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大魔法使いなんてモームリ編

 街から続く道を歩き続けて、広大な秋蒔き小麦の畑を抜け、さらに進んだ先にある深い森。

 そこにはひとりの大魔法使いが住むといわれていた。

 

「ごめんください、あの……」

 少し待つが、返事はない。

 ここまで旅をしてきたクロンは、途方にくれそうになった。

 森の奥、小川の横に建つ緑の屋根の家は、趣があっていかにも魔法使いが住んでいそうだ。

 なのに、

「まさか、留守?」

 確かに、あたりは静まりかえっていて、なんの気配も感じられない。

 家の横に備えつけられている水車も、川の流れに触れないよう引き上げられていて回っていなかった。

 玄関の横には木箱がいくつも積まれている。

 クロンは、玄関のドアの横に釣り鐘が下げられていることに気づいておそるおそるひもを引っ張ってみた。

「……あれ?」

 鳴らない。

 もう一度思い切り振ってみるがなんの音もしない。

「おかしいなあ?」

 鐘を下から覗き込んでみると、音を鳴らすための舌がなかった。

「壊れてるのか……」

 はたまた、鳴らないようにしているか、だ。

 その場合、とんでもなく人嫌いな可能性がある。

 魔法使いにはよくある噂だ。


『大魔法使いミュリエッタ』


 名前しか伝わっていない、謎に包まれた人物。

 大魔法使いというくらいなのだから、かなりの年齢だろうとは思っている。

 頑固で厳しかったらどうしよう。

 不安だったが、出直す、という選択肢はクロンにはなかった。

 人嫌いだとするなら、なおさらここは熱意をみせねばならない。

 そのためには、街へは戻らず、ここで何日も野宿を続けて家主の帰ってくるのを待つ。

 それしかない。

 とはいえ、返事がなかったのは、こちらの声が聞こえていなかっただけかもしれない。

 もう一度だけ、声をかけてみよう、と息を吸い込んだまさにその瞬間だった。

 ドターン、という大きな音が家の中から響き、クロンは思わずドアを開けてしまっていた。

 不用心なことに鍵はかかっていなかったが、この時は焦っていてそんなことには気がつかなかった。

「ど、どうしました!?」

 部屋に飛び込んでみると誰か倒れている。

「大丈夫ですか?」

 思わず抱きおこしてクロンは悲鳴をあげた。

 白目をむいている。


 こ、これが『大魔法使いミュリエッタ』!?


 びっくりしすぎて一瞬支えていた手を離そうとしてしまった。

 あまりにも思い描いていた姿と違う。

 クロンの想像では、家を訪ねると、大鍋でゆっくりとポーションをかき混ぜていた妖艶な美女が振り向く……謎めいて神秘的な佇まい……だったのに。

 なにしろ室内には、魔法使いらしい大鍋や魔方陣などはどこにもなく、ただ床に物が溢れている汚部屋だ。

「う……」

 ミュリエッタかもしれない女性が、のろのろと体を起こし、なんとか床に座り込んだ。

 ショボショボした寝ぼけ眼は、ぼんやりとしていて、大魔法使いにはぜんぜん見えない。

 クロンは、なんだか自信がなくなってきた。

「あの、大丈夫ですか? 大魔法使いミュリエッタさま、ですよね?」

 おそるおそる訊ねると、女性が首を傾げた。

「……そうなんだっけ?」

「ち、違うんですか?」

 驚きのあまり声が大きくなってしまい、ミュリエッタが耳を押さえる。

「うるさ……んもお、起きたばっかりなんだから、そんなむずかしいこときいてこないでよ」

 そう言ったミュリエッタが急にばたりと床に倒れた。

「ど……どう……っ!」

 どうしたのかとあわてて抱え起こそうとして、クロンは動きを止めた。

 こういう時、動かさない方がいいのか? と迷っていると、ぐぐう~と妙な音が鳴った。

「な、なんの……?」

 次から次にわけのわからないことが起こるのは、ここが魔法使いの家だからなのか?

 やはり足を踏み入れてはいけない世界だったのかもしれない。

 そう思った時、うめき声が聞こえた。

「お腹……空いた……」

「え、お、お腹?」

 あわてて室内を見渡すが、テーブルの上には本が山積み、床には脱ぎ散らかした服、窓辺にはいつ死に絶えたのかわからない鉢植え、なにか食べ物があるとは思えないが一応訊いてみた。

「ここって、なにか食べるものあるんですか?」

「あるわけないでしょ……何年寝てたと思ってんのよ」

 年単位とは思わなかった。

「何年寝てたんですか?」

 苦悶の表情でミュリエッタが言う。

「うー……、何年だっけ?」

「知りませんよ!」

 ミュリエッタは面倒くさそうに頭を掻いた。

「多分、十年とかじゃないの? このお腹の減りようからして。だから、食べ物とかあるわけないでしょ」

 そんな長期間眠れるものなのか?

「あ、そうだ。これ、食べますか?」

 クロンが横掛けのかばんからパンの包みをとり出すと、ミュリエッタの声が少し明るくなった。

「なんかいい匂いがしてると思ってたのよ」

 包みを渡すと、死んだ魚のようだったミュリエッタの瞳が活き活きと輝きはじめた。

「いいの? これ食べちゃって?」

「ど、どうぞ」

 さすがに飢え死にしそうな人を前に譲らないという選択肢はなかった。

 ミュリエッタが包み紙をそっと開くと、こんがりきつね色に焼けたパンに葉物野菜とハムが挟まっているサンドイッチが出てきた。

「おいしそ。いただきま~す」

 ミュリエッタが大きく口を開けてパンにかぶりついた。

 それを見守りながら、十年くらい寝ていた人に、いきなりこんなものを食べさせていいのだろうか? とも思ったが、いまさら取り上げることもできない。

「……なにこれ、すっごく美味しい」

 はぐはぐと美味しそうに半分くらい食べてふいにミュリエッタがクロンを見た。

「これ、君が作ったの?」

「いえ、ここに来る途中で買ってきたんです」

 自分の昼食用として。

 なのに、弟子入り志願を前に、緊張して食べられずにここまできてしまったのだ。

「なんだ……そうなの」

 ミュリエッタが、急にしゅんとしてしまい、胸が痛んだ。

「もうなくなっちゃうわ……まだ食べたい」

 もしかしなくても、俺に作らせるつもりだったのだろうか?

「これしかなくて。でも、また買ってきてもいいですよ、ただし、僕の頼みをきいてくれたらですけど」

「なに、頼みって?」

 名残惜しそうに包み紙を見つめているミュリエッタが興味がなさそうにきく。

 クロンは居住まいを正し、床に手を付き頭を下げた。

「僕を……あなたの弟子にしてください!」

 かなりの間があった。

 途中、聞こえなかったのでは? と不安になるほどに。

「……弟子?」

 さらにテンションが下がった様子のミュリエッタがパンの包み紙をくしゃくしゃと丸めてため息をつく。

「やだ。他を当たってくれる?」

 クロンは床に頭をこすりつけるようにして叫んだ。

「な、なんでですか! なんでもします! 部屋も掃除しますし、パンも買ってきます!」

「え? 掃除?」

 ミュリエッタの声が明らかに迷いを滲ませているのを感じた。

 とにかく、ここで断られては困る。

 所在が明らかになっていて、いちばん近くに住んでいる魔法使いは、おそらくこのミュリエッタだけなのだ。

 他を当たるといっても弟子入りのために、どこに住んでいるかわからない魔法使いを捜してさまようのはできれば避けたい。

「お願いします! 弟子にしてください!」

「ん~、でもねえ、もうやめるつもりなのよね」

 クロンはおそるおそる顔を上げた。

「……なにをですか?」

 ミュリエッタが、大きなあくびをしながら面倒くさそうに言った。

「なにって、魔法使いを」

 魔法使いをやめる?

 クロンは耳を疑った。

「……あの、素人質問なんですけど、やめられるんですか、魔法使いって?」

「やめられるでしょ。生まれながらの魔法使いじゃないもの」

 そういうものなのか?

 聞いたことのない話だ。

「でも、魔法が使えるから魔法使いなんですよね?」

「まあねえ」

 ミュリエッタが手櫛でボサボサの長い髪をなんとかしようとしている。

 ここは修業の苦労を語るところなのでは?

 待っていてもはじまりそうにないので、クロンから話を振った。

「血の滲むような修行の成果なんじゃないんですか?」

 そう言うとミュリエッタが頭を押さえて苦しみだした。

「う……頭が……過去の話は……」

「ちょ、大丈夫ですか?」

 思い出したくない記憶なのだろうか?

 だが、それくらい相当厳しい修行を積んでいるはず。

 そんな苦労の末に魔法が使えるようになり、さらに大魔法使いと讃えられるまで登りつめたのに、それをやめようなんて、どうかしている。

 これはなんとしても阻止するしかない!

「でも、やめてどうするんですか?」

 ミュリエッタは、少し気を取り直したのか、ぼんやり自分の髪を一房つまんで毛先を見ている。

「やだ、痛んでる……妖精の泉にメンテしに行ったほうがいいかな……でも、予約とれないのよね」

 ひとりでブツブツ言っているし、もうそっとしておいたほうがいいのかもしれない。

 ちょっと期待していた妖艶な美女でもなかったし。

 が、

 まだ目が覚めていないだけ、の可能性もある。

 なにしろ何年も寝ていたのだから。

「あの……?」

「ん? なんの話してたんだっけ?」

 もうけろっとしていてちょっとこわい。

「えっと、魔法使いをやめてどうするのかなーって」

「ああ、そうね……」

 そう言ったものの、ミュリエッタの目が泳いでいる。

 嫌な予感がした。

「もしかして、なんにも考えてないんじゃないですか?」

 ミュリエッタの頬がみるみる赤くなった。

「か、考えてるし!」

「じゃあ、どうするんですか?」

「じ、自分探しの旅とか?」

 思わず鼻で笑ってしまった。

 何年も寝てるなんて、どう考えても出不精なのに、旅?

 だが、これ以上追及してどうする、とも思った。

 クロンとしては、魔法使いやめるのをやめさせたいのだから。

 ひと息ついていると、ミュリエッタが言った。

「まあ、いいわ。ところで、君こそなんで魔法使いになんてなりたいの?」

 思ってるほどいいものじゃないわよ、と付け足すミュリエッタ。

 クロンはぎゅっと震える拳を握りしめた。

「……復讐です。オレの村を滅ぼした魔物を倒すために、強い魔法使いになりたいんです」

 そのため、一念発起してひとり故郷を離れてここまできたのだとクロンは話した。

「へえ……そう」

 ミュリエッタは長い長いため息をついてから気が重そうに言った。

「じゃあ、倒してあげるわ、その魔物」

「え? だ、誰がです?」

 ミュリエッタは億劫そうに自分の顔を指した。

「あたしがよ。だから、弟子入りはあきらめて。魔法使いは弟子入りを断れない掟だってのは知ってるんでしょう? でも、いまさら他人と暮らすとか無理だし。断る場合、誰か別の魔法使いを紹介しないとなんだけど、あたし、友だちいないから……」

 最後の方は消え入りそうな声で、こっちが悪いみたいな雰囲気になってしまった。

「ちょっと待ってください。俺の復讐なんですよ?」

「手っ取り早いんだからよろこびなさいよ」

 変な子ねえ、と言われても。

「この場合、オレが復讐を叶えるまで魔法使いとして、厳しくも愛情をもって育ててくれるんじゃないんですか?」

「そういうのは、ヒゲの長いジジイの魔法使いとかに頼みなさいよ」

「ジ、ジジイ?」

 具体的すぎるイメージに、ヒゲの長いジジイ魔法使いに因縁でもあるのか、ミュリエッタは苦虫を噛み潰したような顔をしている。

「でも、か、勝てるんですか? 村をあっという間に滅ぼした……おそろしい魔物なんですよ?」

 思い出すだけで血の気が引くほどだ。

 そう言うと、はあーっと大きなため息をつかれてしまった。

「弱い魔法使いに弟子入りしてどうするのよ? 勝てるに決まってるでしょ。どんな魔物だろうと、あたしならね」

 特に気負ったようでもなく言い切る様子から、自信があるのかもしれないとは思うものの……口だけ、という可能性も捨てきれない。

「ほ、ほんとかなあ?」

 そう言ってクロンは、はっと自分の口を手で抑えた。

 弟子入りを志願している相手に思わず失礼なことを口走ってしまい、緊張が高まったが、ミュリエッタは特に気にした様子もない。

 ぼんやりとしてやる気のない横顔。

 本当に、あのおそろしい魔物を倒せるのか?

 双頭のドラゴンを。

 とてもそんな大魔法使いに見えない。

「倒せばいいんでしょ、倒せば」

 そうと決まれば出かける支度を、とミュリエッタが立ち上がって伸びをした。

「はあ、雨とか降ってないわよね?」

 よいしょ、と手を伸ばして本棚の上の窓を開けている。

 ガタガタと軋んでなかなかうまくいかない。

 さすがに手伝うか、とクロンが思った時、窓が開いた。

「眩しっ!」

 ミュリエッタは、そのままへたり込み、肩で息をしながら言った。

「いきなりの日光は体に悪いわね……」

 吸血鬼みたいなことを呻いた後、のろのろと座り直し、あたりを見回す。

「服は……いっか、これで。誰も知ってる人なんていないんだし……」

 ミュリエッタは床のいちばん手近なとろこから緑色のローブを拾い上げ、もそもそと袖を通している。

「えーっと、杖は……っと……どこ置いたっけ。ちょっとさがしてくれない?」

「杖ですか?」

 こういうものは、肌身離さず持っていたり、念じれば手元に吸い寄せられるのではないのか。

 それほど広くない部屋は、物で溢れていて、杖は見当たらない。

 しかも、何枚同じ服を持っているのか、というくらい緑色のローブが脱ぎ散らかされている。

「杖は、最後に使ってどこに置いたんですか?」

「……最後……最後って……いつ?」

 宙を睨んだまま、ミュリエッタは記憶の彼方に旅立ってしまった。

 いいから、もう手を動かしてください。

「まったく、自分探しより、杖さがしのほうが先だよ……」

「あのさあ、心の声がでちゃってない?」

 はっとして振り返ると背中でなにかを押してしまった。

「わっ!」

 山のように積み重なっていた本が大きな音をたてて雪崩れていく。

「す、すみません」

「いいわよ。本棚にしまってくれれば。あ、この占星術書、こんなとこにあったんだ。えーっと、今日の運勢は、と……」

 ミュリエッタが本を開いてしゃがみ込んでいる。

「あ! 読みはじめちゃだめですって! 片付けの基本ですよ」

 いつでも読めるのに、なぜかいま読みたくなってしまう気持ちはわからなくもない。

「今日って何年の何月何日?」

「え? 青暦一千二百八十五年、四月十七日ですけど」

「そんな?」

 心なしかショックを受けているように見えた。

「え? さすがに、こんな時間が経ってるってなりました?」

「ううん……いつ寝たかおぼえてなかったわ」

 寝る前に、とんでもない嵐がきたのはおぼえてるんだけど、と言われ、クロンも思い出した。

「この国の王城の尖塔が壊れた大嵐なら、おぼえています。六年前です」

「六年か……」

 なんだか遠い目をしているが、多分なにも思い出せないのだろう。

「まあ、いいわ。ところで、君、何座?」

「なんですか、それ?」

 知らないの? と驚かれた。

「星座よ、星座。生まれた月と日で決まるのよ。で、何月何日生まれ?」

「九月一日ですけど」

「ふんふん、乙女宮ね。えーっと……」

 なんだかぶつぶつ言っているが、占いなんて馴染みがなかった。

 田舎では、誰もそんなこと気にして暮らしていないからだ。

「今日の運勢。乙女宮のあなた! 最悪の出会いがあるかも。絶対に家から出てはいけません。ラッキーカラーはピンク。バーベキューをすると気分アゲアゲ」

「…………?」

 理解するのに時間がかかった。

 いや、なにを言われているのかわからない、ということだけがわかった。

「……な、なんですか、いまの」

 家から出るなと言いつつ、バーベキュー?

 クロンが微妙な顔をしていたからだろうか、ミュリエッタが咳払いをした。

「占いっていうのはね、解釈なのよ」

 だんだん目が覚めてきたのだろうか、饒舌になっていく。

 ただ、星々の巡りなんてどうでもよすぎて頭に入ってこない。

「だから、どう解釈するかは、君しだいよ」

「はあ……そうなんですね」

 気の抜けた返事しかできないのは、この場合仕方がないと思う。

 そんなクロンには、おかまいなしに話は続く。

「というわけで、蟹座のあなた!」

 あたし蟹座なの、とミュリエッタ。

「そういえば、君、乙女宮とか、かわいい星座なのムカつく。蟹座なんて、蟹よ? ロマンのかけらもないわ」

「そんなこと言われても、自分で選んでないです」

「あたしだって自分で選んでないわよ!」

 叫んだ瞬間、なんの話だ? とお互い顔を見合わせてしまった。

「ごめん、ごめん。一生ついて回る属性に恵まれなかった積年の恨みが……みんな蟹が悪いのよ」

 悪いのは蟹じゃなくて、蟹を星座にした誰か……誰なんだろう?

「星座って誰が決めたんですか?」

「さあ?」

「さあ? って、知らないんですか?」

 そんな占いを信じているなんて、おかしい気がする。

「……その情報、必要?」

「どう……ですかね?」

 もうなにもかも面倒くさくなってきた。

 おそらくミュリエッタもそうなのではないか。

「はあ……」

 ため息をついたミュリエッタが気を取り直したように続けた。

「えーっと、蟹座、今日の運勢。好きな人に告白のチャンス! 友だちのアシストで成功率がアップします。ラッキーカラーはレインボー。新しい靴を買うといいかも……」

 なんとも気まずい時間がしばし流れたのち、ミュリエッタが、パタンと本を閉じて言った。

「……さあ、掃除を続けましょうか」

「いや、掃除じゃなくて杖さがしてるんですけど」

 結果的に大掃除になっているだけで。

 誤魔化すようにミュリエッタがへらへら笑った。

「占星術はあんまり得意じゃないのよ。得意なのは、紅茶占いなの」

「紅茶占い?」

 飲み終わったカップに残る茶葉から占うのだという。

 それは占いなのだろうか?

「いまは、お茶っ葉切らしてるからできないけど」

「別にいいです。とにかく杖をさがしましょう」

 また読み耽りだしたら困ると、クロンは本を抱え上げた。

 そのまま本棚に並べていく。

 できれば本の背の高さを揃えたいが、いまは集中できそうにない。

 なぜなら、さっきの占いでの、『最悪の出会い』が心にひっかかっているからだ。

 やっぱりこのミュリエッタに師事するのは間違っているのではないか?

 まったく大魔法使いらしくないし、だらしないし。

 胸に迫ってくる不安を掻き消すように本を棚に並べていくと、あんなおかしな占いを信じる方が間違っていると思えてきた。

 だが、信じられない占いをする魔法使いを信用できるのか? という疑問が新たにうまれて、なにがなんだかわからなくなってきた。

 とにかく杖を見つければ、少しは魔法使いらしいところも見られるはずだ。

 そうして、せっせと片づけ、だいぶ床が見えてきたが、杖は見当たらない。

 杖と言えば、かなりのサイズ感だと思うのだが……。

「本当にこの部屋にあるんですか?」

「……多分」

「多分!?」

 つい声が大きくなってしまった。

「どっかにあるわよ! 魔法使いが杖をなくすなんてきいたことないでしょ!?」

 逆ギレしてきたミュリエッタの剣幕に、思わず気圧されてしまった。

「は、はい」

 あまりにも威厳がないので、うっかりしていたが、本物の大魔法使いなら怒らせるのはまずいかもしれない。

 そうして、部屋があらかた片づいた頃、ようやく見つけた杖は、ベッドの下の奥の奥に転がっていた。

「なんでこんなとこにあるんですか?」

 逆鱗に触れようとも言わずにはいられなかったが、ミュリエッタは聞こえなかったふりをするつもりのようだ。

「さあ、これで出かけられるわね!」

 ふいにクロンの心臓がどきりと跳ねた。

「え? 魔物を倒しに、ですか?」

 ドアを開けようとしていたミュリエッタの背中をじっと見つめる。

 緊張感が勝手に高まる中、ミュリエッタがくるりと振り返った。

「は? パンを買いにだけど?」

 拍子抜けして間抜けな声で返事をしてしまった。

「あ、ああ……そ、そうですか」

 なんだかほっとした自分もいた。

 魔物のことは憎い。

 絶対に、村人の無念は晴らさなければとも思っている。

 ただ、いざとなると心の準備がまだできていないことを感じてしまった。

「あ!」

「なんですか?」

 急に立ち止まるから、ミュリエッタの背中にぶつかりそうになってしまった。

「出かけるなら洗濯したい」

「洗濯?」

 いまこのタイミングで?

「こういうのって、準備を整えて寝るんじゃないんですか?」

 部屋を片づけ、洗濯も済ませてから気持ちよく寝る。

 目が覚めた時も気分がいいはずだ。

「そんな計画的に寝るわけないじゃない。眠気って突然襲ってくるもんでしょう?」

 突然の眠気で何年も寝ないと思う。

 もしかして呪われてた? という可能性を疑った方がいいのでは……。

 が、それはそれで面倒なことになったら困るので口にはしないでおく。

「でも、いまから洗濯してたら日が暮れますよ」

「手洗いなんてしないわよ」

「じゃあ、魔法で?」

「そんな便利な魔法あるわけないでしょ! っていうか、なんでないのよ! ムカつく!」

 まさかのガチギレに驚いたが、お腹が空いてイライラしてんだな……と、あたたかい目で見守ることにした。

「わかりました。洗濯しましょう」

 こうなればさっさと済ませるしかない。

 クロンは腕をまくった。

「じゃあ、ローブを集めてくれる?」

「部屋に山積みになっているあのローブですか?」

 さっきの杖大捜索のおかげで一箇所にまとめてあったローブを、渡された籠に放り込む。

「それで、これをどうするんですか?」

「水車があるの見たでしょ?」

 こっちこっち、と手招きされ玄関の横から地下への階段を降りると、そこは水車の動力部分のある部屋だった。水車から力を伝えてくる太い棒が部屋に渡されている。

「こんな大がかりな装置で洗濯するんですか? 普通は粉をひくのとかに使うものですが」

「魔法使いが普通なわけないでしょ」

 ミュリエッタが臼のなかにローブを放り込み、クロンに向かってバケツを突き出した。

「はい、水汲んできて。そこのドアから外に出られるから、川があるの見たでしょ」

「え……」

 バケツを渡され、外の川まで三往復した。

 これ結構な重労働では?

「で、どうやってやるんですか?」

 次は水車を回すらしい。

「見ればわかるわよ、さ、下に行って」

 ダメな指示。

「いつ出かけられんのかなあ、もう」

 ぶつくさ言いながらクロンは階段を降りていく。

 大した段数ではなく、川にはすぐ着いた。

 見ると、やはり水車が水面に着いておらず回っていない。

 これをどうにかして動かして、水面につけるのだろう。

「えーっと、これか……?」

 それらしきレバーを動かすと、水車の位置が下がった。水車の羽根が水の流れを受けて軋みはじめ、大きな音を立てて回り出す。

「どうですか?」

 階段を上り、中を覗くと回転棒で持ち上げられた杵がドスドスと洗濯物を突き洗いしている。

「うるさいから出かける時にしかやらないの」

 確かにうるさい。

 なるほど、だからあんなに洗濯物溜めてたんだ! と思うほどクロンもお人好しではない。

 ただのズボラに決まっている。

「さ、気を取り直してパンを買いに行くわよ」

「はい」

 長かった。

 これでようやくパンを買いに行ける。

 最初から、もっと買っておけばよかった、と思いつつ、クロンはミュリエッタの後に続こうとした。

「あら?」

 クロンはうんざりして言った。

「まだなんかあるんすか?」

 ミュリエッタがあわあわしながら屋根の上を指している。

「ガゴちゃんがいなくなってる!」

「ガゴちゃん?」

 って、なに?

「カーゴイルのガゴちゃんよ!」

「ガーゴイルのガゴちゃん?」

 復唱したものの意味はまったくわからない。

「なんですか、ガゴちゃんって」

「うちの門番よ!」

「ここ、門なんてないじゃないですか」

 また心の声が……。

 ぎろりとミュリエッタに睨まれる。

「……そういう揚げ足取るヤツ、嫌いだわあ」

 思わず後退りそうになるほどイラついた顔をしている。

「す、すいません」

 あまりの迫力に思わず謝ってしまったが、そんなの耳に入っていないとばかりに、ミュリエッタはきょろきょろと家の周りを見回している。

「やだ、ガゴちゃん、本当にどっか飛んでっちゃった?」

「ガーゴイルって、勝手に飛んでいくものなんですか?」

 ずっと同じポーズで座り込んでいるかとばかり。

 そもそも魔除けの石像ではないのか。

「どうかな……そんなはずないと思うんだけど……」

「そういえば、ガーゴイルがいるからドアに鍵かけてなかったんですか?」

 ぎょっとした顔でミュリエッタがこっちを見た。

「うっそ! か、鍵かけてなかった? だから、起きたら部屋の中に君がいたわけ? うわ、不用心! 泥棒とか入ってたんじゃ……」

「じゃあ、散らかってたのも泥棒の仕業だったってことですか?」

 ふいに気まずそうにミュリエッタが目を逸らした。

「……それは……違うけど……」

 いつものことなんかい。

 そう口に出さなかった自分を褒めたい。

「……はあ、ま、いっか。とりあえず、パンを買いに行くのが先だわ」

「パンより大事な気がしますが」

 ガーゴイル問題から目を逸らし、パンを買いに行く方が楽なのはわかる。

 なにしろ、まずはお腹が空いているのだから。

「もしかしたら勝手に帰ってくるかもしれないし」

 その辺にいるのを見つけたら連れて帰ればいい、とミュリエッタは歩きはじめた。

「でも、大丈夫なんですか? 飼い猫とかと違ってガーゴイルをその辺に解き放っても」

 ミュリエッタもさすがに少し考えたようだ。

 魔除けとして建物の外壁に飾られたりしているが、もともと怪物なのだから、人を襲ったりするとまずいのでは?

「あんな強面、見たら近づかないでしょ。それになんかあっても、うちのガーゴイルってわかるわけじゃなし……」

「え? それ言っちゃうんですか?」

 ミュリエッタは耳を貸さず、手をかざしながら空を見上げている。

「……日差しが強いわね、春なのに」



 ミュリエッタの家からの最寄りの街は、それほど大きくはないが活気がある。

 整った石畳みに、赤い屋根の家が並ぶ街並みは美しい。

「はあ~、久しぶりのシャバだわ」

 本人は気づいていないかもしれないが、言ってることが牢から釈放された囚人のそれだった。

「さて、パン屋、パン屋」

「あっちです」

 パン屋は街の中央にある広場から南に行ったところにある。

 朝、クロンが買い求めたときには客が行列していた人気店だ。

「ここからでもパンの焼けるいい匂いがしてくるわね」

 ミュリエッタが、足取りも軽く人の流れにのって歩いて行くと、その先にパン屋が見えてきた。

 目印は、パンの形になっている木の看板だ。

「見るからに美味しそうな店じゃない」

 窓から店内を覗いてみると、まだいろいろなパンが並んでいた。

「パンがいっぱい……目移りするわね♪」

 しばらく窓に張り付いていたミュリエッタが、なにを買うか決めたのか、いそいそと店へ入っていく。

 ドアに取りつけられている来客を知らせるベルが、からんころんと心が弾むような音をたてた。

「いらっしゃいませ」

 パンを並べている店員さんは、ミュリエッタと同じ年頃(見かけは)の女性で笑顔がまぶしいくらいだ。

「どうしたんですか? こそこそ下向いて」

「お店の人に顔をおぼえられたくないのよ」

 クロンは絶句した。

 陰キャにもほどがある。

「あだ名とかつけられたくないし」

 過去になにか嫌な目に合ったのか、ただの自意識過剰なのか、判断が難しいところだ。

 そうしていると、ミュリエッタが手を差し出してきて、言ったことにクロンは耳を疑った。

「お金ちょうだい」

 これにはさすがにたじろいだ。

「は? お金持ってないんですか? パン買いにきたんですよね?」

「現金とか持ち歩かない主義なの」

 しれっと言い放ったミュリエッタのドヤ顔に、思わず頭をかきむしりたくなった。

「うわあ、なんだろう……めっちゃムカつく」

 デキる人間ぶってどうするつもりなのか、もう本当にわからない。

 ガーゴイルも裸足で逃げ出すとはこのことだ。

「あとで返すわよ。今持ってないってだけで、お金はあるのよ」

「本当ですか?」

 そう疑いつつも、なけなしの手持ちからミュリエッタのパン代を払うしかなかった。

 多分、返ってこないだろう。

 あの散らかった部屋は、ガラクタばかりで金目の物なんてまったくなかった。

 そうして、買ったパンを持って噴水のある広場へ向かった。

 途中にあった屋台からぶどうジュースも買わされ、クロンはもうはっきりとたかられていた。

「いただきま~す♪」

 焼きたてのパンに目を輝かせて眺めた後、かぶりついている。

「やっぱり美味しい……! 他とは違うわ」

 天才だなんだとパン職人を褒め称えている。

「なんか店主が息子に代わって美味しくなったって話でしたよ」

 朝、クロンがパンを買った時、店の外で客がそんな立ち話をしていた

「いいわ……毎日でも食べたい……そうよ!」

 ミュリエッタの目が輝き、クロンはこっそり逃げ出そうかと思った。



「パン屋になりたいだって?」

 パン職人が腕を組んでミュリエッタをいろんな角度から眺めている。

「うち、今弟子とってないんだよね」

 職人が顎を撫でながら言う。

「他を当たんなって言いたいとこだけど、この街にパン屋はうちしかないんだ。街にパン屋は一軒って王さまに決められてるからさ」

 街でなにか店を開業するには、王さまの許可がいるらしい。

 その中でもパン屋や酒屋などはひとつの街にいくつと決められているという。

「悪いね」

 パン屋に弟子入りを断られ、すごすごと来た道を戻りながらミュリエッタがつぶやいた。

「新たに開業する、という道も絶たれるなんて……」

「そこまで考えてたんですか? いきなりパン屋なんてやれないでしょう?」

「他にもパン屋になりたい人がいるかもしれないじゃない」

「そういう人を集めてパン屋を開業するってことですか?」

 ミュリエッタが大きく頷いた。

 結局、人任せというか……。

「まあ、とにかくパン屋はあきらめるしかないですね」

 すると、ミュリエッタが低い声で言った。

「……国王の許可があればいいんじゃないの?」

「え? もしかして王さまと知り合いなんですか?」

 さすが大魔法使いともなるとすごい人脈があるのだ、と感心しそうになった。

「知らないわよ、いまの国王なんて。寝てたんだもの」

 そういえば、ミュリエッタは友だちがいないんだった。

 つまり知り合いなんてものもいないのだろう。

 それよりも、なんだか雲行きが怪しくなってきた気がする。

「じゃあ、どうするんですか?」

 ミュリエッタが思い詰めた表情で杖を握りしめる。

「……ふふ、やっぱり最後はこれしかないわよね……」

「魔法で王さまを脅すってことですか!?」

「しっ! 声が大きい!」

 本気なのかよ。

「さすがにそんなことしたらお尋ね者になるんじゃ……」

「たかが、パン屋の開業で?」

 いやいや。

 国王を脅迫した罪に決まっている。

「やめましょうよ。いろいろあるんですよ、きっと。パン屋が乱立したら困るとか」

 勢いよく立ち上がったミュリエッタが叫んだ。

「パン屋戦国時代、いいじゃない! 血が騒ぐわ! やっぱり参戦するわよ!」

「なにパンで世を乱そうとしてるんですか……」

 パンもう一個食べたらどうですか、とすすめるとミュリエッタは素直に食べた。

「わかったわよ、今日のところは」

 お腹がいっぱいになって、落ち着いたのだろう。

 ミュリエッタが広場のベンチから立ち上がる。

「じゃ、そろそろ帰ってローブ干さないと」

 じっと見つめられ、クロンは逃げられないことを悟った。

 そういえば、ガーゴイルどこ行った? と思ったが、ミュリエッタはもうすっかり忘れている様子で鼻歌を歌いながら歩いて行ってしまった。

 ミュリエッタの家へ戻り、クロンはすっかり疲れていたが、ローブを干さなくてはならなかった。


「はい、これ」

 じゃらっと音のする革袋をぞんざいに渡された。

「なんです?」

「さっきのパン代」

 コインにしては軽いな、と思いながら革袋を開けてみると、目玉が飛び出た。

 中には色とりどりの宝石が入っている。

「な……っ!」

 ひとつ手に取ってみると、大粒のエメラルドだった。

 深い緑色できらきらと輝いていて、こんな革袋に入れていていいのかと思うほどだ。

「ほ、本物なんですか?」

「失礼ねえ、本物に決まってるでしょ」

 他にも、真っ赤なルビーに真珠、虹色に輝くオパールなど、どれも大粒の宝石が入っていた。

「でも、パン代にしては貰い過ぎですよ?」

「あら、そう? じゃあ、明日もまたパン買ってきて」

「は?」

 ついムッとして言い返しそうになったが、思いとどまる。

 いや、これでいいはず。


 ここには弟子入りにきたのだから。


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