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第02章

意識がゆっくりと戻ってくると同時に、重苦しい混乱が俺を包み込んだ。何度もまばたきをして、状況を理解しようとする。しかし、全てがぼやけていて、現実感がなかった。


頭に激しい痛みを感じ、思わず顔に手をやる。すると、指先にはぬるりとした感触――血の筋がこびりついていた。


「……なんだよ、これ……」


血に染まった手を見つめると、山道での混沌とした記憶が一気に押し寄せてきた。待ち伏せ、銃撃、そして崖沿いを走っていたバンが転落した瞬間――すべてが渦を巻くように蘇る。


「くそっ……」


呻き声を漏らしながら、混濁した意識を振り払うように頭を振り、必死に上体を起こす。どうやら俺はバンの後部座席にいるようだ。頭の痛みを無視して立ち上がると、ふらつきながらも前方へと歩を進める。


運転席に辿り着くと、アンディがハンドルに突っ伏していた。幸いにも息はある。俺は彼の名を呼んだが、返事はなかった。やむを得ず頬を平手で叩く。


「アンディ! 起きろ!」


反応が鈍い。焦った俺はビンタからパンチに切り替える。


ようやくアンディが目を開け、呻きながら顔をしかめた。「……ん? なにが……起きたんだ?」


「その質問、何回目だと思ってるんだよ……」と、安堵と苛立ちの入り混じった声で呟く。


だが、それ以上言う前に、俺は言った。「崖から落ちた。けど……どうにか生きてる。奇跡だな。」


アンディの表情が変わり、ようやく今の状況を理解し始める。緊張感がじわじわと彼の顔に滲み出していく。


「このバンから出ないとまずいな」俺は言い、運転席側のドアから脱出するよう促した。バンはひっくり返っており、出口はそこしかなかった。


多少の時間はかかったが、アンディはどうにか車外に出ることに成功する。俺もその後に続く。ただし、グローブボックスから拳銃を一丁、さらに床に転がっていた手榴弾を一つ拾ってからだ。


「……よく生きてたな、俺たち」


「だな」と、俺は返す。視線はボロボロになったバンに向けたまま。


「俺もそう思って――」


その言葉を言い終える前に、突然の銃声が空気を裂いた。俺たちは即座に気づいた。道を封鎖していた連中が崖を下ってこちらへ向かってきている。しかも、撃ちながら。


二十人はいる。全員、重武装。脳がその脅威を認識するや否や、俺は踵を返して全力で走り出した。


「走れ!」とアンディに怒鳴る。だが、彼は既に俺の後ろにいた。バンを背にして、俺たちは一目散に逃げ出す。銃声が背中を追いかけてくる。


しばらくの間、必死に走ってなんとか距離を稼ぐことができた。銃声が遠のき、代わりに荒い息遣いと足音だけが響く。


――かすかな希望が、芽生えかけたその時だった。


空を裂くような音が、遠くから聞こえてきた。回転翼の音。ヘリの接近だ。


「マジかよ……次は戦車でも来るんじゃねぇのか……?」


アンディの声には怒りがにじんでいたが、その裏には深い恐怖が隠されていた。


迫ってくる機体の音が徐々に大きくなり、すべてをかき消していく。アンディは不安げに息を吐いた。


「……俺、死にたくねぇよ……」


「俺もだ」と俺は言う。「だから――俺の真似をしろ。とにかく、走るぞ!」


ポケットからスマホを取り出し、誰か、誰でもいいから助けを求めようとした。


だが、画面を見た瞬間、心が凍りついた。


――圏外。


「ふざけんな、なんで今なんだよ!? 映画じゃないんだぞ!? 現実だぞ、くそっ! これが三十四世紀だってのに、どうなってんだよ、マジで!」


叫びは虚空に消え、ヘリの爆音だけが胸を震わせるように響く。歯を食いしばり、思考を無理やり切り替えようとする。だが、頭は真っ白。逃げ道が思い浮かばない。


その時だった。隣で沈んだ表情を浮かべるアンディと目が合う。


俺は拳銃を彼に手渡した。


彼は子犬のような目で俺を見つめながら、無言で問いかけてきた。


――「これからどうする?」


「別れて逃げよう。」俺がそう言うと、普段は鈍いアンディもすぐに察した。顔を曇らせ、まるで死刑宣告を受けたような表情で、彼は無言で頷き、拳銃を受け取った。


「……もし俺が死んだら、仇を取ってくれ。」そんなことを言ってしまった自分に、どこかで苦笑していた。――まるで“あいつら”みたいじゃないか。「……俺も結局、ああなるのか。」と独り言。「でもいいさ。生き残ったら、復讐してくれ。グスタフとドゥヌヴォーって名前の奴らは、全部殺せ。」


そんな無茶な頼みにも、アンディは真剣な顔で頷いた。「……もし俺が死んで、お前が生き残ったら、家族のことを頼む。」


「それだけか? よし、任せろ。お前の子供、俺が育てるよ。実の親みたいにな。」俺は冗談交じりにそう返したが、そこに込めた意味は本気だった。まるで、最後の別れのように。


次の瞬間、俺たちは迷うことなく走り出した。反対方向へ。生存率を少しでも上げるための、最後の賭けだった。


振り返らずに走った。ただ、願っていた。アンディに託された「約束」を果たせる未来が、どこかにあることを。だが、現実は非情だった。ヘリの音は次第に遠のくどころか、どんどん近づいてくる。しかも、より威圧的に。


まるで――狙いが、俺だと決まっているかのように。


「ふざけんなよ……」俺は立ち止まり、渋々、空を見上げる。頭上に影を落とす巨大なヘリコプター。地面にまで重圧がのしかかってくるような存在感に、苦笑いが漏れた。


「こんなの、不公平だろ……」


絶望が胸に広がる暇もなく、空が火を噴いた。新たな銃撃の嵐が襲いかかり、土と埃が周囲に舞い上がる。ためらいもなく、ただ俺を虫けらのように排除しようとする弾丸の雨。


「くそっ……」心臓が跳ねる。俺は――やらかした。銃を、アンディに渡すべきじゃなかった。


命をかけて走った。いや、本当に命がかかっていた。弾丸が叫び声のように耳元を掠めていく。数も近さも、尋常じゃない。そしてついに、一発が――俺を貫いた。


左腕が、吹き飛んだ。


灼けるような激痛が身体を襲い、俺は悲鳴を上げる間もなく膝から崩れ落ちた。腕のあった場所からは、熱くて止まらない血が流れ出し、地面を濡らしていく。視界が滲む。涙か、血かもわからない。ただ、痛みに身をよじるしかできなかった。


立ち上がろうとしたが、身体が言うことをきかない。心が折れかける――いや、もう折れていた。その瞬間、頭に浮かんだのはたった一つ。


「……もう、終わらせてくれ。」


この空に浮かぶ化け物が、トドメを刺してくれれば、それで楽になれる――そう思った。


だが、やつらは殺さなかった。


ヘリは俺の上空に留まり、回転音だけを響かせながら、まるで獲物をもてあそぶ獣のようにこちらを見下ろしている。


「なんだよ……」嗄れた声が喉を突いて出る。「アンディは? アイツは狙わないのか? 俺だけか!? そういうことかよ!?」


返事はない。ただ、空を切り裂くプロペラの轟音と、俺を取り囲む静寂だけ。


震える手でポケットをまさぐる。冷たい金属に触れ、迷わずピンを引き抜く。残ったのは――手榴弾。どうせ死ぬなら、せめてこのまま無様に殺されるのだけはゴメンだ。連中が俺をどこかの溝にでも投げ捨てようってんなら、せめて細切れにしてやる。


そう決意した瞬間――運命はまたしても俺を弄んだ。


砂塵の中から、ヘッドライトの光が突き刺さる。次々とキャデラックが現れ、俺の周囲を取り囲むように停まった。ドアが開き、男たちが雪崩のように降りてくる。武器を構え、標的は――俺。


俺は地面に倒れたまま、血を流し、動けず、ただ見ていた。


そして――その服装に気づいた。


胃がひっくり返るような感覚。あれは……ブラッククラウンズだけじゃない。


アヴィアン・ヴァイパーズもいた。


宿敵同士であるはずの両組織が、なぜか共闘している。目的はただ一つ――


俺を、捕らえるか、殺すか。


――理由なんて、わからない。


「お前ら、敵同士じゃなかったのかよ……!」怒りと困惑を込めた声が、喉から絞り出された。


そして、最悪のタイミングで現れたのは、あまりにも見慣れたシルエット。


キャデラックの一台から降りてきた男は、にこやかな笑みを浮かべて俺を見下ろしていた。


「やあ、ハッサン。」


その男の声を聞いた瞬間、俺は絶句した。やっとのことで出た言葉は――


「……隊長!?」


声が震えていた。状況を理解しようと必死になればなるほど、頭の中は混乱し、現実を受け入れられない自分がそこにいた。それは、複雑すぎて理解できないというよりも、むしろ――受け入れたくなかったのだ。


「……隊長、お願いです。いったい何が起きてるんですか……?」必死に問いかける。混沌の中、せめて一つでも確かな答えが欲しかった。


その男――かつて俺に任務を与え、何度も連絡を取ろうとした相手――は、静かで計算された眼差しを向けてきた。


「説明しないとダメか?」不気味なまでに落ち着いた声だった。


「……裏切ったんですか?」怒りと裏切られた想いが混ざった声が、勝手に口から出ていた。


「裏切り、か……」彼は小さく笑った。表情は崩さないまま、「その言い方、あんまり好きじゃないな。裏切ったんじゃない。お前が、自分で自分を裏切ったんだよ。」


「……は?」頭が追いつかない。どういう意味だ?


「お前がそうなったのはな、自分で選んだからだ。あの任務に志願した瞬間から……いや、その前だ。お前が“あれ”を提案した時点で、すべては決まってたんだよ。」


言葉を失った。その意味を理解しようと、思考が必死に追いつこうとする。


「勘違いしないでくれよ」彼は続けた。「お前の考えは――確かに見事だった。いや、見事すぎたんだ。普通の人間には、あそこまで割り切れない。たとえ理屈では納得できても、大切な人間の命を“数字”として処理するなんて、できない奴もいる。だから怒るし、だから復讐を選ぶ。」


男は俺のすぐ隣にしゃがみ込む。


「お前は、その争いの“均衡者”として踏み出した。だが……本気で思ってたのか? “愛する人を殺した相手”を、生かしておく道理があると?」


その言葉に、俺はようやく自分の論理の欠陥を突きつけられた気がした。


「無理なんだよ」彼の声は穏やかだったが、決定的だった。「だからお前が背を向けた瞬間に、もう一つの取引が成立した。――“より大きな悪”に対抗するための、同盟だ。」


「より大きな……悪? 俺が?」


「そう、お前だ。」


愕然とした俺は、かすれるような声で呟いた。


「やっぱり……俺を売ったんですね……」


だが、男は肩をすくめた。


「だからその言い方は好きじゃないって言っただろ?」


「関係ない! 助けてくれるべきだった! 俺は……ずっと忠誠を尽くしてきたのに……!」


「確かにな。お前ほど忠誠心の強い奴、他にいなかったかもしれない。」彼はどこか遠くを見るように言った。「その忠誠の一部でも宗教に捧げてたら、もしかしたら死んだあと、マシな場所に行けたかもな。」


「……俺は、そんなの……」


言いかけた俺に、彼は片眉を上げて問い返す。


「違うって? じゃあ、自分の血で地面を染めてるその状況、見えてないのか? それとも――“地獄”なんて信じてないのか?」


思わず、かすかな笑いが漏れた。痛みで喉が焼けるようだった。


「いや……違うな。」


「じゃあ、何が違う?」彼は穏やかに問いかけてきた。


「俺は……死ぬよ。間違いなく。でも――独りじゃない。」


そう言って、わずかに身体を動かす。重く冷たい感触が、腹の下に――手榴弾。最後の抵抗。俺の切り札。


既にピンは抜いてある。どうせ死ぬなら、最低でも一人……いや、できればあいつを――この男を道連れに。


これが運命か、それとも神の皮肉か。俺に与えられた最後のチャンス。ならば――


――俺は、わずかに身体をひねった。


ドンッ!


世界が、炎と轟音に包まれた。


一瞬、何が起きたのかわからなかった。本当に爆発したのか? それとも、俺の脳が壊れた幻想か?あいつを巻き込めたのか? ……勝てたのか?


答えはわからない。「……もし、あいつを道連れにできたなら、それでいいさ。」


そう呟いたが、もはや誰の耳にも届かなかっただろう。煙と痛みに包まれた視界では、自分の最期の行動すら確認できなかった。


それでも、ほんの一瞬だけ思考が残っていた。いや、“思考”と呼べるかすら曖昧な意識の中で――最後の言葉が浮かんだ。


「……なんて、締まらない死に様だよ。まぁ、せめて……これで終わったか。」


――けれど。終わらなかった。残念ながら、まだ終わらなかった。

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