まわりにほとんどいない。だから、こりつ感、こどく感を、つよくかんじている。
もっというと、ヒドイないようのイジメ・はくがい・さべつをうけたり、危害をくわえられるキケン・リスクをかかえている。
すぐれたアタマをつかって、この世でナニカをおこないたい。っていう自己実現も、ほとんど叶わない。さらに、すぐれたアタマがもとめてくる、ちしき欲についても、マンゾクに満たすコトがデキない。
こういうニンゲンにたいして、この徳吉さんのかんがえた案や策っていうのは、ナンていうか、あいてのホンネだったり、ココロの奥底に持っている、潜在的なつよい欲望や欲求にたいして、ピンポイントで突いてる気がする。
コチラにたいして協力すれば、じぶんとよく似たレベルの人間と会えて、かかわれる。だから、こどく感、こりつ感を、うすめることがデキる。そして、ちしき欲を満たすコトもデキる。
さらに、すぐれたチカラをフルに発揮して、いかして、成果や結果をだして、ホメられて、承認欲求を満たすコトもデキる。
その上さらに、『すぐれたチカラを、世のなかでつかいたい』という、自己じつげんの欲望についても、叶えるコトがデキる。
もっというと、額がすくないとはいえ、報酬も手にいれるコトがデキる。これらのコトから、あいてはコチラにたいして、イロイロと協力をしてくれる。
でも、そのためには、『コレから一体、じぶんがナニをするのか』っていうコトを、ハッキリさせなければならない。
となると、フツウであれば、ホントウの真のもくてき、ねらい、意図を、つまり、最終的なもくてき地、さいごのゴールっていうモノを、チャントつなえなければならない。
だがしかし、コチラとしては、たくさんのニンゲンに、ソレを知られてはマズイ。ホントウの真のもくてき、ねらい、意図をつたえるのはマズイ。カナリたかいキケンがある。
コレは一見、むじゅん点がある。アチラを立てるとコチラが立たずで、片方を重視すると、もう片方が、なりたたなくなる。
このむじゅんした点を、うまく解消させる方法として、『最終的なもくてき地、さいごのゴール』っていうモノを、あえて一切つたえず、隠しておく。
そして、その代わりに、『ソコにいたるまでの途中経過・ルート』については、ハッキリとつたえて、示すようにする。つまり、『じぶんがコレからおこなうコト』を、ハッキリとさせる。
コレで、『ホントウの真のもくてき、ねらい、意図をつたえずに、じぶんがコレから、一体ナニをするのか、ナニをすればいいのか』というコトを、ハッキリさせるコトがデキる。
さらに、ソレをおこなうコトによって、もしもホントウに、真のもくてき、ねらい、意図がじつげんし、たっせいしたとしても、協力をしたニンゲンとしては、じぶんが潜在的に持っている、つよい期待、がんぼう、欲求っていうモノが、あるていどは、叶うような状態になる。そうなる可能性・確率がたかい。だから、おそらく、はんたい・ていこうはしない。むしろ、よろこばしいとさえおもう。
もっというと、たとえホントウの真のもくてき、ねらい、意図が、じつげんしなかったとしても、オモテ向きの業務ないようや、もくてき・意図である、『徴税業務のデータ化、効率化、向上化』っていう効果や成果がある。
だから、体制がわから、キケン視されるようなコトじゃナイ。つまり、われわれにとって、それほどリスク・キケン性はナイ。
ダレにとっても、とまではいえないかもしれないけど、ほとんどのニンゲン・かんけい者にとって、『一見すると、ソレほど害がない』というカタチになっている。
もしもホントウに、今のこの国の政治体制や統治機構が崩壊したら、ソレは、体制がわにとっては、カナリのマイナスであり、キケンなコトになる。
でもおそらく、体制側は、そのコトに、なかなか気がつかない。もしもホントウに、イザ崩壊をしたのなら、そのときになって、やっと気がつくとおもう。
ソレに、たとえ体制の崩壊が、じつげんしなかったとしても、『たんなる徴税業務の円滑化、データ化、効率化、向上か』というカタチになっているから、コチラのコトを、キケン視する可能性・確率は、カナリすくない。
こうして、あらためてかんがえてみると、徳吉さんのかんがえた案や策っていうのは、ホントウに、底の底まで、てってい的にかんがえぬかれている。
ムリやキケンだとか、漏れや隙が一切ない。一見すると、『ダレかにとって害があり、マイナスがある』というカタチには、まったく見えない。
だから、体制側としても、『コレは、じぶんたちにとってマイナスであり、損でデメリットがある』というコト自体に、気がつきにくい。
ソレに、協力してくれるニンゲンとしても、ホントウの真のもくてき、ねらい、意図を知るコトなく、すぐれたチカラ・のうりょく・さいのう・才覚を、フルに発揮しようするダロウし。そういう動機づけが、シッカリしている。
そして、もしもホントウに、真のもくてき、ねらい、意図がじつげんし、たっせいしたのなら、そのときの状態は、おそらく、協力をしたニンゲンからすれば、マイナスの状態ではナイ。プラスであり、トク・りえき・メリットがあるから、よろこぶダロウし、ウレシイ状態になる」
「ナルホド、たしかにコレは、合法的なサギ師みたいな案。といえるか」
「ソウいえる気がする。となると」
こういうと、藤柴は、すこしだまった。
「となると?」
「イヤ、あのヒトが、合法的な知能犯、詐欺師っていうコトは、ソレにたいして協力して、いっしょにうごき、かつどうしているオレたちは、さしずめ、その助手っていうか、共犯者になるのかとおってね」
「ソウともいえるか」
ふたりとも、わらってしまった。
エピソード③完結です




