香辛料の確認
アレイシアの乗った馬車が見えなくなると、俺は転移で店の前に降りた。
もう一度店内の様子を外から伺い、他に知人がいないことをしっかりチェックしてから中に入る。
「いらっしゃいませ」
ラズール人と思わしき恰幅のいい店主がにこやかに挨拶をしてくれる。
肌の色はそこまで濃くはないので、エリックやルーナさんのようなハーフなのだろう。
奥の方では同じくハーフと思わしき従業員が忙しなく動き回っている。
先ほどアレイシアが大人買いをしていたので、急いで届けるための準備をしているのだろう。
棚からごっそりと香辛料の入った瓶が、箱詰めされていくので優先的にそこを見て回る。
「申し訳ありません、お客様。そこの棚はつい先程、他のお客様が全て購入されてしまったので全て売り切れとなります」
「構いません。どんな香辛料があるのか確かめたいだけですので」
「そうですか。では、ごゆっくりとどうぞ」
そのように伝えると、店主は安心したような顔になる。
今回は購入ではなく、どんなものが置いてあるかのチェックだからね。
棚に並んでいる香辛料をひとつひとつ確認していく。
「おっ、クミンやターメリック、コリアンダーもある」
視線を巡らせていくと、カレーに必要な三種類の香辛料はきっちりと置いてあった。
なんだ。ここにもきっちりあるんだったら前にきた時に、しっかり確かめておけばよかったな。
などと思いながら価格を見てみると、一瓶で金貨三十枚以上の値がついていた。
思わず「高っ!」という叫び声が出そうになるが、何とかそれを呑み込んだ。
ラーシャの店ではこれよりも大きな瓶で銅貨五枚だった。
それよりも遥かに小さな瓶で少量しか入っていないのに、国を跨ぐとここまでの値段がするなんて。
まあ、砂漠を一つ跨げば劇的に値段が上がると言っていたし、砂漠を越えて国を越えるとこれぐらいの値段になるのも仕方がないのか。
クミンに至っては一瓶で白金貨一枚。希少なものだけあって高い。
というか、これを普通のショッピング感覚で棚買いしてしまうリーングランド家の財力は凄まじいや。
「何かお求めのものはございますか?」
「いえ、ちょうど売れてしまったみたいなので出直すことにします」
「時間はかかりますが取り寄せることも可能ですが……」
「いえ、そこまで急ぐものではないので」
転移でいつでもジャイサールに行ける俺からすれば、わざわざ高い国内で買う必要はない。
とりあえず、王都でも材料が揃うという証拠が欲しかっただけだ。
目的を達成した俺を適当な理由の述べると店を出て、マイホームへ転移で帰った。
●
「ほらよ? 俺に女なんていねえだろ? アルと遊んでるだけだっての」
「ぬぬぬぬぬぬ」
バグダッドにカレーのレシピを教えてもらった翌日。
俺がマイホームに入るなり、ルンバがこちらを指さしながらそう言い、ゲイツがつまらなさそうな顔をした。
「なになに? 何の話?」
ゲイツがマイホームにいることは別に珍しくない。
ルンバと遊ぶために顔を出すことが多いからだ。
それに森にいる魔物を間引く際には、ここを活動拠点として利用することもあるしね。
それよりも気になるのは、二人が話していた会話内容だ。
ルンバに女が云々と言っていたので非常に気になる。
「最近俺がすんなりと家に帰るからゲイツが勝手に疑ってよぉ。俺に女がいるんじゃねえかって」
「いつもは食堂で飯を食っていたルンバが、急に家に帰りだすんだぞ? それも家には作り置きした飯があるって言うじゃないか。これはルンバに女の影があると疑ってもしょうがないだろう?」
なるほど、最近やけにつれないルンバの様子をゲイツが疑っていたようだ。
確かにいつもはノリのいい友人が、急に飯時になって家に帰れば疑うのも無理はない。
俺もルンバが殊勝に家に帰る姿を見たら、怪しんでしまう自信がある。
「そういうわけだったんだ。ただ単に俺の新しい料理の開発に付き合ってもらっていただけだよ?」
「そういうことだ」
「なんだ。それなら早く言えよ」
俺の言葉を聞いて、ゲイツがため息を吐いてうなだれる。
「アルには開発しているのは秘密にしてくれって言われたからよ。それよりもゲイツに言ってよかったのか?」
「バレると面倒なのは食いしん坊な身内だからね。でも、もうそこまで秘密にしなくても大丈夫だよ。美味しいカレーを作れるようになったから。厳密には教えてもらったのが正しいけど」
必要になる香辛料が希少品なために異様に消費している姿を見られたくなかった。
しかし、バグダッドから美味しいカレーの作り方を学び、習得したのでそこまで誤魔化す必要もない。言い訳もきちんと用意しているし。
エリノラ姉さん達は既に俺を怪しんでいるし、バレるのは時間の問題だろう。
「おお、本当か! それなら美味しいカレーってやつを食わせてくれよ!」
「ふむ、アルの開発した料理に興味がある。俺も食べたい」
俺の言葉を聞いて、ルンバとゲイツが顔を輝かせる。
「いいよ。今から作るから待ってて」
元よりそのつもりだったので許可して、俺は台所へと移動。
「なあ、ルンバ。アルの作る料理ってのはなんだ?」
「カレーって言ってよ、すげえ香ばしくてご飯と食べると美味えんだぜ」
おじさん達の無邪気な会話をBGMに冷蔵庫や亜空間から必要な材料を取り出す。
魔道コンロに火をつけると、油を敷いてそこにマスターシードを小さじ一杯、カシア、カルダモン、クミンを投入して炒める。
「おおっ!? もう香ばしい匂いがするぞ? いつもより早いじゃねえか!」
いつも傍で調理光景を見ていたからかルンバの驚いた声がした。
これまでの調理法では香辛料を入れるのは後だったからね。
「うん、ちょっと調理の仕方を大きく変えてみてね」
軽く答えながらホールスパイスを炒めて、油にしっかりと馴染ませる。
それが終わるとニンニク、ショウガを加え、焦がさないように差し水をしながら炒める。
その後にはみじん切りにした青唐辛子を加え軽く炒めると、刻んだタマネギやニンジンを投入。
バグダッドに教えてもらったレシピを確認して、少しだけ違う工程を加えている。
こうすることでより味に深みと辛みが加わるのだ。
「いい香りだ」
「だろう?」
台所から漂う匂いにゲイツとルンバがうっとりとしている。
この時点で既に暴力的な匂いを放っているのでカレーというのは罪なものだ。
タマネギがきつね色くらいになるまで炒めると、クミン、ターメリック、コリアンダーを加え、トマトソースや鶏肉などを混ぜていく。
「なんだこの暴力的な匂いは! 腹が減ってしょうがない!」
「これがカレーの匂いだぜ! だけど、今日はいつもの数倍すげえぞ!」
本格的にカレーの匂いが漂い始めて、テーブルで待機してているおじさん達がざわめき出す。
やはり、テンパリングを行った上でのカレーの匂いは一味違う。
本格的なインド料理店のような匂いだ。
カレーの匂いが充満し過ぎないように窓を少し開けて換気。
そして、ルーを煮込んでいる間に土鍋を用意してご飯を炊いておく。
美味しいカレーを出せば、絶対にご飯が大量に消費される。
そのことがわかっているので土鍋を魔道コンロに設置して炊き上げることにした。
今度はきちんと塩を加えていく。
思えば何と簡単なからくりだろうか。冷静に考えれば、香辛料だけでは味が弱いのは当然だった。
そんなことに気付けなかった自分が恥ずかしい。
テンパリングやレシピを元に色々と工程を増やしてはいるが、これさえ気づけていれば最低限の美味しいカレーはできていたのだから。
料理人であるバルトロであれば、知識と長年の経験ですぐに塩が足りないと気付いただろうな。
とはいえ、今回は安易にバルトロに頼れない状況だったので仕方がない。
味見をしてみると既にカレーになっておりとても美味しい。この状態で出されたとしても喜んで食べられるくらいに。
「でも、ちょっと足りないかな」
ゲイツがいることもあり多めに作ったので、少し塩が足りないように思えた。
それに他の香辛料を少しずつ足しながら味を調える。
俺達はラズール人のように香辛料に慣れていないので、少しラッシーを足してマイルドにしておく。
「うん、こんなものかな」
最後にもう一度味見をして満足のいく味になったことを確認。
煮込みが足りないけど、既に美味しいや。
満足のいく味ができて喜んでいると、いつ間にかルンバとゲイツが傍にいた。
血走った目をしており、二人とも顔が怖い。
「アル、それまだ食えねえのか?」
「まだだよ。もう少しかかるから大人しく待ってて」
「こんな暴力的な匂いを前にして待つだけしかできないとは、何という拷問だ……」
興奮した様子のおじさん達を追い返し、ご飯を炊きながらカレーを煮込んでいった。
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