11月14日・午後……2
帰還すると、そこは皿久米高校の前だった。
かなりの時間が過ぎてしまったらしく、すでに日が落ちていた。ネオンも街灯も、そして魔法陣もないせいで、星がうんざりするほど綺麗に見える。
「……なんだこれ」
結界から帰って来た途端、感じたのは酷い倦怠感だった。
とにかく体が鉛のように重い。指先一つ動かそうとするだけで、ふるふると震えてしまう自分がいた。麻痺しているのか、空腹はまったく感じないが……。
なるほど、これが今まで柚彦を苦しめていたものなのか。
と、一人でぜーはー息を付いていると、
「ぐっ……」
背後から聞こえてきた呻き声。
振り返ると、柚彦が真っ青になりながらしゃがみ込んでいた。
「だ、大丈夫!? 柚彦!?」
「も……問題ない。この程度の痛み……我慢できる」
そう言いながらも、柚彦の額には脂汗がびっしりと浮かんでいて。
それもそのはず。右足は血塗れだし、シャツの袖から覗く腕には青あざが見えるし……。僕が受けたダメージを人間の身で感じているんだから、死ぬほど辛いに決まってる。
「そうだ、手当! 傷口を銀色の膜で保護するくらいは……!」
「すまない。助かる……」
そんなふうに応急手当を施している間、柚彦は不安げに周りを見渡していた。
「しかし、静かだな。異端審問官はどうしたんだ?」
「どこにも姿が見えないね。気配すら察知できないなんて、ちょっとおかしいよ」
「退魔の手袋の効果という訳でもなさそうだな」
「…………」
得体の知れない不気味さに、ついつい二人とも無言になってしまう。
すると……
「おや? 君達はどうしてここに居るのかね?」
なんと倒壊した体育館の裏から、立花市長がひょっこりと顔を出したではないか。
「市長!? 生きていたんですか!?」
「あ、当たり前だ! なんて失礼なことを言うんだ、君は!」
出会い頭に死者扱いされて、市長はサッと顔を憤怒に染め上げる。
「す、すみません。でも市長、思いっきり倒壊に巻き込まれていたんで、もう駄目かと思って……!」
「運が良かったんだ。退魔の手袋を付けていたおかげかもしれないが」
すでに布きれになってしまった手袋を撫でながら、市長はつぶやく。
「そういえば、他の奴らはどうなったのだ? 自衛隊も一緒だったであろう?」
「ああ、彼らならもう救助してあるさ」
柚彦の問いに、市長はさらりと答える。
「幸い、全員軽症で済んでね」
「そうなんですか……良かったぁ……!」
ドロセラ退治の捨て駒として使ってしまった負い目もあり、市長達への罪悪感はかなりのものだった。そんな彼らが無事だと知って、心の底から安堵している自分が居た。
「それで今、作戦はどうなっているんだね? まだ壁が残っているところを見ると、終わっていないようだが」
「それは……」
どうやら市長は、リコ達のことを何も知らないらしい。
なら、変に不安にさせない方がいいだろう。
「とりあえず、ドロセラと秋丁字は始末できました。後は蟲を最後の一匹にするだけです」
「そうか。では、我々は撤退するべきだな」
「はい。よろしくお願いします」
そうと決まると、市長は体育館の方へ戻って行く。
すると、それを出迎えるように自衛隊員がやって来て――
「市長、倒壊した体育館からこのようなものを発見しました」
その手には、煤けた白い紙が握られていた。
「なんだ? その紙屑は?」
「秋丁字琢磨の遺書です」
「なんだと!?」
予想外の発言に、僕も柚彦も大きく目を見開く。
「秋丁字の衣服の中に入っておりました。おそらく、肌身離さず持っていたのでしょう」
「み、見せてみろ!」
市長が引ったくるように、自衛隊員から手紙を奪い取る。
震える手で封筒を開くのを、僕と柚彦は横から覗き込んだ。
◆◆◆
関係者各位
これを誰かが読んでいるということは、私はすでに命を落としている頃でしょうか?
ああ……今、これを読んでいる貴方に聞きたいです。私はどんな最期を迎えましたか? 精一杯足掻いて、満足げに笑っていたでしょうか? 悪の根源らしく、華々しく逝けたでしょうか?
そうなのです。皆様すでにお気づきでしょうが、今回の事件は私が引き起こしたものです。
おそらく皆様は、平凡な一会社員である私が、何故このような邪法に手を出したか疑問に思われたことでしょう。今から私は、それを徒然なるままに書き記してみようと思います。どうせ私も死ぬのです。今さら真実を語ったところで何も問題はございませんでしょう。
今から時を遡りまして、一年半年前。私は不幸のどん底におりました。
何故なら我が最愛の妹・秋丁字茉莉が不治の病に掛かってしまったからです。それは、現代の医学を全て持ってしても治癒できない恐ろしい病で……茉莉の寿命は、あと二年にも満たないと医師に宣告されてしまいました。
私は兄として、そして一人の男として茉莉を愛しておりました。また茉莉も、私のことを純真無垢に慕ってくれました。愛してくれました。私にとって茉莉は、人生の重荷であり生きがいであり、そして心の支えでもあったのです。
ですから私は、茉莉を救おうと思いました。
現代の医術で治癒できないのなら、別の方法で治せばいい。お祓いでも祈祷でも宗教でも何でも利用すればいい。そう思って色々と試したのですが、結局何一つ上手く行きませんでした。
そんな時、私が見つけたのは蠱毒の術でした。
この街全体を巻き込んだ上で、最後の一匹を茉莉に吸収させれば、蟲の生命力で茉莉を生きながらえさせることができると考えたのです。
それから私はすぐに行動を開始しました。民俗学の権威である父を持つ夏見柚彦君を唆し、蠱毒の基盤を作ってもらい、特殊な蠱毒を完成させました。
茉莉に吸収させる最後の一匹は、私の犬であるドロセラにする予定でした。彼女なら優しく、そして従順なので、強力な蟲になっても言うことを聞いてくれると思ったからです。ドロセラは本当に我慢強い犬でした。だって最後の最後まで、私を食べようとしないのですから。
ですが蠱毒の術も終盤に差し掛かったある日、私は目的を見失ってしまいました。
茉莉が、蟲に襲われて死んでしまったのです。
茉莉が居ないのなら、こんな術なんて必要ない。茉莉が居ないのなら、人間なんて守る必要もない。
ですから私はあの日――十一月十日に、術の構成を変更しました。人間も昆虫も哺乳類も、この街の生き物全てが食い合いをしてしまえばいいと思いまして。
ああ、夏見君。
君は今、そこに居るでしょうか? それともすでに亡くなってしまったでしょうか?
君には色々と迷惑を掛けましたね。茉莉を亡くして落ち込んでいる私の玩具となって、楽しませてくれました。ありがとう。君がうじうじと悩んでいる姿を見せてくれたから、私の心はほんの少し晴れたのです。
ああ、夏見君。
私は君を恨みます。君が蠱毒の術さえ完成させなかったら、私は茉莉の治療を素直に諦められたかもしれないのに。それなのに、君はあっさりと作ってしまいましたね。異端の術を。蠱毒を。あの時から私は、引き返すことができなくなってしまったのです。
ああ、夏見君。
茉莉が死んだのは貴方のせいです。そして今、大勢の人が苦しんでいるのは全て貴方の責任です。貴方の行動が引き起こした結果なのです。それを、決して忘れないでください。
秋丁字琢磨
◆◆◆
「何なの、これ……」
読み終わった後、僕の口から出たのは困惑の言葉だった。
「妹の命を助けようとして……でも失敗して死んじゃって……それは全部、柚彦のせいだって言いたいの……? 柚彦が悪いって言いたいの……?」
「そのようだな」
市長から手紙を受け取りながら、柚彦は静かに微笑む。
「結局のところ、秋丁字は私に八つ当たりがしたかっただけらしい」
「でも、こんなのってないよ! 全部全部、子供の言い訳だ! おかしいよ!」
「ああ。確かにこれはおかしいな」
「だよね! この秋丁字とか言う人、絶対頭が変――」
「いや、私が話しているのはそんなことではない。この遺書についてだ」
僕と市長の顔を交互に見ながら、柚彦は淡々と話す。
「この遺書、説明すべきところを省略しているように思えぬか? 例えば蠱毒の術の作成についてだ。秋丁字は自分で異端の術を取り扱えぬから、私に基盤を作らせたのだ。それなのに、どうやって付属の術を作り上げた? 人間を排除したり、夜間限定発動する呪をどうやって作った?」
「あっ……!」
「そして最大の矛盾点はここだ」
手にした手紙を掲げながら、柚彦はその中の一文を指差す。
「秋丁字は、蠱毒が最終段階に入ってから妹が殺されたと言っている。ここで注目すべきなのは、加害者が蟲だという点だ。人間が蟲に襲われるようになったのはいつからだった? 秋丁字が術の内容を変更したからだろう? それなのに秋丁字は『妹が蟲に殺されたから術の構成を変えた』と言っている。つまり秋丁字の妹が死んだのは、まだ人間が安全圏に居た頃なのだ。それなのに妹は、どうやって蟲に襲われた?」
「まだ……謎が残っているということだね?」
市長の問いかけに、柚彦ははっきりと頷く。
確かに今回の事件、この土壇場に来ても分からないことばかりだ。蠱毒を仕掛けたのは秋丁字だと判明したし動機も分かったけど、それ以外がぼんやりとしている……。
恐らく、あえて秋丁字が提示していないんだろう。
ひょっとしたらここから先は、検察とか警察とか、そういう人達が調べるべき領域なのかもしれない。
『……ここに居たんですね』
そんなことを考えていると、突然女の声が脳裏に響き渡った。
「あれ? これって……」
「雪柳の声、だな。あいつ、生きておったのか」
イヤホンを耳に嵌め直しながら、柚彦が頷く。
……なるほど。柚彦に触れているから、僕自身がインカムを付けていなくても声が伝わってくるらしい。便利な体になったものだと感心しながら、僕はピッタリと柚彦に身を寄せた。
「すまない。私にも聞かせてもらえないか?」
そこに市長が、申し訳なさそうに歩み寄ってきた。
さすがに配布されたインカムは倒壊で壊してしまったらしい。柚彦からイヤホンの片方を借りると、市長は慌てて耳に嵌めていた。
そうこうしている間にも、インカムからは会話が流れてくる。
『雪柳じゃん。わざわざタワーを降りてくるなんてどうしたの?』
意外なことに、雪柳が喋っている相手はリコのようだった。ニタニタと笑っているのが丸分かりな声に、無性に悲しくなる。
だがそれは、雪柳も同じようだった。
『どうしたの、じゃないですよ……! どうしてあんなことをしたんです? なんであんな、悍ましいことを……!』
『ああ、なんだ。アンタ、市民を虐殺したことを怒ってるのね?』
瞬間、市長がイヤホンを吹っ飛ばす勢いで振り返る。
困惑と動揺でガタガタ震えている市長の肩を、僕は宥めるように叩いた。
とりあえず今は、この話を聞くことが先決だ。
『悪かったわね。勝つためには必要だったのよ』
雪柳の動揺なんてまったく伝わっていないのだろう。リコは得意げに話を進めている。
『ありがとう。アンタ達が死んでくれたおかげで、アタシ達は勝てたわ』
『っ……!』
歯を食いしばっているのだろうか。ギリギリという耳障りな音と共に、雪柳の声が一瞬途絶えた。
『そ……そういえば、夏見君と椿さんはどうしたんです? 一緒に居たんじゃないですか?』
『ああ。それならあの辺かしら』
『あの辺って……瓦礫の山じゃないですか。どうして、夏見君達があんなところに?』
『…………』
『ま、まさか、殺したんですか!?』
『残念ながら、まだ殺してないわよ。なんかアイツら、どっか行っちゃったのよねー。今は全員で探しているところなんだけどぉ……』
『な、なんでですか!? 仲間なのに、どうして殺そうとするんです!?』
『だって仕方ないじゃない。汚いものは汚いんだし。殺すしかないでしょ? 今だから言うけど、アンタのことだって最初に攫った時に殺そうと思ってたのよ。邪魔が入っちゃって無理だったけど』
『そ、そんな……!』
『疑わしきは罰する。処刑する。それがアタシ達、異端審問官のモットーなの。お分かりかしら、このドシロウト』
そう、リコが言い切った瞬間だった。
『ん?』
『……どうしたんですか?』
『いや……なんか、インドボダイジュが変な感じに動いてんのよね。マジキモイんだけど』
『え? その木が……ですか?』
そうだ、雪柳はインドボダイジュに蟲が宿っているのを知らないんだ。
でも、そのイチジクコバチがどうしたのだろう……?
『クソ蟲、ちょっと出てきなさい! アンタさぁ、何か言いたいことでもあんの?』
槍を振るったのだろうか。遠くで葉と葉が擦れる微かな音が聞こえてきた。
――だが、
『あ、う……は、ぁあ……か、体が……』
次に耳に入ったのは、今にも息絶えそうな男の声だった。
この声は……あの、木蓮とかいう蟲だ。
『な、何よ? どうしたのよアンタ、顔色激ヤバじゃん!?』
『身体の中で、何かが……蠢いて……』
『はぁ!? いきなり何言ってんよ! しっかりしなさい!』
『ぐ、ぁ……あ……っ』
『リコさん、様子がおかしいですよ!? 離れた方が――』
『ああああああああああああ!!!!!』
ブツリ。
……そこで、通信は途絶えてしまった。
「こ、これは……」
「蟲が、反逆したのか……?」
意外な展開に、僕も市長も独り言をつぶやくことしかできない。
「リコ達の身に何かあったのは間違いなさそうだな」
「う、うん……」
「とにかく行ってみるぞ。この器の中には……まだ、不確定要素があるようだ」
そういうが否や、柚彦はそっと僕の手を取った。どうやら移動を促しているらしい。
「ちょっと待って。移動するなら、こっちの方が慣れているでしょ?」
手を解くと、僕はすぐさま柚彦の後ろに回った。そして、その肩に両手を付くと――
銀色の金属で編まれた自転車が、僕と柚彦の下に出現したではないか。
「ふむ、なるほどな」
光り輝く自転車のグリップを握り締めながら、柚彦は満足そうに頷いている。
立ち位置こそ違うが、自転車二人乗りは僕達の基本戦闘スタイルだ。これがなくちゃ、何も始まらない。
「では、我々は行きます。市長達は早く避難を!」
「あ、ああ! 検討を祈る……!」
……そうして。
市長や自衛隊に見送られて、僕達は夜空に飛び立ったのだった。




