11月12日・午後
■十一月十二日 午後
「あ、あぁ……ぁあ……」
柚彦に全てを看破され、僕は何も言い返すことができなかった。自転車に寄り掛かるように、床に崩れ落ちる。
渇ききった眼を動かすと、見慣れた自分の姿がそこにあった。白い肌、白い髪、白い羽根。黄金の触角。普通の人間ならありえないものを当たり前のように持っている……それが、本来の僕なんだ。
……そうだよ。僕は、夏見柚彦なんかじゃない。
卑しいオオミズアオの、椿なんだ。
『全てを思い出したのは、どのタイミングだ?』
僕を気遣うように、柚彦が優しく聞いてくる。
『先ほど、犬と戦っていた時か?』
「……うん」
自分の心の中を整理しながら、僕は小さく頷いた。
「だって……違っていたんだ。記憶の中の映像と、現実が……。現実で僕は、柚彦として自転車を漕いでいた。でも記憶の中の僕は、そんな柚彦の背中をずっと見つめていたんだ。まるで、自転車で二人乗りをしている時みたいに……」
『なるほど。視点の差異が、違和感に繋がったということか……』
柚彦は、僕の話を聞いてもあまり驚いていないようだった。
……それもそうか。だって柚彦は今、読心術が使えるんだもん。僕がいつ、何をきっかけに思い出したかなんて手に取るように分かるだろう。
「……ごめんなさい」
『何故、謝る?』
「だって僕、柚彦に迷惑を掛けてばかりだ。こうして身体を入れ替えた方が、確実に柚彦を守れると思ったのに……全然、計算通りにいかなくて……」
そう。僕のしたことは全て裏目に出てしまったのだ。
一つ目の誤算は、柚彦の精神が入った僕の身体が、異様に蟲に好かれるようになってしまったこと。そしてもう一つの誤算は、僕の精神と肉体の両方が揃わないと、蟲としての力が使えなくなってしまったことだ。
こうしてまとめてみると、自分の情けなさがより一層感じられる。
「良かれと思ってしたことが、柚彦を苦しめていたんだ。しかも僕は、君を餓死させるところだった……! ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……!」
気が付いたら、目からぼろぼろと涙が溢れ出ていた。
大粒の雫が頬を伝って、服の袖を濡らしていく。
こんなところで泣いたら、柚彦を困らせるだけだって分かってる。でも、止められなかった。僕の意思を無視して、次から次へと涙が流れていく。
「……嫌だ。柚彦が死ぬなんて、嫌だよ……。お願いだから……僕が全部蟲を殺すから、全部消すから。だから、死なないで……」
『安心しろ、私はそう簡単には死なぬさ。多分……蠱毒が片付くまでは生きられる』
子供みたいにしゃくりあげていると、柚彦は触れもしないのに僕の涙を拭おうとしてくれる。
『そもそも貴様が謝る必要などない。謝るなら、私の方であろう?』
「……どうして?」
『決まっている。椿とは違い、私は全てを知っていた。知りながら、貴様の行動を黙って見ていたのだ。貴様の記憶喪失を徹底的に利用しようと思ってな』
柚彦は物憂げな顔色で俯く。
『きっと貴様は、自分が記憶を取り戻すと私に不利になると薄々勘付いていたんだろう。私の罪を予感させるものを見たり、思い当たったりしたら片っ端から忘れていった。もしくは事実を捻じ曲げようとした』
柚彦が言っているのは、初めて秋丁字とコンタクトを取った後のことだろう。
僕は、秋丁字と出会わなかったことにした。秋丁字なんて知らないフリをしようとした。
『貴様のその行動を見て、思ったよ。椿、貴様は献身的すぎるんだ。いつだって私のことを第一に考えてくれて……』
柚彦はぐっと息を飲み込むと、身を乗り出してくる。
『しかも貴様は、記憶を取り戻してからも私に尽くそうとしてくれたな。罪を犯したのは夏見柚彦じゃなくて、自分だと思いこもうとした。私を庇おうとしてくれた……』
「それは……僕がそうしたかっただけだ。椿が気にすることじゃない」
『ああ、そうかもしれない。だがな、私はそんな貴様に甘えて何一つ言わなかっただろう。貴様が私の犯した罪のせいで悩んでいるのに、私は何もしなかった』
柚彦は、ふと自虐的に微笑む。
『すまない。私は、弱い人間だな……』
柚彦にそんな顔をさせているのが、自分だと思ったら辛かった。
柚彦のためを思ってやったのに、また裏目に出てしまってる。僕は、どれだけ間違えれば気が済むんだろう。
「……柚彦は、弱くなんかないよ」
自分に言い聞かせるように、僕はつぶやく。
「だって柚彦は、ちゃんと僕に真実を話そうとしてくれたじゃないか。その言葉を無視して勝手に突っ走ったのは僕だ。それに、さっき市長に責められていた時だって、柚彦は僕を庇ってくれた……」
『当たり前だろう。何も悪くない貴様が責められて、黙って見ている方がおかしい』
「でも、あの魔法陣が破壊されたのは僕のせいだ。僕が蠱毒の書をコルちゃんに渡しさえしなければ……!」
『それは、私も同じことだろう。せめて特殊呪文を唱え終わる前に、異変に気付いていたら……』
柚彦は追い詰められた獣のように、睨みつけてくる。
『いや、そもそも私が秋丁字に手を貸さなければ良かったんだ。そうすれば、都市部を巻き込んだ事件にはならずに済んだかも――』
「それを予想するなんて無理だよ! だって柚彦は、特殊な蠱毒のやり方を教えただけでしょ!? まさかそれが、都市を器に使われるなんて普通は思わないよ!」
『しかし、その応用に気付けなかった責任は重いだろう』
「ううん! 柚彦は……」
と、そこまで言って僕は言葉を飲み込んだ。
柚彦も同じタイミングで気付いたらしく、気まずそうに頬を掻いている。
『……このままだと、話が堂々巡りになってしまうな』
「う、うん……」
結局、僕達は二人揃って間違えていたのだ。
ある意味では同じように、そして一方ではまったく別の方向に。そんな二人が責任について語り合ったところで、答えなんか出るはずがない。
『とにかく……もう泣くな。自分の顔で号泣されると妙な気分になる』
「……イケメンすぎて、どきどきしちゃうとか?」
『馬鹿者が。自分の顔にそんな感情を抱くはずがなかろう』
途端、柚彦は不機嫌そうに顔をしかめる。
『まぁ、私の顔が整っていることは否定せぬがな』
「ふふっ。柚彦も冗談なんて言うんだ」
『……うるさい』
それから僕達は、じっとお互いの顔を見つめ合った。
柚彦と一緒に過ごすようになって六日間。ようやく、本当の意味で柚彦と話せた気がする。柚彦という人間に触れられた気がする。
「そういえば柚彦はさ……僕達の身体と精神、元に戻せたりはしないの?」
『いや。できそうにないな』
こう聞かれるのを予想していたんだろう。柚彦は申し訳なさそうにかぶりを振った。
『蟲と戦う術なら上達したと思うが、どうやっても貴様の精神に干渉などできぬし、あの結界も出せない。多分、特殊な方法でないと発動できないのではないか?』
「特殊な方法かぁ……もしかして、僕じゃないとダメ、とかなのかな」
『そうかもしれん』
柚彦は神妙な顔で頷く。
『とりあえず今は、現状維持でいいだろう。蟲との戦いもラストスパートなんだ。お互いに、慣れているポジションの方がいい』
「でも……」
『私のことなら気にするな。先ほども言ったが、餓死で死ぬほどヤワじゃない』
心配されているのが分かったんだろう。柚彦はまた、穏やかな笑みを返してくれる。
『それより……皆に説明しなくてはな。私と貴様、そして秋丁字のことを……』
「うん……」
つまりそれは、柚彦の罪を白日の下に晒すということで。今までその罪を隠蔽しようとしていた僕からすると、素直に賛同できるものじゃない。
でもそれが柚彦の決めた道ならば、素直に従いたいと思う自分も居た。
『真実を伝えることで、異端審問官がどんな反応をするかは分からない。最悪、その場で殺されてしまうかもしれんな』
「…………」
『だがそうでもしなくては、亡くなった大勢の方に示しが付かない』
「……分かった」
僕が聞くまでもなく、柚彦の決意は固かった。
でも、安心してよ柚彦。
もし異端審問官に手を掛けられることになっても、僕が絶対に守ってみせるから。
「ん……」
そう決意を固めた途端、急激な眠気に襲われた。結界の中に入った時のように、周囲がほわほわして見える。
『どうした?』
「いや、なんか眠くなっちゃって……」
『ああ。思えば貴様は、昨日から動きっぱなしだったからな』
僕が縮こまりながら答えると、柚彦はぐるりと周囲を見渡す。
『仮眠を取ってから行くか。ここだと秋丁字が帰ってくるかもしれないから、別の場所に移動するぞ』
「うん……」
自転車を手袋から離さないように意識しながら、ゆっくりと立ち上がる。
「あの……さ」
『なんだ?』
いつもより重く感じる自転車を引きながら、ふわふわと浮いている柚彦を見やる。すると柚彦は、まっすぐ僕を見つめ返してくれた。
ああ、夢じゃない。
柚彦は――僕の守るべきものは、今もそこにいるんだ。
「これからも、よろしくね」
『……ああ。こちらこそ』
柚彦の表情は相変わらず読みにくい。
でもその時、間違いなく彼は微笑んでいたのだ。




