11月12日・午前……2
それから僕は、異端審問官から仕事を奪う勢いで蟲を殺し続けた。
学校を襲撃していた蟲共を片付けて。リコが止めるのも聞かずに街中へと繰り出して行き。手袋を脱いで、蟲共をおびき寄せ。
そして全て、前輪で轢き殺していった。
「そろそろ次の場所に移動しよっか。この辺にはあまり蟲がいないようだし」
軽やかにペダルを漕ぎながら、後ろの椿に話しかける。
「あっ、もちろん椿は休んでていいよ。椿の手を煩わせるようなことは絶対にしないから」
『…………』
「安心してよ。一分でも一秒でも早く、僕が全て消してあげるからね」
あえて椿の顔を見ないまま、僕は次から次へと言葉を吐き出していく。
もはや、僕と椿の間にまともな会話なんて成立していなかった。
脳みそが空っぽなんじゃないかと思われるようなことを口にしながら、その一方で僕はずっと考えていた。
どうすれば、全て無かったことにできるのかを。
そうでもしないと、自我を保っていられる自信がなかった。
自己嫌悪に体中が支配されて、頭がおかしくなりそうだった。
「あっ。あれは……」
蟲を探して空を飛んでいると、視界の隅に大きな白い建物が写った。
確かあれは、僕が入院をしていた病院だ。すでに外観はぼろぼろになっているけど、この形は見覚えがある。
「椿、次はここに行こっか? もしかしたら、動けない病人を狙った蟲が残っているかもしれないし」
『…………』
椿は相変わらず、何も答えを返してくれない。
◆◆◆
椿の了承も得られないまま、僕は勝手に病院へと侵入していた。自転車を引きながら、薄暗い廊下を進んで行く。もちろん、室内戦なんてもっての他だから手袋も装着済みだ。
まず初めに待合室。次にナースステーション。それから病室……。
「……誰もいないね」
病院内を隈なく歩いてみたけど、人っ子一人どころか蟲一匹見当たらない。
ところどころに生々しい抵抗の後が残っているのを見ると、異端審問官の救助が間に合わなくて、みんな殺されちゃったんだろうなぁ……とは、予想が付くんだけど。
「あ、ここは……」
そんなふうにダラダラと院内を探索していると、見慣れた場所に辿り着いた。
一番上の階の、一番端っこの病室。その中の、窓際のベッド。
もうすっかり埃だらけになってしまった掛け布団を叩きながら、僕は独り言のようにつぶやく。
「ねぇ椿。僕ね、事故に遭ってからずっとここで眠っていたんだよ」
『…………』
「隣のベッドの話し声がうるさくて起きたらさ、いきなり母さんが手を握ってきて……あの時は本当に驚いたなぁ」
そこまで言ってから、思い出した。
「……そういえば」
隣で寝ていた、あの子はどうなったんだろう。
重病人だったみたいだけど、無事に避難できたのかな? それともやっぱり、どうすることもできずに死んじゃったのかな?
そんなことを考えながら、ボロボロになった衝立をどかしてみる。
するとそこには、同じようなベッドが鎮座して――
「……あれ?」
――いるだけかと思ったら、違った。
ベッドの上には人こそ居なかったものの、服、食べ物、鞄、財布、ゴミなどといった物が散乱していたのだ。しかもそれは、昨日今日置いたばかりといった感じの雰囲気で。
……何これ。
これじゃあまるで、誰かここで生活しているみたいじゃない。
『…………』
さすがにこれには、椿も驚いたようだった。
自転車の上から身を乗り出して、乱雑した荷物を凝視している。瞼を思いっきり開いて、深く息を付いているその様は尋常じゃなかった。
「椿、何を見てるの?」
『あ、いや……』
気まずそうな椿の様子が気になって、彼女が覗き込んでいる辺りを探ってみる。
するとすぐに、椿が何に対して反応を示していたのか分かった。
――覆面。
あの日、犬に乗って襲いかかってきた男が付けていたもの。
それが、何故かこのベッドの上に置いてあったのだ。
……ああ、なんて偶然だろう。
頭のてっ辺からつま先まで、一気に凍えるような感覚に支配されながらも、僕は努めて冷静に息を付いた。
「……荷物、調べてみないとね」
一番初めに手を付けたのは、ブランド物の財布だった。
予想が正しければ、あの男の個人情報が確認できるはずだ。
「秋丁字琢磨……か」
免許証に記された名前と顔写真を見て、一人納得したふうに頷く。
しかし男の名前を知ったところで、僕は今更驚いたりはしなかった。
だって僕は、ずっと前から知っていたのだ。
あの男がどこの誰で、何を目的に動いているのかなんて。
そうだ。何故なら――
「僕は、秋丁字琢磨の共犯者なんだから」
『は……?』
うわ言のようにつぶやくと、椿が訝しげに振り返る。
『何を言ってるんだ、貴様……?』
「だって、そうでしょ? 椿という、強力な蟲を使役していること。
記憶を失う直前、わざわざ夜中に外出していたこと。
秋丁字に命を狙われていたこと。
秋丁字の『お前も自分の罪を思い出せ』という発言。
蠱毒に関する資料が、何故か車庫に隠されていたこと。
都合よく建っている、コンクリート製の強固な自転車置き場の存在……」
そこまで一息で言い切ると、僕はにっこりと微笑んだ。
「ほら。全てが、僕と蟲毒の繋がりを証明しているじゃない? きっと僕は、記憶を失う前に秋丁字と協力をして蠱毒を発動させたんじゃないかな。でも術が発動した後に、秋丁字の裏切りに遭って襲撃を受けたんだ。そこで、たまたま記憶を失った……」
『…………』
どうやら椿は、一通り僕の意見を聞くつもりらしい。宝石を埋め込んだような目を細めながら、黙って僕を見据えている。
「前に椿が言っていたよね。『何も考えるな』『思い出すな』って。椿は僕の罪を知っていたからこそ、そう言ってくれたんでしょう? 僕のためを想ってさ……」
淡々と告白しながらも、気付けば僕は自分の手を自分で握りしめていた。指に力を入れ過ぎて、肌の色がそこだけ真っ青になっている。
……そうでもしないと、間違ったことを言ってしまいそうな自分が居たのだ。
「全部、僕が悪いんだ。そうだよね? 椿」
縋るように懺悔を始める僕を、椿は瞬きもせずに見下ろしていた。
椿の顔は相変わらず能面のようで、表情が読めない。
でも椿は、僕の思惑を理解しているはずなんだ。触れたグリップの先から、僕の想いが伝わっているはずだから。
……これが、僕の求めた答えなんだ。
秋丁字と再会した時、僕は全て無かったことにしようと思った。卑怯なことに僕は、誤魔化そうとしたんだ。
でも、すぐにそれでは辻褄が合わなくなってしまった。元々僕の罪を知っている人間が居たし、何より僕自身が思い出してしまったから。
だから、もう認めるしかない。
自分の罪を。過ちを――
『そうだな、貴様の言う通りだ』
「……椿」
彼女がそう同意してくれた時の、僕の喜びといったら……。
この世に存在する言葉では言い表せないほど大きなものだった。
そうだ。椿が認めてくれなきゃ、僕は一歩も前に進めない。
君の了承さえ得られるのなら、僕は今後も椿と一緒に生きていける……!
――そう思った、矢先のことだった。
『ただ、少々事実と異なるな。夏見柚彦が蠱毒と関係したのは、秋丁字琢磨に蠱毒の研究を依頼されたからだ』
椿が、独り言のようにつぶやいた。
「え……?」
『夏見柚彦と秋丁字琢磨の出会いは、一年前。下校中に唐突に現れたあの男は、蠱毒の話を持ちかけてきたのだ。男の目的は民族学の研究だと言っていたか。
元々自己顕示欲に取り憑かれていた夏見柚彦は、この提案を二つ返事で了承した。
それから父親の書物を盗み、独自の研究により、食らった相手の力を吸収するタイプの蠱毒を半年掛けて編み出した。その方法を秋丁字琢磨に伝授した後は、何事も無かったかのように生活を続けていた』
椿は、まるで教科書を読みあげるかのようにすらすらと口を動かしている。
『しかしある日、夏見柚彦は気が付いた。
自分が住んでいるこの街をベースに、蠱毒が使用されてしまったことに。
まさか都市を器にされると思わなかった夏見柚彦は、正義感に駆られ夜中も出歩くようになる。自分が関与していない、人間の排除と夜限定での発動という付属呪文についても調べたかったのだ。
その時、同時に蟲自体の研究もしようと考え、蟲を使役することにした。
それがオオミズアオ――椿だ』
「ちょ……ちょっと待って椿……」
『だがその行動は、秋丁字琢磨にとって不都合だった。だからあの、貴様の記憶喪失を引き起こした事故に繋がってしまった』
怒涛の如く告げられる事実に、頭が回らない。
なんとかしなきゃ。なんとかして、椿の話に割り込まなきゃ……。
「あ、ああ……そうだったよね……うん、そうだった……」
椿の言葉を制するように、片手を上げる。
「椿は、僕がやったことを全部見てたんだもんね。それなら詳しくて当然――」
『さっきから何を言っているのだ? やったのは貴様ではない。私だ』
『私が、夏見柚彦だろう?』
堂々とした宣言に、僕はまともに反応できなかった。
間抜けに口を開いて、椿の真っ白な顔を凝視する。
彼女の発言は、完全に僕のキャパシティを凌駕していた。
……今、椿はなんて言ったの?
やったのは、自分だって?
自分が、夏見柚彦だって――……?
「違う!」
脳が全てを理解する前に、僕は否定の言葉を叫んでいた。
どろどろとした……なんとも形容しがたい感情が、喉の奥から込み上げてくる。
「そんな馬鹿なこと、あるはずないだろ! だって君は椿だ! 蟲だ! 人間じゃない! 君が夏見柚彦なはずないだろう!?」
『ふむ、確かに今の私は蟲だな』
自転車の上で脚を組み直しながら、椿は頷く。
『だが、これが私本来の姿だと誰が言った?』
「な、何を……変なことを言うのはやめてよ、椿……!」
もう、これ以上椿に喋らせちゃいけない。
そう思うのに、椿の肉体はホログラムのようで。
いくら手を伸ばしても、足掻いても、口を塞ぐことなんてできない。
『では問おう。貴様こそどこの誰だ? 何者なんだ?』
「僕は……夏見、柚彦だ! 僕こそが、夏見柚彦なんだ!」
『今まで、夏見柚彦として生きた記憶もないのに?』
僕の必死の訴えに、椿はしれっと追及してくる。
「それは……僕は、記憶喪失だから……」
『違うな。記憶喪失というのは、過去の記憶を失ってしまう症状のことだ。元々知らないものは失いようがない。貴様は確かに記憶喪失だったが、失っていたのは別の記憶だったはずだ』
「…………」
『本当は、全部思い出しているんだろう?』
そう言って、椿はぐっと顔を近づけてくる。
『なぁ、椿?』




