迅雷 - 8
声を掛けてから寝室に入ったクレストに、フィリアは落ち着いた様子で聞いてくる。気配を察知したパトリアークが、事前に間もなく帰還する事を教えていたのだろう。
「ウィルが来たんだよね。
……戦ったの?」
クレストはパトリアークを見た。従者の青年は黙って首を横に振る。
襲撃は告げても、確実に殺し合いになるとまでは告げていなかった。とはいえ、子供でも充分すぎる程予想できる範囲だった。フィリアがそう尋ねるのは、当然だ。最良の解決より、最悪の連続ばかりの中でずっと暮らしてきたのだから。
懐いていた男の裏切りをどう伝えたら良いのか、解答はいまだ出ないが、いつまで黙っている訳にもいかず頷く。
「そうなんだ……。
あのね、クレストが話したくなったら、話してね」
この件に関しては、それっきり。
クレストもパトリアークも呆気に取られる程に、フィリアの瞳は静かだった。
泣くような事もなく、どうしてこんな事にと訴えもしない。
この一件を気にしていない故にではなかった。気遣うという感情が、より強く表に出ていて、他一切を塗り潰しているからだった。ここで騒げば、周りの皆に、とりわけウィルを連れてきたクレストに負担をかけてしまうと、フィリアは考えている。
それはまるで幼児らしからぬ、久しく見なかった、ここへ連れて来られた当初には常に見せていた、虐げられて生きてきた者特有の悟りであった。その気遣いは、接する者を刺す針となる。クレストは今回の事態になって初めて、確かといえる痛みを覚えた。
彼にとって、自分の事程どうでもいい事はない。だがフィリアは違う。フィリアは人間だ。束の間の命が短すぎて、悲しい事を、辛い事を、彼のようにただ零して忘れていくという事のできない、人間だった。その小さな身体に、これ以上の悲劇を積み重ねるのが、どれだけ過酷な負担であるか。
「……ね、ほら、これ。
新しい文字ね、少しずつ読めるようになってきたんだよ。
ずっと南のほうの国の文字なんだって。もうちょっとしたら、あの本も読めるかなあ」
直前まであんなにも楽しんでいたブローチ作りには触れず、クレスト達が館を空けている間に、パトリアークとしていたのであろう勉強内容を伝えてくる。
精一杯の明るい話題を、なんとかして持ち出そうと試みて。
フィリアの笑みは柔らかい。天真爛漫な子供特有の、爆発するような笑顔とは違う作り笑顔。
無理をしているのが分かる。何があったか聞きたくて仕方ないのが分かる。
されど、聞くのが怖くて仕方ないのが分かる。
それら全てを、必死に我慢しているのが分かる。
実際に戦ったクレスト達は、ただ家で待っていただけの自分などより、もっと大変だったのだからと、もっと怖かったのだからと、もっと辛かったのだから、と。
こんな幼子が、他者を慮る作り笑いをする事などあってはならない。
そんな事を、させてはならないのに。
(どうしてなんだ、ウィル)
問いは虚空に消えていく。
苦もなく敵の強襲を見破った目に未来は映らず、凶刃の悉くを跳ね返した手に掴めるものは何もない。




