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11月14日・午前……1

■十一月十四日 午前



 その時僕は、巨大な獣を見上げることしかできなかった。


「あ、ああ……パパ……パパ……!」


 嘆きに声を震わせながらも、ドロセラの体は徐々に徐々に大きくなっていく。

 体育館を突き破り。先ほどまで、手も足も出なかった魔法陣さえも歪ませて。それは、彼女に宿った力の強大さをまざまざと感じさせるものだった。


「オジョーサマ! 市長達が体育館の崩壊に巻き込まれて……!」

「放っておきなさい! もうどうしようもないわ!」


 ヒステリックに叫びながら、リコが指示する。


「それより、今は退避が最優先! 崩壊に巻き込まれる前に逃げるわよ!」


 その声を聞いて、はっと我に返った。

 そうだ、僕達も逃げなきゃ! ぼーっとしていたら、柚彦が押しつぶされてしまう……!

 だが困ったことに、この自転車にはもうペダルも前輪もないのだ。その上僕は、まともに歩くことさえできない。これはどうしたら……!


『いいからサドルに跨がれ!』


 迷う僕に、柚彦が力強く言ってくる。


『貴様に動かそうとする意志があるなら問題ない。私は、どんな状態でも飛べる!』

「柚彦……!」


 その一言に、どれだけ励まされたことか……!

 だが、僕が壊れかけの自転車に腰掛けたのと、魔法陣が弾け飛んだのはほぼ同時だった。


 暁色に輝く魔法陣の欠片から生まれ出たのは、更なる成長を遂げたドロセラだった。大きさは体育館ほどだろうか。腕なんて、電柱を十本集めても足りない位の太さだ。牙も爪も、冗談のように鋭く大きくなっている。


 ちょ……ちょっと待ってよ。

 こんな大きな奴と、どう戦えばいいんだ?


「シャッ!」


 宙に飛んでいる僕達を確認した途端、ドロセラは大口を開けて噛みついてくる。


 ――速い!


 その一撃を寸でのところで回避すると、自転車はドロセラと丁度良い距離を保ったまま静止した。


 なるほど。ペダルで調整できない分、思考した方向に自転車が自動で動いてくれる仕組みなのか。これなら、今までと同じように戦えそうだ。

 だがその刹那、回避したと思われた口から氷のブレスが吹き掛けられる!


『させん!』


 それは咄嗟に、柚彦が銀の膜を張って事なきを得た、が――


「ガアア!」


 今度は前足で、こちらを叩き落とそうとしてくる!


 次から次へと繰り出される攻撃に、気が付けば僕達は防戦一方になっていた。

 空ぶった前足は地面を抉り、鞭のようにしなる尻尾はビルを薙ぎ倒し。そして口から吐き出されるブレスは、辺り一面を氷の世界に変えてしまう。

 一手でも間違えば、一撃で死ねる緊迫感だ……!


「そうだ! リコ……リコはどこ……!?」


 さっき体育館から離れていたのは見たけど、それからどうしてる!?

 息を切らせながら周囲を見渡すと、随分離れた所に異端審問官が集まっているのが見えた。そこから逃げ出すように、一人だけツインタワーの方へと向かっているみたいだけど……。


 っていうかあの人達、どうしてあんな遠い場所に居るの!?

 おそらく距離は、数百メートル先――これでは、攻撃が僕達に集中するのは当然だ!


『とりあえず合流しろ! このままではジリ貧だ!』

「う、うん!」


 ……本当のことを言うと、このまま逃げ出したかった。

 異端審問官に攻撃の矛先を押し付けた後、ツインタワーに突入する。そこから市外に脱出すれば、柚彦は確実に生き残ることができるんだ。母さんだって、今頃はツインタワーの上層部に辿りついているはずだから一緒に逃げられるだろう。


 ……でもそれを、柚彦本人が望んでいないのだ。

 柚彦は決着をつけたがっている。この術を作り上げてしまった罪を償い、皿久米市を救いたいと考えている。


 柚彦の手ごまとして、僕はどうするべきなのだろうか。

 僕は『式』なのだから、主の言うことなら無条件で聞くべきなんだろう。柚彦の望むままに戦い、望むままに動くべきだ。例えそれが、滅びへの道だとしても……。


 でも……でも!

 僕は怖い。柚彦の体をこれ以上傷つけてしまいかねないことも。この自転車が壊れて、柚彦が消えてしまうことも。全部怖い……怖いんだ……!


『一体、何を考えているのだ?』


 混沌とする僕の思考を遮って、柚彦がつぶやく。


『貴様今、凄まじく阿呆なことを考えていなかったか?』

「そ、そんなことない! 僕はただ、この後どうすればいいのかな、と思って……!」

『貴様はどうしたいのだ?』


 畳みかけるように柚彦は聞いてくる。


『何か提案があるなら言え。私に意見したいならしろ。黙ってうじうじされるのが一番迷惑だ』


 僕の心を読み切っているんだろう。柚彦は不機嫌そうに舌打ちをしてくる。


「い、いいよ……今さら、僕の意志なんて関係ないし……」

『は?』

「だって僕は、柚彦の『式』なんでしょ!? だから、柚彦の望むがままに行動するのが一番いいんじゃ……」

『なら貴様は、私が今すぐ死ねと言ったら死ねるのか?』


 懐かしいその言葉に、思わず体が強張ってしまった。

 そ、そんな……柚彦の体を借りている今、死んだりなんかできないよ! 嫌だ! それだけは絶対聞けない! 他ならぬ、柚彦の命令であったとしても……!


『そうだろう。貴様はそういうやつだ』


 柚彦は、一人で皮肉っぽく頷いていた。


『貴様は最初からそうだった。私の命令に忠実かと思いきや、自分の意見を絶対に通してくる。一方的に私を守る守るとほざいて勝手に行動し、結果それが裏目に出たりする。凄まじい自己中だよ、貴様は』

「っ……!」


 やはり柚彦は、僕のことが嫌いなんだろうか。怒涛の如く浴びせられる言葉に、思わず泣きそうになってしまう。

 ああ、ダメだダメだ。傷ついている場合じゃないのに! 柚彦を助けることだけを考えないと……!


『聞いているのか? 私は貴様を、自分勝手だと言っているのだぞ?』

「うん……分かってる……ごめんなさい……」

『いいや、分かってないな。私はな、貴様には貴様なりの自己が存在すると言っているのだ』

「……え?」


 どういうことだ? 柚彦は、僕を批判しているわけじゃないのか……?


『貴様は壮大な勘違いをしているようだから、じっくり説明してやろう』


 銀色の矢でドロセラをけん制しながら、柚彦は言う。

 矢を繰り出す指先は、疲れているのか微かに震えていた。


『確かに私は、貴様を式として使ってきた。だが式というのは、力でねじ伏せて使役しているだけの状態で、そいつ本人の感情までいじることなど不可能なのだ。だから貴様の感情は、貴様だけのものだと言える』

「僕の感情は……僕だけのもの……?」

『ああ、そうだ。で、あるからして……』


『貴様は間違いなく、私に惚れているのだ』


「……へ?」


 そう断言された瞬間、頭の中が真っ白になってしまった。それまでじわじわと響いていた足の痛みが、まったく感じられないほどに。


「ちょ……え? 何? い、いきなり何を……」

『だってそうであろう? 私に無視されるだけでいじけ、私と一言二言話すだけでテンションが上がり、私が微笑みかけるだけで赤面し、私の嫁だと茶化されただけで舞い上がり、その想いが勘違いだと指摘されただけで目的を見失う……。これが今の貴様だ。今まで貴様の気持ちを覗き見ていた私が言うのだから、間違いあるまい』

「や、やめてよ! そんなふうに自分の行動を列挙されると死にたくなるじゃない!」

『うるさい! 貴様がくだらんことで悩んでいるからいけないのだ!』


 背後から飛んできたブレスを弾きながら、柚彦は叫ぶ。


『大体、私のように高貴で知的で見目麗しい者を好きになるのは宇宙の法則であろうが! 花が美しいのは当たり前! 美しいものを愛でるのは当たり前! 何故それを素直に受け入れない!?』

「う……え、あ……」

『きっかけなどどうでも良い! 現在の貴様が私を好きだというのなら、それで良いではないか!』


 柚彦はうっとおしそうに額の汗を払うと、ビシッと人差し指で刺してくる。

 そう断言している柚彦だけど、その頬は色づき始めた花弁のように染まっていた。


 ……柚彦も、照れているんだ。

 恥ずかしいのに、僕を励ますためにこんなことまで言ってくれたんだ。


 そんな柚彦を眺めている内に、僕まで頬が熱くなってきた。それまで冷たくなっていた指先に、血が一気に巡ってくる。柚彦によって、新たに命を吹き込まれたような……そんな感覚だった。


 ああ……だから僕は、柚彦を好きになったんだ。

 この人だからこそ、守ろうと思ったんだ……!


「……うん、好き。僕は柚彦が大好きです!」


 僕の宣言に、柚彦はぷいっと顔を背けてしまう。返事こそしてくれなかったものの、横顔が先程以上に真っ赤になっていた。


 ……そうだ。もう僕は迷わなくていいんだ。

 僕の隣には、柚彦が居るんだから……!


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