9.茶泉の診断/夢の中の淳
9.茶泉の診断/夢の中の淳
天才にも限界はある。
茶泉一王医師がX線写真を目視で精査した。
父の忠が、レントゲン写真を見つめる医師を見守っていた。
「先生……」
「まず、お嬢さんですが……問題ないかと。ただし、かなり外傷が深いこともあり、完全には治らない可能性があります。ここです。ここも。――これが現状です。まだ若いので時間が経てば傷は消えると予測できます。また、傷が残ったとしても今までの実績から考えるに、お化粧で何とかごまかせる範囲です」
医師としては寛解とは言いづらいが、茶泉個人としては「消える」未来が〝観え〟ていた。茶泉の表情は穏やかだが口調は疲れ気味だ。
「ありがとうございます。……何から何まで……」
忠が深く頭を下げた。
「次に息子さんですが、問題は――」
「――淳が?」
「ピアニスト、でしたね」
「ええ。来年には海外に行かせるつもりです」
「右手の――この筋肉を切っています」
総指伸筋だ。
(筋肉を切った?)
専門用語を使わない茶泉の声がダイレクトに忠の脳裏に木霊した。
「ここです。こまかいですが、複数あります。分かりますか? つなぎましたが、切れた事実は残ります。リハビリすれば普段の生活――ペンやお箸は持てるでしょうが……」
「ピアニストとしては?」
「正直、厳しいかと。リハビリに何年も経かる可能性が高いです。ただ、元に戻ったとしても、以前のしなやかさを保てるかは分かりません」
「……何てことだ。淳に……あの子に……何と説明すれば……」
「他に、肝臓が損傷しています。現場の適切な処置があったのでしょう。ふつうなら出血多量で、助かったのは奇跡です」
九死に一生らしい。
(高施とか言ったか、あの青年……)
忠が思いだした。
「肋骨は……ここと、ここ。右五番と六番、左……ここ七番八番。骨折しています」
「ヒビが入っているだけのように思いますが?」
「ヒビも骨折です。肋骨は自然と治ります。痛みがあれば、しばらくギプスをしていただきますが。……それにしても運が良かった。あの子のお蔭でお嬢さんはまともに暮らしていけます」
若い茶泉が年上の忠の目を見た。
「息子さんは生きている。親御さんが夢を与えてあげましょう。それが何よりの薬です」
*
病室に移動した忠が、深刻な顔色で説明した。
「もう弾けないですって!」
平悟郎の大声が廊下に響いた。
「静かにしろ。中まで聞こえる」
「あっ! ああ……」
個室の前で、あわてて口を噤む平悟郎だった。
「ピアノが弾けないんじゃあ意味がないじゃあないかあの薮医者め!」
心の中で言ったはずが漏れている。
「生きるかそうでないかだったんだぞ。とりあえず、静かにしろ」
「……お父さん」
中から声がした。
二人が入ると「お父さん」と淳が話しかけた。
「大丈夫か?」
忠が声をかけた。
「しおり……そうだ! しおりは!」
麻酔から醒めた淳が叫んだ。
「大丈夫だ。淳、しおりは大丈夫だ。心配は要らない」
「良かった……生きてるんだ……」
忠が集中治療室のしおりの写真を見せた。内緒で撮影したものだ。
しおりはミイラ状態だが痛みはないらしく、安らかな寝顔をしていた。
「宇一くんは?」
「どうして知っているんだ?」
「夢の中で助けてくれたんだ……何度も……何度も」
「お前のために献血や、しおりのために皮膚まで移植してくれた。何と言っていいか……」
「ありがとう」
淳がくすっと笑った。痛み。
「……そうだな。ありがとうだ。何をお返ししたらいいんだろう……」
「僕……何か人のためになるようなことをしたいよ……彼もそれがイイって……」
「そのことなんだが……」
忠が躊躇った。
「……知ってるよ」
麻酔が残っているのか、言葉がふわふわ浮いていた。
「聞こえたのか」
平悟郎を睨む。
都合が悪くなった平悟郎が逃げようとした。
「平叔父さんは悪くないよ……僕がいけないんだ……しおりを一人にしてまったから……」
足を止める平悟郎。涙が頬に零れる。
「宇一君に言われたんだ……夢の中で……もう弾けないって……それに……夢みたいだったんだ……僕がピアノを弾けるなんて……人を感動させることができるなんて……そのほうが夢みたいだったんだ……ほんとはいつ醒めるか不安だったんだよ……お父さん」
目を瞑る淳が泣いていた。
「もう少し続けばイイなと思ってたんだ……けど……醒めちゃったね……もう少し眠りたいよ……もう少し……お父さん傍にいてくれる? ……」
「ああもちろん、もちろん傍にいるよ」