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大公の愛人の娘  作者: 知香
第三部
40/40

40.謁見室での対峙

 勢い良く硬いブーツの先が腹に入り、その前に殴られ口内を切って溜まっていた血を吐き、床にポトポトと落ちた。本城の中でも特に豪華絢爛で高価な絨毯が敷かれているこの部屋は、以前にアードルフ第二王子を通した謁見室だ。絨毯の敷かれていない硬い床の上に拘束され、先程から幾度か殴られ顔は腫れ、口から血が流れている。吐いた血はついた膝の前に落ちた。日々訓練に勤しむ屈強な騎士が、痛みからうめき声を出している。


 その姿を見て、絨毯の上で手を縛られた状態で体を震わせて涙を堪えられずに嗚咽を漏らしているのは、まだこの年に五歳になるフェルディナントだ。


「言う気になったかしら」


 ビクリとしたが唇を震わせながら必死に口を閉じた。


「大公夫人が話されているのに無視するのか」


 既に散々殴られ蹴られ、力無く項垂れている顔に今度は膝蹴りが入り、再び口内が切れ、漏れたうめき声と共に更に血が口から溢れた。


 フェルディナントにとって年に一度開催され先日初めて観戦した剣闘大会でも、こんなに血を見る事は無かった。試合中に負傷しても勲章の様に感じかっこいいとすら感じていた。しかしいつも護衛として近くに居てくれる騎士が、今にも死んでしまいそうな位に殴られて血を流しているのを見せられ、ただただ怖かった。


「もう一度聞くわ。何処に居たの?」


 どれだけ殴られても決して言わない護衛騎士に痺れを切らして、ただ怯え震えるフェルディナントから聞き出そうと、フェルディナントに見せ付けるように更に護衛騎士を甚振った。


 幼いフェルディナントでも、大公夫人に答えてしまうと母と弟の居場所が知れてしまうと分かっていたので、甚振られている護衛騎士が決して言わないのだから、怖くても大切な二人を守る為に必死に口を閉じた。


 大公夫人はあの火事の日の夜、隣国に引き渡す為にクラウディアを捕らえた。そしてランが護衛騎士と城内から逃亡した報告を受けた。しかし、ヘラとその子どもの行方だけ分からずにいた。西の塔の焼け跡を捜索したが、使用人や騎士も含め遺体は見つから無かった。もともと西の塔に使用人は少なく、夜間の為に塔に留まっているのが護衛騎士だけだった。

 その行方が分からなかったフェルディナントと護衛騎士が突然、城内の食糧庫で姿を現し捕らえられたのだから、何処かに身を潜めていたと考えられる。しかし、くまなく城内を探させたのに一体何処に居たのか。未だに行方が分からないヘラも、決して口を割らないこの二人の様子から、生きてそこに隠れている可能性が高い。


 火災により命を落としたとして全て終わらせるつもりだったのに、誰一人死なずに生きている。ランに限っては城内から逃亡してしまい、生き証人を逃してしまった。


 それだけでは無い。攻め込んでくる手筈の隣国も気配が無く、大公城に救援にやってくる筈の大公夫人の兄であるロッテベルク領の軍勢も来ない。それどころか何故か王都軍がやって来た。完全に国に逆らっている構図になっている。全てを謀ったヴィゲリヒ家当主とも連絡を取る手段が無く、どう動くべきか分からずにいた。大公夫人には焦りがあった。


「言わないのなら仕方無いわね」


 大公夫人が持っている扇子でフェルディナントを指した。それを受けて大公夫人の騎士がフェルディナントの前に立った。フェルディナントにとってそびえ立つ様な大きな体の騎士が目の前に立ち、体の震えが止まらなかった。この騎士には見覚えがあった。剣闘大会の準決勝でエミルと試合をして、エミルに怪我を負わせた騎士だ。


 気が付いた時、フェルディナントは絨毯の上に転がっていた。徐々に頬に痛みを感じ、叩かれたのだと分かった。


 護衛騎士が呻くように「やめろ」と言ったが、「居場所を言わないのなら続ける」と言って今度は横たわっているフェルディナントの腹を蹴った。軽い体が宙に浮いてドンッと床に落ちた。その拍子に吐しゃ物をまき散らし、綺麗な絨毯を汚した。


 言うべきでない事は護衛騎士も分かっていた。ヘラの居場所を教えた所で、西の塔を焼いた者達がフェルディナントを助ける訳が無い。ヘラもフェルディナントもマティアスも、全員見つけたら始末するだろう。しかし、目の前で幼いフェルディナントを容赦無く痛めつけられ、本当に黙る事が正しいのかと葛藤してしまう。

 苦しさから絞り出すように「やめろ」と言っても、顔色を変えずに大公夫人の騎士はフェルディナントに近付いて、首を握りフェルディナントの体を持ち上げた。息が出来ず苦しいのか、首を握っている騎士の手を掻きむしった。フェルディナントがそのまま窒息してしまうかもしれないと、護衛騎士は泣きながら「やめてくれっ」と掠れ声で必死に叫んだ。


「ならば言いなさい」


 大公夫人の声に騎士がフェルディナントの首を絞める手に力を増した。フェルディナントが目を見開くと、ピタリと動きが止まった。護衛騎士には一気に絶望感が広がった。


 その時、謁見室の外の騒がしさに大公夫人や騎士達が気が付いた。絶望感に襲われている護衛騎士だけが動かなくなったフェルディナントを見つめていた。


「何事?」

「確認してきます」


 そんな少しのやり取りが終わる前に、謁見室の扉が勢い良く開かれた。そこに現れたのは、この城の主である大公だった。

 城は外部から入れない様に全ての門を閉じていた。見張りからも攻撃を受けたり門を突破されたり等の報告は一切受けていない。それなのに何故この場に大公がいるのか。驚きの後に、本当に何一つ上手くいかない事に大公夫人は苛立ちを感じた。


 謁見室に入り、首を絞められ顔を真っ青にさせて動かないフェルディナントを見て、大公は怒りで目を大きく見開いた。


「その手を離せっ!」


 謁見室に響く程の大公の声と同時に、エミルが騎士に斬り掛かった。剣闘大会で何度も対戦している相手なだけに、子どもを持ったまま剣を受ける事も避ける事も、ましてや子どもを盾にする事も難しいと一瞬で悟り、フェルディナントを放り投げて帯剣していた剣を抜き、エミルの一撃を受け止めた。

 投げ捨てられたフェルディナントは床に強く打ち付けられた後、直ぐに大公が駆け寄り抱き上げた。

 両手を縛られ、頬に殴られた跡が、首には絞められた跡、さらに口元には吐しゃ物を吐き出した跡があった。口元に顔を近付けると、僅かながら呼吸をしているのが確認出来た。ホッとしたのも一瞬で、痛々しい愛息子の姿に噛み締めた奥歯が鳴った。


「どういうつもりだ、カサンドラ」

「どうやって入ってきたのです?」

「今聞いているのは私だ」

「勝手な事ばかりして、忌々しい」

「勝手な事をしているのはお前だろう!」

「いいえ!貴方です!そもそも勝手に愛人なんか作った貴方がいけないのでしょう!」


 剣の押し合いで拮抗しているエミルと騎士を挟んで大公と大公夫人が言い合いをしている間に、大公が連れて来た騎士達が謁見室に入って来た。騎士達は返り血を浴びていて、息も上がっている。大公夫人側の騎士達と戦闘があった事が察せられた。


「この城は私の城だ。ヴィゲリヒ家の者に渡す訳にはいかない。だからヴィゲリヒ家のスパイ行為をするお前に好き勝手させる訳にはいかない」

「だから愛人を作ったと?」

「夫婦としての関係性を築くのを拒んだのはお前だろう」

「夫婦としての関係性?私は妻としての役目を全うして来ました。それ以外に何が必要だと?」

「お前が望んでしてきたのは大公家を乗っ取る為の行動ばかりではないか。大公家の為に、そして大公領の為に考えた事は無いのか」


 大公の言葉に、大公夫人は高笑いをした。謁見室に響き渡ったそれは貴婦人とは言い難い気品も何も無い魔女の様な笑い方だった。


「何をおっしゃいますか。私はヴィゲリヒ家の娘です。家の為にした結婚です。ヴィゲリヒ家の繁栄の為に行動するのは当然でしょう」


 清々しい程に生家の為だと言い切った大公夫人に諦めがついた大公は、夫婦の情も何もかもを捨て去る覚悟が持てた。

 これまでは政略結婚だから夫婦としての愛情を互いに持つのは難しくとも、形だけのパートナーとしてでも共に支え合いながら領土を守っていけさえすれば良いと考えていたが、大公夫人には嫁ぎ先の大公領への愛着も慈しみも何もない。あるのは、ヴィゲリヒ家の娘として大公領を手にしたい征服欲だけだった。


「お前のその言い分を返すなら、私は大公家の現当主だ。大公家を守り大公領の繁栄の為ならば、大公家を脅かす存在のヴィゲリヒ家との縁は切らせていただく」

「そんな事が出来るとでも?」


 眉間にシワを寄せ苦虫を噛み潰した顔をした大公夫人からは、赤羅様な怒りが見えた。

 この国は女性の立場は決して高くは無く、妻の同意が無くとも当主の権限で離縁が可能だ。とは言え、大公の情に厚い性格から一方的な離縁は言い渡されないと高を括り、さらに、過去のヴィゲリヒ家から受けた恩の為にヴィゲリヒ家側の同意も無しに離縁をする事は無いと思っていたのだ。


「十七年前の隣国の侵攻は、ヴィゲリヒ家の計略だと調べはついている」


 大公夫人は表情を変えなかった。


「私は知りません。私は父上に大公家に嫁げと言われて来ただけなので」


 それが本当かどうかは定かではないが、大公にとってもはやどちらでも良かった。知っていなかったとて大公夫人に対する諦めは何も変わらない。


「大公領を脅かし、ひいては我が国の国境を隣国に越えさせる手引きをした国賊との婚姻は解消する。カサンドラ、君はこの城から去ってもらう」

「子ども達がいるのによくも簡単に言えるものね!」

「その子どもを、ドロテーアを都合の良い様に利用しようとしたな。勝手に第二王子との婚約者を企み、その計画が上手くいかず今度はロッテベルク領に嫁がせるとか。子どもをそんな風に身勝手に利用する君や君の家の者の近くには置いておけない」

「そんな政略結婚なんてどこの貴族も当たり前にしているじゃない!」

「勘違いをするな。離縁して君がここを去って終わりじゃない。君の身柄は王都へと移送される」

「なに…?」

「言っただろう。隣国と通じて手引きした君は国賊だと。籠城していた君は知らないだろうが、ヴィゲリヒ家当主は既に王都で拘束された」


 思いもしなかったのだろう。大公夫人は一瞬言葉を失い唖然とした表情を見せた。そしてポツリと、「ご当主様が……」とだけ言った。




☆おまけ


 フェル〜!

 頑張ったー!頑張ったね〜!

 君は立派な大公家の後継者だよ!

 苦しい役回りをさせてしまってごめんね(_ _lll)


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