詠唱省略の成功
このマンガがすごいwebでコミカライズ30話更新されました。
トールが初登場です。
「アルフリート様、ラーナ様。そろそろご夕食のお時間だそうです」
ロレッタの静かな言葉でゴロゴロとしていた俺とラーちゃんの意識が現実に戻り、むくりと身を起こした。
「んん? もうそんな時間か」
「早いねー」
ラーちゃんと一緒に本を読んだり、便利なサイキックの使い方や有意義な時間の過ごし方を伝授していると、いつの間にかかなりの時間が経過していたようだ。
既に太陽は傾いて、空は茜色に染まっている。
「にしても、途中でエリックとかアレイシア辺りがやってくると思ったけど、今日は一度もやってこなかったね」
「いえ、正確には来られましたけど、アルフリート様達の退廃的な生活を見て逃げたといいますか……」
なんて呟くとロレッタが視線を逸らしながらブツブツと呟いた。
ふむ、様子を見にきたけど、ロレッタが気を利かせて追い払ってくれた感じだろうか。
非常にありがたい。お陰で今日はのんびりと過ごすことができた。
ここのところ招待するために考えたり、準備をしたりと忙しかったからな。こんな風に部屋でゴロゴロしたのは久し振りだった。お陰でいつになく充実した気分。
「アル、お腹空いた。下に降りよう」
「そうだね。ゴロゴロしててもお腹は空くものだからね」
人は何もしなくてもエネルギーを消費するもの。たとえ、本を読んで、ゴロゴロしているだけでもお腹はちゃんと空くのである。不思議だ。
俺とラーちゃんは部屋から出て、ダイニングルームへと歩き出す。
「こういう時、思うよね。一瞬でダイニングまで移動できるようになればいいのにって」
「うん、思った。移動って面倒くさいね」
「えええ!? ただ歩くだけですよ!?」
俺の言葉に共感するラーちゃんを見て、ロレッタが目を剥いて驚く。
そのただ歩くだけというのが面倒なのだ。こういう風にのんびりと過ごした日ほど、より怠惰な暮らしをしたいと思う。
「ラーちゃんはこの面倒を解決するにはどうしたらいいと思う?」
「歩かなくていいように工夫して魔法を使う」
今日の授業の成果が出ているからか魔法という言葉を使わなくても、ラーちゃんは意図を理解してくれた。それが嬉しい。
「具体的にはどうやって?」
「穴を開けて下に降りる?」
さすがは子供。発想が自由だ。
まさか移動の面倒を省くために、屋敷の一部を破壊してしまうとは。
「穴を開けたら直さないといけないし、怒られるから面倒だよね?」
「それはダメだね」
これは俺もたまにやってしまうのであるが、面倒を省くために大きな面倒を呼び込んでは意味がない。
面倒を省くにもそれなりの自己責任と、どちらが面倒かを判断する力も必要だ。
俺が人前で転移魔法を使わないのもその最たる例だ。
転移魔法を使いまくれば生活は非常に楽になる。
しかし、この特別な力を持っていられると知られれば、その魔法を頼りに色々な面倒事がやってくるのだ。
トリーは遠慮なく物資や人の輸送を頼むだろうし、エリノラ姉さんにタクシーのように扱われるかもしれない。そんな今後はちょっと勘弁願いたい。
「じゃあ、自分で歩かなくてもいいように風魔法を使う」
「どうやって?」
「風で自分の身体を浮かべて運ぶ」
「おお、それは気持ちが良さそうだね。いいかもしれない!」
「えへへ」
俺はラーちゃんの柔軟な発想に戦慄した。
風魔法で飛べないかと考えたことはあるが、風魔法で身体を浮かせて進もうとは考えたことがなかった。
さすがは純粋な子供だ。俺と違って精神年齢がおっさんではない分、発想が遥かに柔軟だ。
空を自由に飛ぶ回ることは難しいかもしれないが、身を預けて浮遊し、平行移動することくらいならできそうだ。
「アルだったらどうするの?」
心の中でラーちゃんのアイディアを真面目に検討していると尋ねられた。
「俺が考えたのはサイキックをかけた物体の上に乗ることだね」
俺は土魔法で適当な板を作り出すと、サイキックで浮遊させる。
そして、その上に乗ることで廊下をスーッと移動した。
「えっ! すごいすごい! アル、私も乗りたい!」
こういう魔法を屋敷で使うと、エルナ母さん以外には白い目で見られるので、このように言われると嬉しくなってしまう。
「じゃあ、これでダイニングルームまで移動しようか」
「するする!」
「あっ、ちょっと!」
ロレッタが後ろから何か言っているが気にせず、俺は板にラーちゃんを乗せて進む。
板に乗って平行移動しているだけなので労力はほとんどないし、魔法による負荷も少ない。
揺れる心配もないので最高だ。
ラーちゃんは俺の腰にしっかりと腕を回しながら感嘆の声を上げていた。
「サイキックでこんな使い方ができるんだ!」
「無属性魔法は地味に見えるけど、意外と万能なんだよ?」
そう最初に熱弁してくれたのは、俺をこの世界に転生させてくれた神様だったか。
あの時は話半分に聞いていたけど、今なら神様が熱弁していた理由が理解できるな。
二階の廊下を突き抜けた俺たちは、一階へ降りる階段に突き当たる。
「わっ、階段だよ?」
「大丈夫。俺たちは宙を浮いているから段差なんて関係ないよ」
階段を無視して、そのまま空中へ。
「うわぁ! すごーい! 空中を降りてる!」
サイキックを駆使すれば面倒な長い階段だって怖くない。サイキックを使ってショートカットだ。
「あっ! アレイシアたちだ! おーい!」
二階から一階に降りていくと、ちょうど一階の廊下を歩いているアレイシア、エリノラ姉さん、ルーナさんに遭遇した。
こちらを見上げて呆然としているアレイシア、ルーナさんと、白い目をしているエリノラ姉さん。
「またアルは変なことして……」
「……でも、アル君が屋敷にいるととても楽しそう」
「うふふ、本当にそうね。後で私もあれで運んでもらおうかしら?」
エリノラ姉さんは呆れ、ルーナさんとアレイシアは微笑ましいものを見るような目をしながらダイニングルームに入っていった。
ひとまず、一階に着陸した俺は板から降りる。
「このまま入らないの?」
「入りたいけど、そうしたら大人が怒るからね」
別に失礼なことはしていないと思うけどエルナ母さんやノルド父さんは怒るんだよな。
客人がいる、いないに関わらず。
「なんで?」
「それは俺にもわからないや」
「そうなんだ」
多分、だらしない姿を見るのが嫌なのだと思うが、俺はその辺をあまり気にしないのでよくわからないな。ちょっと格好悪くて便利ならそれでいいじゃないか。
ロレッタがこちらに追いついたところで、俺たちはダイニングルームに入る。
とはいっても、アレイシア達がうちにやってきて三日目。
それぞれが仲良くなっているために初日のような緊張感は既になかった。
俺とラーちゃんがやってくるのが最後であろうと、ブラムが目くじらを立てることもない。というか、アイツはシルヴィオ兄さんと話すことに夢中だった。
初日と同じ席に座ると、軽く乾杯をして食事を始める。
「ラーナ様、何をお食べになり――」
「サイキック」
ロレッタがいつも通り給仕をしようと声をかけると、ラーちゃんはサイキックを発動して一歩も動かないままお皿を引き寄せた。
「……詠唱を省略した?」
ラーちゃんが食事の場で魔法を使ったことにも驚きだが、それ以上に驚くべきことはラーちゃんが詠唱の省略に成功したというわけだ。
俺はサイキックの使い方や、魔法を使う時の心構えを伝授したが、詠唱省略の方法について集中して教え込んだわけでもなかった。
これは紛れもないラーちゃんの才能だ。
「すごいよ、ラーちゃん。サイキックの詠唱省略に成功してるよ!」
「えっ、本当?」
ラーちゃんは俺がそう言うと、初めて気づいたと言わんばかりの反応だった。
多分、無意識だったのだろう。
「え、ええ、魔法名しか口にしてなかったわね」
「もっかいやってみる! サイキック!」
アレイシアの言葉を聞いて、興奮したラーちゃんはもう一度試してみる。
しかし、遠くにある皿はうんともすんとも言わなかった。
「あれ? アル、できないよ」
「さっきお皿を引き寄せる時、ラーちゃんは何を思って魔法を使った?」
「遠くに食べたいものがある。でも、取るのも取ってもらうのも面倒だなーって」
「ア、アル……」
ラーちゃんの言葉を聞いた瞬間、ノルド父さんが頭の痛そうな声を出した。
よくわからないがマズい状況な気がする。
でも、魔法というのは一度成功したら、その時の成功体験を明確にイメージして反復練習する必要がある。
それがただの魔法なら後回しにすることも考えたが、詠唱省略となるとそうはいかない。
この技術はラーちゃんの将来において、きっと便利になる。
今すぐに身体に覚えさせないと、感覚を忘れてしまうかもしれない。
「その時と同じことを思いながらもう一度魔法を使うんだ。ほら、遠くにラーちゃんの大好きな玉子焼きが
置いてあるよ」
ラーちゃんの対角線上の位置には玉子焼きの盛り付けられたお皿がある。
ラーちゃんはそれをジーッと眺めて、どこか死んだような目を浮かべて……
「サイキック」
無事に詠唱を省略して玉子焼きを引き寄せることに成功した。
そして、目の前にやってきた玉子焼きを見て、ラーちゃんの表情が元に戻り歓喜に震える。
「すごい、アル! 私、詠唱省略ができた!」
「おめでとう! 帰ったら皆に自慢できるね!」
「えへへ、お兄ちゃんやお姉ちゃんに自慢する!」
喜ぶ俺達を他の皆が引き攣った表情で見ていたが、俺は敢えて気にしないことにいた。
後で怒られるかもしれないけど、今は幼い少女が一歩前進したことを祝いたかった。




