11月14日・午前……2
そんなやり取りをしている内に、僕達は異端審問官の元にたどり着いていた。
何故、彼女達に追いつくだけでこんなに時間が掛かったのかというと……
リコ達が全力で逃げていたからだ。
「なんで逃げるんだよ!? 無視するなんて酷いじゃないか!」
道路を人間とは思えないスピードで駆けているリコ。その華奢な背中に文句を飛ばすと、彼女は整った顔を歪ませて振り返る。
「は!? 当然でしょ!? まだ策も整ってないのに、アンタがドロセラなんて連れてくるから!」
確かに僕達の真後ろには、荒い息を上げたドロセラが迫ってる。
でも、ここまで粘った僕達が文句を言われる筋合いはなくない!?
「で!? その策っていうのは何なの? ツインタワーに向かった異端審問官が何か関係してるの!?」
「そうよ! ……チッ、もう少し離れなさいよ!」
炎の渦でドロセラの目を晦ましながら、リコは忌々しそうにつぶやく。
「アイツの準備さえ整えば、ドロセラと同等の戦いができるはずよ! だから、あと少しだけ待って!」
「少しって、どのくらいなの!?」
「えっと……十分くらいかしら?」
「十分!? そんなに待っていたら、こっちが全滅しちゃうよ!」
「だからドロセラは、アンタ達に任せてたんじゃない! もう少し、粘ってくれりゃあ良かったのに!」
「もう少しって……! リコ、さっきからひどくない!?」
「ガアアアアア!!!」
話を中断するように、ドロセラが弾丸の如く突っ込んでくる。
「げ! 来るわよ!」
――反応が、遅れた。
爪先がほんの少し掠った。それだけなのに、自転車の後輪が吹っ飛んでしまった。その衝撃と攻撃時の風圧で、自転車のバランスがガクンと崩れる。
「ちょっ……! ゆ、柚彦! だ、だだ大丈夫!?」
『あ、ああ。今のところは!』
慌てて下方から強風を送り込みながら、柚彦はいつも通り答えてくれる。
振り返る際、ドロセラが着地した場所が視界に入ってぞっとした。先ほどまで普通の住宅街だったそこに……クレーターができている。
「や、やっぱり十分も持たないよ! こっちからも打って出ないと!」
『そうだな……!』
思案するように口元に手を当てると、柚彦は振り向きざまに銀色の矢を放った。しかしそれは、ドロセラの太い腕に掻き消されてしまう。
『クッ……! 自衛隊の奴らがやっていたように、目玉ならいけると思ったんだが』
なるほど。ただ闇雲に攻撃をするんじゃなくて急所を狙ったのか。
だけど、それも警戒されていては意味がない。まずはドロセラの気を逸らさないと……!
「このままじゃ、ダメね」
すると、ずっと真下で見守っていたリコが諦め気味につぶやいた。
「攻撃するのは諦めなさいよ。今は、時間を稼ぐことだけを考えた方がいいわ」
「なんでそんなことを言うの? まだ何もしてないじゃない! ここに居る全員で協力して、ドロセラの隙さえ作れば――!」
「無理だっつーの! あいつに近づいたら、食べられちゃうでしょ!?」
額から流れる汗をそのままに、リコはヒステリックに叫ぶ。
あの強気なリコから発せられたとは思えない言葉に、僕は咄嗟に言い返せなかった。
「それより椿。ちょっとアンタに聞きたいことがあるんだけど」
「何?」
もしかしてリコは、あまりにも絶望的な状況に混乱しているのではないだろうか? 瞳孔の開ききった彼女の目を見ながら、なんとなくそう思う。
「アンタと柚彦って、二人で一つみたいなもんじゃない? それってさ、蟲の力を吸収する時も二人で分け合ってるワケ?」
「いや……違うけど……」
質問の意図が全く分からない。こちらの提案をまるっきり無視した状態で進む会話に、柚彦も困惑しているようだった。
「それじゃあ、どちらか一人だけが吸収している形なの?」
「うん。蟲を倒した時に得られる力は全部柚彦が吸収しているよ。今の僕は、柚彦の力を引き出すトリガーみたいな存在なんだと思う」
「そう。じゃあアンタは、ただの人間なのね」
それはまるで、花が咲き誇るような華やかな笑みだった。
その表情を崩さないまま、リコは槍を振り上げる。
「それなら、食われても全然問題ないわ」
「……え?」
言葉の意味を理解する前に、リコの槍が僕の足に絡みついてきた。しかもご丁寧に、秋丁字に貫かれた方の足を。
ぎしり、と骨がしなるような激痛。それが一気にせめぎ上がってくる。
――そして。
そのままリコは、大きく体を捻って……僕の体を放り投げてしまった。
……あ、嘘。
体が、離れてしまう。
自転車から。柚彦から。
そうなったら、僕達は何もできなくなってしまう……!
本来なら一瞬であろう、その時間。なぜか僕には全てがスローモーションに見えていた。
柚彦が慌てて振り返る。リコに引っ張られて、僕の足が――そして、サドルに置いた尻が宙に浮く。
しかし僕は、飛ばされながらも手だけは自転車に触れたままだった。最初はグリップ。次にサドル。そして後輪のカバー部分。撫でるように指の腹で自転車に触れている。
……それが、功を奏したようだ。
『椿!』
僕の指が離れるか離れないかという、その刹那。
柚彦が、強風を巻き起こして自転車を吹っ飛ばしてきたのだ!
「ふぐっ!?」
空中で自転車の体当たりを食らって、胃から何かが飛び出そうになる。
が、柚彦と離れるよりマシだ! そのまま自転車を抱え込むと、僕達は後ろに流されていく。
ただ問題は、すぐ後ろでドロセラが大口を開けていることで――
まずい! このままじゃパックリいかれちゃうじゃないか!
『いいや、大丈夫だ!』
僕の心の声に答えて、柚彦が雄々しく腕を振り上げる。
すると、柚彦の全身を照らすように何十本もの矢が周囲に展開した。そして同時に、更なる強風を巻き起こし――
『このまま、突き抜ける!』
自転車は弾丸の如く、ドロセラへと突っ込んで行った。
「ガッ……!?」
口を開けて突撃してきたドロセラも、まさか喉の奥に突っ込まれるとは思ってなかったんだろう。牙も舌も届かない場所にある生温かい壁が、異物を吐き出そうと震えている。
――が!
『我が体に宿る月の女神の力よ! そのまま、貫け!』
柚彦がパチンと指を鳴らした瞬間、全身を巡っていた矢が一斉に放出された。
それは、喉奥の柔らかい肉をずたずたに引き裂き――
「ゲホッ……!?」
ドロセラの喉に、大きな大きな穴を開けたのだった。
鉄壁の防御を誇るドロセラも、内側からの攻撃には弱い。
あの時、自衛隊が決死の想いで証明してくれた事柄がこうして役に立ったのだ。
「ガハッ……ぁ……パパ……パパぁ……」
喉の奥を突き破って出ると、ドロセラは口から血を吐いていた。ドバドバと、まるで滝のように流れ出てくるそれは、ドロセラの後悔の涙のように見えてしまう。
だって、彼女は殺してしまったのだ。大切な大切な、主を……。
しかしその姿が見れたのも数秒だけだった。
力尽きようと頭を垂れた時、ドロセラは他の蟲と同じように消え失せてしまったのだ。
「し、死ぬかと思った……」
『私もだ……肝が冷えたぞ……』
戦いが終わった途端、体から一気に力が抜けてしまった。
自転車に変な形で抱き付いたまま、地べたに転がる。度重なる戦いと緊張の連続で、立ち上がる気力さえ削がれていた。
そんな中、いつもと同じ調子で近づいてくる奴が居た。
「なんだ、ああやれば倒せたのね……。チッ、先にやっておくんだったわ」
――リコ。
今回、こちらが提案した作戦に協力してくれなかったばかりか、この僕をドロセラに食わせようとした張本人だ。彼女の後ろには、黒いマントを羽織った異端審問官達が壁のように並んでいる。
「正直、柚彦まで吹っ飛んでいった時はどうしようかと思ったっつーの。柚彦の蓄えていた力までドロセラに吸収されたら、絶対勝ち目なかったわよねー。マジ危なかったわー」
「……どういう、つもりなの?」
片足を庇いつつ、僕はゆっくりと立ち上がる。ドロセラの力を吸収しきった柚彦も、目を細めて異端審問官の長を睨みつけていた。
「なんで、僕を殺そうとしたの?」
「ああ、それは――」
世間話でもするかのように、リコが答えようとした瞬間だった。
『み、皆さん、聞こえてますか!? た、助けてください!』
なんと、付けっぱなしになっていたイヤホンから、雪柳の声が流れてきたではないか。
オオスズメバチ戦が終わった後、雪柳は一般人の誘導に移ったはずだ。それがどうして、危険に晒されているんだ? もう、僕達以外に蟲は存在しないのに!
しかも雪柳の声は、異端審問官にも聞こえているはずなんだ。なのに彼らが、まったく反応を示さないのも薄気味悪かった。
僕は、彼らから目を離さないようにしながらインカムのスイッチを入れた。
「ど……どうしたの雪柳?」
『い、異端審問官が、襲い掛かってきてるんです! せっかく避難し終わったのに、器の中に引きずり込まれて……次々と人が……!』
「異端審問官が!?」
その時僕の脳裏に浮かんだのは、ツインタワーに駆けて行った異端審問官の姿だった。
――まさか、彼が?
『おい貴様! これはどういうことだ!?』
「だからぁ、さっきも言ったじゃない。ツインタワーに向かわせた部下の『準備』さえ整えば、ドロセラと同等の戦いができるって」
リコはしれっと受け流す。
「アイツはただ、そのための『準備』をしているだけだってば」
『貴様……人間を殺して、力を吸収するつもりだったのか!?』
「そうよ」
当たり前のことのように、リコは頷く。
「昔、ある異端審問官が言ったわ。『もし一人の異端者が含まれているならば、無害の者百人を焼こう』って。それってつまり、一人の異端者を追い詰めるためなら百人犠牲にしてもオッケーってことでしょ?」
「な、何を言ってるの……?」
「素の人間一人一人の力は小さいけど、全員殺せばかなりの力になる。そうすればドロセラに対抗できるじゃん。まぁ、ドロセラは先にアンタ達に殺されちゃったけどね」
「な、なんでそんなことを!? 今までは、市民もちゃんと守ってきたじゃないか! それなのに、それなのになんで!?」
『た、助けて……や、やだ……いやあああああああああああああ!』
イヤホンから住民の絶叫が聞こえてくる。
その悲痛な叫び声だけで、ツインタワー内が地獄絵図になっている光景が脳裏に浮かんできた。
「も……もう止めてよ! ドロセラは倒したんだから、早く命令を取り消して! このままじゃ、みんな死んじゃうよ!」
「嫌よ」
僕の提案に、リコはあっさりと言い切る。
「だってまだ、倒すべき蟲が一体残っているでしょ? ねぇ、コルチカム」
「そうっスね。相手は最強の蟲を吸収したばかりっスから、少しでも多くの力が必要っス」
「……え?」
倒すべき蟲って……何?
それに、最強の蟲を吸収したのって――
「さぁーて。準備はオッケーかしら、アンタ達!」
「はっ!」
リコのふざけた号令に合わせて、異端審問官達が木槍をこちらに向けてくる。
「これから、楽しい楽しい処刑の時間の始まりよ!」




