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君のいる世界  作者: 田鰻
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迅雷 - 10

「恥を雪ぐ機会はやろう」

「私に死ねと申しますか」

「言っておらぬ、死を賜る栄誉が貴様如きにあると思うな。

取り戻してこい。商品の娘を、今度こそ取り戻してこい。それで全てを水に流そうではないか。こうなった何もかもは貴様の不手際のせいだ。初手でも、後手でも。わしは人選を誤った!

もはや負債は埋めようがなく膨らみ、娘を取り戻す目処はまるで立たず、次なる奪還部隊編成の見込みも無い。そうして芋虫のように身体を丸めているだけで、この怒りが収まると思っているのか!」


報告後、男が初めて激しい怒りを露わにした。

汚名を拭うチャンスを与える。その言葉が持つ、真の意味が理解できぬウィルではない。

それは事実上の死刑宣告であった。

谷底まで転落した現状況において、名誉を挽回する手段などたったひとつしかない。初めからそのひとつしか求められておらず、ウィルが二度に渡って敗北し失敗した、まさにそれそのものである。

三度目を与えると、男は言う。

三度目がやりたければやっても良いぞと、男は言っている。

もう一度あの場所へ、お前が挑戦したいというならそれを認めようと、男は寛大に、邪悪に笑っている。無論、援助など見込めない。二度目とは異なり、要求する自由すら失われている。何故ならこれは依頼と受領が生む契約ではなく、あくまでもウィルが彼自身の意思で自由に行う行動なのだから。


本心では、男はこの場でウィルを殺してやりたくて堪るまい。

それをしないのは、要注意依頼主としてギルドにマークされるのを避けたいだけではない。選択を与えるというのは、時として直接の破滅より残酷なのを、男は経験から知っていた。

昔、失態をしでかした使用人を目の前に引き出して、招待客と良くゲームをやったものだ。今からお前を殺す。だがこのナイフで一本ずつ片手の指を、全て切り落としてみせれば許してやろう、と。男は必ず切り落とす側に賭け、大抵は途中で泣き喚いて中断される為しょっちゅう負けていたが、勝敗に関わらず愉快な出し物になったものだった。

男は言葉をナイフに見立て、それと同じ事をしようとしていた。自らの足で、知りすぎるくらい知っている死へ赴かせる楽しさよ。少しは胸がすくだろう。

男の浮かべる深い笑みは、己が手を汚さず敗北者を葬り去る、やはり上位者特有の喜悦であった。

黙り込むウィルへ、男は更に言う。


「降りたいか? 勿論去るのは自由だとも、これは貴様への仕事依頼ではないのだからな。ああ、貴様は自由だ。逃げたければ逃げるがいい。安い命を精一杯惜しむというなら、それもいいだろう。だがその場合、わしは少々口が軽くなる。貴様に関する話を知人達や街の者達や、お前のギルドにしたくなりそうだ。その中には愚痴の類も混ざっているかもしれん。そう、愚痴がな」

「閣下、どうか私の話を――!」

「聞けと? わしに貴様の話を聞けと?

二度までも無様にしくじり、損害を取り返しの付かぬものとした貴様の話の、このうえ何を聞けと?

残念だがウィル君、わしはそう暇な身ではなければ気が長くもない。そのわしが寛大にも挽回の機会を与え、しかもどうするかは好きにしろとまで言った。これ以上の何を求めるというのだね? それはだいぶ贅沢が過ぎるだろう、ハハ」

「っ……」


ウィルは唇を噛んだ。言葉に詰まる惨めな様子に、男はますます愉快そうになる。

依頼と偽り、ギルド員に危害を加える事は、何処であろうと断じて許されていない。だが逆に言えば、禁止事項と認められているのはそれだけなのである。個人に対して、密かに、あるいはおおっぴらに圧力をかける事を防ぐ手段はなかった。

仮にそれを禁じる奇特な世話焼きギルドがあったとしても、所詮は形式のみ。人の口に戸は立てられぬ。これ程の有力者から名指しで通達がされれば、それ自体を防ぐ事はできない。表立っては、悪評を広めつつも仕事を与えるかどうかはあくまで依頼する側の裁量に任せるという形になるが、依頼する側が、街の暗部を牛耳る有力者の意向を気にしない筈がないのである。

実質、今回のような名指しでの大きな仕事は絶対に来なくなる。それ以外の仕事でさえ怪しい。となれば残るのは、この道に足を踏み入れたばかりの無能な下っ端がやるような、溝さらいに逆戻りだ。

ギルドは、依頼及び契約の根幹を侵すような企てからは守ってくれる。しかし負け犬を守る理由は無い。代わりは彼らの生まれた糞溜めから、毎日幾らでも湧いてきているのだから。


許可の体裁を保ちながら、これは強制以外の何物でもなかった。行くを選ばねば糧を得る手段が失われるとあれば、命に手綱をかけられたのと変わらない。

そして、行けば死ぬ。

だが断れば、もうここで食い繋いでいく事は不可能になる。

俯いていたウィルは、やがてその長身を起こすと、立ち上がって黙ったまま男に頭を下げた。何の意味もない、丁寧な一礼であった。

部屋を辞去しようとしたその足元に、どさりと放り投げられた物がある。


「忘れていた、持っていくといい」


嫌味たらしく男が言う。床に落ちた音だけで重いと分かる、金貨の詰まった袋だった。ウィルの申し出で特例として後回しにしていた、二度目の遠征の前金だった。

手渡さずに、投げた。

呆れる程にありきたりな、つまりは効果の高いと認められた嫌がらせ。

足元に落ちた袋は、屈まねば拾えない。この場合は、受け取る事そのものが屈辱となる。ウィルは暫く無言で袋を見つめ、やはり黙ったまま、しゃがみ込んで拾った。片膝が、冷たい石の床に当たる。

ハッと、短く息を吐くのに似た笑い声があがった。


「貴様らが信じるのを許された、たったひとつの神だからな、ドブネズミ共め」


自身も神など信じていないのであろう男は、最後にそう言った。

やるのか、やらないのか。ウィルの答えは出たのか。去っていく背に改めて問うまでもない。問う必要もない。

やれば死ぬ。やらなければ、奴らの世界における奴の名声は死ぬ。

どのみちもはや奴に先は残っていないのだ。無能が多大な損害を与えてくれた時点で、先が残るなど許されない。

大枚はたいた貴族の娘と、路地裏をうろつくゴロツキ一匹。

対価とするにはあまりに価値が違いすぎるが、何も奪えぬまま終わる忌々しさよりはましだった。

護衛達からまで注がれる侮蔑と、ごく僅かな哀れみの目の中を、ウィルは無言で歩く。視線は注がれども、誰も慰めの声を掛ける者はいない。そんな真似は許されていないからであり、また、敗北者がこうなるのは必然であるからだ。


奴は選択を誤った。


選択の過りは即、死に通じる。それが現場であれ、話し合いの場であれ。

雇われ、護衛としてこの場に立つ彼らもまた、その過酷な世界の中で生き残ってきた者達だったのだ。

明日は我が身。ウィルの姿は、そのまま未来の自分の姿でもある。惨めな敗者への侮蔑は、いつの日か同じくそこを歩いて部屋を出て行くであろう、未来の己への侮蔑と哀惜の念でもあるのだ。

扉が重苦しく閉じられると、男は憎々しげにそちらを見やってから、品無く足元に唾を吐く。拭こうと、怯えながら屈んだ下女の顎を、硬い革靴の先が鈍い音を立てて蹴り飛ばした。


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