カレーとナン
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「エレーナお婆ちゃん、お米ってないの?」
「あっ、そういえば切れていたのを忘れていたわ」
リビングに戻って尋ねると、エレーナお婆ちゃんがうっかりとばかりの表情を浮かべた。
「カレーなのにお米がないの!?」
お米がないと聞いて、エルナ母さんが悲壮な顔つきになる。
「大丈夫だよ。カレーはお米以外でも美味しく食べられるから」
「確かにあの味ならグラタンとかパスタとか何でも合いそうね」
即座にそういった美味しいアレンジを思いつくので料理の才能はあるのだが、エルナ母さんは如何せん面倒くさがりだ。
「じゃあ、今日はナンにするよ」
エルナ母さんが納得したところで俺は厨房へと戻った。
ノルド父さんは順調に食材の下処理をしてくれているようだ。
それを横目に俺は魔道コンロを起動。
フライパンに油を敷いて温めると、マスターシード、カシミア、カルダモン、クミンなどを投入して焦がさないように加熱。
この段階で既にいい香りがしている。
やはり、バグダッドに教えてもらったテンパリング技術は必須だな。
「あらあら、すごくいい匂いだわ」
「エプロン姿のノルドがいいわね」
一人は香りに釣られて、もう一人は旦那のエプロンに釣られて厨房を覗きに来ているようだ。
まあ、入口から見ているだけで邪魔はしていないので気にしないことにする。
テンパリングが終わると、邪魔なホールスパイスを取り除き、ノルド父さんが刻んでくれたタマネギ、ニンニク、ショウガなどを炒める。
タマネギが狐色になったらクミン、ターメリック、コリアンダーといったスパイスを加え、トマトソース、ニンジン、牛肉などを混ぜていく。
ここから水やラッシーを入れて煮込んでいくのだが、今日はカレーを食べ慣れていないエレーナお婆ちゃんがいるので少しだけラッシーを多めにしておく。
普段のスロウレット家ではラッシーは控えめだが、今日はエレーナお婆ちゃんに振る舞うのがメインだしね。
「他に作業はないかい?」
「じゃあ、ナン作りをお願い」
「ナン?」
「カレーに合うパンみたいなやつだよ」
「なるほど」
ボウルに強力粉、薄力粉、砂糖、塩、酵母菌、油、ぬるま湯を投入すると、ノルド父さんに混ぜてもらう。
「……なんだかこうやって二人で料理を作るのっていいね」
生地をこねながらノルド父さんがしみじみとした様子で呟く。
絶対に言うと思った。なんだか恥ずかしくなるのでやめてもらいたいんだけど、自分が父親になれば同じようなことをきっと思うんだろうな。
「そうだね」
なんて答えたらいいものかわからず、俺はそんな同意の言葉を返しておいた。
生地っぽくなったら丸く整形してもらって、ボウルの中に戻してもらう。
密閉するためにシートを被せたら、火魔法で四十度くらいに加熱した竈の中に入れて発酵するのを待つ。
「発酵できているかな?」
「問題ないね」
フィンガーテストをして穴がすぐに塞がらないことが確認できると、再び生地をこねる。
「大分、弾力が出てきたね」
「うん、もちもちして美味しそう」
食べやすい大きさに切り分けると、一人前の生地を麺棒で薄く伸ばしていく。
「俺が焼いていくからドンドン生地を伸ばしていって」
「わかった」
フライパンに油を敷くと、楕円形となったナンを中火で加熱していく。
数分ほどで生地が膨らみ、表面に焼き色がついたらひっくり返す。
そんな作業を繰り返していくと、無事にナンも出来上がった。
「カレーができたよ」
「あら、とっても美味しそうね」
「いつもと盛り付けが違うわね?」
「ナンがお供だから」
今回はお皿に大きなナンを載せて、サラダ、小さな器にカレーを入れての提供スタイルにした。
「なんだ? やたらといい匂いがするな?」
料理の配膳をしていると、ちょうどラザレスお爺ちゃんが帰ってきた。
「アルとノルドがお昼を作ってくれたのよ」
「そうか! そうか!」
エルナ母さんがそう言うと、ラザレスお爺ちゃんは嬉しそうに席についた。
どうやら食べるつもりらしい。
まあ、カレーもナンも多めに作ってあるので一人分増えたところで問題はない。
「それじゃあ、いただくわね」
「どうぞ」
全員が席につくと俺たちはカレーを食べることにした。
「あらあらまあまあ! ラズールの香辛料を組み合わせると、こんなにも複雑で豊かな甘みが出るのね!」
「じっくりと煮込まれたタマネギ、ニンジン、牛肉の甘みや旨みがスープに溶け込んでいる。これは確かに美味いな」
初めて食べるカレーの味にエレーナお婆ちゃんもラザレスお爺ちゃんも大興奮のようだ。
二人とも気に入ってくれたようで安心した。
確かめるようにして味わってみると、程よい甘口だった。
「……使っているのはクミンとコリアンダーか? 他にも覚えはあるが、ラズールの香辛料には詳しくないからわからんな」
「ちょっと食べただけでわかるのはすごいよ」
「そうか?」
さすがは商会を経営しているだけあって、香辛料の知識にも深いようだ。
褒めるとラザレスお爺ちゃんが嬉しそうな顔をする。
「アル、フォークとナイフがないけど、このナンはどうやって食べるのかしら?」
「ああ、それは手で千切って食べるんだよ。熱いから気を付けてね」
ミーナならガッツリと手で掴んで火傷するのだが、ここにはそんな不器用な者はいない。
皆、温度を確かめながら小さく千切っている。
「モチモチしていて美味しいわね」
「これだけでも十分に食べられる美味しさだな」
「カレーにつけて食べるともっと美味しいよ」
勧めてみると、エレーナお婆ちゃんとラザレスお爺ちゃんがナンをカレーにつけて口に運んだ。
「確かにこれは美味しいわね」
「口の中で溶けあっていくようだ」
辛みと複数の旨みが混じり合い、甘みの効いたナンがそれを受け止めてくれる。
それがとても心地よく、ナンを千切ってはカレーに浸し、口へ運ぶ動作が止められない。
「いつも食べているカレーライスもいいけど、こっちも悪くないわ」
「むしろ、パンを食べ慣れている人はこっちの方が好みかもしれないね」
カレーライスを食べ慣れているエルナ母さんとノルド父さんの評判もとてもいいようだ。
バルトロはこれからお米だけでなく、ナンも用意することになって負担は増えるが、そこは料理人として頑張ってもらうことにしよう。
「ふう、美味かったな。これだけ美味しい料理であれば、王都に広めれば売れそうなものだがラズールの香辛料をふんだんに使うとなると厳しそうだな。仮に広めるとすれば貴族や商人か?」
商売人としての血が騒いだのか、食べ終わるなりラザレスお爺ちゃんが検討を始める。
「それもあるけど、これは教えてもらったラズールの人から無暗に教えないって約束しているから」
「そうか。それは残念だ」
レシピを広められない事情があることを伝えると、ラザレスお爺ちゃんは非常に残念そうな表情になった。やり方次第では大きな金になるのにって顔だが、バグダッドとの約束なので仕方がない。
「ありがとう。孫の手料理が食べられて幸せだわ」
「これほどの料理を作れるとはな!」
「喜んでくれてよかった」
エレーナお婆ちゃんが嬉しそうに抱き着き、ラザレスお爺ちゃんがワシワシと頭を撫でてくれた。なんだか照れくさい。
「次はエリノラ手料理も食べてみたいものだ」
どこか遠い瞳をしながら呟くラザレスお爺ちゃんであるが、それが現実となってくれるかはかなり怪しいと俺は思った。




