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11月14日・午後……3

 現場は、思っていたよりもすぐに発見できた。

 何故なら――


「バルデス……ギヨーム……ペドロ……ロベール……二コラウ、ペーニャ、ピエール、フェリエ、メネンデ、アルブエス、エンリケ、ディエゴ……」


 おびただしい量の血がぶちまけられている高層ビルの屋上で、リコが一人でしゃがみ込んでいたからだ。その手には、異端審問官の物だと思われる黒衣が握られている。

 念仏のように唱えているのは、命を落とした異端審問官の名だろうか? それまでの横暴な姿からは想像も付かないほど、彼女の嘆きは悲しく、そして切なげだ。


「どうして……どうしてみんな……う、ふぇ……うええぇぇん……!」


 仕舞いには、子供のように泣き出してしまう。


 そんな彼女の横に、僕達は降り立った。

 ……今の彼女なら話しかけても問題あるまい。


「おい、貴様」


 柚彦が呼びかけると、リコはビクリと体を震わせて振り返った。同時に、手が何かを探して床を這うが、すぐに止まる。彼女にはもう武器が無いのだ。


「つ……椿……?」

「私は椿ではない。柚彦だ」


 リコを気遣うそぶりも見せず、柚彦はいたって冷淡に答える。


「説明しろ。私達が居ない間に何が起こった? この惨状はどういうことなのだ?」

「ひぐっ……ふっ……」


 しかし柚彦が強く言うと、リコはまたぼろぼろと泣き出してしまう。もう、感情を制御することもできないのだろうか。その様子は、ただの子供のようだった。


「泣いてないで、言え! 貴様は、誉れある異端審問官の一人なのだろうが!」

「ふっ……うぅ……む、蟲が……アタシの蟲が、急におかしくなったのよぉ……」


 ぐしゃぐしゃと顔を歪めながら、リコがつぶやく。


「それって、あのイチジクコバチのこと?」

「そう。アイツが急に苦しい苦しいって言い出して……仕方ないから呼び出してやったら、すげー具合が悪そうで……」


 涙と鼻水で汚れた顔を拭いながら、リコはなんとか喋ろうとしてくれている。


「それから……インドボダイジュの実から『アイツ』が出て来たのよぉ……」

「『アイツ』? それって、あのイチジクコバチじゃなくて?」

「分かんないよぉ……。『アイツ』が何なのか、アタシには分かんない……」


 リコは嫌々をするようにかぶりを振る。


「でも『アイツ』は、クソ蟲を食い殺したの。食い破って出て来たの。『アイツ』は化け物よ。だって、『アイツ』はフェリエが殺したはずなのよ。カスタネも殺したの。ピエールもペーニャも二コラウもロベールもペドロもギヨームもバルデスも……」


 そこまで早口に言い切ると、リコは脱力して項垂れてしまう。


「みんな『アイツ』を殺したはずなのに、中から食われて死んじゃった……。なんで? なんでなんでなんでなんで? なんでアイツらが死ななきゃいけないの? なんで……?」

「……壊れているな」

「うん……」


 瞬きすらせずにぶつぶつと囁き続けるリコに、僕達は何も言うことができない。


「だが、新手が現れたのは間違いないらしい」

「そいつを倒さない限り……蠱毒は、終わらないよね」


 僕の言葉に、柚彦はふと顔を上げた。

 その時の柚彦は……全てを悟りきった目をしていた。強い意志と覚悟を秘めた、まっすぐな目を。


 僕はそんな彼から視線を逸らすと、未だにぐずぐずと泣き続けているリコに手を伸ばす。彼女には、聞いておかなきゃいけないことがあるからだ。


「ねぇリコ。そいつはどこに行ったの? 方向くらい分かるよね?」

「……あっちよ」


 虚ろな眼差しをこちらに向けた後、リコはのろのろと繁華街の方を指さした。その腕は、骨が抜けきってしまったかのように力無い。


「……行くの? 二人共、行っちゃうの?」

「うん。行かなきゃ……いけないからね」


 リコの問いかけに、僕ははっきりと頷いた。するとリコは、迷うように視線を泳がせると、


「コルチカムと、雪柳が……」

「……え?」

「雪柳がそいつに攫われて……コルチカムが、追って行ったの。コルチカムが……行っちゃったの」


 と、小さくつぶやいたのだった。


「それじゃあ、二人はまだ無事なの?」

「……多分」


 インカムから伝わってきたあの状況とリコの態度から、てっきり全滅したのか思っていたけど……。


「だから、アタシも……一緒に行く。コルチカムを、助けるの……」

「いいの? 僕は蟲だし、柚彦は異端者だよ? そんな僕達と一緒でリコは大丈夫なの?」

「……本当は、嫌よ」


 しゃくりあげながら、リコは言い切る。


「異端者なんて、気持ち悪いし穢れているし意味分からないし理解したいとも思わない。……大嫌いよ」

「そう……」

「……でも」


 そこでリコは、息を止めて僕達を見上げてきた。


「でも……」


 その先リコが、なんて言おうとしたのかは分からない。

 けど、彼女が僕達と共に行こうと決意してくれたのは確かだった。


   ◆◆◆


 繁華街のど真ん中では、最終決戦にしては異様な戦いが繰り広げられていた。


「ほらほらぁー、早くしないと食べちゃいますよぉー?」

「うおおお!?」


 杖を上手い具合に捌いて、攻撃を受け流しているコルちゃん。

 それに相対するは、雪柳を片手で拘束しながら、触手のような長い腕を振り回す全裸の少女だった。

 その少女は薄ら笑いを浮かべながら、鞭のように腕を叩きつけていた。彼女がステップを踏むたびに、色素の薄い髪がさらさらと靡いている。


 意外にも、少女の攻撃力はそこまで高くないらしい。少女の攻撃が建物に直撃しても、壁を削る程度に留まっていた。

 先ほどまで、一撃で建物がなぎ倒されていく戦いをしていた身としては少し拍子抜けだ。

 そんな光景を目の当たりにした瞬間、リコが大きく息を飲んだ。


「コルチカム!」

「へっ!? あ、オジョーサ――」

「あ! 隙ありですぅー!」


 コルちゃんが振り向いた瞬間、顔面に触手がクリーンヒット! コルちゃんは粉塵と共に吹き飛ばされてしまった。


「コルチカム、大丈夫!?」

「あ……は、はい。……つーか、なんで柚彦サン達が……?」

「非常事態だから、協力してもらってるの」


 最後の蟲の攻撃を受けたというのに、コルちゃんはかすり傷程度で済んでしまっているようだった。


 ……やっぱり、弱い。


 これがもしドロセラだったら、打撃を受けた瞬間に体ごと蒸発していてもおかしくないのに。どうしてこの蟲はこんなに弱いのだろう?


「あー! もしかしてー、新しいお客さんですかぁー?」


 そこでようやく外野の存在に気付いたらしい。触手を腕の長さに戻すと、少女は無邪気に微笑んできた。

 その顔は、どこにでも居そうな普通の女の子だった。可愛くて、素朴で……でも、華奢でか弱そうな女の子。


 なんだろう……気のせいかな。

 あの子の顔、どこかで見た覚えがあるような――


「あいつ、最初に蟲の犠牲となった人間ではないか」


 僕が答えを導き出す前に、柚彦が断言した。


「最初の犠牲者……?」

「貴様は覚えていないのか? 街灯もない暗い道で、あいつは苦痛に喘ぎながら歩いていたではないか。裸足で、ピンクのパジャマ姿で……血塗れで」


 柚彦の言葉で、おぼろげながらもその光景が脳裏に浮かび上がる。


「しかしその手がこちらに届く前に、あいつは倒れた。その後は――」


 青い壁が発生して、それどころじゃなくなったんだっけ……。


「でも、あの子は死んだはずでしょ? どうして今、ここに居るのさ?」

「これは、推測でしかないんスけど……」


 と、そこでコルちゃんが話に割り込んでくる。


「多分あれ、寄生虫タイプの蟲じゃないっスかね?」

「ちょっと待って。その前に、寄生虫って蟲としてカウントされるの!?」

「そりゃあ、寄生虫だって生き物の一種なんだからあり得るっスよ」


 コルちゃんは曖昧に首を傾けながら、よろよろと立ち上がる。


「あの蟲は、寄生虫としての特性をそのまま持っているんス。蟲に食われても宿主が変わるだけで、死ぬわけじゃない。潜伏期間を越えれば幼生が無性生殖を繰り返して、宿主の身体を食い散らかしてしまうんスよ。現にさっき、あいつは仲間の体の中から這い出て来て……」

「ふぇ……バルデスギヨームペドロロベール二コラウうぅぅ……」


 先ほどの惨劇を思い出したんだろう。またリコが幼児化し掛けていた。

 それじゃあ異端審問官部隊が全滅したのは、ひとりひとり体内から食いつぶされたからなんだ……。


「むしろあの蟲は、強い蟲に食われることでこの器の中を生きてきたんじゃないっスかね。自分の体を餌として、より良い環境へ移動する。それを何度も何度も繰り返し……」

「まるで、ロイコクロリディウム……カタツムリの寄生虫のような存在だな」


 柚彦が、鳥肌をなだめるように自分の肩を抱いていた。

 ということは、初めて会った時に瀕死だったのは、蟲として殺されかけていただけなのか。言われてみればあの瞬間、まだ『青い壁』は出現していなかったんだから、『人間』としての彼女が蟲の捕食対象に入ることはあり得なかったんだし。


「でも見ての通り、アイツの戦闘能力自体は大したことありやせん。俺と一対一で戦っても実力はどっこいどっこいスからね。だから、俺達が力を合わせれば余裕で勝てるはずっス! だけど……」

「あいつを殺せば、我々も内側から食い散らかされる……ということか」

「そうなんスよ。どうしたもんですか――」

「なぁに、ベラベラベラベラ喋ってるんですかぁー?」

「へぶし!」


 少女は目をキラキラ輝かせながら、思いっきり片腕を繰り出してくる。その一撃で、コルちゃんがまた吹っ飛んで行った。


「早く私と遊んでくださいよー。あんまり放っておかれると、この女をぶっ殺しちゃいますよ? いいんですかー?」

「た、助けて……助けてください!」


 そうだ。雪柳が囚われていたんだった。


「それにー。確かに私は弱いですけどぉー、何度も何度も何度も何度も何度も叩き続ければあなた達を殺すことだってできますよー? 例え捕縛されたとしても、どこまでも伸びるこの腕で縊り殺すことだってできますよぉー?」

「ふ、ふぇえ……どうやってあんな化け物と戦えばいいのよぉ……」


 いつもは威勢のいいリコも、困り果てて涙目になっていた。


「ドロセラの時に使っていた封印の陣はどうだ? あれなら無傷で捕えられるだろう?」

「む、無理よぉ。だってあれ、みんなの力を合わせたからできたんだもん。今のアタシ達じゃ力不足で発動なんて……うえええぇん……」

「泣くな馬鹿者!」

「きゃはは、この人達おもしろいですねー!」


 もう戦況はメチャクチャだった。

 殺すこともできない、捕えることもできない。でも相手は、こちらをじわじわ殺すことができる。


 ……なんて最低最悪な状況なんだ。


「それじゃあ、はじめまっすっねー!」


 少女はニッと微笑むと、軽いノリで襲い掛かってきた。雪柳を上手い具合に抱きながら、もう片方の腕と背中から生やした新たな触手で、瓦礫ごと横薙ぎに払ってくる。


「そぉーれ!!」


 少女は、子供のように無邪気だった。彼女からしてみたら、玩具の積木を積み立てて、一気に潰して遊んでいるような感覚なのだろうか。

 しかしそんな遊びに巻き込まれては困る。僕は柚彦が乗っている自転車ごと、緊急回避のため飛び上がった。


「あー! お空に逃げるなんてずるいですー!」


 少女は標的をこちらに絞ったらしい。震えてしゃがみ込むリコを華麗にスルーして、触手を鞭のようにしならせる。

 それまでの戦いからしたら、こんなの児戯のようなものだ。


「うぐっ!?」


 でも、痛いものは痛い。特に、こんなでっかい携帯電話を頭にぶつけられてきた日には――


 ……って、ちょっと待て。

 なんで携帯電話が吹っ飛んでくるの?


「風圧で飛んで来たんだろう。コルチカムがさっき、殴られた拍子に落としていたからな」

「あ、そうなんだ……」


 もう読心術は使えないはずなのに、柚彦はあっさりと僕の疑問に答えてくれる。

 僕は少女の触手を避けながら、何気なくその携帯電話のディスプレイを眺めていた。たまたまボタンに触れてしまったのか、ディスプレイが明るく点っている。

 そこに映っていたのは、電話の発信履歴で――


「……あれ?」


 オジョーサマ  2014/11/14

 バルデス    2014/11/13

 オジョーサマ  2014/11/12

 ペドロ     2014/11/12

 オジョーサマ  2014/11/11

 バルデス    2014/11/10

 オジョーサマ  2014/11/10

 オルペラ    2014/11/10

 オジョーサマ  2014/11/09


 なんだろう……この履歴。すごい違和感がある。

 どこからどう見ても普通なのに、大切なものがないような……そんな印象。


「貴様、何を考えているのだ? いくら相手が弱くても、気を抜いたら殺されるぞ」

「あ……ご、ごめん柚彦……!」

「今回負けたら、救急車を呼ばれる間もなく死ぬんだぞ? 心して掛かれ!」

「……え? なんだって?」

「貴様ふざけているのか!? だから、救急車――」

「あああああああああああああ! 分かったああああああああああ!」


 その瞬間、僕の頭の中では大革命が起こっていた。

 ドンドコドンドコ太鼓が鳴らされ、ファンファーレが鳴り響く。頭の中の住人も揃いに揃ってコングラチュレーション! と拍手してくれる。それくらいの閃きが僕に降り立ったのだ!


「あの子、茉莉じゃないかな!? 秋丁字琢磨が助けたがっていた……妹の!」

「はぁ……!?」


 僕の発言に、一同固まってしまった。


「ねぇ、そこの君! そうなんでしょ!?」

「…………」


 もちろん、少女――茉莉本人も……。


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